やさしい人

誰も助けてくれないし、そんなの期待するだけ無駄だって分かってる。
両親はいつも仕事優先。「いい子でいなさい」が口癖で、一人の留守番も当たり前。学校行事だって来てくれた試しがなかった。だから先に結果を出せば来てくれると思って学級委員も務めたしテストでいい点も取った。これならお母さんが授業参観に来てくれるかもしれない、お父さんが褒めてくれるかもしれない。でも現実はそうじゃなかった。

『本当に手が掛からない子でよかった』

その時分かった。この人たちにとって私はお荷物なんだって。
だから離婚するってなった時も二人は私のことを押し付け合ってたんだね。それなら私は早いところ自立して一人で生きてくことにするよ。

大学一年の時に初めて彼氏ができた。三つ上の、一年留年している先輩だった。その人には酒も煙草も女としての自分も、全部教えてもらった。でも親のお金で遊んで授業もまともに受けないようなどうしようもない人だった。ただ、今まで真面目に生きてきた分そういうちょっと悪い人に憧れを持ったのかもしれない。

『は?彼女がオマエだけだっていつ言った?』

でも実際には悪い人、ではなくただの馬鹿だった。堂々と五股を掛けるようなクズ。因みにその中で私は三番目の女だったらしい。
二度とこんな奴に捕まって堪るか。私自身、無駄に根性だけはあったからもっとWしっかりWしようと思った。経済力を身に着けるために仕事も頑張った。次は浮気されないよう、いい彼女になろうと努力した。だから、私はこれでしっかり≠オた大人になれたと思った。

『……私がいつ助けて欲しいって言った?』

しかし、どうやら私はWしっかりWの意味をはき違えていたらしい。人に頼らないことで一人前の大人になったと思い込んでいた。でも実際には違う。それは私のちっぽけなプライドと強がりだった。そして私はそんなつまらないものでココくんを傷付けてしまった。



「消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい……」

——で、その結果がこれだ。そして絶賛後悔中であるがもう何もかもが遅い状況である。穴があったら入るから、どうかその上からセメントを流し込んで固めてほしい。
ココくんに散々酷いことを言った後、私は逃げてしまった。呼び止める声も聞かずに車から降りてビジネスホテルに駆け込んで今に至る。こういう時、逃げてしまうのが私の悪い所だと思う。まぁそれ以前に反省すべき点は多々あるが。

「こうゆうところがダメなんだよなぁ」

それと同時に元カレに言われた「可愛くない」の言葉が頭をよぎる。でもその人だけじゃなかった。今まで付き合った人にも似たような事を言われた記憶がある。

『尽くし甲斐がないよな』
『彼女って言うよりは口煩い母親みたいだな』
『オレといるより仕事してる方が楽しいだろ』

とっくに吹っ切れてるし、彼らのことはもう好きでもなんでもない。でも心が弱っている時ほど嫌な記憶というのは蒸し返されるもので。胃の辺りがムカムカして咽喉が燃えるように熱くなった。だけど涙は一滴も流れない。

「はぁ……」

思い返せば私は自分のことで泣くことはあまりなかった。だって泣いたところで誰も慰めてくれないから。家に帰ってもいつも一人だった。彼氏ができても、どうしてかクールキャラとして位置付けられてしまえば甘えることもできなかった。あぁ、でも前にココくんの背中を借りたときは少しだけ泣けたっけ。文字通り、雀の涙ほどの量だったけれど。

「私も大概生きるのヘタクソだなぁ」

ココくんのこと言える立場じゃなかったね。でも今さらこの生き方を変えろっていう方が難しい。だから私はいつも強がって逃げてしまう。でもこんな私でも見放さないでいてくれた唯一の相棒がいた。

物心つく前からずっと私のそばに居たテディベア、欧米では生まれた赤ん坊にそれを与える習慣があるという。その役目は子供の話し相手であったり兄弟代わりであったりと様々だけれど、私の場合はその全てであった。いい歳した大人が、ボロボロのぬいぐるみに縋るなどみっともないにも程がある。

「まじできえたい」

ベッドにダイブして枕を抱きしめてみるが冷たく固ければなにも癒されない。目を擦ってみてもやはり涙の一滴も流れない。ドラマでも見て号泣すれば気分も少しは晴れるだろうか。しかしテレビのリモコンにすら手を伸ばすのが億劫だった。
そうして、枕に顔を埋めて一睡もできない夜を過ごした。



ココくんとは何度も連絡を取ろうと思った。でもあと一歩の勇気が出なくて通話ボタンをタップできない。そして気付けばもう三日が経ってしまっていた。

「今は落ち着いていますが何かあったらすぐ呼んでくださいね」
「ありがとうございます」

一向に気は晴れないが時間は待ってくれない。その日は仕事を早めに切り上げ病院へと向かった。担当の看護師さんに挨拶をして祖母の病室へと足を踏み入れる。スタンドに掛けられた点滴の数を見るとこちらが辛い気持ちになってくる。そしてベッドで横になっている祖母を見ればまた幾分か小さくなってしまったように思えた。そっと近づき寝ている祖母の顔を覗き込めば、気配で分かったのかその瞼がぴくりと震えた。

「おばあちゃん……?」
「あぁ、いらっしゃい」

薄ら目を開けた祖母に微笑みかける。看護師さんによると会話は普通にできるらしい。祖母の調子もいいようで当たり障りのない会話をぽつりぽつりとする。そして一度、会話が途切れたタイミングでスッと祖母がサイドテーブルの上の封筒を指差した。

「あれ持っていってちょうだい」

三つほど積み重ねられた封筒を一つ手に取り中を見る。ツヤのあるコート紙のパンフレット、そこにはウェディングの文字が筆記体で書かれていた。

「気にいるところがあるといいんだけど」
「あのさ、もうその話は………はーい」

扉の外から控えめなノック音。もう検査の時間なのだろうか。私もこの後、先生と今後についての話をさせてもらう予定でいた。それなら少し早いが病室を出ていった方がいいかもしれない。

「あら一くんじゃない」
「こんにちは」

パイプ椅子から立ち上がった瞬間だった。キャビネットに腰をぶつけるくらいには動揺してしまった。扉へと視線を向ければ確かにそこにはココくんの姿が。なぜ祖母の病室を知っているのか、なんてのは今さら愚問だ。でも気まずい事には変わりない。だから私はあからさまに顔を背けてしまった。

「会うのは久しぶりね、元気にしてた?」
「はい、お陰様で」

ココくんの足音がやたらと煩く耳につく。そしてそれは私の半歩後ろで静止した。敢えて隣に並ばなかったのは私の顔を見たくなかったからか、それとも逃げ道を塞ぐためか。どちらにしろ私はその場から動くことが出来なくなってしまった。

「大変な時に中々伺えず、すみませんでした」
「そんな謝らないでちょうだい。私の方こそ迷惑かけてごめんなさいね」

居心地が悪くて二人からは見えない位置で両手を擦り合わせた。その時、指に何かが引っかかった。指輪だ。付けることが習慣になっているというのにその存在を私はすっかり忘れていた。

「迷惑だなんてとんでもないです。何か必要な物があれば言ってください」
「今のところは平気よ。この子が大抵のものは用意してくれるから」
「そうですか。今までは妻に任せきりでしたが必要があれば僕にも連絡ください」

まだ私の事を「妻」って呼んでくれるんだね。祖母がいる手前、気を使ってくれただけだと思うけどその言葉がやけに心地よく耳に残った。
再び扉がノックされ「検査の時間ですよ」の声と共に看護師さんが現れる。今度こそ出ていく時間だ。

「そうだ一くん、そこのパンフレット持ってって」
「はい?」
「あっいや、いいって!」

しかし私の声が届くより先にココくんがパンフレットを手に取った。ダメだ、間に合わなかった。その表情を伺えば僅かに目を見開いていた。

「私はね、海が見えるところがいいと思うの」
「式場ですか」
「ほら、困ってるから……」
「参考にさせて頂きます」

ココくんはサイドテーブルに置かれていたパンフレットを全て手に持った。その様子に少しだけ驚いて。でもそれも社交辞令にすぎないだろう。そうしているうちに看護師さんが検査の準備をし始め自然と二人で病室を出る形となった。

「…………」
「…………」

時刻は夕方、茜色の光が廊下を染める。個室病棟はとても静かで夕食にも早いこの時間帯では医療スタッフの人もいなかった。廊下に出て、沈黙。そこで先に動いたのはココくんだった。一歩二歩と遠ざかる背中を見て私は強く拳を握った。謝るなら今しかない。そう思い、浅く呼吸をして私は口を開いた。

「あ、あの……」
「早く帰んぞ」
「え?」

その時の私はひどく緊張していた。察しのいいココくんならきっとそのことにも気付いていたのだと思う。でもあまりにWいつも通りWにそう言うものだから初めは聞き間違いかと疑った。でもそれは聞き間違えなんかじゃなかった。病室から出て一歩も動けずにいた私に対し、もう一度同じ台詞を言ったのだ。今度は目を見て、はっきりと。

「なんで……」
「今日の晩飯はオマエ作れよ。キッチンに置いてある香辛料、賞味期限近いものあったぞ」
「いやそうじゃなくって」

なんでそんな普通に話せるの?私、ココくんに物凄くひどいこと言ったんだよ。それなのにまるで朝リビングで顔を合わせたような会話。こんなのおかしいでしょ。

「なんだよ」
「怒ってないの?」

純粋な疑問。そしてその答えはすぐに返って来た。

「怒ってはないけどムカついてはいる」

ココくんが言うその違いは分からないけれど怒っていないことは何となく分かった。現に、会ってから一度だって私を責めるようなこと言ってこないし。それなら尚更、けじめをつけるためにも私から謝らなきゃいけない。

「この前は言い過ぎた………ごめんなさい」

数メートル先にいるココくんに頭を下げた。こんなことをするのは入社一年目の時に盛大な発注ミスをやらかした時以来だ。でもその時よりも私は深く深く頭を下げた。

「ったく」

ため息一つを添えて発せられた言葉に身が固くなる。足音よりも気配でココくんが戻ってきたことが分かった。大丈夫、もう覚悟はできている。どんなにひどい罵詈雑言もビンタも鉄槌も全て受け止めてやる気持ちだ。場合によっては小指を詰めたっていい。視界に革靴のつま先が見え、私は生唾を飲み込んだ。

「バーカ」
「え?……なっなに⁈」

でも実際にされたことといえば、頭を鷲掴まれて髪をかき混ぜられただけだった。いや、 だけと表現するには激しすぎたかもしれない。髪の毛は酷いくらいにボサボサになったし目が回るほど揺さぶられたりもした。

「いや、ちょっと待って!タイム!」

壁にもたれながら頭を上げる。未だにくらくらして中々焦点が合わない。だからココくんがどんな表情をしているかまでは分からなかった。

「これでチャラな」
「はい?」

そして表情だけでなくココくんの発言もまた意味が分からなかった。意味が分からなすぎて焦点の合わぬ視界でじっとココくんのことを見続けた。そうしてやっと視覚を取り戻したところでココくんが私から視線を外した。

「オレの言い方も悪かった」

その横顔は気まずそうだった。その理由を、なぜ?と問えば「無神経な言い方だった」と言われた。私や祖母の事よりも、先に治療費の心配をしたことが無神経だったとココくんは言う。

「そんなことないよ。ココくんが言った通り私が意地になってただけなんだから」

ほんとはさ、あの時怒ってくれたの嬉しかったんだ。嘘をつくことに慣れてたから改めてそれが悪い癖であることに気付いたよ。お金のことも気にかけてくれて嬉しかった。でも何の見返りもなしに貰うのは怖くて、拒絶したんだ。だからココくんは何も悪くない。

「いや、見返りはあるけど」
「え?」
「オマエの言った通りこれは慈善活動、つまり寄付金だよ。税金対策な」

べっ、と舌を出して笑ったココくんに私は何も言えなくなってしまった。私にお金を渡したところでそれは控除対象外だ。でもそんな風に言われてしまえばもう断る理由も思いつかない。分かりやすい嘘なんかついて、それでいて本当に分かりづらい。

「ありがとう、ココくん」

そういうところだぞ、九井一。

「別に。ほら行くぞ」

それならお言葉に甘えちゃおうかな。まずは今から一緒に先生からの話を聞いて欲しい。それから祖母のお見舞いにはできるだけ二人で行きたい。あとは……まだまだたくさんあるけれど、これはだけは先に確認しときたいかな。

「私はまだあの家にいてもいい?」
「オマエが夕飯作んだから当然だろ」
「そっか」

ココくんは当たり前のようにそう言って。そしていつも通り歩幅を合わせて私の隣に並んだ。



「晴れてよかったですね!では準備しますからしばらくは車内で待っていてくださいね」

スタッフさんがそう言って車のドアを閉めた。今日はココくんに私の我儘に付き合ってもらっている。それは祖母たっての希望である結婚式を行うことだった。といってもあの状態の祖母を呼ぶことはできないし式場の予約も直近の日にちでは難しい。だから写真だけでも、ということで衣装と撮影業者を手配した。

「こんなんで良かったわけ?」

隣に座っているココくんの髪色は黒で、服はスーツだ。髪の毛に関しては最早見慣れた光景である。でもスーツが白と言うだけで特別感が出るのは不思議だ。なるほど、だから結婚式のタキシードは白色なのかもしれない。

「え、完璧でしょ?それともやっぱり和装が良かったの?」

日本ならではの和装に憧れる気持ちは分かる。でも私はやっぱり洋式派かな。友人が全員教会式だったってものあるけど白無垢は個人的にハードル高いんだよね。露出が少ない分、顔立ちの良さが試される気がしてさ。それにカツラも大変そう。ココくんは被り慣れてるからいいかもしれな……あーウィッグね、ごめんごめん。

「じゃあ何?」
「ドレスのことだよ。あり物の中で選んでたろ」

とにかく早く撮影をしたかった私は、確かに直近でレンタルできる物の中でドレスを選んだ。試着も片手で足りる数しかしなかったけど個人的には満足している。だってたくさん種類があっても迷うだけだし選択肢が限られている方が直感で決められる。

「まぁね。でも気に入ってるよ」
「それならいいけど」
「というかココくんこそ良かったの?」
「なにが?」
「だってタキシード着て私と一緒に写真撮るんだよ?」

挙式ではないけれどこの撮影自体、結婚式の一部のようなものだ。事実、前撮りプランで今日の撮影はお願いしている。祖母のためとはいえ、いくらなんでも図々しいお願いをしてしまったなと私としても罪悪感はあった。

「言ったろ、相手次第だって」

だからそもそもその相手が私でいいのかって聞いてるんだけどな。そんな会話をしていれば先ほどのスタッフさんが私達を呼びに来てくれた。



「わぁ!追い詰められた犯人が最後に行きつく場所って感じだね!」
「もっと言い方ねぇのかよ……」

撮影場所は海を選んだ。でも東京近郊から行ける場所で人も少なく撮影ができる所というのは限られてくる。だから撮影場所は白い砂浜と青い海、ではなく断崖絶壁と荒波だ。

「じゃあ映画作品のオープニング映像でおなじみのさっぱーんって言った方が分かりやすい?」
「表現方法については聞いてねぇから」
「そういえばココくんって元暴走族でもあるけど断崖絶壁で飛ばしたことないの?この前そういうアニメ見たんだよね」
「オマエは昭和のアニメも見んのかよ」
「は?平成のアニメですけど?」

まさか秋名のハチロクをご存じない?え、ちょっとこの人大丈夫?男の子なら誰しも一度は見て憧れるものだと思ってたのに……期待を裏切られた気分だ。あぁ、でもそもそもココくんは乗り専だからやれなかったのか。

「可哀想に……」
「そういやバンジージャンプしながら指輪交換したいっつってたよな?試しにいってこいよ」
「急に心中のお誘いとかやめてくれない?照れるじゃん、……ッうわっ⁈」
「あっぶね!」

会話に夢中で足元への注意がおろそかになり、岩の段差を踏み外した。さすがに崖からは距離はあるため落ちることはない、でも岩肌に倒れるくらいの覚悟はした。が、それよりも先に伸びてきた腕が私の体を支えてくれた。

「びっくりした……」
「それはこっちのセリフだ」
「ごめん」
「腕掴んでろ」
「ありがと」

ジャケットが皺にならないよう気を付けてココくんの腕を掴む。もう転ぶまいと足元に注意して指定された場所まで歩いていった。しかし機材トラブルがあったのかすぐに撮影とはならなく、少し待つようお願いされた。

「海で撮影すんなら沖縄くらい行けたっつうの」

掴んだままの腕を辿り、視線をその横顔まで向ける。ココくんは海を見ていた。水面はキラキラと輝き、岩にぶつかっては白いしぶきを上げている。私はもう一度視線をココくんへと戻した。

「でも沖縄で撮影して日帰りはきついでしょ」
「一日くらい調整したわ」
「そこまでは悪いって」
「今さらだろ」

ココくんの視線の先を私も見た。この距離から見れば群青色がどこまでも続く美しい景色だ。でももっと近くで見たらかなり濁っているのだと思う。そう考えれば透き通った海を背に、それこそ白い砂浜と共に撮影するのもよかったのかもしれない。

「じゃあさ、」

でもそれなら撮影の為じゃなくって海を見るために行きたいな。ちょっと遠いけどとっておきの場所を知ってるんだ。赤いサルビアの花畑を超えた先にある小さな入り江。

「いつか旅行に行かない?いいとこ教えてあげる」
「へぇ、どこにあんの?」
「行くまでのお楽しみ」

スタッフさんの準備ができたらしい。女の人がこちらに走ってくるのが見えた。だから私は風に遊ばれていたスカートの裾を整えた。一見真っ白なシンプルなドレスかと思いきやよくよく見ればそこには繊細なリバーレースがあしらわれている。それに気付いてしまえばようやく私にも花嫁という自覚が芽生えてきた。

「ではこちらでシャッター切ってきますんで、まずは寄り添ってください!」

事前にキスやハグはできないと言ってある。でも寄り添うにしたって私達からしてみればかなりの難題だ。

「どうする?とりあえずタイタニックポーズでもやってみる?」

だからつい、いつもの調子でふざけてしまったのも大目に見て欲しい。でもいつもの調子であったのは私だけだったらしい。視線を斜め上へと移動させればこちらを見下ろすココくんと目が合った。

「え、なに?」
「ゼッテェ動くんじゃねぇぞ」
「は?うそ、まって。え、あ、むり!むりだから!」

膝の下に腕を入れられ体がぐるりと回れば目の前には青空が広がっていた。しかしすぐに影が落ちて見慣れた顔が現れる。状況が理解できずにいれば私を抱き上げたその人はただ一言「笑え」と言った。

「いや、できるか」
「早く笑えよ、写真撮ってもらえねぇだろ」
「シンジくんはもっと優しく言ってくれるのにハジメくんの言い方雑過ぎない?」
「うっせぇ」
「ココくんこそ笑ってよ」
「笑ってる」
「噓つけ!」
「おいバカ!やめろ!」

片手をココくんの肩に置いて体勢を安定させる。そうして自力で少し体を持ち上げてもう一方の手を頬へと伸ばした。鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギスの精神だ。なお、その方法は物理である。

「もっと精一杯の笑顔をみせてよ」
「ふざけんな。今すぐオマエのこと崖から落としてもいいんだからな」
「崖は嫌だけど重いから下ろしてくれていいよ」
「ギリ許容範囲」
「なっ……⁈そういうことなら今すぐココくん道連れにして命綱なしのバンジージャンプ決めるからね!」

その後も言い争いは続き、「良い表情ですね!」という言葉が飛んできたのにも気付けなかった。果たしてそれが本当に良い表情をしていたのかは写真を確認するまでのお楽しみだ。でも楽しかったのは事実である。多分、それが答えだ。



本格的な治療を行う矢先だった。
撮影してもらった写真をデータでもらい、それをココくんと一緒に見せに行った。その写真を祖母は目を細めて何度もスクロールさせながら飽きることなく見ていた。終いには「もう思い残すことはないわ」なんて言い出して。そういうこと言わないでよ!と怒った私をココくんが宥めるという不思議な図式が出来上がった。

祖母の治療にはまだ試験段階ではあるけれど最先端の処置が施されることになって、腕の立つ先生も来てくれることになった。それをココくんから聞いてきっと裏で色々と手を回してくれたことは、なんとなく察しはついた。でもそれは聞かなかった。聞いても結局はぐらかされるだけだろうし。だからその代わりたくさんの「ありがとう」を言わせてもらった。
きっと何もかもが上手くいくはず。アルバムが出来上がったら渡すと約束して病室を出た。
その夜に、祖母は息を引き取った。



「あっという間だった」

火葬も済ませ祖母の遺骨を抱いて家に帰った。葬儀に関しては遺言通り身内だけ済ませた。といってもそこへ私の母親が来るわけでもない。だから結局参列者は私一人だけになると思ったけれどココくんも一緒に来てくれた。

「遺骨はどうすんだ?」
「お墓は持ってるから四十九日を終えたら納めに行くよ」

死亡届も出して埋葬許可証も貰ってきた。それからお寺の方に連絡して塔婆の用意と納骨式の予約をしないと。あ、あと墓石に没年と戒名も彫らないといけないんだっけ。あれってどこに頼めばいいのだろうか。後でちゃんと調べておこう。それから……

「ン、」
「え……あ、ありがとう」

斜め上から現れたマグカップを反射的に受け取る。「熱いぞ」と言われ中を覗き込んでみればホットミルクだった。

「コーヒーかと思った」
「オマエはカフェイン取り過ぎなんだよ」
「カフェイン中毒者だからね」

一度息を吹きかけてからひと口含む。熱いと言っても人肌よりも少し高いくらいの温度だった。口に含めばお砂糖の甘みとシナモンの香りが広がる。それはとてもやさしい味がした。

「気ぃ張り過ぎじゃね?」
「そう?」

美味しくて半分ほど一気に飲んでしまった。少しだけ軽くなったマグカップをローテーブルに置きソファに身を預ける。ホットミルクのおかげで 気がすっかり緩んでしまったというのにココくんはそんなことを言う。絶賛リラックス中ですよ、と身振りでアピールしてみたがそういう意味ではないらしい。

「オマエの事だからどうせこの後の手続きとか色々考えてんだろ」
「そりゃあ考えるでしょ」

だって故人をおくるなんて初めての事なんだから。母親にも連絡はしてみたもののこっちのことは全部任された。元より当てになんかしてないけれど、だからこそ私がしっかりしないといけないのだ。

「そういうのは後からどうにでもなっから」
「うん?」

ココくんの言わんとしていることが分からず首を傾げることになる。そしてココくんとしても今の発言は分かりづらいものだと思ったらしい。気まずそうに首の後ろを擦っていた。その様子に、私も真剣に話を聞いた方がいいかと思いソファに預けていた背を起こした。

「好きな人が亡くなったときオレはみっともねぇくらい泣いた」
「え、……」

突然何を言い出すのかと思えば。
びっくりして口を半開きにしたまま固まってしまった。

「ずっと好きだった友達の姉ちゃん」

それは御伽噺を語るかのように静かに始まった。小学校の友達の、五歳年上のお姉さん。話を聞く限り一目惚れのようだった。そしておそらく初恋の人。ココくんはその人に告白すら飛び越えてプロポーズをしたらしい。今のココくんからは想像もつかないが、不思議と意外だとは思わなかった。それは私がココくんの本質を知ることが出来た証明でもあった。

「火事に遭って全身火傷、治療すんには四千万必要だった」

子供が稼げるお金などたかが知れている。だから犯罪にも手を出した、とココくんは静かに言った。それこそまさに今の『九井一』のルーツだった。

「そうだったんだ」
「もう金で困るような人生は御免だ」

その話を聞いて、やっぱり私はココくんは生きるのが下手くそだなって思った。火事が起きたことは不運な事故に過ぎないし、その人を助けられなかったのはココくんのせいじゃない。それなのに、何故そんなにも自分に責任を感じているのか。その答えは今の私には分からない。

「話してくれてありがとう」

でも私がココくんの話を聞いたことでその責任を少しだけでも一緒に背負えたらいいな思った。話しをすることで気持ちが楽になることはココくんが教えてくれたから。

「思い出話に付き合わせて悪かった」
「いやいや、貴重な恋バナが聞けて嬉しかったよ」
「うっせぇ。つーかオレが言いたいかったことは別にあっから」
「なに?」
「我慢すんなってこと」
「え?」

口を半開きにして固まった私に対し、今日のココくんは笑わなかった。いつもはアホ面だって言ってくるのに。そんな薄っぺらい感想が頭の中に浮かんで消える頃にはココくんの体勢が変わっていた。ソファに座っていることに変わりない。が、どうしてかこちらに背を向けていた。

「背中でよけりゃあ貸すけど」

あー……もう本っっ当にココくんってそういうとこあるよね。なんで人が必死に隠そうとしていることを毎回見抜いてくるかな。おかげで私が今までとってきた距離も、積み上げてきた壁も、全部無意味になっちゃったよ。

「余計なお世話かもしん、……ッ」

だから責任取ってよ。私、もう一人で生きられなくなっちゃった。困ってるときは助けて欲しい。辛いときにはやさしい言葉をかけて欲しい。

「痛ぇよ」

おでこをぐりぐりと押し付けてそんなことを思った。ごめん、直接言葉にするのはまだ気恥ずかしいんだ。

「ココくんの背中が骨張ってるせいだよ」
「背中は大体骨張ってるもんなんだよ」
「硬い……」
「正面も空いてるけど」

ただ、少しだけ。ほんの少しだけ素直になる努力はしたい。

「じゃあ、そっちがいい」
「分かった」

頭を持ち上げてココくんから距離を取る。そしてこちらを向いた瞬間、その胸に飛び込んだ。勢いを付け過ぎて思わず押し倒しそうになったけど意外にもしっかりと支えられた。

「ココくんはもう少し肉付けた方がいいよ」
「ったくオマエは……」
「明日のご飯は何食べたい?」
「辛くないモン」
「じゃあおすすめはね、オムライスでしょ。それか、ら…お好みッ焼き、…ドリアと…ぅッ、ナポリタ……うぅ…」
「全部炭水化物じゃねぇか」

嗚咽により上手く呼吸が出来なくなった背に手が添えられる。そのぬくもりは、さすがに長年連れ添った相棒でも与えてくれなかったものだった。お陰で呼吸の乱れは収まったものの私の頬には未だに雫が伝っている。おそらく今世紀最大にひどい顔をしているであろう。だから顔はずっと埋めたまま。でもこれだけは伝えさせて。

「ありがとう、ココくん」
「どういたしまして」

背中から離れた手が、不器用に私の頭を撫でた。



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