幸せの定義

見つめ続けて十五秒。ついにそれがバレたらしい。「なに?」と首を傾げられて。だから私も同じように首を傾げれば歩幅を遅らせ隣に並ばれた。

「ンだよ」
「なんで銀髪にしちゃったのかなって」

隣に並んだココくんは黒髪だ。でもこれはウィッグ。結婚後も、ココくんは約束通り定期的におばあちゃんのお見舞いに付き添ってくれる。そしてその度に黒髪に変えてピアスも外してくれる。今日だって早くに起きて準備をしてくれた。目立つ見た目を配慮してのことだと思うが随分とマメな性格である。でもそれならそもそも黒髪に戻せばいいのに、とも思う。

「別に。何となく」

前も同じ質問をしたけれどやはり今回もはぐらかされてしまった。ココくんってあんまり自分のこと話さないよね。それに最近では仕事の話もしなくなってしまった。前は「オマエもこれくらいは知っとけよ」ってくらいには梵天の情報を話してくれたというのに。もしや倦怠期というやつなのだろうか。

「ふぅん。まぁピンクや紫の中に黒髪がいたら目立つしその方がいいかもね」
「アイツらよりはマシだろ?」
「あのさ、ずっと思ってたけどあの人たちと仲良くないの?」
「なら聞くがキメると無差別に発砲してくる奴と週三で女関係のトラブルを持ってくる奴と仲良くできると思うか?」
「……ココくんって友達いる?」
「うっせぇ」

でも倦怠期といったらもっと殺伐としてるか。まぁたった今私が殺伐とさせたばかりだけど。ある程度の距離感は自己を守る為に大切なことである。だからココくんが聞かれたくないというならばそれ以上は踏み込む気はない。

「じゃあ次の場所行くぞ」
「うん」

さて、これで私の用事は終わったので次はココくんの用事に付き合う番だ。十分ほど車を走らせコンビニの駐車場に入って行く。目的地はここから近いらしい。ココくんは私を助手席に座らせたまま一度外に出た。そして後部座席に回り荷物を持って戻って来る。なんだろう、と思っていればそれが目の前に差し出された。

「これを渡してきて欲しい」
「え、私一人で?ココくんは行かないの?」
「オレは行けねぇの」
「ちょっと待って。もしや運び屋的な仕事⁈」

待て待て待て。もしや最近仕事の話をしなくなったと思ったら私を本格的に裏の世界へと引きずり込むための布石だったのだろうか。何も知らない方が都合がいい、的な。さすがに命は惜しいし豚箱もごめんなさいなので必死に顔を横に振る。

「そんな危ねぇことさせねぇよ」

だがしかし、私の叫びとは裏腹に紙袋をさらに押し付けられた。しょうがないので一先ずそれを渋々受け取る。細長くて結構重い。中身はワインのようだ。取っ手のところにリボンとタグが付けられているので贈り物といったところか。

「プレゼント?」
「あぁ。店のオープン五周年記念」

コンビニを挟んで向かい側の道路を入ったところにあるらしい。バイクショップと聞かされ意外だった。それなら、ココくんってバイク乗れるの?と聞いたら「乗り専」とだけ言われた。確かにバイクのイメージは正直ない。

「へぇ。友達のお店なの?」

二ケツしていた人が経営しているのだろうか。だから友達か親戚の店なのかと思った。でもそのとき一瞬だけココくんの表情が曇った。

「あぁ、乾って奴に頼む。小せぇ店だからすぐ分かる」
「分かった……というかもしかしてその人、これですか?」

そこではっとして小指を立てる。そうか、そういうことね。以前、恋人はいないとのことだったがあれからもう随分と経っているわけで新しくできた可能性もある。世間体的に言ってしまえば不倫関係ではあるけれど私達の場合それは愚問であろう。

中々返ってこない返事に緊張を募らせていれば不意に小指が掴まれた。何事か、と思うも瞬きの間に状況は一転していた。私が声を上げる隙も与えずに、気付けば小指が甲の方へと反らされた。

「いだだだだ!ちょっ折れる!小指折れる!」
「オマエはマジで肝据わってんなぁ?」
「いやいや、こういうのは先に知っといた方がいいでしょ?」
「結婚してんのに他所で女作るバカがどこにいんだよ」
「えっ男なんて子孫繁栄を言い訳にして浮気を繰り返、……ッ⁈ばか!マジで折れるわ!」

ココくんの手を払い退けて自身の小指が付いていることを確認する。この人、割と本気でやったよね?マグカップクラッシャー然り、ココくんの怒りの沸点は私の想像よりも低いのかもしれない。

「もう!急にヤンキー出してこないでよ」
「うっせぇ。それよりオマエにはオレがそう見えんのかよ」
「いや、ココくんは違うよ」

ココくんが何に怒っているのか未だによく分からないが、その質問の答えなら至って単純だ。だから当然とばかりに即答すれば、ココくんがこちらを二度見してきた。自分で聞いてきたくせになに驚いてんだか。

「家事も手伝ってくれるし仕事への理解もあるし私のことも否定しない。本当に出来た人だと思ってるよ」

言葉にするのは簡単だけど共通の認識を擦り合わせるってすごく大変なことだと思う。相手の為にしたことであってもそれが皮肉に捉えられることもある。言葉で伝えるのは正直苦手だ。だって今まで自分の気持ちを伝えてそれがいい方向へと転じたことがあまりなかったから。だから私はいつしか人に理解されることを諦めてしまったのかもしれない。でも、ココくんは今までの人達とは違う。

「ココくんは私の中で今一番、信用できる人だよ」

本当はやさしい人って言いたかった。でもそれはさすがに照れ臭かった。
車内には何とも気まずい空気が流れ、私はずっとセンタークラスターに表示されたデジタル時計を見ていた。秒針もないものだから何秒間の沈黙があったのかは分からない。でもその数字が切り替わった瞬間、ココくんが口を開いた。

「急に気持ち悪いな」

おい、空気を読め。人が珍しく褒めてみせれば何なのさその態度は。ぱっと顔を上げれば口元に手まで当てるし。吐き気を催す邪悪ってわけですか?

「ココくんこそ私に対して何かないの?」

ココくんのガラの悪さを見習ってオラ付いたヤンキーの如く詰め寄る。といってもあくまで車内なので物理的な距離が縮まるわけではない。でも私のチンピラ具合に恐れをなしたのかココくんは視線を外して静かに口を開いた。

「家事はできるし約束は守るし自立してる。人との距離感も分かってるから一緒にいて楽、だな。まぁオレもオマエのことは信用してる」

そんなまともな返答が来るとは思ってもみなかった。だからこそ、

「うわっ気持ち悪る」

口に手を当ててココくんと同じ台詞を言ったことをどうか許していただきたい。
だからなのか、ココくんも私のマネをするかのようにオラ付いたヤンキーの如くイキリ始めた。

「テメェはホントいい度胸してんな。おい、もういっぺん小指だせ」
「はい、DV!家庭裁判所で訴えます!」
「ンなもん金の力で揉み消すわ」
「何が怖いかってそれが冗談に聞こえないとこだよね」

ステイステイ、と両手で落ち着かせる動作を取ればそれ以上は絡まれなかった。私達は一体何の話をしていたのだろうか。あぁ、そうだ。バイクショップの店員さんに届け物をするんだった。

「じゃあ行ってくるね」
「あぁ。オレからだって言うなよ」
「分かってるよ」

ココくんから渡された紙袋を片手に、私は一人車から降りた。
歩道からガラス張りの店内を覗き込めば一人の男の人がバイクを整備しているのが見えた。だが生憎ここからでは背中しか見えない。少し緊張しつつも私は店の中へと入っていった。

「いらっしゃいませ」

ドアの開く音で気付いたのだろう。作業をしていた人がこちらを振り返り立ち上がった。おぉ……身長も高くてガタイもいい。でもそれよりも髪型に目がいった。サイドを刈り上げにし黒髪を一本に束ねている。そして頭の左側に入れられた龍に視線が止まった。如何にも昔やんちゃしてましたって感じだ。でもその人はその見た目とは裏腹に「何かお探しですか?」と優しく声を掛けてくれた。

「あの、乾さんって方いらっしゃいますか?」
「イヌピー?少し待っててください」

どうやら店の奥にいるらしい。龍の人は乾さんことイヌピーさんを呼びに行ってくれた。

「オレに何か?」

中々戻ってこないので興味津々でメンテナンス中のバイクを見ていれば後ろから声が掛けられた。振り返ればツナギを着た男の人と目が合う。左目あたりに広がる火傷の痕が痛々しい。でもそれよりも、蒼の瞳と金の長髪に目を奪われ綺麗な人だと思った。

「ああ、えっと……これ、お店のオープン記念のプレゼントです。もしよかったら」

早速手に持っていた袋を差し出す。しかしそこでハタと気付く。ちょっと待って。今の私、相当変な人なのでは?私とイヌピーさんは初対面。オープン記念のプレゼントも龍の人ではなく、何故イヌピーさんに渡したのか理由を説明できない。当然この店に来たのだって初めてだしココくんのことも言えない。一歩間違えばストーカー女だと思われる可能性もある。

「えーっと……すんません、どちら様ですか?」

はい、ストーカー女と疑われていますねぇ!
イヌピーさんのドン引き具合に私のライフも削られた。そして美人の真顔って怖い。もうひたすらこちらが悪いみたいな気持ちになってくる。でも私も彼の立場だったら普通に引くわ。どうしよう。こうなったら伝家の宝刀、鶴の恩返しシナリオを使うしかない。

「以前私の兄がこのお店で乾さんにバイクを直してもらったんですけどそのことをすごく感謝していてそれで今日がオープン記念ということで兄からこれを渡してくれと頼まれて持って来たんですどうぞ受け取ってください!」

以上、ここまでノンブレスである。止まったら終わりだ。何故なら私の理性が異常行動に待ったをかけるから。勢いのままイヌピーさんの腕に紙袋を押し付けた。もっとハートフルな感じで渡してあげたかったが密輸罪より先にストーカー規制法で訴えられる訳にはいかない。ココくんには申し訳ないと思いつつも、すぐにこの場を去りたかった。

「は?いやいいですって!」
「ほんと、大したものじゃないんで!」
「そういう問題じゃなくて!」
「これを受け取ってもらえないことには帰れな……あっ!」

重量に対して負荷をかけすぎたのが悪かったのだろう。紙袋の取っ手の片方が切れた。しかし、寸でのところで袋をキャッチしたので大事には至らなかった。でもそこでひらりと取っ手に着けられていたリボンとタグが床に落ちた。

「これ……」
「す、すみません!」

私よりも先にイヌピーさんがそれを拾う。でもそこで彼の蒼の瞳が揺れた。その視線はタグの裏面に注がれている。

「誰からの贈り物?」
「え?」
「キミからのプレゼントってわけじゃないでしょ?誰から頼まれた?」

動揺と哀愁の混じった表情。おそらくココくんとイヌピーさんは知り合いだ。でも会えない事情があるのだろう。昔、喧嘩別れしたとか?でもココくんには自分からとは言うなと言われている。だから私はイヌピーさんの質問には答えられなかった。

「知り合いです」
「ココから?」
「さぁ?そんな人は知らないです」

だから私はシラを切る。二人の関係が気にならないと言えば嘘になる。でもココくんはきっと詮索して欲しくはないのだろう。それに、詮索するような人間でないと見込んで私に頼んでくれたのだ。ココくんは私を信用してくれている。それなら私はココくんを裏切らない。

「でも、」
「そのメッセージを読んだってことは受け取ってくれるってことですよね?では私はもう帰りますので」

イヌピーさんの言葉を遮って、今度こそ紙袋を押し付ける。足早に店を出ていこうとすれば龍の人とも目が合ったので軽く会釈をしておいた。
これでようやくミッション成功である。思ったよりも重労働だった。私のお見舞いの比じゃないぞ。だから今日の夕飯はココくんに作ってもらおうかな。ここ一ヶ月くらいは毎日私が作っていたからそろそろ自分の手料理にも飽きてきていた。

「ちょっ、待って!」

何をリクエストしようかなぁなんてすっかり脳内を切り替えていれば左腕が後ろから掴まれた。思わず某俳優さんに呼ばれたのかと思いときめいたが、当然そんなわけではなく。でも振り返っていたのはやはりイケメンだった。

「最後に一ついいか?」

それは言わずもがなイヌピーさんで。わざわざ走って追いかけて来たらしい。そんなにココくんのことが気になるのだろうか。ここまでくると少なからずイヌピーさんにも同情してしまう。イヌピーさんはココくんのことを嫌ってないようだし、それならやっぱり私じゃなくてココくんが来るべきだったんじゃないかな。

「なんでしょうか?」

私に答えられることは少ないけれど伝言くらいなら受け取れるかもしれない。それならココくんの為にもなるだろう。だから私はイヌピーさんの話を聞くことにした。

「あの贈り主は今幸せか?」

でも残念ながらそれは私の期待を裏切った。
ココくん、やっぱり会わなくてよかったよ。

「私は本人じゃないから分からないですね」

それってその人が今幸せに思えないから聞くんでしょ?でもね、それを言われたら「幸せ」って答えるしかなくなっちゃうんだよ。やさしい人ほど、特に。

「キミから見てどう思う?」
「私が判断することじゃないですから」

腕を振り払えば思いのほかあっさりと解放された。そこでイヌピーさんの視線がある一点に注がれていることに気付く。左手の薬指に輝くそれ。最近ではすっかり着け慣れていてその存在を忘れていた。

「キミは……」
「あ、仕事の電話だ!すみません失礼します」
「まっ……!」
「はいもしもし、『佐藤』です」

真っ暗なディスプレイを耳に当て歩き出す。『佐藤』と名乗ったのは日本で一番多い苗字がそれだったからだ。
今度こそ駆け足でその場を後にする。イヌピーさんがそれ以上追いかけてくることはなかった。



今の私は相棒によく似ている。綿が萎んだテディベアの如く項垂れていればリビングの扉が開く音がした。

「なんか変じゃね?」
「は?ここ最近残業に追われ十分な睡眠時間が確保できず老化と共に肌の張りがなくなってきた私に対する遠回しな嫌味ですか?」
「誰もンなこと言ってねぇだろ」

お気に入りのソファに体を預けバラエティ番組を見ている時だった。テレビを見ている暇があれば早く寝ろという話だが明日は休みなので昼過ぎまで寝てやる覚悟で夜更かしをしている。そんなリラックスタイムを謳歌中、お風呂上がりのココくんに喧嘩を売られたわけである。

「それとも太ったことに気付いた⁈確かに最近はコンビニ飯や夜遅くに食事をとることが増えたからしょうがないんだけどそれを真っ向から言われるなんて……ココくんはもう少し乙女心を汲み取ってくれる人だと思ってたよ」
「そんなこと思ってねぇから被害妄想やめろ」

ごめん悪ノリした、と謝れば「元気はあんのな」と何とも言えない言葉を貰った。ココくんは首に掛けたタオルで髪を拭きながら冷蔵庫を開ける。そこから取り出したミネラルウォーターを一口飲んでもう一度私を見た。どうやらここからが本題らしい。どうしたの?と聞けば一拍置いてココくんが口を開いた。

「気ぃ使われてる気がする」

そう?そりゃあ初めの頃はそれなりに気を使うことはあったけどもう一緒に住んで半年は経っている……えっもう半年経ったのか。月日の流れは早い。まぁつまりは今さら使う気遣いはないということだ。

「割と自由気ままに生活してるつもりだけど」

ココくんはペットボトルを持ったままこちらにやってきて私の隣に腰を下ろす。ただ、このソファは三人掛けであるので私達の間には十分な距離があった。もしやお小言でも言われるのではないかと身構えていれば意外な答えが返って来た。

「この間一緒に出掛けた時くらいからオマエの様子がおかしい」

一緒に出掛けた、というのは祖母のお見舞いとイヌピーさんのところへ行った日だ。

「具体的には?」
「そういうんじゃねぇよ」

いつもなら、神経質になり過ぎだと笑い飛ばしていた。でもこれに関してはそう簡単には片づけられなかった。だって気を使っていたのは事実だったから。

「……ごめん」
「それは何に対しての謝罪だ?」

あの日、イヌピーさんにプレゼント渡してココくんの元へと戻れば「どうだった?」と聞かれた。だから私はイヌピーさんに渡せたことを報告した。それ以上、何か聞かれたわけではないけれどそこで私は一つ嘘をついてしまった。

「『無茶しすぎんなよ』って言葉、本当は言ってなかったんだ」

やさしい嘘なら許されると思った。でもそれは私のただの驕りだ。その人が現実主義者であるのなら私は真実を伝えるべきだった。

「なら本当はなんて言ってたんだ?」

怒るでも責めるでもなく、ココくんは静かにそう言った。私は少しだけ迷って。でもそこでココくんの意思を尊重しないのはいけないことだと思い、ありのままを伝えた。

「『贈り主は今幸せか』って聞かれた」
「……へぇ」

自虐気味に笑ったその顔を、私は見たくなかった。だから嘘をついたんだ。そんな言い訳、今さらする気もないけれど。

「オマエはなんて答えたんだ?」

言い訳はしない。嘘はつかない。

「本人じゃないから分からないって言った」

そっか、と他人行儀に言ったココくんの顔をやっぱり私は見れなかった。

「オマエから見てどう思う?」

そしてイヌピーさんと全く同じこと聞かれた。でもその答えも同じだ。

「よく分かんない。でも、」

私は考える。お金があれば幸せなのか。美味しいものをたくさん食べられたら幸せなのか。
確かにどちらも幸せなことだと思う。でも今聞かれていることはそういうことじゃなくって。だからやっぱり私はココくんが今幸せかどうかは分からない。でも、この際だから一つだけ言わせてほしい。

「ココくんは生きるの下手くそだとは思う」

なんでココくんばっかりイヌピーさんに遠慮して気を使っているのか。仕事だってそうだ。ココくんへの負担大きすぎだって。そもそもなんで梵天にいるのか今もまだ分からないし。親しい人もいないようだしボスのことも敬ってはいるようだがそこにビジネス関係以上の何かがあるとは思えない。ココくんの要領の良さならきっとどんな仕事にだって就けただろうに、生きづらい道選びすぎだって。そもそも中学の時だって成績良かったのに柴くん達とつるんで学校も休んでたよね。本当は勉強嫌いじゃなかったんでしょ?じゃなきゃあんなにいい成績残せていないもの。

「ココくんは周りに影響されすぎ。もっと自分勝手に生きていいと思う」

やりたくないことは無理にやらなくていい。だってそうしないと周りに押しつぶされて息が出来なくなるから。「いい子でいなさい」と言われ続けた幼少期、私はあの時が一番しんどかった。

「なんでオマエがキレてんだよ」

気づけば声が大きくなっていた。私自身、そこまで熱血キャラというわけではないけれど思いのほかヒートアップしていたらしい。わずかに頬も火照っている。それを見られるのは物凄く恥ずかしかった。

「別にそんなことないけど」
「元カレのSNS見た時よりキレてたぞ」

あの時も十分怒ってたよ?でも私がキレる前にココくんが怒ってくれたからこちらもそのタイミングを見失ったっていうか……あれ、今もしかして同じ現象が起こってる?

「なんか、むしゃくしゃしたからさ」
「ガキかよ」
「うっさい」

誰かさんみたく物壊さなかっただけマシでしょ。あーあ、柄にもない事言っちゃった。こんな時はお酒が飲みたくなる。煙草は結局あの数本でやめてしまったので私の逃げ道は結局アルコールしかなかった。

「ふっ……」

どうにもここには居た堪れなくなって、缶ビールと共に自室へ籠城しようと思った矢先だった。隣で肩が震えたと思ったらココくんが腹を抱えて笑っていた。

「やっぱおもしれぇな」
「もしかして今ものすごくバカにされてる?」
「褒めてんだよ」
「とてもそうには見えないかな」

私は泣くとストレス発散できるタイプだけどココくんは笑う派だったのかな。ココくんの笑のツボは特殊だと思う。まぁそれもお互い様なのかもしれないが。ひとしきり笑って満足したのか、はぁと大きく息が吐き出される。そしてココくんは天井を見上げた。照明しかない真っ白な壁。その先に何が見えているのか、私には分からない。

「……必要なら背中貸しますけど」
「は?」

でも何となくココくんの今の気持ちは読み取れた。本当は私から声を掛けない方がよかったのかもしれない。でもほっとけなかった。

「私の感動的な台詞に涙腺がやられたのかと思って」

ヤンクミ並みに熱く語れたからさ、と戯けたように付け足した。髪を払い退けた背中をココくんに向ける。そして肩越しに親指で場所を指し示した。

「今なら一分一食の手料理でご利用可能です」
「高くつくな」
「安い女じゃないんで」

貸し借りは嫌いだという。だから対価なくしては頼ってもらえないと思った。

「いや、やめとくわ」

返事はノーだった。でも、

「でも必要になったら頼む」

意外な答えも返ってきた。それを聞いて自分の口角が僅かに上がったのが分かる。

「ん?どうした?」
「別に。でもそれなら予約手数料ってことで肩叩きしてもらおうかな」
「なんで毎回労働なんだよ。金にしろ」
「自分で稼いだお金意外使いたくないの」

お金じゃなくても物を貰うことがあまり好きじゃない。何か見返りを求められているような気がしてしまう。返報性の原理は自分を苦しめる枷にしかならない。でもそれが労働であるなら私とココくんはフェアでいられると思う。

「ったくしょうがねぇな」

ソファのスプリングが弾み背中が僅かに傾いた。しかし肩に手が添えられバランスは保たれる。

「オマエの肩は鋼か……?」
「無駄口叩かないで手を動かしてください」

初めは遠慮して力を入れて貰えなかったので、もっとと催促すれば力が強くなった。というか意外にもツボを押さえてくれたり叩き方を変えたりと丁寧な仕事をしてくれる。それが気持ちよくって自然と頭は船を漕ぐ。

「……ありがと」

聞き逃してしまうほどの小さな声だった。でもその言葉は夢とうつつの間でもしっかりと私の耳に届いた。それは多分、ココくんの声だったからだ。

「どういたしまして」

寝言と間違われるくらいの声量。でもココくんなら聞き取ってくれただろうと勝手に思う。私達の間にそれ以上の会話はいらなかった。




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