どうも、九井の友人になります


誰かに依存するのは嫌い。
私が小三の時、母親は男を作って出て行った。それからは私が家の事をしなくちゃいけないと思った。
高一の時、父親が事業に失敗した。借金で首が回らなくなり、酒と薬に溺れた父を見て自分は一人で生きていかなきゃと思った。

別にそれが寂しいだとか孤独だとか思ったことはない。というかそんなことを考える暇などなかった。
一人で生きて行く方法を考え辿り着いたのがネット犯罪。情報技術者として大手企業に勤めていた父からはプログラミングを含めた様々なインターネット操作を教えてもらっていた。その知識を広げ私は闇の世界へと堕ちていった。
独りでいることにはもう慣れた。
私は私だけで生きていける強い人間。



「きゃあ⁉」

ずっとそう思っていた。だからこそ九井さんの優しさに私は気付けなかったのだと思う。年の割にはしっかりしている方だと思ってたんだけどな。失ってから気付くなんて、やっぱり私はガキだった。

「こっちが下手に出てれば付け上がりやがって」

いつものナンパかと思い、レベルアップで習得したスルースキルを発動させていた。これ見よがしにスマホを弄り二人組の男に目もくれず足を動かす。しかし路地裏近くに差し掛かったところで押し倒され闇の中へと引きずり込まれた。

「もうここでヤッちまうか?」

直ぐに立ち上がろうとするも今日に限ってハイヒール。しかも転んだ拍子に足を挫いたらしい。逃げるどころか立ち上がるのもキツイ。

「ちょっと!変なところ触ら——ンッ!」
「はいはい。いい子だから大人しくしててねー」
「オマエが先ヤんのかよ」
「オレが先にこの子に目ぇ付けたんだからいいだろ?それより腕抑えとけ」

口元を塞がれ一人の男に馬乗りにされる。声を出せず、体も拘束された。そしてこんな路地裏に引き込まれてしまえば恐らく誰にも気付いてもらえない。
九井さんの事、過保護だなんて鬱陶しがっていた自分を殴りたい。

「あーヤベェ泣きそうな顔見ると興奮するわ」
「オレも勃った。いいから早く、ガッ⁉」

鈍い音がして押さえつけられていた腕の拘束が緩む。そして馬乗りでいる男の慌てる声が聞こえた。呻き声と打撃音、赤黒い液体が地面を汚す光景が視界の端に写る。その隙に逃げればよかったというのに怖くて動けず、寝転んだまま横になり膝を抱えて丸くなった。

「キミ、大丈夫⁈」

走り去る音が聞こえ、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになった。すぐそばから優しい声が降ってくる。ゆっくりと目を開けるのと同時に自分の顔に掛かった髪が払いのけられた。
月の光に反射した金髪には見覚えがある。そしてその記憶を裏付けるように火傷の痕が目に飛び込んだ。

「あの時の……」
「やっぱりキミだったんだ。大丈夫?」

先日、街中で私の腕を掴んできた人だった。
背中を支えてもらい起き上がることはできた。が、脚が震えて立つことができない。襲われた恐怖が体に染み付いていた。でも目の前の彼はそんな私に無理強いするわけでもなく背中を撫でて寄り添ってくれた。

「すみません……」
「怖かっただろ。いいよ、ゆっくりで」

指先の震えが収まったところで体を支えてもらい立ち上がる。しかし、足首が痛み体勢を崩してしまった。男の人に支えてもらい転倒は免れたがかなり痛む。

「足、怪我してる?」
「はい。転んだ拍子に捻ったみたいで……」
「近くにオレの店があるから手当てするよ。とりあえず背中乗って」
「いや、それはさすがに……!」
「それとも横抱きがいい?」
「おんぶでお願いします!」

歩くのは無理だと判断し、有難く申し出を受けさせてもらった。火傷した腕を掴まれたときは危うく右ストレートを決めるところではあったが物凄くいい人だ。あのとき勢いに任せ殴らなくてよかった。

「助けて頂きありがとうございます」
「偶々路地裏に連れていかれるところが見えたんだ。もう少し早く気付ければよかったんだけど…ごめん」
「いやいや!結果助けてもらいましたし……あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「乾青宗。キミは?」

やや首を動かして後ろを向いた乾さんと目が合う。改めて見ると本当に睫毛長いな。というか金髪でロン毛だし、絵本の中の王子様ってかんじ。こんなことなら横抱きにしてもらってお姫様気分を味わっておけばよかった。
他愛もない会話をしていれば乾さんはD&D MOTOR CYCLE SHOPというお店の前で足を止めた。そして脇道から裏口に回りこみ中に入る。お店にはたくさんのバイクが並べられていた。すでにカスタマイズ済みのものもありかっこいい。

「かなり腫れてるな」

椅子に座らせてもらい、乾さんが足の様子を見てくれた。

「うっ…痛いです」
「まずは冷やすから待ってて」

乾さんは濡らしたタオルと救急箱を持ってきてくれた。ここまでしてもらって本当に申し訳ない。今度、ちゃんとお礼をしに来なければ。それにしても随分と手際がいいな、医療の知識でもあるのだろうか。

「手慣れていますね」
「昔は結構ヤンチャしててさ。あんな感じ」

乾さんの視線の先を辿って行けば一枚の写真が壁に飾られていた。やや色褪せているものの裾の長い服を着て奇抜な髪型をした男の子達が写っている。『初代 東卍京』と書かれた黒地の旗を見るに暴走族と言ったところか。

「とがってますね」
「でしょ」
「乾さんは何列目にいるんですか?」
「オレは途中からあのチームに入ったから写真にはいないんだ。あそこに映ってるのはここで一緒に店やってる奴」

ふぅん。乾さんの特攻服姿も見たかった。そういえば九井さんも暴走族やってたんだっけ。あんな風な服を着てオラオラ言わせていたのだろうか。まぁ今もしてるけど。

「はい、できた」
「ありがとうございます」
「でもヒール履いて帰んのは大変だよな。履けるモン探してくる」

そこまではさすがに、と断わりを入れるつもりだったのに私が声を掛ける前に奥へと行ってしまった。
椅子に座ったまま宙を見つめる。するとまた身体が震え始めた。気を張ってはいたが精神的には大分参っていたらしい。自分で自分を落ち着ける様に体を摩る。すると僅かにずれ上がった袖の下から色の変った皮膚が除いた。

火傷の痛みはなくなり後は処方された薬を塗り込めば治るとのことだった。そう何度も言ったのに、九井さんは他の病院でも診てもらえって煩かったなぁ。それと、この前初めて気付いたけど九井さんの家の場所は私と真逆だった。何度も送り届けてくれてたけどあれは遠回りだったんだ知った。

……私は馬鹿だ。独りで生きていけるなど、なんて烏滸がましい。私は九井さんの後ろに着いていたのではなく、守られていただけだったのだ。冷静になればなるほど自己嫌悪に襲われる。

私の気持ちを察した様にスマホが鳴った。ディスプレイには『上司』の二文字が表示されている。今日は締め日で仕事終わりが遅かったのだ。九井さんは帰りは絶対に送ると言うだろう、それを察して席を立った隙に黙って帰った。
鞄にスマホをそっと戻す。九井さんを避け続けてきた結果がこの有様だ。とてもじゃないが合わす顔がない。まぁ電話だから顔は見ないんだけどさ。

「出なくていいの?」

ちょうど戻ってきた乾さんが不思議そうに首を傾げていた。

「職場の上司ですが大丈夫です。私が出なければ他の人にも掛けると思うので」

出たくない私は適当な言い訳で繕いそう答えた。
電話は数十秒鳴り続けて、切れた。そしてそのタイミングで乾さんが再び私に声を掛けた。

「キミさ、ココ……九井一って知ってる?」

ドクンと心臓が跳ねる。
なんで乾さんの口から九井さんの名前が出てくるのだろう。しかも「ココ」と呼んでいるとなるとそれなりに親しい関係だと予想できる。

「いえ、知りませんけど」

咄嗟に嘘をついてしまった。乾さんは物凄くいい人だ。でももし乾さんが裏の人間と関りがあった場合、梵天から私は情報を漏らしたと見なされるかもしれない。そうなれば命はないと思ったのだ。

「そっか」

伏せられた睫毛を見て罪悪感が募る。やっぱり知り合いです、と言うべきだっただろうか。でも今さら訂正するのも不自然すぎる。

「乾さんはそのー……ココさん?と友達なんですか?」
「そうだよ。と言っても向こうはもうそう思っていないかもだけど」

どういう意味だ?
もっと知りたいところではあるが初対面でいきなり突っ込んだ話をするのも憚られる。

「もう遅いし送るわ」

そう促され店を後にした。
乾さんのバイクの後ろに乗せてもらう。風を切るのは気持ちがいい。でも心の奥に引っかかったモヤモヤは晴れなかった。



「ここまでで大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「はい、近いので」

バイクから降りてヘルメットを返す。でもそれを受け取ることなく、乾さんの手が顔の側まで伸びてきた。

「髪、乱れちゃったね」

そんなこと気にしないのに。前髪、次いで後れ毛に触れた。物凄くいい人な上に気も利く。そしてその行動を不快に思わないのは何処ぞの輩のように下心がないからであろう。現代の日本に王子様っていたんだと錯覚するほどの神対応。バイクが白馬に見えてしまうくらいだ。

「今度お礼に伺います」
「別にいいよ。そのサンダルも貰っていいし」
「そういうわけにはいきません!乾さんが助けてくれなければ今頃どうなっていたか分かりませんしお礼させてください!」
「分かった。店に来てくれればオレはいるから」
「はい。ではまた」

最後にもう一度お礼を言って乾さんとは別れた。



住宅街であるこの道はとても静かだ。そして時間も遅いためかほぼほぼ家の電気は消えていた。切れかけの街灯の周りには二、三匹の蛾が飛んでいて道もそんなに明るくない。でも数メートル先に立つ人物の姿だけははっきりと視認できた。

「遅せぇ」

閑静な住宅街、かつここは情緒溢れる下町の家が立ち並ぶ場所。そんな場所に外車までもが停まっていれば相手が誰か容易に想像できた。

「何やってるんですか、九井さん」

幽霊でも見たかのようにぽかんと口を開けてしまった。いや、幽霊だったら走って逃げてたか。その場の光景が信じられなかったからこそ私は馬鹿みたいに口を開けて動けなくなってしまったのだ。

「忘れてった手帳届けに来てやったんだよ」

別に明日も行くんだから届けてくれなくても良かったのに。
その場から動く気のない私を見て九井さんがこちらへと歩いてくる。

「電話は出ねぇし家にもいねぇ。どこ行ってたんだよ」
「それは、その……」

会ったら言いたいことがたくさんあったのに、何も言葉が出てこなかった。気まずくなって視線を足元へと向ける。

「今日だけじゃねぇよ。この間から…——オマエ、足どうした?」

スーツに外車がこの場所でミスマッチと言うならば、フレアミニスカにビーサンの私も大概だった。足から私へと視線を移した九井さんから顔を逸らす。

「転びました」
「嘘つけ」

距離はさらに詰められ、下から顎を掴まれた。抵抗する気もなかったけれどそのあまりの気迫に息をのむ。

「本当のこと言え」
「……道を歩いてたら男の人に突き飛ばされて襲われました」
「ソイツら今何処にいる?」
「親切な人が追い払ってくれたので分かりません」
「手間掛けさせやがって」

そんなの分かってるよ。今日痛いくらいに自覚した。私は人の優しさに気付けない人間で、自分の身も守れないような女で、一人で生きていけるなどとほざいていた、ただのガキだったのだ。

「迷惑なら捨ててくれていいですよ」

でも一丁前にプライドだけはあったからその優しさを吐き捨てた。
プライドと言うよりは強がりか。だってそうでもしないと独りじゃ生きられないんだもの。

「チッ!」
「えっ?うそ、ちょっ、⁉」

ふわりとした浮遊感が体を包むと同時に、目の前の景色が変わった。アスファルトと家の外壁くらいしか映らない灰色の世界から一転、三日月が浮かぶ夜空へと視界が埋め尽くされる。そしてその贅沢過ぎる夜を背景に、九井さんと目が合った。

「稼げる人間をそう簡単に捨てるわけねぇだろ」

うわっ言い方。

「それに生命保険もかけてねぇんだから勝手に死ぬなよ」

一瞬の私のときめきを返して欲しい。それと先ほどまでの私の反省は何だったのか。

「あとその服も似合ってねぇ」

そりゃあ貴方が選んだ服じゃないからでしょう。春千夜さんからの話を聞いて服装と髪型は変えた。お店の店員さんにはセクシー系のコーディネートに仕立ててもらったし、ずっと下ろしていた髪は編み込んだり纏めたりするようにした。

「お気に入りの嬢とは違うからですか?」
「はぁ?」

九井さんがあまりにも自分のペースで話すものだから、私も一番気になっていたことを聞いた。

「んだよそれ」
「九井さん、贔屓にしている女性がいるようじゃないですか。私をその人に見立てて服を買い与えたり食事を奢ったりして自尊心を満たしてたんじゃないですか?」

こちとら裏は取れてんだ。キャバ嬢でもデリヘル嬢でもこの際どちらでもいい。アカネさんに振り向いてもらえなかったから私に構っていたに決まってる。

「私のこと心配してくれたのだってその延長ですよね?別に九井さんのプライベートをとやかく言うつもりはないですが近場の私でそれを済ますなんて。私はそこまで軽い女じゃないですからね、現に蘭さんに誘われた食事にだって——」
「ブッ……!」
「は?」

夜の路に九井さんの笑い声が響く。それに触発されたのか近所の犬が吠え出した。この人、もしかしてまた酔ってる?飲み過ぎると笑い上戸になるのは先日学んだ。それと勝手にキスしてくるところ!

「なに笑ってるんですか!」

九井さんの胸を拳で殴ってやった。でもビクともしなかった。意外と胸板が厚い。睨むように顔を上げればいつもよりやや下がった吊り目と視線が交わった。

「だってそれ、ヤキモチだろ」

ヤキモチ……だと?私が?九井さんに?

「はぁあ?なに自惚れてるんですか?」
「いま嫉妬しただろ」
「ち、違います!元はと言えばっ……」
「言えば?」

九井さんがキスしてきたから。
——とそのまま言うのは癪だった。

「九井さんが私の情緒を狂わせたのが悪いんです…!」
「へぇ」

バクバクと煩いくらいに心臓が騒ぎ出す。その動きに刺激され、私は捲し立てるように言葉を続けた。

「美容室に連れて行ったり服買ってくれたり……雰囲気あるところで手握られて口紅送られたら意識くらいするんですから!」
「ハハッ!すげぇストレートに言うじゃねぇか」
「ついでに右ストレートもお見舞いしましょうかねぇ⁈」
「やったら落とす」

くっ…そうだ、私はいま九井さんの手の内にいるのだ。いや、この場合は腕の内か?まぁそんなことは置いておいて暴れれば本当に落としかねられないので大人しくしておく。そして九井さんも喋らなくなればまた夜の路は静かになった。

「オマエさ、オレに惚れてんの?」

マジで自惚れるなこの野郎とも思ったが、その声がどことなく寂しそうに聞こえた。いやいや、この流れならもっと自信満々に言ってくれないと。私だって空気は読むんだからそれじゃあ言い返しづらいんだって。

「いえ、私は金髪で色白で勝手に人を抱え上げずにデコピンではなく優しく髪を撫でて馬に乗って送り届けてくれる男性がタイプなのでつまりは九井さんとは真逆の人が好みです」

おかげでボケを上乗せする早口な返事になってしまった。でも事実だし。

「んな人間いるわけねぇだろ」
「いるだなぁそれが」

歩く度に揺れる僅かな振動が心地いい。静かに息を吸えば、いつもの九井さんの香りがした。思わず安心すると思ってしまった自分が、ちょっと悔しい。
そうして気が付けば自分のアパートの目の前まで来ていた。そろそろ下ろされるかな、と思っていたけれど九井さんは止まらない。だから私はそこでようやく今日初めて自分から口を開いた。

「九井さん、ごめんなさい」

築四十年は経っている家賃五万の木造アパート。その所々赤茶色に変色した鉄骨階段を九井さんは上る。

「ホントバカだなオマエ」

カンカンとなる足音にかき消されるほどの細い声だったというのにちゃんと届いていたらしい。
九井さんは吐き捨てるようにそう言って、小さく笑った。

「明日は朝迎えに来る。で、先に足診せに病院行くぞ」
「はい」
「次逃げたらこのアパートは買収するからな」
「もう分かりましたから脅さないでくださいよ!」
「というか早くボロアパートから引っ越せよ。あの階段もオマエの体重で明日には崩れ落ちるぞ」
「余計なお世話です!」

二階の角部屋——結局私の部屋の前まで運んでもらった。所々に反社の顔は見えるが九井さんが優しいことには変わりない。その気持ちを有難くいただいて私はお礼を言った。

「ああそうだ、」

扉を閉めようとしたところで声がかけられる。そうして再び見た顔はそちら≠フ顔をしていた。

「オマエが襲われた場所ってのは何処だ?」



近所の河原で昏睡状態の男が二名見つかったのだと、翌朝のニュース番組で知った。あの辺りは治安がいいと思っていたのにこれは本格的に引っ越しを考えた方がいいのだろうか。

そして朝迎えに来てくれた九井さんは珍しく眠そうだった。このまま居眠り運転されるのも怖かったので大音量で○ラ○ラを歌ってあげたら「うっせぇわ!」とキレられた。あーikじゃなくてdの歌手の方が好きなのね。確かに九井さんキラキラしてないしな。だからリクエストにお応えして歌い直したのに益々キレられデコピン喰らわされた。
デコピンは痛いし、すぐキレるし、金の亡者だし全くもって困った人だ。
でもこの人の隣は、存外嫌いじゃない。



すっかり腫れの引いた足をスニーカーに突っ込んで、貰った名刺を頼りに家を出た。途中まではスマホを頼りに、しかし近くなれば名刺裏の手書き地図の方が見やすくなって道を辿った。昼過ぎの今日は天気も良く、叔母さま方の井戸端会議があちらこちらで行われている。そんな商店街の外れが目的地だった。

「臨時休業……だと?」

もちろん定休日は確認していた。しかしまさか今日に限って臨時休業だなんてついてない。目の前のD&D MOTOR CYCLE SHOPという店のシャッターは下ろされていた。
今日は乾さんに先日のお礼をしにやって来た。お店に行けば会えると言われていたがお休みなら仕方がない。次の休みに出直すことにしよう。

「あれ?どうしたの?」

踵を返したところで路地裏から出て来た人物と鉢合わせる。

「乾さん!よかった会えて!」

数歩の距離を走って詰めれば「足は大丈夫?」と心配されてしまった。もう大丈夫です、とその場でジャンプすれば「よかったな」と笑ってくれた。
どうやら今日は業者の納品の関係で休みにしていたらしい。でも思いの外それも早く終わり乾さんも帰るところだったのだとか。

「これ先日のお礼です」

バックの中から取り出した一枚の封筒を差し出す。首を傾げて受け取った乾さんはそのまま指を封の中へと滑らした。足りなかったらどうしようとドキドキしてたら驚いた様子で封筒を突き返された。

「いや、ダメだろ!受け取れない!」
「足りなかったですか⁈」
「違う!現金は貰えないって!」
「小切手ですよ?」
「同じだから!」

謝罪、お礼の品といったら小切手ではないのか?九井さんだって「欲しくもねぇもん貰うよりは金に限る」と頂き物に対して言っている。だからこその小切手だったのだがまさか断られるとは。あそこの常識って一般には通用しないんだな。さすが反社。

「とりあえずこれは受け取れないから返す」
「そうですか……なら欲しいものとかありますか?それか食べたい物。すぐに買ってきます」

幸いにもここは商店街。ある程度のものは揃う。もしなければ電車一本で新宿にも行けるので探しに行けばいい。

「気持ちだけで十分だよ」
「私の気が収まりません!何でも良いので言ってください!」
「何でも……」

うーん、といって腕を組み固まってしまった乾さん。逆にプレッシャーをかけてしまったかもしれない。しばらく宙を見つめて、そして私へと視線を移して瞳を合わせた。

「この後時間ある?」



目的地へは徒歩で行けるらしい。
そうして二人で歩いていけば近所でも評判のラーメン屋、双悪に辿り着いた。私が行きたくても中々行けずにいたところだ。でも、昼を終えているためか『営業準備中』の看板が掛かっていた。

「悪りぃ、いいか?」

しかしそんな看板をも無視して乾さんは戸を開けた。いいんですか?と聞けば「知り合いの店」と短く返される。

「オイテメェ!表の看板読めねぇのかよ!」
「あれ、イヌピーじゃん」

乾さんの背に隠れて店内を確認する。テレビでも紹介されていた双子の店主だった。片やニコニコ笑顔で片や目を吊り上げた表情をしている。しかし先程の声は見た目とは正反対の人物からそれぞれ発せられていた。

「まだスープ余ってるか?」
「有名店なめんじゃねぇーぞ!」
「『アングリー』なら残ってるよ」

乾さんの後について店の中に入る。どうやら今の時間は夜営業の準備をしているらしい。出汁の香りと立ち込める湯気が店内に充満していた。

「じゃあアングリー二人前で」
「クソ野郎!今日だけだかんな!」
「二人前?後ろの子誰?」

表情は怖いが優しい声音の人に声を掛けられる。こんにちは、と頭を下げれば乾さんが私のことを紹介してくれた。そして二人のことも。常に笑ってる方が河田ナホヤさんで常に怒った顔をしているのが弟のソウヤさん。でも性格は見た目とは正反対というのだから双子というのも相まってよく分からなくなる。あだ名で呼んでいいとのことだったので分かりやすく「スマイリーさん」と「アングリーさん」で呼ばせていただくことにした。

「イヌピーの彼女なの?」

アングリーさんは人好きらしい。お冷を出しながら私にも話しかけてくれた。

「違います。この前助けて頂いたお礼にここのラーメンを奢らせてもらうことになったんです」

私がお昼を食べていない事を確認し、乾さんはここまで連れてきてくれた。休みの今日は惰眠を謳歌していたので朝食も遅かったのだ。

「助けたって?」
「二人組の男に襲われてた」
「えっマジ?大丈夫だった?」
「はい。お陰様で」

よかったね、と顔は怖いがアングリーさんが笑ったのは分かった。人を見た目で判断してはいけない。

「イヌピーめちゃ強かったろ?」

奥で麺を茹でながら首だけでスマイリーさんが振り返る。顔は笑っているが先程の話し方を聞くに口調は強め。でもきっと根はアングリーさんと共に優しい人なのだろう。

「すっごく強かったです!相手はボコボコにされてました!めちゃくちゃカッコ良かったです!」
「だってさイヌピー」
「うるせー」

隣の乾さんは少し照れ臭そうにお水を飲んでいた。優しそうな顔をしているが乾さんも中々漢気がある。

「お待ちどう」
「わっ美味しそう!」

出されたのは真っ黒な豚骨ラーメン。さぁ食べるぞと気合を入れるため下ろしていた髪を一まとめにし、腕捲りをした。まさか人気店のラーメンをこんな形で食せるなんて逆に乾さんに感謝しなければ。九井さんにも自慢しちゃお。

「スープは真っ黒なのにすごく優しい味がします」
「アングリーぽいだろ?因みに白豚骨の『スマイリー』は激辛だから」
「そうなんですね。辛い物も好きなので次はスマイリーを頼みます」
「ありがとよ」

仕込み準備のためスマイリーさんを追いかけ裏方へ消えて行ったアングリーさんにお礼を言う。この美味しさは確かに人気になるわけだ。

「ねぇ、その腕どうしたの?」

再び食べ進めようとしたところで乾さんの視線が私の左腕に注がれていることに気付く。そこには未だに薄っすらと火傷の痕が残っていた。

「あー……少し前に熱湯を被ってしまって」
「そうなんだ。痕は残らない?」

そこで乾さんの顔の火傷を思い出す。もしかしたらトラウマでも思い出させてしまったのだろうか。乾さんの火傷の原因は知らないが顔にあれだけのものが残っていれば相当なことがあったはず。

「お医者さんにも残らないと言われているので大丈夫です。……あの、すみません」
「なんで謝んの?」
「いや、その……嫌な事、思い出させちゃったかと思って」

あぁ、と乾さんは自分の火傷の痕に手を当てた。だいぶ古いもののようだがその痕はくっきりと残っている。

「オレのことは気にしないで。それよりキミには残らなくてよかったよ。せっかく女の子なんだから」

目を細めて笑った乾さんに、私はどうにも掛ける言葉が見つからなくて曖昧に頷くことしかできなかった。



「ご馳走でした!また来ます」
「店開けてくれてありがとな」
「次は開店時間に来いよぉ」
「今度はスマイリー食べに来てね」

胃も心も満足して店を出た。お二人と顔見知りにもなれたし次は一人でも来られそうだ。

「奢ってくれてありがと」
「いえいえ、こちらこそ奢らせて頂きありがとうございます」

ラーメン一杯で助けられた恩を返せた気はしないが、これで一先私の気も晴らすことができた。

「この後まだ時間ある?」
「はい」
「少し散歩しない?」
「いいですね」
どちらにしろ腹ごなしに歩いて帰ろうと思っていたのだ。乾さんの申し出をふたつ返事で受け入れた。



この辺りは私の家の近所でもあるがほぼ家とアジトの往復しかしていないので未開の地でもあった。車から見ることはあっても実際に歩くと景色も違って見える。舗装された道は歩きやすく、花壇には季節の花が植えられていた。

「気持ちいいですね」
「偶に歩くといいよな」
「ツツジに金魚草、金蓮花まで……たくさんお花がありますね」
「随分と詳しいね」

この道を歩いて行くと図書館と並列した公園に行けるらしい。赤茶のレンガ道を踏みながら私は花壇の花を見る。

「小学生の頃、下校中にお腹が空くと道の草食べて帰ってたんですよね」

親が離婚して一時期、祖父母の家に預けられていたことがあった。当時、片道一時間の道のりを歩いていたなんて今では信じられない。祖父母は随分と前に亡くなったがあの家があった場所は今どうなっているのだろうか。

「結構食べられる花とか草って多いんですよ。さっき言ったものは食べられます。とりあえず一口噛んで舌に痺れがなければ大体いけますよ。あ、でも鈴蘭は気をつけてください!あれは一輪でも吐き気を催しましたから」
「ぶっ……!」

苦くも懐かしい思い出を脳から引きずり出していたら斜め上から押し殺した声が降ってきた。顔を上げれば乾さんが顔背けて口を押さえている。

「もしかして笑ってます?」
「いや、だって…腹減っても野草食わねぇだろ」
「えっ食べますよ!ツツジの蜜くらい吸ったことありますよね?」
「まぁ……でも花は食べなっ…ウケる」

お腹に手を当て笑い続ける乾さん。相当ツボに入ったらしい。私の周りの子達もやってたと思うけどなぁ。見たことなかったけど。

「乾さんは意外と笑い上戸ですか?」
「そうでもないと思うけど。寧ろキミが特殊すぎ」
「初めて言われました」
「なんか、オレが思ってたイメージと全然違かったわ」

それは私もですよ。乾さんは優しそうな見た目と裏腹にめちゃくちゃ喧嘩強いし改造車にも乗っている。それに普段の口調は結構違うんですね。先程から言葉も砕けたものになっていた。 

「どんな風に思ってました?」
「んー……女の子らしくて虫も殺せないか弱い子?」
「それは誤解ですね。昨日も風呂場に出たGをスリッパで仕留めました」
「つっよ」
「一発で仕留めるの得意なんです。今度出たら呼んでください。飛ぶ前に殺やりますから」
「頼もしい」
「でしょ?」

得意げに言えば乾さんは私を見て笑った。
私の目を見て笑ってくれた。

「あ、ここが図書館ですか?」
「そうだよ」
「意外と大きいですね。ここで勉強とかされてたんですか?」
「いや全く。オレは家でゲームしてた」
「ふっ……」

じゃあなんで連れてきてくれたんだろう。というか乾さんも思ってたイメージと違いすぎ。

「何で笑ったの?」
「すみません、お気になさらずに。どうして図書館に連れてきてくれたんですか?」
「キミが本とか好きそうに見えたから」
「生憎活字を見ると眠たくなる人間なんです。図書館で読むものはド○ゴンボールくらいですね」
「分かる。それとヒ◯ルの碁」
「分かりみが深い」
「ってかオレらって外見詐欺じゃね?」
「確かに」

そこで今日初めて二人して笑った。
梵天と関わる生活にもなれた。九井さんの側も居心地はいい。でも乾さんの隣は息がし易いと思った。私が私らしくいることを許してくれる感じがする。

「乾さんすごく面白いです」
「オレは普通。キミがぶっ飛んでるだけ」
「ひどい!」
「事実だし。ってか敬語とかもういいから、普通でいいよ」

少し迷うが、逆に敬語の方が気を遣わせてしまいそうだったのでタメ語にさせてもらった。まさかこんな形で友達ができるなんてちょっと嬉しい。

「じゃあイヌピーって呼んでもいい?」
「青宗でもいいけど」
「イヌピーの方が可愛くって好き」
「じゃあそれでいいよ」

随分と減ってしまったスマホの連絡先にイヌピーが追加された。分かりやすいってのもあるけど念のためフルネームでの登録はやめておいた。一応反社に片足突っ込んでいる身であるので。



「ここまでで大丈夫?」

結局一時間くらい散歩をして家の近くまで送ってもらった。

「うん。今日はありがとう、イヌピーのおかげで久しぶりに楽しい休日になったよ」
「オレの方こそ楽しかった。会いにきてくれてありがと」

またね、と次の約束なんてしてなかったけれど声に出して言った。私にとっては明日もまた学校で会うような感覚だった。そんな感じの、軽い言葉。

「あのさ」

でもイヌピーからしたら少し違ったらしい。

「またオレに付き合ってくれる?」

そんな真剣に返されるとは。

「もちろん!Gが出たら呼んでくれてもいいし」
「そんぐらい自分で殺れるわ!」
「あはは!次会うの楽しみにしてるね!」

『またね』が『絶対』の約束になった今日。
そして私に友達が出来た日だった。

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