どうも、九井のツレになります
作業部屋から顔を出し九井さんがデスクにいることを確認する。私は一度吸い込んだ息を大きく吐き出して彼の元へ報告に向かった。
「依頼されていた浜崎組の密輸ルートが分かりました。データはクラウドに移行させておいたので確認をお願いします」
「おう。早いな」
手元のノートパソコンから顔を上げ、一瞬だけ目が合う。その表情を見ながら私はこの場に来て尚、先程まで考えていたことを話そうかどうか迷っていた。
「今日はもう上がっていいぞ」
「あの、」
いやここまで来たら行動に移したほうがいいだろう。それはきっと後の自分のためにもなる。早めに手を打つに越した事はない。
「何だ?」
「九井さん、この後お時間ありますか?」
時刻は十八時過ぎ。私がこの時間に上がらせてもらえるとなると九井さんも直に上がるのだろう。先日までは仕事に追われていたが、それも大分落ち着いてきた。だから時間にも気持ちにも余裕はあるはず。
「二十時から取引先と会食」
「え、それって来週じゃなかったでしたっけ?」
「向こうの都合で早まった。何かあったか?」
しくじった。こんなことなら予定表を先に確認しとくべきだった。
「あー……それならいいです」
「気になんだろ」
「大したことじゃないです」
「煮え切らねぇな。早く言え」
中途半端に言ったせいで益々言い辛くなってしまった。九井さんの人差し指がデスクをコンコンと打ち付ける。あーこれはイライラしてるやつだ。そして言わなきゃあかんやつ。
「ご飯でもどうかと思って」
「は……?」
「最近迷惑かけてばかりですし、私が奢ろうと思ったんですよ」
先日、ポットの故障により熱湯を左腕にモロにかかってしまった。その治療費が労災で出たことにも驚きなのに、なんと通院の度に九井さんが送迎をしてくれるのだ。流石にそれは申し訳ないので毎回断るのだが「外出る用事があるから」「気分転換に運転したい」「飯買うついで」等々、様々な理由をつけては送ってくれる。そして迎えにも来てくれる。
九井さんがそこまで責任を負う必要もないのにこの過保護っぷり。これまでの洋服もそうなのだが私はこの行動には何か裏があるのではないかと思っている。もちろん直接聞いたところで答えてはくれないのでこれは私の想像に過ぎない。でもいつかこの恩をだしに何か請求されるかもしれないと考えているのだ。
というわけで、後の展開が怖いためこの辺りで精算しておこうというのが食事に誘った理由である。
「借金あるくせによく言えるな」
「なっ…!確かにそうですが副収入くらいありますよ!」
投資然り、他にもプログラミング開発やウェブライターなどで収入を得ている。まぁそのお金も最近では美容代に消えているので多くは貯まっていないのだが……
外回りも増え身嗜みにも気を使うようになった私は代官山の美容室に通っている。するとその店員さんにネイルやエステ、脱毛も勧められて通い出したので支出を大きくなってしまった。ああいう人達は勧め方も上手くて敵わない。まぁ後悔はしていないからいいのだけど。
と、話は逸れたが大食漢の九井さんの胃を満たすくらいのお金はある。物凄い高級店に連れていくことになったら流石に困るが常識の範囲内の設定金額のお店なら大丈夫だ。
「なんだよ急に。裏でもあんのか?」
それはこちらの台詞である。しかし、そんなことは勿論言わずに首を横に振る。恩の精算が目的ではあるが感謝している部分もあるのだ。
「私にはそんな器用なことできませんよ。車出してもらったり服も買ってもらったりしてるのでそのお礼も兼ねてってことです」
唐突に照れ臭さを感じ前に組んでいた自分の指先を弄る。
夕日が差し込む部屋に、二人だけの空間。秒針はやけに煩いくせに包む空気はどこか懐かしい。何だこれ。放課後の教室か?アオハルかよ、と思わず脳内ツッコミをする。
「まぁでも会食があるなら無理ですよね。今の事は忘れてください」
「いや、待て」
恥かいただけだった、なんて思っていれば呼び止められる。
九井さんは自分のスマホを取り出して一通り確認をし、そして私を見上げた。
「会食後は空いてるから」
「え?」
「オマエ、明日は休みなんだから遅くなっても別にいいだろ」
「まぁ大丈夫ですけど……」
「飯はいいから飲みに付き合え」
「はい」
よく分からないがトントン拍子に話が進んでしまった。飲みと言われても私は飲めないんだけど……まぁ九井さんは無理に飲ませる人じゃないからいいが私はそういったお店をよく知らない。
「行きたい場所とかあります?」
「店はオレが決めとく」
それならいっか。私はお金だけ用意してお店に向かえばいい。
九井さんは会食が終わったら連絡をくれるそうで待合せ場所だけ決めた。私も九井さんと合流する前に夕飯は食べておいたほうがいいだろう。
「ありがとうございます。ではまた後で」
「それと、」
時間があるなら駅ビルの中も見て回ろうかな、と計画していたところで再び呼び止められる。まだ何かあったのかと、大して警戒もせずに振り返ったところでプシュッとミスト状のものが噴出された。
「なにこれっ⁉……ッはっくしゅん!!」
鼻から息を吸い込んで直ぐに後悔する。三連続くしゃみをする私の姿を見て目の前の男は笑っていた。マジでふざけんな。食事に誘った私の優しさを返せ。
「何するんですか⁈」
「男避けだよ。フラフラ歩いて変な奴に絡まれんなよ」
「だからって香水を人に振り掛けないでください!」
「匂わなきゃ意味ねぇだろ」
香水をファ◯リーズと同等扱いするな。もしや香水の使い方をご存知ない?普段使わない私ですらつける位置と適量くらいは知っている。
「つけ過ぎです!」
「オマエの場合これぐらいで丁度いいんだよ」
確かに男の人に絡まれた時は上手く対処できなかった私だが、今ではスルースキルを身につけた。声を掛けられた時は無視するか逃げればいい。それに九井さんにここまでの面倒をみられたくない。
「私は大丈夫です。それより九井さんこそ会食で食べ過ぎて取引相手を引かせないでくださいよ」
「んなわけあるかバーカ」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんです!バーカ!」
「ホント生意気」
「上司が生意気だと部下も似るんです!」
べーっと舌を出したら舌を出し返される。とんだ子供じみた喧嘩である。
もうこれ以上話していても生産性がないと判断し自分の荷物をまとめた。九井さんは私が出ていく前にも「危ねぇ場所行くなよ」なんて子供扱いをしてきて腹が立つ。ここ反社よりも危ない場所なんてないですよ!と叫び下唇を噛みしめ部屋を出た。九井さんは最後まで笑っていた。
◇
メッセージが届き急いで向かえば待合せ場所に九井さんが立っていた。
「遅い」
「いや、着いてからじゃなくて店出た時に連絡くださいよ」
ようやく呼吸を整え改めて九井さんの姿を見る。この時は珍しくスーツを着崩していた。ネクタイを緩め、ジャケットのボタンは留められていない。
「それより誰にも絡まれなかったか?」
それよりもどれよりもなくて話変えないでください。しかしあの香水の効果のおかげか今日は誰にも絡まれなかった。寧ろ、誰一人として私に声すら掛けてこなかった。
「そうですね。お陰様で服屋の店員さんもご飯屋のスタッフさんにも避けられましたよ」
香水がキツ過ぎたのだ。注文を取りに来たスタッフさんなんか息を止めてオーダーを受けてくれた。本当に申し訳ない。すっかり鼻の慣れた私には無害であるが周りの人からしたらかなり強かったのだろう。
「よかったな」
「よくはな……いや、よかったのか…?」
まぁ絡まれるよりは避けられた方がいいのか?ここまで来ると私の頭もバグってくる。
どう解釈していいか迷宮を彷徨い始めたところで「行くぞ」と声が掛けられた。返事をして後ろをついて行こうとしたらいつもより速度が遅くて隣に並ぶ形となる。取引先に行く時はいつも後ろを歩いているので不思議な感覚だ。着崩した服といい完全なプライベートって感じ。
「お店近いんですか?」
「おう。オレのお気に入り」
「楽しみです」
「酒が飲めないガキのくせに」
「そういうこと今は言わないでくださいよ」
そういえばこんな形で出掛けるのは初めてだな。
残業代が発生しないこの付き合いを世間では何というのか、その答えを私はまだ知らない。
◇
西部劇に出てきそうなお店だと思った。
石造の階段を降りていき、木目調の重厚なドアを押し開ければ暖かみのあるライトオレンジに迎えられる。床も板張りで壁にはペナントや動物の頭蓋骨が飾られていた。カウンター席と卓上の席があるが店内はそれほど広くない。平日の今日はすでに二組のお客さんがいてBGMに混ざり小さな話し声が耳に届いた。
「よぉ」
「おっ久しぶりだね」
興味津々で店内を見回していれば九井さんがカウンターの中にいる男の人に声を掛けていた。ここのオーナーさんだろうか。親し気な様子である。
「あれ?今日は彼女さんも一緒?」
「ただのツレ」
「九井さんのただのツレです。こんにちわ」
九井さんに習って挨拶をすれば何故か小突かれた。自分がそうやって紹介したくせに何が気に食わないのか。おかげでオーナーさんにも笑われてしまった。
九井さんに背中を押されカウンター席へと案内される。しかし、そこで私は動きを止めた。この椅子、かなり高い。九井さんですら座って爪先がギリ床につくレベル。私からしたらこの椅子は座る、ではなく登るだ。
「おら、手ェかせ」
先に座った九井さんから手が差し出される。しかし、なんだかその手を借りるのも癪なので自力で座ることにした。
「大丈夫です。お手間は掛けさせません」
カウンターテーブルに手をついて、椅子の足掛けに靴を乗せる——が、ヒールのせいで上手く上がれない。「頑張れ頑張れ」とニヤニヤ隣で笑う男を無視し、結局肘まで使って這い上がった。
「ゴマフアザラシみてぇ」
私への配慮もなく大口開けて笑い出したその顔はなんと憎たらしいことでしょう。でもゴマフアザラシは可愛い生き物なので怒る気力は失せた。
「今日は何にしますか?」
「ラムバックとサラトガクーラー。あとは摘めるものを頼む」
私がやっと腰を落ち着けた頃には、すでに九井さんが慣れたように注文を頼んでいた。というか私が飲むものの選択肢は?
「九井さん、私お酒は飲めないんですけど」
「あ?だからオマエの分はノンアル頼んでやったろ」
「どっちもお酒じゃないんですか?」
「ちげぇよ」
話を聞けばサラトガクーラーというのはジンジャーエールとライムを使ったノンアルコールカクテルらしい。因みにラムバックはラム酒にライムの果汁を絞りジンジャーエールで割ったカクテルなんだとか。
「初めて知りました」
「マジで何も知らないんだな」
「そりゃあ飲みに行きませんし」
「でもこの前、他の奴らからも誘われてたろ?」
確かに蘭さんや竜胆さんに誘われたことがある。でもあの人たちに着いて行ったところで自惚れではないがお持ち帰りされる気配しかしない。また春千夜さんの場合は口移しで無理やり酒を飲ませようとしてくるので論外だ。その他、本当に稀にだが梵天の構成員の方に誘われることもあるが結局は飲めないので丁重にお断りしている。
「あんな人達と行くわけないじゃないですか。今のところ九井さんとしかこういうところには来ていませんよ」
「へぇ」
何でいま笑ったんだ?偶に九井さんの笑いのツボが分からなくなる。感情が読みづらいというわけではないがどことなく掴み切れない。まぁお金の管理をしていれば取引先となんて毎回駆け引きの連続なのだから自然とそのような振る舞いになったのかもしれないけど。
「お待たせ致しました」
二つのグラスがそれぞれのコースターに置かれる。ノンアルである私のグラスにはストローが付けられていた。グラスの縁にはライムが添えられていてストローがなかったら本物のお酒に見えるかも。
「ココ君ごめんね、今日はハンバーガー終わっちゃったんだ」
「ハンバーガー?」
「ここのイチオシ。スゲェ美味いんだよ」
お店の雰囲気通りのメニューではあるがバーにそのようなジャンクフードがある事に驚きだ。でも話を聞く限り駅ナカに入っている某ハンバーガーショップのものとは一味も二味も違うのであろう。
「私も食べてみたかったです」
「是非食べに来て。その時はまたココ君に連れてきてもらいなよ」
「勝手なこと言うんじゃねぇよ」
九井さんの発言にも笑顔で受け流し、オーナーさんは生ハムとナッツの盛り合わせを置いて去っていった。引き際も絶妙に分かっているところがさすがである。
「グラス持てよ」
「はい」
「ん、乾杯」
「お疲れ様です」
一口飲めば甘さ控えめでさっぱりとした後味が美味しかった。あまりに美味しくて半分ほど一気に飲んでしまった。そこで九井さんのグラスを見て、今更ながらいつもと違うことに気が付いた。
「今日はワインじゃないんですか?」
九井さんはよく赤ワインを注文する。しかも毎回、産地や年代を聞いてから注文するというこだわりっぷり。そんなに違う物なのかなぁと思いながら呪文のような言葉を毎回右から左に聞き流している。
「会食でワイン飲み過ぎたからこれにした」
「そうでしたか。そういえば会食は、っ——」
どうだったんだろう、と思ったところで横から伸びてきた指に唇を掴まれた。長い人差し指と中指で摘ままれ意図せずアヒル口になってしまう。私は今日、動物のモノマネをしにここに来たわけじゃないんですけど。
「今日は仕事の話はナシだ」
「ンーー!」
ふにふにと指先は動かされるが未だに離してくれない。九井さんを見上げ、腕を叩いて抗議する。でもそんな私を見ては笑うだけで解放してくれる気配はない。マジでドSだ。
「ここは梵天オレらの息も掛かってないとこなんだよ。その手の話題はご法度な」
五回ほど首を縦に振ったところでようやく解放してくれた。というか、そういうことなら予め言っておいてくれたらよかったのに。それなら私だって空気読んだわ。
というか仕事の話がダメなら話題なくない?それ以外となればやはりお金の話をするべきか。でも私が個人的に仕入れた上場企業の内部情報とか教えたくないしな。インサイダー取引で密かに稼いでいることがバレてしまう。
「マスター、同じのとウォッカを一つ。それとコイン貸してくれ」
隣を見れば九井さんのグラスがもう空になっていた。この人飲んできたんだよね?ペースめちゃくちゃ早くないか?
「九井さん既に酔ってません?」
「ガキじゃねぇんだから加減くらい分かってるわ。それよりゲームすんぞ」
うわっどこぞの薬中者と同じこと言い出した。思わず即答で嫌です、と言ったら「オレの言うことが聞けねぇのか」とジャイ◯ンのような発言をしてきた。九井さんは見かけ的にはジャイ◯ンじゃなくてス◯夫の方だと思うんだけどな。とはいえ、ジャイ◯ンに立ち向かう勇気もないのでその申し出を受けることにした。
「ゲームって何するんですか?」
九井さんの元にラムバックとウォッカ、そして一枚のコインが置かれた。コインは外国のものらしく表には男の人の横顔、裏には鷲の絵柄が記されていた。
「"Drink or Dare"」
「何ですかそれ?」
どうやらパーティーゲームの一種らしい。
コイントスを行い、絵柄を当てた方が相手にDrink飲酒かDare挑戦かを選ばせる。Drinkであれば酒を飲みDareであれば当てた方が出したお題に応えなければならない。
「オマエが負けたら"Truth or Dare"にしてやるよ」
お酒が飲めない私はDrink飲酒が免除される代わりにTruth真実でどんな質問にも答えなければいけない。『真実か挑戦か』ってことか。ちょっと面白そう。
「いいですよ」
「よし、ならやるぞ」
親指で弾かれたコインが宙を舞う。そして九井さんの手の甲に落ちたと同時にもう片方の手で蓋をされた。コインの表か裏かは私に選ばせてくれるらしい。少し悩んで、今日は動物に運があるようだったから鷲の絵柄の裏だと答えた。
「幸先良いな」
「あぁ……」
しかし、そううまく行くわけもなくコインは表であった。満面の笑みを浮かべる九井さんとは裏腹に私の顔からは表情が抜け落ちた。まぁ所詮はゲームだ。そんな変な質問は初っ端から飛んでこないであろう。
「Truth or Dare?」
「真実でお願いします」
私からしてみればこのゲームの選択肢は一つしかない。何されるか分からない『挑戦』を選ぶより、本当の事を言わされる『真実』の方がマシである。
頬杖を突き楽な体勢を取った九井さんも私の選択は予測出来ていたのだろう。片側の口角を上げて笑っていた。
「じゃあオマエが一番最初にやった犯罪は?」
んー、中々いいところを突いてくるな。ちょっと待ってください、と声を掛け脳みその奥底から過去の記憶を引っ張り出す。その間、九井さんは手元のラムバック煽っていた。その喉仏が上下する光景を見ながらゆっくりと口を開く。
「中二の時ですね。担任のパソコンにウイルス入れたのが最初だったと思います」
ブハッと息を吐き出すように笑った九井さんはいつもより親しみがあるような気がする。バーカウンターの席が近いからだろうか。「具体的には?」と話の続きを促され、ストローでグラスの中の氷をかき混ぜながら記憶を辿った。
「その教師、変態だったんですよね。お気に入りの生徒の体操着や水着姿の写真データを保存してオカズにするタイプのヤバい奴」
今思い返しても相当ヤバイ奴だったと思う。報道番組で、男の自宅から女性物の下着が押収されましたというニュースを見る度にその教師を疑ったものである。
「私の友達が被害に遭ったのでその教師のパソコンにUSBメモリ挿して画像データを全て大仏にしてやりました」
犯罪だと分かりつつも友達にお礼を言われて嫌な気はしなかった。寧ろ私は正義のヒーローになれたつもりでいた。
「割とブッ飛んでんなオマエ」
「そうですか?因みにその後は誰かさん≠ェ盗撮の証拠を教育委員会に送りつけてくれたおかげで学校を辞めてくれました」
「その誰かさんに感謝だな」
「ですよね」
添えられたライムを絞り、ストローに口をつける。先程よりも酸味が強くなり口の中がさっぱりした。さて、次は私のターンと行こうじゃないか。
「次行きましょう!コイントスしてください」
「意外とノリいいじゃねぇか」
「私ばっかり話すのは癪ですので」
「どーせ次もオマエが負けるよ」
「その台詞、そっくりそのまま返します」
「ハッ!上等」
コインが真上に弾かれ九井さんの手の甲に落ちる。確率は二分の一、だから考えることもなく私は表だと言った。
「やった!表だ!」
「チッ」
「飲むか挑戦か?」
「……飲む」
「えーー!」
そんなのずるい。というかそもそもDrinkではなくTruthの選択肢が含まれている私の方が武が悪いのでは?このゲームで九井さんの過去の一つや二つ知れると思ったのにこのままでは私の話だけで終わってしまう。
「おい、どういうつもりだ?」
悔しくなって九井さんのショットグラスを持つ手を押さえ込んだ。その手はぴくりと僅かに動いたものの振り払われることはなかった。だから私はそのままの状態で九井さんを見上げる。
「挑戦しましょう!」
「ヤダね」
薄い唇の隙間から赤い舌を見せられる。完全に人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべられ私は益々引けなくなった。
「私だって九井さんのこと知りたいんですよ」
上司と部下、貸付者と借入者。その関係は変わらないけれどこれだけ長いこと一緒にいて仕事もしていれば九井さん自身にも興味は湧く。踏み込むべき人間ではないと分かりつつも私も少しは九井さんの事を知りたいと思ったのだ。
「一度選んだ選択肢は変えらんねぇルールだよ」
私の手は掴まれテーブルの上へと退けられた。そしてショットグラスのウォッカを一気に煽る。ケホッと咽せた九井さんは大分辛そうである。度数は四十度くらいだろうか。お酒が強い人でも一気に飲めばさすがにくるだろう。
「次やんぞ」
「私が当てたら次は挑戦を選んでくださいね」
「何でだよ」
再びコインが投げられどちらか問われる。もう一度、表だと答えれば出てきたのは男の人の横顔。これで二連続の当たりである。
「天は私の味方をしているようですね!」
「マジかよ……」
「挑戦しますか?」
「Drinkはどこいった」
「九井さんが飲んだのでないですよ」
空のショットグラスを指差す。九井さんは舌打ちをしてお代わりを頼んでいた。しかしそれでも来るまでに時間は掛かる。
「挑戦してみましょうよ」
「……わぁーたよ。んじゃ挑戦で」
おぉ!本当に挑戦を選んでくれるとは!
小さくガッツポーズを決めニヤニヤしながら質問を考える。そうしたら頬を抓られた。最近はデコピンから頬を抓るという体罰にシフトしつつある。相変わらずであるがこちらの方がまだ痛くはないのでマシだ。
「やめてくださいよ」
「なら早く言え」
「えぇっとじゃあ……九井さんの学生時代について教えてください」
挑戦のお題には削ぐわないが気になるところではあった。九井さんにも「それTruthで聞くやつだろ」と突っ込まれたが真実がないなら挑戦の時に聞くしかないのだ。
「いいじゃないですか。そのかわり詳細に頼みますよ」
九井さんの元にウォッカが運ばれる。その透明な液体を揺らしていたかと思えばまたも一気に煽ってしまった。え、挑戦の方選んだよね?もしかして取り消された感じ?
「九井さん…?」
「フツーに学校行ってフツーにダチの愛機のケツ乗って暴走族やってたくらいだよ」
と思いきやちゃんと質問に答えてくれた。フツーに暴走族はやらないと思うが紛れもない九井さんの思い出話である。
「じゃあ幹部の皆さんとは長い付き合いなんですか?」
「ボスと三途と以外はそうでもねぇよ。最初にいたチームはとっくに解散したしな」
春千夜さんが首領に心酔しているから何となく付き合いは長い気がしたがまさかそこに九井さんもいるとは。というか九井さんって何で梵天にいるんだろ。確かに首領を慕っているとは思うけど春千夜さん達ほどでもない気が……頭もいいし他にも色々できたと思う。
「二ケツした人ってのが首領だったりするんですか?」
「質問は一つまでだ。この話は終いだよ」
追加でウォッカとラムバックも注文した九井さんはまだゲームを続けるらしい。「オマエも頼め」と言われたので初めと同じものをお願いした。
飲み物が運ばれ再びコイントスを行う。流石に私の運も尽きたのか次は九井さんが質問をすることになった。
「真実で」
「借金返し終わったらやりたいことは?」
そろそろお金に纏わる話でもくるかと思いきや意外な質問だった。いや、でもこれは何か裏があるのかもしれない。後に梵天の情報を横流ししないかだとか、お金を着服していないかだとか疑われているのかも。となると、何と答えるのが正解なのだろうか。
「ブサイクな顔してんぞ」
「いたたたた」
眉間に皺が寄っていたのか、ぐりぐりと人差し指で押される。真剣に考えてたんですよ、と答えたところでようやく指が離れていった。その手はラムバックのグラスに添えられ水滴が指を濡らしていた。
「ここは梵天オレらの管轄じゃねぇつったろ。誰も聞いちゃいねーよ」
そこでようやく、これが九井さん個人の質問であったと理解できた。だから今日はこのお店を選んでくれたのだろうか。駆け引き上手な九井さんならそれが嘘だという可能性もある。でも少なからず思い出話をしてくれた彼を疑う気にはならなかった。
「大学に行きたかったです」
だから、正直に答えた。
疾うの昔に消えた夢が淡く心の奥で光る。もっと勉強したかった。だから高校卒業後は進学せずにお金を貯めて来るべき時に備えようとしたのだ。定食屋でのバイトもビルの清掃も、株投資も闇サイトからの依頼にだって応えてお金を貯めた。父親の酒とヤク代に消えていく中で、それでも蓄えを作ってきた。梵天にさえ目を付けられなければ私はいま大学生になれていたかもしれない。
「なんで過去形なんだよ」
だってもう無理でしょ。おそらく梵天は日本一の犯罪組織になるだろう。少なからずその組織に関わった過去は一生私について回る。それなら行けるとこまで行って捕まるか国外逃亡した方が現実的という話だ。
「警視庁のサイバー対策課とかに憧れてたんですよ。そのために大学に行きたかったんです。まぁその夢もなくなったんで今はどうでもいいです」
梵天に関わらなかったとしても闇サイトで犯罪依頼をこなしていた時点で私の夢は絶たれたのだと思う。ハッキングも正義の名の下で行使すれば善になるが、普通に行えば犯罪だ。
「ならオマエは何がしてぇんだよ」
「質問は一つまでですよ」
「初めの答えにもなってねぇだろ」
なんで九井さんが怒ってるんだろう。私をこの世界へと連れ込んだ当事者だ。少なくとも今の私は経済的に梵天を支えているわけで、それなら夢などない方が都合がいいのではないだろうか。だからこそ九井さんの考えが分からなくて私は首を傾げてしまう。
「したいことですか……」
サラトガクーラーを一口含み、その味わいを楽しむ。九井さんが教えてくれなければ私は一生この美味しさを知れなかったのかもしれない。
「可愛いお嫁さんになることですかね」
「うわっガキくせぇ」
思いつかなかったので適当に答えた。それを鼻で笑われる。いつも通りの反応に苛つくことはなかったが今日は些かガキ扱いが過ぎる気がする。
「ウォッカって美味しいんですか?」
「は?……っておい!」
ポツンと置かれていたショットグラスを掴む。
お酒が飲めたら大人になれるのだろうか。
「貰いますね」
興味本位と負けん気半分。今まであれだけ守ってきた体裁を私は簡単に壊そうとした。
「このバカ!何やってんだ!」
一気飲みをするつもりだった。しかし、それは横から伸びてきた手に阻まれて叶わない。私の手首を一周半はするほどの大きな手で動きを止められた。
「飲んでみようかと思いまして。お酒は中坊でも飲めるって言ってたじゃないですか」
「ガキはノンアルで充分だ」
ぐっと力を籠められ、指先から力が抜けグラスが手から滑り落ちそうになる。しかしテーブルに着地するより先に九井さんの手でキャッチされた。そしてその中身はあっという間に九井さんの口の中へと消えていく。
「えっ何やってるんですか⁈」
「それはこっちの台詞だ。オマエ三途から薬でも貰ったか?」
「まさか」
「ならただのバカか」
「はぁ?いっ…!」
久々のデコピンが額の中心にクリーンヒットする。痛くて手で擦ろうとすれば片手が上がらないことに気付く。薄ら目で視界に入った肘から辿っていけば自分の手が机に押さえつけられていた。
「九井さん、手退けてください」
「ヤダ」
「なんでですか」
「オマエの手癖が悪りぃからだよ」
「もうやりませんから」
退けてくれない上に抜くことも出来ない。諦めてそのままにし、私は空いている方の手で自分のグラスを引き寄せた。
「散々な親父持って苦労すんな」
とっくに私の話は終わっていたと思ったのに、九井さんはまだ続けるらしい。わざわざ蒸し返さなくてもいいのに。人の不幸を楽しむタイプ?でも九井さんの横顔はとてもそんな風には見えなかった。
「苦労ですか……」
確かにどうしようもない人ではあったけれど、私は父親のことを嫌ってはいない。結果、借金を背負わされる身にはなったけれど出て行った母親に代わり男手一つ私を育ててくれた。私が興味を持ったことには何だって丁寧に教えてくれた。道さえ間違えなければ良い父親だったのだ。
「父親の借金のせいでここで働いてんだ。金がねぇと苦労する」
いつの間にかお代わりを頼んでいたらしい。またも理由なくウォッカを煽ったその姿を見て、九井さんが今話をしている相手が私ではないと理解した。
「世の中結局は金だ」
九井さんがお金の話をする時はいつもどこか遠くを見ている。
「九井さんはどうしてお金にこだわるんですか?」
金を生み出す男——お金に関して九井の隣に出る者はいないと皆が言う。確かに私もそう思う。でも九井さんがお金に執着する理由ってなんだろう。身嗜みに関わるものは確かに高価なものだけど、私が牛丼を食べていれば「オレもそれするわ」というくらいには庶民的な一面もある。何がそんなに彼を掻き立てるのだろうか。
「金がありゃ、何でもできるからだよ」
叩き付けるようにショットグラスが置かれる。さすがに心配になりオーナーさんにお水をひとつお願いした。
「何でもですか?」
「あぁ。金があれば大学に行ける」
グラスの縁をなぞりそう言った。
「金があれば仲間ができる」
頭の刺青を撫でそう言った。
「金があれば信頼を買える」
空のショットグラスにはライトオレンジの柔らかな光が反射する。
「そんで、」
私に覆い被さる手に力が込められた。
九井さんの視線が私へと注がれる。
「人の命も救えんだよ」
でもその瞳に私は映っていなかった。
隣にいるのに何でこんなに遠いのだろう。
水が一つ運ばれたのを合図に会話が途切れる。それと同時に追加でウォッカを頼まれそうになったので慌てて止めた。
「九井さん、飲み過ぎですよ。お水飲んでください」
「いらねぇ」
「駄々こねないで飲んでください」
握られ続けていた手を引き抜いて、水の入ったグラスを掴んで目の前まで持っていく。鬱陶しそうに見られて、しかしそれでも引かない私に根負けしたのかようやくお水を受け取ってくれた。
「それ飲んだら帰りましょう」
「アァ?まだこれからだぞ。オマエはいつからオレに逆らえる立場になったんだ?」
お手本に出てきそうなパワハラ上司だ。すでにグラスの水は半分ほどなくなっている。これは恐らく、私が思っているより相当酔っているようだ。顔に出ないって逆に分かりづらくて困る。
「堂々とパワハラしないでくださいよ」
「おい、待て。何すん——イッテェ!」
思いっきり頬を抓ってやる。いつもの仕返しだ。酔っているならばどうせ明日には忘れているだろう。
「クソ生意気だな」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
ぱっと手を離せば思いのほか頬は赤くなっていた。やり過ぎたとは思いつつも酔っぱらいに謝るのも癪だと思い静かに視線を逸らす。
「今日は随分と手癖が悪りぃな」
デコピンを覚悟した。でもされたことといえば、また手を机の上で固定されるという行動だった。しかし今度は指を絡めた状態で、だ。
「何で……」
「余計なことされんのイヤだから」
セクハラですよ、なんて言えたらよかったんだけどな。
どういうわけか軽口を叩く余裕がなかった。
「ラスト一回、やんぞ」
まだやるのかとも思ったが、これが最後になるなら付き合った方がいいだろう。
一枚のコインが宙を舞う。そして九井さんはそれを器用に片手でキャッチした。テーブルに伏せておかれたコインに、私は表だと答えた。
「ハズレ」
赤い舌をべっ、と出して笑った彼は子供のようだった。
「では、しんじ——」
「じゃあ挑戦な」
「なんで九井さんが勝手に決めるんですか」
「オマエだってさっき勝手に決めたろ」
「私は強制してないんですけど」
「目ェ瞑れ」
一言も同意をしていないが勝手に話を進められる。そんな酔っぱらいの言動にすべてを諦め、覚悟して目を瞑った。
視覚情報が失われると他の感覚が敏感になる。九井さんの手が離れていき、その失われていく温度にほんの少し物淋しさを感じる。店内に流れるゆったりとした音楽を意識的に聞いていればカチッと何かが外れる音がした。
「九井さん?」
「動くなよ」
一瞬頬が撫でられ、その手が顎にまで下がる。陶器を扱うような優しい手つきで持ち上げられやや上を向かされた。今まで気にもならなった心音がテンポを上げて大きくなっていく。
「……っ、」
「動くなっての」
唇に刺激を感じ僅かに動けば添えられた手に力が籠められ位置を固定された。動かないだけでいいのに思わず息も止める。だって呼吸をすればいつもの香水の匂いがするんだもの。そうなってしまえばいよいよ意識せずにはいられなかった。
「もういいぞ」
ゆっくりと瞼を持ち上げれば目の前には九井さんの顔がある。しかしその目と視線が交わることはなく彼はやや下の方を見ていた。焦点が合わぬ瞳で瞬きを繰り返していれば「鏡見ろ」と一言だけ告げられた。
「わぁ…!」
すぐにバックの中から取り出したコンパクト。その鏡に映った自分を見て思わず声を上げた。初めに髪を切ってもらったときも感動したのだが、今日はそれ以上のものがある。その明確な理由は分からない。でも一つ確かなことは今この瞬間、九井さんにまた初めての経験をさせてもらったという事実だ。
「気に入ったか?」
私にオシャレのセンスもなければ、巷で流行のパーソナルカラーなんてものも分からない。でも自分の唇を彩ったそのルージュはこの世の何よりも綺麗な色をしているのだと思った。
「はい。とっても素敵です」
「リップバームの使い方も分からないオマエにはこっちのがいいだろ」
あぁ、確か買ってもらった化粧道具一式の中に小さなクリームがあった気がする。でも指で塗るのを面倒くさいと思ってしまった私はそれを全く使っていなかった。
「いつも貰ってばかりは悪いので払わせてください」
「ハァ?なに生意気いってんだ」
私なりの気遣いでもあったのに、九井さんの機嫌を損ねてしまった。
伸びてきた片手で顔を下から挟まれる。そしてそのまま頬を両サイドから押しつぶされた。不覚にも唇が突き出てしまい、タコみたいな顔になってしまう。でもそれを見て声に出して笑った九井さんこそ今日はガキなのだと思う。
「何するんですか!」
「うっせぇ。有難く受け取っとけ」
ようやく解放されたが頬はじんわりと痛い。頬もきっと赤くなっているだろう。うん、掴まれたから赤いんだ。
「では…ありがとうございます」
「毎日付けろよ。そうすりゃオマエの唇噛む癖直るだろ」
そんな癖あったっけ。でも自分じゃ分からないからこその癖なのか。人に指摘されるのは初めてのことでそれが本当かどうかも分からない。でも九井さんが言うなら、きっとそうなのだろう。
「はい。大切に使わせてもらいます」
大人の基準ってのはよく分からない。でもその一つにこのルージュを使うことが含まれているのだと思った。
◇
タクシーを呼んで店を出た。というか九井さん、マジでヤバイ。
タクシーに乗り込んだ瞬間、瞼を閉じて動かなくなってしまった。声を掛けても返事はないし、肩をゆすっても起きやしない。申し訳ないと思いつつも住所も分からないのでお財布の中から免許証を拝借した。因みに財布には諭吉さんが十枚ほどいらっしゃった。
「九井さん、着きましたよ!起きてください」
座席にもたれかかった九井さんを叩き起こし外へと引きずり出す。私が肩を貸しているものの、とりあえず立ち上がってくれた。この分なら何とか運べそうである。そう安心したのも束の間、目の前の高層マンションに尻込みをする。さすが、いいところに住んでいる。
顏認証やパスコードのセキュリティを解除していき、ようやく部屋まで辿り着く。ドアを開け、おそらく一番手前の部屋が寝室だろうと当たりを付けて扉を押し開けた。手探りで灯りを付ければ部屋の中央にクイーンベッドが置かれている。最後の力を振り絞り、その上に九井さんを投げ捨てた。
無事にミッションコンプリートだ。一仕事終えて姿勢を正せば、ふと向かい側のキャビネットの上に写真立てが置かれていることに気が付いた。三人の人が映っているようだがここからでは距離があり良く見えない。枕元に置いてあるということはそれほど大切な写真なのだろうか。
「は、えっ」
ほんの少しの興味。だが身を乗り出そうとしたところで物凄い勢いで引っ張られ体勢を崩した。
ベッドの上だというのに柔らかさを感じなかったのは私が九井さんの上に覆いかぶさってしまったから。慌てて起き上がろうとしたところで腕が掴まれていることに気付く。まだ酔っぱらっているのかと声を掛けようとしたところで頭の後ろに手が回された。
「九井さ、——っ」
彼氏いない歴=年齢の私にとってそれはもちろん初めてのことだった。
私も女の子だからさ、それなりに夢は見ていたわけですよ。
例えば放課後の教室だとか、初デートの帰り道だとか、映画のラブシーンで一緒にするとかさ。
「ぁ、かね……さ、ん………」
ねぇ、『アカネ』って誰?
「うッ」
腹に一発叩きこんで部屋を出た。
殴ったせいで嘔吐しても恨まないで欲しい。寧ろ安いくらいの代償だ。
九井さんはよく私に初めてをくれる。
でもこの初めてはいらなかった。
その夜、私のファーストキスは奪われた。