どうも、はじめの婚約者になります


菓子折りはそこそこお高めのものを選んだ。あれだけ良くしてもらったのに一日で退居した挙句、ドアと窓ガラスを壊したのだ。修繕費は後で請求してもらうとしてまずはお詫びである。こういう所はしっかりやっておきたい。一応、(反)社会人だしね。



「さすがにこれ以上は受け取れねぇよ!」

しかし不動産屋に足を運び、菓子折りを差し出したところでパーちんさんにそう言われてしまった。これ以上もなにも、私はまだ何もしていないのだけど。

「いえ、でもまだ修繕費も払ってなくて……」
「修繕費どころの額じゃねぇだろ!口座の桁変わったわ!」
「なんの話ですか?」
「一瞬詐欺かと思ったんだからな!」
「はぁ」
「オイ、なんで本人が分かってねぇんだよ」

会話が噛み合わない私達の元にぺーやんさんが来てくれた。これはもう一から説明して欲しいと思い、改めて自分がここに来た理由を説明する。しかしそれを聞いた二人の反応は私が想像していたものとは違っていた。

「もう金は貰ってんぞ」
「え?私はまだ何もしていませんけど」
「はぁ?オマエ名義で修繕費用含めた諸々の代金振り込まれてたぞ」
「うそ⁈」
「それもバカみてぇな額でな!」

もちろんそれは私ではない。ということは、犯人ははじめさんに違いない。え、何やってんの?私全く知らないんですけど。まぁドアと窓を破壊したのは向こうだからいいけど私が負担するはずだった費用まで……

「そうでしたか……」

個人的には複雑なのだが目の前の二人が喜んでいるから良しとしよう。因みにそのアパートはすでに取り壊されたらしい。何でも一度更地にして新しいマンションを建てるのだとか。これで銃弾の跡も消されたわけだが、全てはじめさんの掌の上で踊らされていたようで悔しい気持ちも少なからずある。

私が足を運んだ意味ももはやないようなものだが菓子折りは置いてきた。一度は返されたがこれが私の最低限のケジメの付け方だ。
そうしてすっかり日の落ちた道を、次の目的地に向かって歩き出した。

◇ ◇ ◇

しくった。やっぱりあの時、行動しておくべきだった。

「これからオレら飲み行くんだけどお姉さんもどう?」
「え、私ですか?」
「そーそー!遠くから見てて可愛いなって思って声かけちゃった!」
「はぁ……」

待合せの五分前、着いたと連絡しようとすれば彼女の声が聞こえた。キミってほんと目が離せないよね。ベタに絡まれてベタに断れないでいる姿は逆に笑える。まぁソイツら許さないけど。

「イタリアンとか好き?この辺りでいい店知ってんだよね」
「いえ、人を待っているので……」
「それって女の子?じゃあ、ッ…⁈イッテェ!」
「ごめん、お待たせ」

とりあえず目の前にいた奴の肩掴んで横に退いてもらった、。待合せをしていた彼女は一瞬目を見開いて「あ、イヌピー」なんていつもの調子で言った。なんだろ、この肝の座った感じ。まぁそうじゃなきゃココの隣には居らんないか。

「いきなり何すんだよ!」
「あ?人の女に手ェ出しといてよく言えんな」
「オイ、やべぇって!」
「……っ!す、すんませんでした!」
「失礼しますッ!」

ダセェなって思いながらその背を見ていれば斜め下から「おぉ〜」なんて呑気な声が聞こえて。少しは自覚持ちなよ、と言えばへらっと笑って「ごめん」と言う。挙句に「イヌピーなら助けてくれると思った」と付け加える。それでオレも全て許せてしまうのだから惚れた弱味というのは本当に恐ろしいと思う。

「はぁ…じゃあ行くか。場所分かる?」
「うん!とりあえずあの信号まで真っ直ぐね」

スマホ片手に歩き出した彼女の隣へと並ぶ。予約はしたがその店には行ったことないらしい。だから地図と睨めっこしている彼女は前を見ていなくて。他の通行人に打つかりそうになったので肩を引き寄せ進行方向をずらした。

「あ、ごめん」
「ほんと世話が焼ける」
「気をつけます……」
「オレがよく見とくからいいよ」

別に今に始まったことじゃないし。それに彼女の場合、何度言ったところであんま効果なさそう。

「さすがイヌピー!」

茶化す彼女の額を小突いて店を目指す。歩道と車道を隔てる縁石がなくなったので彼女を先に行かせて車道側に回り込んだ。別に何を言ったわけでもないけれど彼女もそれに気付いたらしい。目が合った彼女が笑った。

「イヌピーがイケメン過ぎて惚れそうだよ」

惚れないくせに。
でもキミにそう言われたくてオレはいつもカッコ付けてる。

辿り着いたのは焼き鳥がウリの居酒屋だった。店内はほぼ満席で予約してなければ待つことになっていたと思う。彼女が名前を伝えればすんなり席に通されて二人掛けのテーブルに向かい合って座った。

「さぁ今日は私の奢りです!何でも頼んでいいからね」
「じゃあご馳走になります」

一人暮らしをしたいと言った彼女にパーちんの不動産屋を紹介した。でも一人暮らしをすることをやめたらしい。紹介してもらったお礼と無駄になってしまったことへの謝罪として今日の飲み会が開催された。

「席だけ予約してコースとかは頼んでないんだ。とりあえず飲み放題は付けて料理はここからここまで頼む?」
「いや、二人でどんだけ食うつもり?」

そういえば昔ファミレスに行ったときココも同じように注文をしてたっけ。見開き一ページ全てオーダーしたときはオレも店員もココの事を二度見した。

一般的な胃袋しか持ち合わせていないオレ達はおすすめメニューの中から気になったものをいくつか注文した。飲み物が運ばれてきて「お疲れ様」なんて言ってグラスを付け合せる。オレはビールで彼女はサワーだった。酒はどのくらい飲めんだろ、というオレの心配をよそに彼女はグラスを空けていった。

「それでね私も言いたいこと言ってね、ちゃんと九井さんと仲直りできた!」
「よかったね」

アルコールが入ると彼女はいつも以上によく話した。その内容も当然ココ関係の事。自分は確かに赤音に似ているけれど、ココは私を好きになってくれたのだと彼女は喜んでいた。

その会話に相槌を打ちつつもふと思う。オレは最初からキミをキミとしか見ていなかったのにどうして気付いてくれなかったのだろうか、と。キミとの関係が友達だけじゃ満足できなくなった。当然、ココのことが好きなのは知っていた。奪い取るつもりはなかったけれどきっと長くは続かないと思った。だからずっと機会を窺っていた。

そしてついにその日が来た。赤音のことを知った彼女から連絡が来たのだ。
きっとその日が最初で最後のチャンスだったのだ。だからあの日に自分の物にしてしまえばよかった。事実その一歩手前まで行ったのだから。

泣き疲れて寝落ちした彼女をベッドに寝かせたとき髪が落ちて白い項が覗いた。惚れた女の無防備な姿に、理性も全部ぶっ飛んで。オレは欲のままに噛み付いた。彼女の充血した唇から甘い声が漏れて、嫌われてもいいから襲ってやろうと思った。でも襟元へと手を伸ばしたところで指に何かが絡まった——ピンクダイヤのネックレス。素人目でもゼロ六つは付いていると分かるそれ。きっとココから貰ったものなのだろう。

そこでようやく冷静になったオレは最低限の物をもって家を飛び出した。その日は店に泊まり、そして彼女が起きるであろう時間に戻った。
間違いを犯す前に逃げたつもりだったけれど、それこそが間違いだったのではないかという後悔。オレは、しくじった。



「ちょっと大丈夫?」
「へーき!」

二時間ほど飲み食いして店を出た。酔いは顔に出ないタイプらしい。しかも呂律もしっかりしていたものだから油断した。立ち上がった彼女は千鳥足だった。

「自販機で水買うから待って!」
「イヌピー酔ってるのぉ?」
「酔ってるのはキミだから!」

へらっと笑った彼女を見て一瞬だけ休憩所に連れて行こうか迷ったオレをどうか許してほしい。何が楽しくて惚れた女と自分の知り合いの惚気話を聞かなければいけなかったのか。

「ほら水飲んで」

ペットボトルを渡し、繁華街の広場にあるベンチに座らせた。目に痛いネオンが光る隣の建物にはギリギリ理性が押し勝って入らなかった。

「イヌピーってさぁなんで彼女いないの?」

半分ほど無くなったペットボトルを握りしめ彼女は隣に座ったオレを見た。顔色と口調は変わらないので酔いが覚めたのかはよく分からない。

「なんなの急に」
「だってこんなに優しくってイケメンなんだもん。イヌピーの彼女になれる子は幸せなんだろうなぁって」

じゃあなってよ。

「買い被り過ぎ」

でも当然そんなことは言えなくて。
オレはいつもカッコ付けてしまう。

「なんか鳴ってない?」

彼女のバッグの中から聞こえた着信音。腕時計を見れば日付も変わっていないのにもう夢から覚める時間らしい。お伽噺話のお姫様でも魔法が溶けるのは0時だというのに彼女の場合は一時間も早かった。

「はぁいどうしました?」
『オマエ酔ってんだろ』

電話からココの不機嫌そうな声が聞こえて少し笑った。でも雲を掴むような彼女の会話にも一々反応している。ココもまた心底惚れこんでいるのだと分かった。
オレは一つ溜息をついて手を伸ばす。終わりの見えない会話に終止符を打つため、彼女の手からするりとスマホを抜き取った。

「あっ」
「もしもしココ?」
『は?え、イヌピーか?』

視線だけを彼女に向ければ驚いて固まっていた。でもスマホを取り返すつもりはないらしい。だからオレはそのまま話し続けた。

「うん。一緒に飲んでた」
『そうか……』
「で、いま池袋の××通りのラブホにいるから」
『は⁈』
「早く迎え来なよ」

通話終了したスマホを彼女に返す。そしたらぽかんと口を開けて固まっていた。その間抜けな顔はかわいいと思う。

「は、えっなに言ってるの⁈」
「面白いココが見れるかもしんないじゃん」
「説教される未来しか見えないよ!」

このくらいの意地悪許してほしい。オレが見た目ほど優しくはないって知ってるでしょ。ほら、オレらって外見詐欺の常習犯じゃん。

「その前に酔いは醒ました方がいいんじゃない?」

きっと車飛ばしてソッコーここまで来るんだろうな。だからもうあまり時間はない。

「寧ろ醒めないままで逝きたい……」
「バカなこと言ってないで顔上げて」

オレの気持ちは言わないよ。キミの事は困らせたくないし、友人という立場も失いたくない。それにやっぱりキミの前ではカッコ付けたいからさ。

「は…あ、ぅえ⁉」

前髪を払いよけてキスをした。今回は一応起きてるし、襲ったってことにならないよね。

「醒めた?」
「こ、このイケメンが!」

どうせ腹めがけて殴ってくるんでしょ?知ってる。
だからそれを受け止めて彼女を引き寄せた。

「……キミの幸せを願ってる」

ほらもう迎えが来た。ココの外車はよく目立つな。オレらに気付かずマジでホテルの方に行きそうだから早く行ってやってよ……あーオレはいいかな。今あったら殺されそうだし。まぁ骨は拾ってあげるから頑張って。

「あのっイヌピー!」

背中を押して送りだそうとしたところで彼女が振り返った。

「私達って親友だよね?」

ほんっっとキミっていい性格してるよね。オレの気も知らないでさ。しかも地味に昇格させてくるじゃん。でもそれがキミの良いところだ。

「そうだよ」

さようなら、オレの好きだった人。
そしてこれからは親友としてまた会おう。

◇ ◇ ◇

事務所内の作業部屋で仕事をしていたらスマホが鳴った。確認すればまさかの非通知。知らない番号であれば逆に梵天の誰かだろうと検討は付くがこれはさすがに分からない。

「はい」
『遅い』

正直出る気も起きなかったけれどあまりにも長い呼び出し音に痺れを切らし電話を取った。そうすれば中々に不機嫌な声で文句を言われる。未だに誰かは分からないがとりあえず梵天の人間だという事は確信した。

「すみません…あの、どちらさ——」
『今から言う男の情報調べといて』
「はい?」

こちらの話などお構いなしに一方的に話され電話を切られた。聞いたことなくもない声だったが結局誰かは分からず仕舞いだ。でも有無を言わさぬその命令に逆らう気も起きない。しょうがないので言われた通りにその人物の情報を調べることにした。

十五分ほど経った頃、再び非通知から着信があった。いや、早すぎでしょ。どんだけせっかちなんだ。

今度は二コールで取れば『終わった?』と抑揚のない声で聞かれる。そこまで有益な情報もないけれど、一先ず知り得たことを報告した。

「——が分かったことです。一ヵ月前までは横浜にいたようですがそれ以降の足取までは追えてません」
『へぇすごいじゃん。引き続きお願いできる?』
「はい。あと顔写真は手に入ったので送ることもできますが……」
『じゃあ三途に送っといて』

春千夜さんのことを呼び捨てにする人間は限られる。そこでふと、私からたい焼きを奪って行った人のことを思い出した。

「分かりました」
『あとたい焼き買って来いって伝えといて。じゃあ』

一方的に通話は切られたが今の言葉で確信を得られた。梵天首領のマイキーさんからだった。まさか直接仕事を依頼される日がくるとは。少し驚いた。

その驚きと共に一連のことを春千夜さんに報告すれば「あ?ボスとどういう関係だ?」と銃突きつけられて睨まれた。うわっ出たよメンヘラ彼氏。いや、この場合は彼女と呼んだ方がいいのだろうか。マイキーさんを崇拝するのは勝手だがそこに私を巻き込まないで欲しい。

「強いて言えば共にたい焼きを食べる仲ですかね」

関係と言うほどの繋がりもないので唯一記憶に残っている出来事を伝えればモニターを一つ破壊された。もうほんと勘弁してほしい。清めの塩でも撒いとこうっと。



月に一度の給料日。いつも通りスマホで銀行口座の残高を確認して手が震えた。

「お給料が増えてる……⁈」

正確にはお給料とは別の口座からの振り込みがあった。振込元は架空名義の口座からだ。でもこれは私が作ったものだから梵天関係者からの振り込みであることは分かった。この入金の心当たりは一つしかない。マイキーさんだ。しかも中々に歩合がいい。これはいい稼ぎ口を見つけてしまったかもしれない。

それからも度々マイキーさんから連絡が来るようになった。偶に食べ物を買ってこいとパシられることもあるがお金さえもらえればいいので素直に従っている。何だかここに来た頃に戻ったようだ。

「オレに隠れてなんかやってんだろ?」
残業時間が増えれば当然はじめさんにも目を付けられた。でもこの稼ぎ口を奪われるわけにはいかない。だから私はそのことを隠しつつも依頼をこなしていった。



「おい、来てやったぞ」
「お疲れ様です」

私の作業部屋に来た春千夜さんを迎え入れる。マイキーさんからの指示で仕事をしているとはいえ、あの人は基本外には出ないので何かあれば春千夜さんが来てくれる。今日もネット回線で送ることのできないデータを取りに来てくれた。

「このUSBに入っています。パスワードは前回のものにシーザー暗号を当てはめてください」
「おー」

緩く返事をした春千夜さんにUSBを渡す。今日はジャケットを脱いでスーツを気崩していた。いつもきっちり着込んでいるのに珍しい。というか春千夜さんって腕に刺青入れてるんだ。

「んだよこのキショク悪りぃ写真は」

私は刺青に見入っていたが、春千夜さんは複数のモニターに映された写真を見ていた。そこには子供の成長記録ともとれる家族写真が何枚も表示されていた。

「気色悪いだなんて言わないでくださいよ。ある組織のデータベース漁ってたらこの写真が出てきたんです」

おそらくその組織のボスの家族写真だ。暴力も殺しも当たり前の世界で生きている人達でもこういうのを見ると人の子なのだなぁと実感する。

「オマエ家族いんの?」

ほっこりした気持ちでいれば唐突にそんなことを聞かれた。なんだ急に。春千夜さんって人のプライベートに興味ある人だっけ?

「いないですけど……」
「兄弟も?」
「はい。あと親戚もいないですからね。親が離婚してからは母とも連絡は取っていませんし父は皆さんの知るところです」
「じゃあ親父が唯一の家族だったってわけだ。その親父がいま何してっか知ってるか?」
「海の上で仕事してるのでは……?」
「へぇ」

何が言いたいのだろうか。でも私の言わんとしていることが分かったのか「テスト」と一言だけ返された。

「テメェは梵天に関わり過ぎてんだよ」

目の前の男は梵天のナンバーと2として私のことを見ていた。確かにマイキーさんと直接会うようにもなったし依頼内容の機密性も高い。だから春千夜さんが私を警戒するのも頷けた。

「どうすれば私は春千夜さんの信頼を買えるのでしょうか?」
「オレが聞きてぇのは覚悟があるかってことだけだ」

腰から拳銃を取り出された。もしやまたロシアンルーレットでもやらされるのだろうか。しかしその不安は違う形によって押し寄せることになった。

「え、何やって……」
「前にオマエ言ったよなぁ拳銃の使い方教えろって。いま教えてやるよ」

両手にしっかりと握らされ、人差し指の位置に構え方など一つ一つ教えられた。そして私が真っすぐ向けた銃口の先——そこに春千夜さんの額が押さえつけられた。

「よぉーく狙えよ」

既にセーフティは外されている。私が引き金を引けば弾は放たれる。

「オマエの親父を殺したのはオレだ」

完全不利なこの状況で男は笑う。
春千夜さんの翡翠は私だけを捉えていた。

「四、五十のオッサンが船乗ったとこで大して使えねぇんだよ。だから脳天撃ち抜いて臓器は売ってガワはバラして捨てた」

聞いてもいないのにつらつらと言葉が紡がれる。
私を苛立たせるように、煽るように。

「アイツの最期は笑ったよ!泣きながらオマエの名前呼んで謝ってたぞ。不甲斐ない父親で悪かっただと!傑作だなぁ!」

私はいま試されている。

「その指示を出したのは九井だ。アイツは人の価値を良く知ってるからな」

はじめさんの名前が出て、私はそこで初めて動揺した。焦点のずれた銃口を正すように春千夜さんが私の手ごと銃を掴む。そうして元の位置まで戻された。

「そういった人間と関わってく覚悟があんのかって聞いてんだよ」

額が銃口に強く押し付けられる。腕を引こうにも春千夜さんが私の手を掴んで離さない。私に銃を向けるのではなく、敢えて私に向けさせるという選択をするなんて意地が悪い。でも実に春千夜さんらしい。だから私も私らしく答えた。

「人殺しは悪いことだと思います。でも私はその人たちに同情するほど優しい人間じゃないです。父に関してはそもそも借りたお金を返さなかったのが悪いですし、私は自分と私の大切な人以外がどうなろうが興味ないです」

答えは決まっていた。だから怯むことなく真っすぐ伝える。

「私は人を殴らないし、もちろん殺しもしない。でも他人に興味はないので見合う報酬さえ頂ければ仕事はしますよ」

春千夜さんが黙り込んで見つめ合う形になる。
でもすぐに折っていた腰を正して私から銃を奪い取った。

「つまんね」

吐き捨てるようにそう言って。「九井に似て面白くなくなったな」と付け加えた。それなら私としては嬉しい限りだ。でももう一つ、嬉しいと思える出来事があった。

「春千夜さんって実は優しいですよね」

思えば前に取引に行った時もセクハラから守ってもらったしな。まぁその後の車内の出来事も含めればマイナスの印象しか残らなかったけど。でも、だからこそ私が珍しく春千夜さんを褒めたというのに真顔でこちらを見てきた。美人の真顔ってなんか怖い。でも私は言葉を続けた。

「父は私の名前なんか憶えてないんです。最期に言ったのは私の母の名前だったんでしょう?」

クスリが魅せた幻覚の中に私はいないのだ。何故なら父の中では父と母だけで世界が完結していたから。
春千夜さんの翡翠色の瞳が揺れて私が言ったことが事実であったと確信した。でも今となってはそんなこと大した問題ではない。だって私の世界もまた父と母がいない世界で創られているから。

「私に行くところはないんです。でもここなら私を必要としてくれるんですよね?それを覚悟と呼べるかは分からないですけど必要とされてる内は梵天に忠実な犬でいますよ」

私の世界は今のところはじめさんとその他周囲の人間で完結している。だからそこに梵天が含まれることはある意味必然だ。

「クッソ!」
「ちょっと何するんですか⁈」

骨張った手が伸びてきたと思えば無遠慮に髪をかき混ぜられた。

「やっぱオマエのこと犯しとくべきだったわ」
「すごい、秒で好感度下げにきますね」

結局、好感度はマイナスに振りきったわけだがこれをキッカケに春千夜さんも仕事を回してくれるようになった。



夕食後、少し仕事をすると言ってはじめさんは書斎へと入って行った。そうして扉が閉まり切ったことを確認してこそこそと自室へと向かう。

捨てられなかったシングルベッドの布団を剥がし隠していたものを持ち出す。まぁただの紙袋なのだけど中身を考えるとすごく重く感じた。それをリビングのテーブルに置き一息つく。後は自分の腕にちょっとした細工をしてテレビを見ながらはじめさんが出てくるのを待つことにした。

「はじめさん!お話があります!」

約一時間後、再びリビングへと姿を現した人物にそう切り出した。ぱっと手を上げて立ち上がった私の元へ眉を寄せつつも来てくれる。そうしてやはり先に目についたのはテーブルに置かれた紙袋だった。

「何だこれ」
「見てください!」

紙袋の中に紙袋。そしてその中身を丁寧に取り出して私は順に並べた。ここで小銭をばら撒くわけにはいかないので端数は封筒に入れたまま差し出す。

「一千万飛んで七千と五百円。これで私の借金完済できましたよね?」

金利も日割りで計算した。だから父親がお金を借りた日から今日この日までのお金はこれで全て返せたはず。

「偽札か?」
「失礼な!本物ですよ」

そりゃあいきなりこんなお金出しても信じてもらえないよね。でもこれは正真正銘の現ナマだ。
春千夜さんからの依頼で私は峯義孝という男の足取りを調べていた。以前、はじめさんが取引をしたがある日消息が途絶えたらしい。もらえるお金も多かったので四徹キメて居場所を特定しついでに取引現場にも着いて行った。人間不信であり口数の少ない峯に対し、ブチ切れそうになる春千夜さんを宥めるというカオスな現場ではあったが見事フリーランス契約を結ぶことが出来た。そして春千夜さんからだけでなくマイキーさんからもボーナスが出たためこれだけの大金が集まったというわけだ。

「マジかよ」
「私もやればできるんですよ。そしてもう一つご報告です」

ようやく信じてくれたらしい。でもはじめさんも私とマイキーさんが繋がっていることに気付いてたっぽい。最近では何してるか聞かれない代わりに面と向かって「GPS持て」って言われたからな。それで静かになるならいいかと、私もそれを許可してしまった。でも音声は聞き取れないから、これは知らなかったんじゃないかな。

「梵天の幹部になりました。ほらこれが証拠です」

春千夜さんと同じ位置、右腕の内側に描かれた細長い花札模様を見せる。
春千夜さんの言葉を借りるならこれが私の覚悟だ。ほら、はじめさんって過保護でしょ?それに心配性だし。きっと私が借金完済するのも嫌だったんじゃないかな。だって大抵のことをお金基準で考えてるからお金の繋がりが一番確かな信頼だと思ってるんだと思う。

でも私は違うよ。お金の繋がりがあるから傍にいるんじゃない。私が一緒にいたいからいるの。梵天の幹部になったのはその副産物だ。

「いつ彫った?刺青はここだけか?っつーかなんで三途と同じところに入れてんだよ。遂にクスリでも盛られたか?それとも脅されたか?一先ずアイツの来月の給料は減給しとくわ。オマエは明日病院行ったらレーザー治療だけじゃなく精密検査もするからな」

いきなり両肩を掴まれたと思えば一息にそう言われた。相変わらずのノンブレスに加え、脳が前後に揺すられているものだから最後の方は最早聞き取れなかった。ヤバイ、これは少しやりすぎてしまったかもしれない。

「お、落ち着いてください!これシールです!」

爪を立てて透明なフィルムを剥がす。そうして梵天に入ったことも嘘だと伝えた。
バカと定評のある私とて、そう簡単に梵天に入るほど考えなしではない。少し揶揄ってみようかなという悪戯心故の行為だったのだ。しかし想像以上に酷いことになってしまった。
その点に関しては素直に謝った。てっきり小一時間の説教でも挟まれるかと思えば意外とあっさり許してもらえた。但し大きな溜息込みで。でも全部が全部嘘だったというわけではない。

「マイキーさんの了承は頂いてきました」
「了承?」
「私が梵天に入ることへのです」

きっと私がどんなに一緒にいると言ってもはじめさんは不安がるかもしれない。となれば私がすべきことは一つ。

「はじめさんさえ良いと言えば私は梵天の人間になれます」

堕ちるとこまで一緒に堕ちる。

「梵天には関わんなっつったろ」
「でも私ははじめさんと関わりたいです」

これが私の出した答えだった。

「……少し待ってろ」

はじめさんは再び書斎へと入っていき、数分後に戻ってきた。
そして箱を一つ渡される。

濃い青のベルベット生地のそれ。その時の私は大層お気楽なもので印鑑を持って来てくれたものだと思った。梵天と契約を結ぶには上司の捺印も必要なのかなって。でも箱を開けろと促されたところで、ようやく違うものではないかという想像にまで辿り着いた。

「本当は別のタイミングで渡したかったけど」

ケースを開けて——すぐに閉じた。

「おい」
「いや、ちょっと、待って、」

自分を落ち着けるようにそう言って。また開けて、——また閉じた。そんなことを箱と箱の中身とはじめさんの顔を見ながら五回ほど繰り返した。

タイミングも何も、こんなものを貰える日が来るとは思わなかった。だってまだ誕生日プレゼントの余韻すら消化しきれていなかったのだから。

「ほんとうに、私でいいんですか?」

箱の真ん中に収められた指輪はこの世の何よりも美しく見えた。

「オレはオマエが良い。ずっと隣にいて欲しい」

もう一度箱に収められた指輪に視線を移す。私のために用意されたエンゲージリング。その指輪に触れようとしたら箱ごと取られてしまった。

「はじめさん……?」
「でもこれを受け取ったらオレはオマエを一生離してやれねぇと思う。オレのいるとこは詐欺も殺人も当たり前の世界だ。でも今ならオマエはまだ向こうに戻れる」

そうだね。前にも私にそう言ってくれた。でも『向こう』へ行ったとしてもそこに私の望む世界はない。だから例え『向こう』が正しい道であったとしても私はそっちを選ばない。だって私の世界はもう貴方なしじゃ回らないもの。

「私ははじめさんと一緒にいたいです。はじめさんこそ、私みたいな面倒くさい女と一生を共にする覚悟できてます?」
「相変わらずオマエは一言多い」

そう笑ってエンゲージリングを摘まむ。もう言葉はいらなかった。
その指輪は私の左薬指にぴったりはまった。夜空の星を全部詰め込んだように煌めくそれはこの世の何よりも美しく見える。

手をかざしてしばらくそれを見つめていたら、指先が絡められた。びっくりして手を下ろせば距離を詰められコツンと額が重なった。銀の髪が私の頬を撫でる。

「愛してる」

やっと面と向かって言ってくれましたね。
でも近すぎて顔が見えないですよ。

「私もはじめさんのこと愛してます」

まぁいいか。
だってこの方がキスしやすいし。
私は両手を伸ばしてその愛情を受け止めた。
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