どうも、九井のお気に入りの代わりになります


九井さんにキスされた。
しかし当の本人はというと全く覚えていないらしい。翌々日に出勤してきた私を見て「この前はお疲れ」なんて平然と言ってきた。春千夜さんの拳銃パクって脳天に打ち込んでやりたいくらいには腹が立った。



「銀行に行ってきます」
「あぁ、ならちょうどオレも——」
「竜胆さん今から取り立てでしたっけ?途中まででいいので後ろ乗せてもらえません?」
「別にいいけど」

あの日以来、私は徹底的に九井さんを避けた。会話は必要最低限、業務連絡はメール。通院の予約もわざと九井さんの予定と被せたし、もちろん食事や買い物も断固として断り続けた。

「九井となんかあったわけ?」

バイクの後ろは風が切れるから好き。嫌な気持ちが全部吹き飛んでいくみたいだ。でも声が流されるので会話をするには少し向かないみたい。

「いま何て言いましたー?」
「九井とぉ、喧嘩でもしたぁー?」

竜胆さんが声を張ってくれたおかげでようやく聞き取れた。さすがに最近の行動は周りから見ても相当不自然だったらしい。

「喧嘩はしてないですよ」
「それマジ?最近アイツの機嫌悪くて困ってんだけど」
「へぇー」

いや、機嫌が悪いのはこっちだからね。知らん女の名前呼んでキスしやがって。覚えていないのなら許されるとでもお思いか。

「まぁ別にどうでもいいけど。ってかさ、それなら今夜オレと飯行かね?」
「蘭さんいます?」
「兄貴は別の仕事でいねぇよ。オレと二人」
「はいダウト。さっき蘭さんから今夜ご飯に行かないかと連絡がありました。兄弟で私を食い物にする気だったんでしょ?行きませんよ」

ちげーよ!と叫んだ竜胆さんに、運転して両手がふさがっているのをいいことに後ろから頬を抓ってやった。

「嘘つき者には粛清を!」
「にーちゃんは仕事って言ってたし!」

そんな「ト◯ロいたもん!」みたいな愛らしさで言ったって信じてやらんぞ。先日、貴方のお兄さんに睡眠薬入りのコーヒー飲まされそうになったんだからな。危うく九井さんがそのカップを取り上げてくれなければ口を付けるとこだったのだ。しかも何故か九井さんは「何やってんだ」と蘭さんにではなく私にデコピンをかましてきやがった。いま思い出しても腹が立つ。

途中までどころか銀行まで送り届けてくれた竜胆さんにお礼を言う。しかし最後は拗ねたように「二人で行こうと思っただけだし……」とシュンとさせてしまった。私よりも年上なのに弟気質が過ぎる。しょうがないので頭を撫でておいてあげた。

無事に銀行での手続きも終えアジトへと帰る。が、脇道に入ったところでビルの前に九井さんが立っているのが見えた。ヤバイ、このままでは鉢合わせしてしまう。そうなれば、さっき無視して竜胆さんに声を掛けたことを責め立てられるに違いない。

「あーちょうどいいの見つけたから連れてくわ」
「ぐぇッ」

目の前の地獄から後退りしていたら襟首掴まれ背後の地獄に捕まった。潰された蛙のような声が出て半宙吊り状態になる。振り返らなくたって誰だかすぐに分かった。ピンク髪の悪魔はいつだって唐突に姿を現すのだ。

「今日は一人だが上玉連れてくっつっとけ」

通話を切るのと同時に解放され思いっきり咳込む。どんだけ人の首を絞めるのが好きなんだ。しかし私はⅯ女ではないので是非ともご遠慮頂きたい。

「いきなり何するんですか春千夜さん」
「人手不足なんだよ。オマエも来い」
「私は戦闘要員じゃないので足手纏いになるだけですよ」

では、とさっさと立ち去ろうとしたら腕を思いっきり掴まれた。いっったい!そっちは火傷した方なんだよ!軽率に馬鹿力で掴むんじゃない!

「ちょっと痛いんですけど!」
「女なら他に出来ることあんだよ!さっさと来い!」
「いーやーだー!」
「テメェら何やってんだよ」

釣り合いが取れていた力も片方がなくなれば均衡が崩れる。そして私の体は反動で背後へとバランスを崩した。支えられた肩には力が込められ、もう一つの地獄が迎えにきたと悟った。

「外で騒ぎ起こすんじゃねぇ」
「コイツが言うこと聞かねぇから悪いんだよ」

何しに来たんだと見上げて睨めば倍以上の鋭い眼光で返され身がすくんだ。さすが内勤者でも本家は違う。

「オマエ、腕大丈夫か?」
「問題ないです」

肩に乗せられた九井さんの手を叩き落とす。そして二人から距離をとった。薬中者VS金の亡者VSダー◯ライの戦いに巻き込まれたくないので。そしてあわよくばズラかりたい。

「コイツに何の用だよ」

だがしかし、そうは問屋が卸さない。逃げようとしたら九井さんに右手を掴まれた。

「今から千石の野郎と取引なんだよ。アイツが女好きって知ってんだろ」
「いつもの奴等はどうした?」
「連絡取れねぇ。音信不通」

尚もズラかろうとめげずに抵抗していたが手を離すどころか腰を抱かれた。

「じゃあキャバクラ連れてけ。オレの店貸し切ってやるよ」
「あのオッサンはどこにでも媚売る女が嫌いなんだよ。店の女はNG」
「どっちにしろコイツじゃ務まんねぇよ」

九井さんと春千夜さんの機嫌が徐々に悪くなり最悪の地獄が生み出される。私は破れた世界に行きたくない。あと九井さん力強すぎぃ!肋骨折れそう。

「いねぇよりはマシなんだよぉ早くそいつ寄越せ。この取引ダメになったら一億飛ぶぞぉ!」
「コイツはオレんとこのモノなんだよ。貸出し不可」

そこで私はカチンときた。そうか、私は九井さんの物なんだ。へぇーだから私には何してもいいってわけね。

「分かりました。春千夜さん行きましょう」
「ハァ⁈」
「おっ♡」

手刀で九井さんの手を叩き落とす。いつから私はこの人の所有物になったのだろう。

「テメェなに勝手に決めてんだよ」
「依頼されていた情報はすでにクラウドに上げてあります。架空講座も三つほど作っておいたので今日の仕事はもうないですよね?」
「上司のオレが許可してねぇ」
「ナンバー2様のご意見には従った方がいいのでは?」
「オマエは梵天の人間じゃねぇだろ」
「そうですね。でも九井さんの物でもないので」

再度手が伸ばされかけるが春千夜さんを盾にしてひらりと避ける。運動神経はそこそこであるが反射神経はいい方だ。

「お疲れ様した九井さん。では春千夜さん行きましょう」

歩き始めた私を追いかけてくる足音は一つ。それが聞き慣れた靴音ではないと気付いた時、少しだけ寂しくなった。

「どういう風の吹き回しだぁ?」
「気分です。でも私は居るだけしかできないですからね。それと同行するんだからちゃんとお給金はくださいよ」

精一杯の強がりを言って前を向く。すぐに追い着いた男は上機嫌に口角を釣り上げてこう言った。

「オマエ、アイツに似てんな」

それ、今の私にとって最高の皮肉です。



春千夜さんって敬語使えたんだな、というのが今日一日の感想だった。
低姿勢で取引相手に接しつつも押さえるとこは押さえて商談を進めていた。ナンバー2の肩書きは伊達じゃなかった。でもそのニコニコと上品に笑う顔が信じられなくて三度見ほどしたら机の下で思いっきり足を踏まれた。流石は信頼と実績の春千夜さんである。



「オマエ意外と使えたな」
「アリガトウゴザイマス」

無事に取引を終えた私達はホテルを出て迎えの車に乗った。比較的、後部座席が広いロールスロイスでも脚の長い春千夜さんでは窮屈そうだ。その光景を視界の端に捉え、私は疲労が蓄積した体をシートに沈めた。

「次もご指名だとよ。あのオッサン金もあるし愛人くらいなりゃ借金もすぐ返せんぞぉ」
「死んでもお断りですね」

お飾りのつもりで着いて行っただけではあったがその千石という男に気に入られてしまった。それもこれも男の好みドンピシャだったこの装いのせいだろうか。

「今日の格好のが似合ってるぞ」

無骨に伸びて来た手がシースルーレースの袖を撫でる。正面から見ればブラックのタイトミディドレスではあるが背面には大きなスリットが入っている。アイラインは太めに引き、髪をアップにした私はいつもとはかなり印象が違っていた。

「そうですか?私そういうの全く分からないので」
「だよなぁ!オマエが店で豹柄のクソダセェドレス手に取った時は正気を失ったわ!」

千石は背中フェチ。そしてキツめのメイクの童顔女が好み。
そうなれるよう、取引前にドレスショップやサロンに連れて行かれたのだが初めに自分で選んだドレスはありえないほど酷かったようだ。結局全部、春千夜さんが選んでくれた。センスがない自覚はあるのでそんなに笑わないで欲しい。あと春千夜さんに正気云々を言われたくはない。

「普段は自分で服とか選ばないんです!」
「だとしてもセンスなさすぎぃ!」

下唇を噛み締めようとして紅が歯につくことに気付きやめた。
当てどころのなくなった怒りを右の拳に込める、がそこでふとある事を思い出した。そういえば——

「この前『似てる』って言ってたのどういう意味ですか?」

カップラーメンを横取りされた日、確かに春千夜さんにそう言われた。
ひとしきり笑い終えた春千夜さんは脚を組み直す。窓から見える夜景も重なりその姿はとても絵になった。黙ってれば美人なのになぁと毎度思うが不躾な視線のせいで黙っててもダメだなことに気が付いた。その視線は私の足先から唇の紅までをゆっくりと辿った。

「あーあれな。オマエあの女に似てんだよ、九井が風俗で贔屓にしてる女」

うわっ聞かなきゃよかった。
というかそれならあれか?この前私がキスされたのだって風俗嬢のアカネさんと間違えたってことでは?
……はぁぁあ??マジふざけんな。九井さんのプライベートはどうだっていいがそこに私を巻き込むな。というか服とか買ってくれたのも口説き落とせない嬢の代わりに私を仕立て上げようとしたのでは?もしそうなら人として軽蔑するわ。マジで許さん。

「髪型とか服装とかマジで似てる」
「因みにその人は胸が大きかったりします?」
「比べるから揉ませろ」
「丁重にお断りします」

春千夜さんの様にストレートでない分余計にムカつく。いや、ストレートに言えば許される訳でもないけれど。

「春千夜さん、今度拳銃の使い方教えてくれません?」

デコピン代わりにいつか脳天撃ち抜きたい。
私は割と本気だったのに春千夜さんには「分かった分かった」と軽い感じで返された。そうして錠剤を口に放り込んだので、もうまともに取り合わない方がいいだろうと判断した。反射神経と感の良さはいいので。

「おい、六本木まで飛ばせ」

一度逸らした視線を再び春千夜さんに向けた。
そちらは私の家の方角でもアジトの場所でもない。もしやこの人、自分だけ送ってもらおうとしてる?春千夜さんの家の場所は知らないけども。さすがに私も送れとまでは言わないがそれなら最寄駅で降ろしてほしい。今なら終電にもギリ間に合——あれ?この流れ前にもなかったか?

「あの、高速降りたら路上で降ろしてもらえますか?」
「あぁ?オマエなに言ってんだ?」
「帰るんですよ。もう業務終了ですよね?最後まで付き合ったんですからそれなりの手当ては付けてくださいよ」
「停まんな。六本木まで飛ばせ」
「なんで⁈」

運転手さんは春千夜さんの部下で命令には絶対に逆らわない。そのため私の声は当然の如く無視され車は走り続けた。そしてこれはデジャヴか?

「今からオレの家行くぞ」
「はぁ⁈」

しかしデジャヴでもなければ最悪の展開へと繋がってしまった。というか待て、今まで春千夜さんに同行してた女の人達が音信不通になったってこれが原因なんじゃ……

「まだオマエの仕事は終わってねぇぞ。寧ろこの後が本番」
「そんなの初耳です!というかそれって……」
「セッ」
「ちょっ、無理!止めてぇ!」

その後は車内でドッタンバッタン大騒ぎだった。高らかに笑うのはフレンズでもないただの薬中者だし、獣しかいないこの場に本当の愛もなかった。セル◯アン早くこいつの性欲という名のサン◯スターを丸呑みにして!

「春千夜さん電話!電話鳴ってます!」

背中のスリット内から下腹部へと手が回されたところで車内に電子音が鳴り響く。春千夜さんの動きは止まったが背後からのし掛かられているので当然抜け出せなかった。

「おい、ボスがお呼びだ。新宿に車回せ」

電話を切った春千夜さんが運転手へと命令する。私の貞操もギリギリ保たれた。

「じゃあ私はもう帰っていいですよね?」
「おー次会ったとき楽しみにしてろよ」
「その楽しみは一生こな——いったぁ⁉」

首筋に刺すような痛みが走り声を上げる。
くっ……食べるならジャ◯リまんにしろ!獣だからって大目に見てくれると思うなよ!オマエはフレンズじゃねぇ!



その後、無事に家に帰れたものの姿見で確認したら頸動脈の上にはっきりと歯形が残っていた。会う度に痕を残すのはやめてくれ。
そして帰宅後に携帯をみれば不在着信とメッセージの履歴がエゲツないことになっていた。もちろん相手は名前を言いたくもないあの人。

「あ」

無視したろ、と思い鞄に仕舞おうとしたらちょうど掛かってきた電話を取ってしまった。こうゆうところ、スマホって困るよね。

「はい」
『やっと出やがった』

なんだ、人を幽霊みたいに言いやがって。

「出ましたよ。ではさようなら」
『おい待て!』

耳が痛くて思わず電話を離す。しかしそれでも聞こえなかったふりして切ってやろうかと思ったが『切ったらオマエの住むアパート買収する』と軽く脅されたのやめた。

「何ですか?」
『千石に変なことされなかったか?』

まぁ普通に身体は触られたが。でも際どい時はちゃんと春千夜さんがそれとなく止めてくれたし酒は飲ませたが飲まされなかった。今思えば春千夜さんが上手く立ち回ってくれていた気がする。まぁ車内での行いで好感度はプラスマイナス、マイナスだけど。

「別に」
『本当か?オマエは警戒心ねぇからな』

九井さんは私の何を知っているというのか。精々借金額と私の身の上くらいじゃない。

「余計なお世話です」
『なぁ、この前から何キレてんだよ』
「キレてないです」
『なら明日飯付き合え』
「嫌です」
『残業代は出す』
「お金払えば何でも言うこと聞くと思わないでください。さようなら」

通話を切ったと同時にスマホの電源を落とす。
いつまでも子供扱い。それでいて風俗の女と私を重ねている。そして金で動く女だと思われてるのも腹が立つ。まぁそれは本当だけど。

ほんと、ムカつく。
いつか絶対、脳天撃ち抜いてやる。
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