必然的な再会
中肉中背、丸顔の黒髪。顔立ちにこれといった特徴もなく「あ〜同級生に似たような子いたわ」と八割くらいの人に言われそうな平均的な日本人顔をしている。しかし素朴な見た目とは裏腹にツーリングが趣味の活発な女性だったらしい。彼女の未来にはこれからもきっと楽しいことがたくさんあっただろう。だがそんな未来が訪れることはなく、彼女は二十二歳という若さでバイク事故に遭い命を落とした——その
「すみません、ご一緒していいですか?」
二時間を超える新幹線での移動を終え、喫茶店で休んでいるときだった。
通りに面した席に座り窓ガラス越しに、東京の方がやっぱり人が多いなぁなんて思いながらカフェオレの入ったカップを傾けていた。そんな私を見下ろすように声を掛けて来た男が一人。
「他にも席は空いていますよ」
「知り合いを待っていて窓際の方が都合がいいんです」
「では私が退きます」
「すぐに出るのでお構いなく」
私の返事を待たずして向かいの席に腰を下ろす。色白の彼の鼻先はほんの少し赤く、外の寒さが窺える。着ていたコートを脱ぎ縦半分に折って隣の椅子の背に引っ掛けた。店員を呼び留めホットコーヒーを一つ。「おかわり頼みますか?」という問いには首を横に振った。
「旅行ですか?」
メニューを戻し私へと視線を向ける。それから逃げるように店内のテーブル席へと顔を向ければ二人組の女性客がこちらを見ていた。それもそうだ。目の前に座った男はモデルと言ってもいいくらい抜群に容姿が整っていたから。
「まぁそんなところです」
「滞在期間は?」
「今日中には帰ります」
「俺に見覚えはありますか?」
「ないですね」
「本当?一年前くらいに会った気がするんだけどな」
投げかけられる質問には淡々と答えていく。そうして私のカップの中身が残り半分ほどになった頃、彼のコーヒーが運ばれた。カップは白い湯気を揺らしながら持ち上げられ、黒く長い前髪を湿らせた——その見た目はあの頃から何一つ変わっていなかった。と言っても会ったのはあの一度きりだけれど。
「どなたかと間違えていませんか?」
「そんなことないよ」
「それか新手のナンパか」
「そしたら偶然を装ってもっと上手くやる」
テーブルに腕を置き、その上で頬杖をついてこちらを見る。これ以上の会話は無意味だ。それは彼の中ではすでに答えが出ていて、こちらはその答え合わせに付き合っているだけにすぎないのだから。
「そうだね。でも吉田君くらいかっこいい人に声を掛けられたら警戒しちゃうかな」
彼を誤魔化すために皮の悪魔と契約したというのに、あっさり見破られてしまった。だから観念して外見を元の容姿へと戻す。人の目もあるけれど公安の手帳を出せば何とでも言い訳はできる。
「久しぶり。元気そうだね」
案の定、吉田君は驚くこともなくやや目を細めてそう言った。そうして頬杖をやめてコーヒーをひと口飲む。テーブルの下で脚を組んだのか体が一瞬傾いて、そして大きな背が椅子に預けらた。
「吉田君も相変わらずだね。でもどうして分かったの?」
「また会えると思ってたから」
「それ答えになってないよ」
突然の再会は実に穏やかなものだった。吉田君が再び手元のカップを傾けたので釣られるように自分もカフェオレを口に含む。すっかり冷めたそれは静かに食道に流れていった。
「俺のせいで京都に行かされたって聞いて責任感じてたんだ」
「それよりもっと大きなこと仕出かしたよね」
「その件に関してはあばら二本で許してもらえない?」
「えっ本当に折れてたんだ」
「あの人俺に対して容赦ないから。まぁ本気でやられてたらその程度ではすまなかったと思うからある程度は加減してくれてたみたいだけど」
岸辺さんとは京都に行った後も細々と連絡は取り合っていた。しかし吉田君のことを話してくれたことは一度もない。そして私も聞かなかったから彼の状況は全く知らなかった。
「東京に戻ってきたの?」
「ううん。日帰りで来ただけ」
「でも旅行ってわけじゃないだろう?」
「旅行みたいなものだよ。行きたいところがあるんだ」
カフェラテを飲み干して立ち上がる。コートを着てバッグを持ち、先に財布を取り出しておく。そして二枚分の伝票へと手を伸ばせば、それは指先に触れる前に目の前から消えた。
「俺も付き合うよ」
「待ち合わせをしてるんじゃないの?」
「その相手はキミさ」
吉田君は自分の上着を腕に掛けそのままレジへと歩いていく。でもその後を追いかけて伝票を奪い返した。そして五千円札と一緒に受け皿へと置く。
「これでコロッケ代は返したからね」
何か言われる前に先手を打てばしばらくはこちらを無言で見つめていて。
そして思い出したように小さく笑っていた。
どこまでも続く十字架。等間隔で立てられたそれは空から見るとどのような光景なのだろうか。木々がうねる様子を波と例え樹海と呼んだなら、この直線は例えるまでもない面白みのない光景か。
「ここがマキマさんの死んだ場所」
この墓場の真ん中でマキマさんがチェンソーマンに殺された。しかし私の目の前に立つ十字架の下でマキマさんが眠っているわけではない。支配の悪魔であった彼女は秘密裏に処理されたそうだ。
「そうみたいだね」
付き合う、と言った吉田君を私は追い返さなかった。まぁ追い返したとしてもそれっぽい理由を付けて着いてきたのだろう。だから諦めて共にタクシーに乗り込んだ。
「失礼します」
顏も知らぬ相手に断りを入れ土を踏む。そしてその場にしゃがみ、十字架に背を預けて空を見た。透き通るような水色の中に白い雲が溶けている。
「何してるの?」
「マキマさんが最期に見た景色を見てる」
ふぅん、と興味のなさそうな相槌を打ちながら吉田君も私の隣に腰を下ろした。彼の場合は土の下で眠る死者へ断わりもしなかった。この人には罪悪感というものはないのだろうか。しかし、この行為は私の自己満足と言うだけで死人が眠る上に座ってしまえば同罪だった。
「あの人にこんな綺麗な景色は見えてなかったと思うよ。そもそもあの人が見ていたものはチェンソーマンだけさ。公安の連中もチェンソーマンになれるデンジ君もオメガであるキミも、あの人にとってはただのイヌだ。そこに関心も興味も愛情もない」
まぁ本物のイヌは可愛がってたみたいだけどね、と淡々と続ける吉田君の瞳には何も映っていなかった。そういえばマキマさんの瞳もいつも波紋が広がっているだけだったな。唯一、そこに写り込むことが出来たのはきっとチェンソーマンだけだ。
「随分とはっきり言うね」
マキマさんに利用されていることくらい知っていた。それでも私の居場所を作ってくれて、その時一番欲しかった言葉を与えてくれた。彼女がアルファだからじゃない。本気で好きになって心の底から番になりたいって思っていた。
「まだ未練があるようだからね。だから敢えてもっと分かりやすく言うよ、キミは『支配の悪魔』に支配されていただけだ」
そうだろうね。この気持ちだけは本物だった、なんて言い返せたらよかったんだけどこの世にそんな綺麗事は存在しない。心も気持ちも、それは人間が概念を言葉で表現した名辞にすぎない。脳を支配してしまえばその感情もただ幻想だ。
「吉田君の言う通り私はマキマさんに飼われるイヌの一匹だっただろうね。でも幸せだった」
彼女はたくさんの人を殺したし、やろうとしていたことは正義の皮を被った大量虐殺。しかしその事実を知っても尚、そして支配から解かれた後も恨むような気持ちにはならなかった。
「馬鹿だねアンタ」
「そう言われても仕方ないかな。でもこれもオメガの本能なのかも」
差別を嫌っていたはずなのに、そう納得しようとする自分がいる。その考えに思わず苦笑してしまった。社会的強者に従っていた方が楽なのだと、今になって気付いてしまったのだ。生きる意味も目的も失った。この場所でマキマさんと逝けた方が寧ろ幸せだったのではないかと馬鹿げた妄想までできてしまう。
そう思いを馳せ空を見上げていたらフッ、と影が落ちた。
「……まって。今何しようとしたの?」
顏と顔の隙間に手を滑り込ませ吉田君の口元を覆った。相手を防げるくらいにはゆっくりと顔が近付けられたのだ。
「襲おうとした」
「盛りの付いたイヌでももう少し理性はあると思うの」
「喉を狙わずキスから始めようとしたことを褒めてもらいたいくらいなんだけどな」
「襲おうとした時点でアウトだよ。とりあえず、離れて」
私がそう言えば吉田君はゆっくりと離れてくれた。もちろん抑制剤は打っている。だからフェロモンに惑わされて起こした行動ではないはずだ。しかし、喫茶店で声を掛けられたことと言い、疑念は残る。だから警戒の意を込めて立ち上がった。
「もう帰るの?もう少し話そうよ」
「会話をする気がないのはそっちでしょ」
「まぁ落ち着きなよ。これはキミの為でもある」
吉田君は座ったまま私を見上げていた。誠実とは言えないがその様子にもう少しくらい話を聞いてみてもいいかという感情が生まれる。その真意が読み取れたのか、吉田君の口角も上がった。
「それはどういう意味?」
「あの人を失った今、キミは人生と言う名の路頭に迷っている。そしてフリーのオメガの危険性は身をもってよく知っているだろ。だったらその二つを解消するために番関係になるのが一番いいと思ったんだ」
さも名案を思い付いたかのように大袈裟に説く。確かに今の私の状況を踏まえたらそれは最善の策のように思える。だけど私にだってそれなりのプライドがある。
「嫌だよ。それこそオメガとしてずっと飼われるようなものでしょ」
「飼われるだなんて人聞きが悪いな。キミが欲しいものはなるべく買い揃えるようにするし一人で外出してくれて構わない。それに番になればフェロモンを発さなくなるわけだから他のアルファや悪魔にだって襲われる危険もなくなる。キミにとってメリットしかないだろう?」
簡単に言ってくれるがそれはアルファから見た場合の意見でしかない。確かに番になれば私が襲われる危険は減るし、この関係もどちらかが死ぬまで解除されないと言われている。しかしアルファの都合で一方的に番関係を解除されるケースはある。その時、オメガは強いストレスを受け、またオメガは一度しか番を作れない体質から心労に耐え兼ね、早死にすると言われている。
「じゃあ吉田君にとってのメリットって何?性欲を発散させるだけなら私でなくてもいでしょ。フェロモンに当てられて思考が鈍ってるだけで私の事が好きなわけでもない」
「確かにキミの言うことは一理ある。でも愛なんていう感情論で口説くよりこっちのほうが現実的だろ。俺は本能的にキミを求めてるんだ」
「じゃあやっぱり嫌。マキマさんのことは置いといて、次に好きになる人はちゃんと自分で選びたい」
「そんなの番になったら俺の事しか考えられなくなるよ」
「結果じゃなくて過程の話!」
「あー女の人ってそうだよね。どこで出会ったのか、告白の言葉は何だったのか、付き合って何ヵ月でヤッたか、互いに報告し合ってマウントの取り合いをする。それで記念日はお祝いしないと怒るんだ」
「いや、それはなんか微妙に違う……」
えらく具体的な話を聞いてしまったが言いたいことはそうではない。ここは彼の言う通り感情論ではなく現実的な話をした方がいいかもしれない。
私は膝を曲げて吉田君の目の前に座った。大きな瞳をさらに見開かせて意外そうな表情を向けられる。気を許したわけではないけれど吉田君のことはそれなりに信用している。
「吉田君が私の喉に噛み付こうとしたら多分殺しちゃうと思う」
「なにその可愛い脅し」
「本当だって」
腕と脚の力を抜いて目を瞑る。十字架のみが立てられたこの地に疾風が駆け抜けた。
「えっ」という短い声を聞き、薄っすらと目を開ける。私達の目の前には体長が三メートルほどの白い毛をしたオオカミがいた。しかしその額にはもう一つ目が付いている。
「この狼の悪魔は私に危害を及ぼすような者を殺すよう契約されている」
「随分とおかしな言い方をするね。その悪魔と契約をしているのはキミだろう?」
「私もつい最近までそう思ってた。でもこの悪魔と契約してるのは私じゃない……私の両親が命と引き換えに契約をした悪魔なんだよ」
集落の人達から嫌われるだけならまだしも悪魔から私を守るのは無理だと思ったのだろう。だから自分たちの命と引き換えに狼の悪魔と契約をした。オオカミが私の体に憑いているのもこの体を少しでも丈夫に、またいざとアルファに襲われた際に抵抗できるようにするためだ。
「そうか。だからキミの匂いも少し変わってたんだね」
「匂い?」
「抑制剤を打っていても近い距離にいればオメガ特有の甘い香りがするんだ。でもキミの場合は少し獣臭い」
「うそでしょ?!」
「でも嫌いな臭いではないよ」
それはちょっとショック……でも私が強くいられるのもこのオオカミのお陰だ。そのオオカミは絶賛私の膝の上で甘えるようにひっくり返っていた。撫でてあげたいところではあるがオオカミを外に出している間は悪魔の力を借りる腕と脚を動かすことが出来ない。
「オオカミにとっての最優先事項は私なんだと思う。だからマキマさんの支配からも逃れられた」
報告書を見る限り、マキマさんは人も悪魔も意のままに操ることが出来た。その能力の適応範囲は分からないが当時は公安で支配されていなかった者を見付けるのが難しかったほど。しかしマキマさんの二十九度目の死が観測されたときにも私には自我があった。
「それはあまりにもご都合主義な気がしなくもないな。でも二人分の命をかけての契約だ、その可能性は考えられる」
両親が残してくれたものを何故私は今まで忘れていたのだろうか。マキマさんがいなくなり、オオカミの姿を見てようやく思い出せたのだ。
「私への危害と言うのは悪魔からの攻撃だけとは限らない。アルファが噛み付こうとする行為もそれに該当すると思う」
オメガのフェロモンのせいもあるのかこの悪魔は随分と私に懐いている。その様子はオオカミよりもイヌといった具合だ。吉田君はその様子を見ながら黙り込んでしまった。しかし、不意に私の肩を掴んで引き寄せた。彼の視線の先には、私の喉。
「なるほど。確かにね」
私が倒れ込んだ先にあったものは、もふもふの毛皮だった。見た目は芯があって硬そうに見えるが意外にも肌触りがいい。ただそんな流暢な感想を述べている場合ではない。吉田君の手の甲からは赤い血が滴り落ちていた。オオカミの爪で切り裂かれたのだ。
「大丈夫?!」
牙を出しウWーウWー唸るオオカミを戻し吉田君の手を掴んだ。そこへポケットから取り出したハンカチを巻き付ける。縫うほどの深手ではないと思うがばい菌でも入り込んでいたら大変だ。
「もう帰ろう。すぐに病院で診てもらった方がいい」
「何でそんなに心配してくれるの?」
「目の前で血を流されたら心配くらいするでしょ」
傷口を固く結び腕を心臓よりも高く上げさせる。気休め程度ではあるがこれ以上の出血は防ぎたい。
「あの時もそうだったの?」
手を繋ぐ様にして立ち上がらせれば当の本人はお構いなしに別の話をする。一体何のことを言っているのかと記憶を辿る。吉田君とは過去一度しかあったことがないというのに何故だか思い出がたくさんあるように錯覚をしてしまうのだ。
「先生にあばら折られた時のこと?当然でしょ」
それはきっと、東京に来て初めて年相応なことを一緒に出来たからなのだと思う。悪魔を殺す以外の事を考えられた貴重な時間。その思い出が脳の中で増幅しているのだ。
「やっぱり馬鹿だよアンタ」
失礼な。ほら行くよ、とやや乱暴に腕を引っ張れば追い打ちするかのように笑われた。この人本当に失礼だな。