どうも、九井の居候になります


スマホのアラームが聞こえ手探りでそれを探す。いつもは枕元の充電器に繋いで置いているのだがそれが見つからない。あぁそうだ。ここだとサイドテーブルにコンセントがあるからそっちに置くようにしたんだっけ。分かってはいるのに二週間経っても長年染み付いた癖は抜けない。

アラームを止めスプリングに弾みをつけてベッドから立ち上がる。部屋のカーテンを開ければ都内が一望でき、改めてここが高層階マンションなのだと自覚する。景色はいいが窓を開け放てないのは個人的には少し残念。
部屋を出てリビングに向かえばモデルルームさながらの対面キッチンが出迎える。一人暮らしにしては大き過ぎる観音開きの冷蔵庫を開け昨日買った食材を取り出した。大きいとは言ったがあの人の食事量を考えたら丁度いいのかと一人納得をし料理を作り始める。

朝食べる物に拘りはないらしい。でも昨日はクロワッサンを買ってきていたので洋食を作ることにした。
サラダにスープ、オムレツと、買ってきたフルーツも切ってヨーグルトに添える。また同じようなメニューになってしまった。料理はできるがバリエーションに乏しいのでどうか許してもらいたい。

クロワッサンをトースターに入れてコーヒーメーカーに水と専用カプセルをセットする。コーヒーは豆から引く派かと思っていたが意外にも手間は掛けないらしい。それにこれなら種類も選べるから個人的には嬉しかった。ブレンドとカフェラテを用意して私はリビングを出た。

自分の部屋を通り過ぎその隣の部屋をノックする。返事は返ってきたが一向に出てくる気配はないので声を掛けて部屋に入った。
部屋の中央のクイーンベッド。その上の丸い膨らみを揺すりお決まりとなった言葉を口にする。

「九井さん、朝ですよ」

ここまでが最近の朝のルーティーンであった。
家が燃え、住むところがなくなった私は九井さんの家に居候させてもらっている。さすがにそれは悪いと思ったが身寄りもないし手続きが終わるまでは一文無しでもあったため有難くその申し出を受けさせて頂いた。

一度来たことはあったもののあの時は室内を見て回る余裕もなかった。でも改めて案内された家は想像以上に広かった。リビングはもちろん、お風呂も部屋も一つ一つが広い。クローゼットなんか私が前住んでた部屋くらいの広さがあった。思わず「部屋はここでいいです」と言ってしまったくらいだ。しかしまぁそうなるわけでもなく九井さんの隣の空き部屋を使わせてもらうことになった。

私としては部屋を借りる手筈が揃ったらすぐにでも出ていくつもりだったのだが、次の日にはベッドやら棚などの家具が運び入れられていてめちゃくちゃ驚いた。そして燃えた分の服も再び買ってもらえば、さすがの私も頭が上がらなくなってしまう。
ということで今できる恩返しを考えた結果、家事全般を行うことにした。

「……おう」

起きがけの九井さんはめちゃくちゃ目つきが悪い。でもちょっと可愛いとも思う。細目をさらに細めるからキツネみたいだ。だからそれを初めて見た時は思わず「朝からチベスナのモノマネしないでくださいよ」なんて言っちゃったよね。そしたら思いっきり顔面に枕を投げられたので二度と言わないようになったけど。

「これ美味い」

二人で使うには広すぎるダイニングテーブルには朝食とは思えない量の皿が並べられている。その四分の三は九井さんの分で、私は自分用の一人前のサラダに手をつけた。

「どれですか?」
「サラダ」
「えっあったもの千切っただけですけど」
「ちげぇよドレッシングの話だ」
「あーその辺にあったもの適当に混ぜました」

自炊するのかしないのか。九井さんの家には色々な調味料がある。KA◯DIもびっくりのラインナップだ。おおよそ英語の説明書きがなされたそれを混ぜ合わせるのが最近のマイブームだったりする。

「昨日のスープも美味かった。これも美味いけど」

次はシチュー皿に入れられたスープを飲んでそう言った。悪いがレシピなしで作っているので昨日は何を作ったかすらあまり覚えていない。

「どんなのでしたっけ」
「牛乳の」

あー……クラムチャウダー作ろうとしたくせにアサリがないことに気付いて路線変更したスープだ。あの時は何も言われなかったから不味いと思われていたが美味しかったのか。

「カブとか玉ねぎ入ってたやつですか?」
「おう。よく分からねぇスープだったが美味かった」

うん、私もよく分からないなと思いながら作ってた。でも美味しかったのなら何より。
そしてここで過ごして分かったが、九井さんは私の作ったものを割と褒めてくれる。初めに料理をすると私が言い出した時は「無理しなくていいぞ」なんてやや馬鹿にしたような態度を取られたが二言目には「明日も作れ」になった。家庭料理に飢えてるだけかと思いきや、それ以降は毎回感想を述べては美味いと言ってくれる。
父子家庭において身に付けた程度の料理センスであるがまさかこんなところで役に立つとは。その事実を九井さんにも伝えれば「あぁ……服のセンスもそっちに吸収されたんだな」と哀れみの目を向けられた。一言余計だった。

「ご馳走さん」
「お粗末様でした」

完食されたお皿を見るのは清々しい。ここまで綺麗に食べてくれるとなると私だって嬉しかった。そのため料理は今も率先して行っている。
九井さんは仕事だが私は休みの為、洗濯機を回しつつ食器を片付ける。そういえば昨日、燃えたアパートの大家さんから保険料の振込の連絡があった。まとまったお金も手に入ったし、そろそろ本格的に物件探しをしなければ。

「じゃあ行ってくる」
「はーい」

食器洗い終わる頃に再び九井さんがリビングに顔を出した。今日は二十時くらいに帰ってくるらしい。じゃあ夕飯は家で食べるのかなぁとぼんやり考えていたら「和食が食べたい」と先に言われた。

「和食?この家のIHに魚焼きグリルは付いてないし揚げ物用の鍋もないので煮物くらいしかできないんですけど」
「十分じゃねぇか」
「自分の食べる量分かって言ってます?」
「なら買うか。今日着くようにしとっから」
「えぇー……」

それなら外で食べてきた方がいいのでは?でもそれを伝える前にスマホを操作し始めたので無駄だと分かり黙っておいた。まぁ九井さんは美味しそうに食べてくれて作りがいもあるからいっか。
九井さんが玄関に歩き出したのでその後ろを着いていく。それなら夕飯は何にしようかと悩ませていればおでこを打つけた。突然立ち止まられたので思いっきり頭突きをしてしまった。忘れ物だろうか。

「オマエ、律儀だよな」
「何がです?」

一度振り返り目が合うもまた玄関に向かい歩き出す。
そして靴を履くため鞄を床に置こうとしたのでそれを受け取った。

「そういうとこだよ」
「はい?」
「わざわざ見送りに来るとことか鞄とか」

それはおそらく家庭環境が影響しているのだと思う。
私の父親は亭主関白タイプではなかったが割と依存症のきらいがあった。今思えばそんなところに嫌気が差して母親も浮気したように思える。母がいなくなればその対象は私に代わり、目が届く範囲に私がいないと不安になるようになった。さすがに学校やバイト先に顔を出すことはなかったが出迎えは義務に近かったのだ。

「すみません、ウザかったですか?」

だから見送りも同じだった。そして一人暮らしの期間はあれど、それは薄れずに身体に染み付いていた。つい九井さんにも同じ事をしてしまったけれど、不快に思われただろうか。

「別に……いいんじゃね」

いいんだ。じゃあ何故わざわざ言ったのか。
その疑問は解消されぬまま、靴が履けたので鞄を渡した。

「変なとこ行くなよ」
「スーパーと河原くらいしか行きませんよ」
「何で河原行くんだよ」
「え?夕飯は天ぷらもするんですよね?」
「まさか食材調達のつもりか……?」
「そうですけど」
「金は払うからスーパーで買え」
「タダで手に入る物にお金払うのも馬鹿らしくないですか?」
「バカはオマエだ。これ使え」

そう言ってカードを渡される。色は当然の如くブラックだ。

「そういう問題では……」
「夕飯ちゃんと用意しとけよ」
「分かりましたよ。いってらっしゃい」

ひらひらと手を振れば、ドアの外で一瞬九井さんの動きが止まった。そして「いってきます」と不器用に言って扉が静かに閉められた。
なんだか物凄く平和だ。それでいてすごく居心地がいい。思えば、こんなにも心が穏やかなのは物心ついて初めてなのかもしれない。

そして、こんな日が続けばいいなと夢見るほどに最近の私は九井さんに依存していた。これも父親の血か。そうなりたくはないんだけどな。
リビングに戻り自分のスマホを手に取った。
それは物件探しのためではなく夕飯の献立を決めるためだった。
比較的穏やかな日常が続いていた。九井さんの隣は居心地がいい。

だから私はすっかり忘れていたのだ。
ここが日本最大の犯罪組織梵天≠ナあり、反社会的勢力の塊であるということを。



「チンタラ走ってんじゃねぇぞ!アイツらより先にテメェの脳天撃ち抜いてやろうかぁ⁈」

九井さんは外で仕事があるとのことで久しぶりに一人でアジトを出た。すると数メートルほど歩いたところで背後から体を拘束され車に引きずり込まれたのだ。その犯人はもちろん私の隣で部下に怒鳴り散らしているピンク髪の男である。

「お願いですから普通に声掛けてくださいよ……」
「あ?そしたらオマエ逃げんだろ」

今日の春千夜さんは随分と機嫌が悪い。同じ車内にいる部下の方達には同情すら覚えた。

「私は今から何をさせられるのでしょうか?」

流石に今の春千夜さんに文句を言う勇気もないので自ら話を振る。何も知らずにいるよりは少しは現状を知っておきたい。

「ブローカーからブツ取ってくるだけぇ簡単だろ?」

そうなんですね。じゃあなんでリボルバーの銃弾数チェックしてるんですか?しかしそんなことももちろん聞けず、二つ返事で頷いた。



しばらくすると倉庫街で車が停められた。ここからは私一人で行くらしい。指定された場所へ向かえばそれらしき男がいたので話しかける。「赤は?」と聞かれたので「夜が明ける世界の色」と予め教えてもらった合言葉を答えた。

「まいど」

やや重みのある紙袋が投げられる。歪な形から恐らく拳銃の類であると予想できた。怖いので中は見ないがこれで終わりなら本当に簡単な仕事だった。

「ッあああああ!」

——そう安堵しかけた時だった。雷が落ちたような大きな音が聞こえ、目の前の男の体がぐらりと傾く。足元を見れば赤い水滴が靴に跳ねており、僅かに硝煙の匂いもした。

「みぃっけ!」

太腿を打たれたのか男は地面に倒れこみのた打ち回っている。そこへ軽快な足音を響かせ現れたのは春千夜さんだった。

「さ、三途さん⁉なんでここにっ……⁉」
「ラットの臭いがしてよぉテメェだったか裏切り者はよ!」
「ガッ⁉」

春千夜さんの蹴りが男の腹に入る。そうしてもう一度銃が発砲され、その銃弾は肩と背中を撃ち抜いた。人間の口から発せられた声とは思えないほどの叫びが耳に痛いくらいに刺さる。

「楽に死なせてやらねぇよぉどうせ他にもいんだろ裏切り者。全部吐いてもらうぜ。おいオマエら連れてけ」

春千夜さんの部下である人達が男を拘束して連れていく。確か近くには梵天所有の倉庫があったはずだ。
 
「オマエはもう帰っていい、ご苦労さん」

呆然と立ち尽くしていた私に春千夜さんはそう言い放った。その機嫌はいいのか悪いのか。でも相手のご機嫌を伺う前に彼を呼び止めた。私の興味はある一点に集中していたのだ。

「さっきの人ってどうなるんですか?」
「あ?んなモン決まってんだろ」

振り返った春千夜さんはそれはそれは愛おしい物を見るかのような優しい笑みを浮かべていた。しかし翡翠の瞳の裏にはドロリとした感情が沈んでいる。

「スクラップで魚の餌ぁ♡」

梵天とはそういう組織だった。



確かに梵天は賭博、詐欺、売春、殺人と何でもやると言うけれど私は理解出来ていなかったのだと思う。春千夜さんは勿論、私を揶揄う蘭さんも、バイクに乗せてくれる竜胆さんも、そして九井さんもきっと誰かは殺してるんだ。

その日は私の方が先に仕事を終え、家で夕飯の準備をしていた。
最近の九井さんはお疲れのようなので消化によさそうなものを作っていく。鶏肉と大根の煮物、湯豆腐、ほうれん草のお浸し、紅白なますにキノコ雑炊。料理を作っているときは他のことを考えなくて済むからいい。だから私は黙々と手だけを動かしていた。

粗方作り終えたところで電話が鳴った。九井さんからだろうと火を止め急いでスマホを手に取れば相手はイヌピーだった。電話だなんて珍しい。

「もしもし」
『オレだけど、急にごめん』
「私は大丈夫だよ。どうかした?」
『いや……久しぶりに声聞きたくて』

そういえば家が火事になった連絡をしてからはイヌピーとはほとんど連絡を取っていなかった。私自身も確かに自分のことで手いっぱいで、そしてイヌピーもその経験者からか私が大変なことを知って気を使ってくれていたのだと思う。だからメッセージのやり取りすらなく、話すのも実に一ヵ月振りだった。

「心配かけてごめんね。今は大分落ち着いて普通の生活に戻り始めてるよ」
『よかった。住むところも決まった?』
「あーそれは……まだ職場の人のところにお世話になってるんだ」
『もしよければ不動産会社の知り合いがいるから紹介するけど』

そうだ、家探さなきゃ。九井さんは良い人で、それに他の梵天の皆だって私に酷いことはしない。でもそれは私に利用価値がある人間だからで、もしその価値がなくなったり組織の秘密を漏らしさえすれば容易に殺されるだろう。

「そう、だよね……早く家見つけないと」
『なんかあった?』
「ううん、いつまでも周りに甘えてちゃいけないなと思ってさ」
『いや、そういう意味で言ったんじゃねぇけど。それにキミは人に甘えるの下手でしょ?』
「え?」

電話越しでもイヌピーが今どんな表情をしているのか分かった。
私の発言の後、一拍の間をおいて彼の言葉が続けられる。

『偶に無理してるなって思う時あるよ』
「そんなことは……」
『それが悪いって言ってんじゃねぇけどオレで良ければ話くらい聞く』

無理してるつもりはない。でもふとした時に思う。誰か私の気持ちに気付いて、と。

「イヌピー、会いたい」
『すぐ行く』

スマホを切れば不在着信が一件入っていた。そしてメッセージも届いており『もう帰る』の文章に続いて『オマエが言ってたケーキも買ったわ』とあった。あぁ、そういえば昨日そんな話をしたね。
嬉しいな。嬉しいけど、私が今欲しいのはケーキじゃない。



イヌピーって割とぶっ飛んでる。いきなり会いたいと言ったのは私の方だけど海にまで連れて来られた。イヌピーも私との話よく覚えてたね。

「寒くない?」
「うん。上着もちゃんと着て来たし」

ここに来るまでこれといった会話はなかった。でもすっかり耳に慣れたRZ350のエンジン音が心地よくて、それだけで大分心が晴れたように思えた。

「ベタだけど海って好きなんだ。世界から見たら自分なんてちっぽけな人間だって気付かされる」

階段を降りて砂に足をつける。靴が沈む感覚は面白い。そのまま二人で海の方へと足を進める。

「そうすると少しだけ悩みが軽くなる気がする」
「今日はロマンティストイヌピーですか?」
「…………」
「あーっ!痛いって!」

無言で頬を抓られたが前回よりは手加減してくれたらしい。引っ張るというよりは摘ままれて、でも直ぐに手は離された。
寄せては引いていく波の音は夜の浜辺に良く響く。波と砂浜の境界線を靴が濡れることも構わず歩いた。イヌピーには「危ないぞ」と注意されたが今夜は海も穏やかなので問題ない。そう答えれば、そっと手を取られた。どうやら支えてくれるらしい。

「子供扱いしないでよ」
「違うよ。キミは割と危なっかしいから」
「そう?」
「しっかり見とかないと全部自分で抱え込む」

そういえば電話で意味深なことを言ったのにイヌピーから話題を振ってくることはなった。私から言うのを待ってくれているのだろうか。その気持ちが会話の節々から伝わってくる。

「……イヌピーはさ、自分のよく知る人が悪い人だったらどうする?」
「悪い人って?」
「公には言えないようなことをしてる人」

流石に犯罪や殺人を匂わすことは言えないのでややぼかした表現をする。
イヌピーは私の隣をゆっくりと歩く。彼の手を握っている私もまた同じ速度で歩いた。

「その人が自分にとって大切な人ならオレは信じたいかな」
「ふぅん」

私は犯罪組織に染まり過ぎてしまったのだろうか。
その言葉を聞いても綺麗事としか思えなかった。

「実はオレさ、昔年少入ってたんだ。当時いたチームがゆすり、強盗、クスリのなんでもありなところで。そこに見事に染まっちまった」

でもイヌピーは私が思っているよりも『綺麗な人』ではなかったらしい。彼は空に瞬く小さな星を見ながら続けた。

「でもそんなオレを待っててくれた奴がいるんだ。そんで、ソイツはオレの我儘にも付き合ってくれた」
「我儘って?」
「オレの憧れたチームの復活。オレもソイツもその為に随分汚いことやったけど、それでも信頼した人間を傷付けることはしなかった」

私は九井さんに信頼されているのだろうか。でも、自惚れでなければ信頼されているのだと思う。そうでなければきっと家に置いてくれていない。

「ソイツ、」

イヌピーが立ち止まったので私も足を止める。
波音をBGMに彼と目が合った。

「九井一って言うんだけど少なくとも自分の懐にいる人間には優しいよ」

やっぱりイヌピーは気付いてたんだね。でも、私にはそれを言わないんだ。
依存と信頼は紙一重だ。信じた上で頼りにしなければそれはただの依存になる。依存という言葉に過敏な私はいつしか人を信じるということもしなくなってしまったらしい。でも、大切な人であるなら信じてみようと思った。

「ありがとイヌピー」
「ん」
「あとさ、イヌピーが年少に入ってたとしても私は怖いとか思わないよ」

その勇気をくれた彼をどうして怖いと思おうか。きっとイヌピーは私の人生において初めて信頼ができた人だ。

「よかった。キミに嫌われたくはないからさ」
「今日は一段と男前だね」
「ハイハイ」

波打ち際を離れても繋がれたままの手。
そのぬくもりが心地よかったことを、私はまだ気付かない。

◇ ◇ ◇

いつもオレの隣にはココがいた。ココとは所謂幼馴染で、学校へ行くのも遊ぶのもいつも一緒だった。 ある日オレが新しいゲームを買ってもらって、じゃあうちでやるかーってなって。それで初めてココと姉さんが顔を合わせた。

『青宗のお友達?』
『こ、九井一です…!』
『じゃあ一くんだ。よろしくね』

恋愛に疎いオレでも流石に分かる。その瞬間、ココは赤音に惚れた。
そうして暫くはココから質問攻めの日々が続いた。赤音の誕生日は?好きな食べ物は?今ハマっているものは?欲しいものはあるか?……オレといてもほぼ赤音の話。つまんね。

オレと帰っていても、帰り路で赤音に会えば一緒に図書館へと行ってしまう。別にいいけどもう少しオレと遊んでくれてもいいじゃん。
オレとココの関係ってなんだろう、とふと考える時がある。幼馴染、友達、仲間、相棒……しっくりくるようでしっくりこない。
でも、その答えはあの日に分かってしまった。

『オレは赤音じゃない。青宗だ』

頭の左側がじくじくと痛む。熱い。ココの声だけが耳に届いた。目も痛くて、でも一粒の涙を落として無理やり開けた。そしてオレは霞む視界で見てしまった。

なんだよその顔。「間違えた」って顔すんなよ。
おかしいなぁ。オレの方が先にココに会ったのに、ココの中の優先順位は赤音の方が上だった。出会った順序も過ごした時間も、それが全てイコールになって関係性に結びつくわけじゃない。でもオレにとってココはやっぱり幼馴染で、友達で、仲間で、相棒だったんだ。
だけどそれはオレだけが一方的に抱いていた関係性だった。ココにとってオレはW好きな人の弟Wだった。

『四千万、死んでも俺が作ってやる』

それからココは変わった。赤音の治療費を稼ぐのだと、犯罪に手を染め金を稼いだ。
だが金が集まる前に赤音は息を引き取った。その時のココはとてもじゃないが目も当てられなかった。廃人同然で眠れてもなければ飯も食えていないようだった。そんなココに声を掛けたくてもオレはできなかった。だってオレは『間違えられた方』だったから。

ちょうどココと距離を取り始めた頃、オレはある人に夢中になっていた。それは小さなバイクショップの店主である真一郎クンだった。そこにはキラッキラにかっけーバイクが並んでてその奥の場所で真一郎クンはバイクを弄ってて。ガキのオレなんかにも傍でその作業を見せてくれた。訪ねてくる人達もギラついててかっこよくて、でもそんな人たちも真一郎クンの前では礼儀正しい。今でもオレのヒーローだ。

真一郎クンの創った黒龍に憧れた。だから年がきて直ぐにそのチームに入った。
でもすでにそこはオレが憧れていたものとは似ても似つかぬチームになっていた。初代の志は影も形もなく、オレもいつしかそこに染まっていた。そして年少に入り、出てきたときには黒龍すらなくなっていた。

このまま黒龍を途絶えさせるわけにはいかねぇ。
どうにかしなければ、頼れる奴は——

『出所が特攻服って!相変わらずぶっ飛んでんな』

細々と続いていたココとの関係。それが再び濃くなったのはこれがキッカケだった。ココの伝手を頼り、そしてココの財力を武器に再び黒龍を復活させようとした。
なぁココ。オレ、本当はあの時起きてたんだぜ?図書館で赤音の名前呼んでキスしたろ。
ココがオレに赤音の姿を重ねていることには気づいていた。だからオレはそれを利用した。事実、ココはオレの言うことを何でも聞いた。大寿が負けてオレが花垣の下に着くと言ったときも何も言わずについてきた。

『俺に近づく奴ぁみんなシンプルだ、金!』
『オマエだってそうだろう?——黒龍再建のためにオレを散々利用したじゃねぇかよ』

そしてココ奪還のために出向いた横浜天竺との全面戦争。
そこで知った。オレが気付いていたようにココも気付いていたということを。

『ココ!赤音はもう——』
『赤音さん…今のオレ見たらそんな顔で怒ってくれたのかな?』

それ以上何も言えなかった。
だってオレは赤音じゃなくて青宗だから。

『俺は俺の道をゆく——じゃあな…』
『今までありがとな』

呆気ない別れ。
オレ達の関係っていったい何だったんだろうな。



それからは顔も合わせていない。
でも数年経って悪い噂を耳にした。東京卍會、初代総長である佐野万次郎率いる梵天という組織にいるのだと。
いよいよココが遠い存在になった。でもまさか、彼女との出会いをキッカケに再び顔を合わせることになるとは。

「よぉ、イヌピー」
「ココじゃん」

十二年振りの再会は実に淡白で感動も喜びもあったもんじゃない。
何故ならその出会いはあまりにも突然で、しかし必然だったからだ。
prev next
novel top