学生ごっこ
吉田君と再会して一ヵ月後——私は東京へと異動になった。
一瞬、吉田君が手を回した…?と疑ってしまったが民間にいる彼にそこまでの力はない。普通に考えるならば支配の悪魔の一件での人員不足。あの件でデビルハンターも悪魔もかなりの数が減ったからだ。
「もうバディと言っても過言ではないよね」
それからさらに二ヵ月経った今も人員不足だ。新年度になり新人が何名か入って来たが彼らをすぐに現場に出すことはできない。そのため民間と公安のデビルハンターが協力して任務にあたっている。そして私のその相手は毎度吉田君だったりする。それにはさすがに手を回されている気がして岸辺さんに探りを入れたこともあった。でも「強ぇ悪魔を引き寄せるお前に付けられる人間には限りがあんだよ」と正論で返されたので何も言えなかった。
「過言だよ。バディはあくまで公安のデビルハンターに適用される制度なんだから」
最後の一匹にとどめを刺す。現場は無人の倉庫だったため周囲に気を遣うこともなく全力で戦えた。それなりに数も多くくたびれたが吉田君がもつ蛸と相性が良くそこまで時間をかけずに駆除できた。
「そうか。じゃあバディの為に持って来た差し入れもキミにあげたら迷惑だよね」
倉庫の入口に立っている吉田君の元へと早足に向かう。これは決して物に釣られているわけではない。私が世間を知るための情報収集の一環だ。だから、決して、物に釣られて吉田君の元へ向かったわけではない。
「ガルボ、とは?」
「焼きガトーショコラをイメージしたチョコ菓子みたいよ」
「チョコバーじゃないの?」
「食べてみたら分かるんじゃないかな。食べたい?」
「………いです」
「ごめん、よく聞こえなかった」
「食べたいです」
「じゃああげる」
含みを持たせて箱を差し出される。受け取ったら彼の思惑通りになると分かりつつも、結局今回も受け取ってしまった。吉田君はこのようによく差し入れと称して色々な物を持って来てくれる。それはお洒落な焼き菓子だったり新商品のお菓子だったり。そして流行に疎い私は誘惑に負け毎度受け取ってしまう。
「吉田君は何でこんなに色々知ってるの?」
「学校に行くとそういう情報が勝手に耳に入ってくるんだ。そういえばキミは高校には行ってるの?」
「行ってないよ」
中学の義務教育ですらギリギリの出席日数で卒業した。そして当時は勉強よりも悪魔を殺した方が世の為、マキマさんの為という思考だったため進学はしなかった。ただ、今さら行くにしても正直ハードルが高い。
「もう勉強に着いて行ける気がしないんだよね。でも同い年の子とそういう話ができるのはちょっと羨ましいな」
オメガであることもデビルハンターであることも隠してしまえば私はW普通の女の子Wになれるだろうか。そしたら新作のお菓子を皆で食べたり、テレビドラマの話題で盛り上がったり、一緒に買い物に行けたりしただろうか。青い春の景色を見れただろうか。
「じゃあ俺としようか」
「何を?」
「キミが高校生でやりたい事全部」
倉庫から出て大通りへと向かう道すがらそう提案してきた。吉田君は時折突拍子もないことを言う。でもそれはきっとそこから分かる私の性格や情報を引き出すための手段に過ぎない。
「吉田君にとってつまらないことだと思うよ」
「聞いていないうちから決めつけないでもらいたいかな。どうせ休みの日は暇だろキミ」
「それこそ決めつけないでよ」
「じゃあ何してるの?」
「……部屋の掃除と惰眠」
「すごい。それは確かに大忙しだね」
うんうんと大袈裟に頷くその様子に、何故私は馬鹿正直に答えてしまったのかと後悔する。でも吉田君に嘘をついたところできっとすぐに見破られてしまう。そしてこの嘘もまた自分についた嘘でもあった。
「でも偶には出掛けるのもいいよね」
本当はちょっと楽しそうだなって思った。
「じゃあ決まり。次の休みは日曜日?」
「えーっと……この間休日出勤したから代わりに木曜が休みになったと思う」
「それなら木曜十六時、渋谷のハチ公前に集合ね」
その場所だけで、うわっ学生っぽい!と脳内ではしゃいでしまった私は我ながらチョロいと思った。
◇
想像よりも私は随分と浮かれていたらしい。学生っぽいことが出来るという話を聞いて制服を着てきてしまった。しかしこれは私の物ではなく公安の良くしてもらっている先輩から貸してもらったものだ。中学時代の制服もあるにはあるが身長も伸びてサイズが合わなくなっていた。だから、ちょっと学生気分を味わいたくて……と苦し紛れのお願いをして貸してもらった。
「キミ百合学の子だよね?スッゲェ可愛いね!」
そして浮かれた私は三十分前に待ち合わせ場所に来ていた。そわそわしながら何度も何度も全身を確認して、コスプレみたいになってないよね…?と自問自答を繰り返していた。でも多分大丈夫なはず。なんせ今この瞬間、借りた制服の学校の生徒に間違われているのだから。
「そう見えますか?」
「見える見える!俺が今まで出会った子の中で一番可愛いって!ねぇ今からおにーさんと出掛けない?」
いや、可愛いとかそういうのはどうでもいいんだけどな。大学生くらいに見える男は肩まで伸ばした金色の襟足を靡かせながらにこやかに言う。吉田君とはまた違った胡散臭さがある。そしてワックスか香水か、咽るような香りに気分が悪くなった。
「すみません、人を待っているので」
「お友達?それなら俺ももう一人呼ぶからさぁ四人で遊ぼうよ!」
「へぇ何して遊んでくれるんですか?」
「この時間ならとりまカラオケっしょ!んで夜になったらドライブとかどうよ?」
「それなら海に行きたいですね」
「あー海ね!海いいよねー……って、は?」
ぬっと男の後ろから現れたのは吉田君だった。目の前の男も決して身長が低いわけでもないのに吉田君が並ぶとネコとネズミくらいの差があるように見える。そして力関係を示すのならトンビとカエルに例えた方がいいかもしれない。
「知ってます?溺死って苦しいのは勿論なんですけど水中の死体って結構悲惨なんですよ。水分浸潤で皮膚がふやけて水中生物の蚕食痕や腐敗網ができるんです。それでそのまま腐敗が進むとひどく膨れ上がってね、体は倍以上に膨れて——」
「あっじゃあ俺はそろそろ行くわ!」
脱兎のごとく逃げ出した男に、吉田君を例えるならライオンの方が良かったかもしれないなという感想が浮かぶ。あっでもライオンってオスは狩りしないのか。じゃあやっぱり例えは意味がなかったなと完結させたところでトンビからの襲撃を受けた。
「悪魔殺せるんなら変な奴くらい追い払わないとダメでしょ」
撫でているのか叩いているのか絶妙に分からない力加減で頭を触られる。ごめん、と謝りつつも息がピッタリすぎて友達かと思ったと伝えれば「あんな奴と親しいわけないだろ」と返される。それはどちらかと言えば向こうさんの台詞では?とも思ったが吉田君の目が何かに気づいたように瞬きをしたから口を噤んだ。
「その制服どうしたの?」
「公安の先輩に貸してもらったの。吉田君が制服で来るなら私も合わせた方がいいかなって」
半分本当で半分嘘。しかしどちらにしろ私にとっては恥ずかしい理由だ。
「いいんじゃない、似合ってるしすごく可愛いよ」
「よかった」
「でもまたナンパされるだろうから俺からは絶対離れないでね」
「ナンパってなに?」
ナンバは大阪だけど。しかし言い間違いではなかったらしい。吉田君は五秒間微動だにせずこちらをじっと見て「絶対に、離れないでね」ともう一度言った。そんなに迷子の心配しなくたって吉田君は大きいからすぐに見つけられると思うんだけどな。
「じゃあ早速だけど何がしたいの?」
バッグを肩に掛け直した吉田君が小首を傾げる。都内の公立高校に通う彼はごく一般的な学ランを着ていた。しかし中身も外見も非常に大人びた彼が着るとミスマッチ感がすごい。見た目は子供頭脳は大人な名探偵には会ったことないけれど、三度の飯より酒と女とタバコが好きそうな見た目の男子高校生は実在するようだ。だがこれは決して悪口ではない。いちデビルハンターとして優秀だとは思っている。
「ここに書いてあることができたらと」
私より吉田君の方がコスプレしてるという安心感を覚え自信満々にノートの切れ端を見せる。何をしたいのか書き出していったらノート一冊分になってしまったので、その中から今日できそうなことをリストアップしてきた。
「ゲーセンで遊ぶ、ボーリングをする、クレープを食べる、タワレコに行く、ポップコーンを食べながら映画を見る……なるほど」
「どうかな?」
「時間的に全部は無理だね。優先順位はある?」
「えーっと、じゃあゲーセンとクレープと映画!」
「分かった。映画館のある施設にゲーセンもあったと思うからそこから行こうか」
この辺りにも詳しいようで助かる。それならとパーティーに加わったばかりの新参者よろしく後を着いて行こうと下がれば「どこ行くの?」と手を掴まれた。いやいや貴方の真後ろですけど。しかし二言目には「離れないでって言ったでしょ」と付け加えられて隣を歩くことになってしまった。彼は思いのほか寂しがり屋な性格なのだろうか。そんな吉田君にはゲーセンでぬいぐるみを取ってあげよう。もちろんやったことないけど。
人生初のUFOキャッチャーをして、生クリームがたっぷり乗ったクレープを食べた。なんだか夢のようだ。今までの暮らしからは想像が出来なくてまるで他の人の人生を疑似体験しているような感覚になる。でもそう感じる度に吉田君が話しかけて、手を引いてくれたからこれは夢なんかじゃないんだって、そう実感できた。
「映画って言ってたけど見たいものがあるの?」
「この映画が気になってるんだよね。秘密組織の二人が主人公って面白そうじゃない?」
「へぇ意外。てっきりこっちの映画を選ぶと思ってた」
最後の目的地である映画館の入り口前、吉田君は一枚のポスターを指差す。船の先端と男女の顔がアップされたそれは今話題のラブストーリー映画だった。
「悲劇は好きじゃないんだよね。ブラックジョークが利いた映画が好き。最近見たやつだと老婦人がうっかり殺した死体を処理するために料理として客に振舞うって映画が良かったかな。マキマさんもラストが良かったって言ってたし」
休みの日は映画館を梯子するほど映画を見るのが好きなマキマさん。それでも十本中一本くらいしか面白いものに出会えないという。そんな彼女を納得させることができた貴重な映画だ。
「キミたちはよく出掛けたりしてたの?」
「マキマさんは忙しかったから偶にだよ」
流行には疎いけど映画雑誌はよく買ってたな。それでマキマさんに面白そうなものを勧めてたりした。でも彼女曰く人の評価は当てにならないらしく映画は事前情報もなしに片っ端から見るような人だった。
「そろそろ行こうか」
「そうだね」
今から見る映画を見たらマキマさんは何て言うのだろうか。「画面は結構お金かけてそうだったけどなぁ」「音楽は良かったかな」「話が飛躍的過ぎ」これらの台詞を何度聞いたか分からない。でも彼女の「面白かった」の一言が聞きたくて映画を見に行くと言ったら一緒に着いて回ってたなぁ。
「この映画すごくよかったね」
「え?」
館内が徐々に明るくなっていく。目の前に広がる赤いシートには誰も座っておらず、この映画ってこんなに人気がないの?という疑問がまず浮かぶ。しかし記憶を辿る様に過去を遡ればそもそもシートに座った記憶もなかった。
「どうしたの?気分悪い?」
ヒナゲシの花弁のような透き通った髪が目の前で揺れる。そして吸い込まれるような波紋が広がる瞳と目が合った。斜め下から覗き込むように彼女はいて、桜色の唇に綺麗な弧を描き微笑んでいた。
「は?なっ、なんでマキマさんが?え?」
「なんでって一緒に映画を見たいって言ったのはキミでしょう?もしかして寝ぼけてる?」
「っ、やめて!」
ほっそりとした白い指先が触れようとした瞬間、叩き落とした。それはしっかりと私の手に当たり温度ももっていた。でも生きているとは思えない。だってマキマさんが本当に生きていたとしたら今頃日本は彼女に支配された操り人形だらけになっている。
「起きたんならいいよ。ほら次の映画が始まっちゃう」
照明がゆっくりと落ちていき目の前の画面がパッと明るくなる。戦争の映画だろうか、激しい機関銃の音がうるさかった。
視線を再び隣へと戻す。じっと真剣に画面を見つめているのは確かにマキマさんだった。そっと手を伸ばして頬に触れる。触れた。幽霊じゃない。でもこんなのあるわけない。
「マキマさんあの、」
「上映中だから後でね」
「はい……」
手を戻して再び前を向く。一人の兵士が地雷に脚をやられた男を必死に抱えて運んでいる。結局、負傷した男は亡くなったのか兵士が戦場のど真ん中で泣いていた。しかし感情は全くもって揺らがない。その後も映像は流れていたが私の頭には何一つ記憶に残らなかった。
「すごくいい映画たったね。思わず感動し、——これはどういう事かな?」
再び明るくなった館内、マキマさんが言い終わらないうちに首元にオオカミと化した爪先を押し付けた。白い首筋からツ、と一筋の血が流れる。しかし彼女は動揺するそぶりも見せずに眉一つ動かさなかった。
「悪魔が偉そうに語らないでくれる?」
『
「こんなつまらない映画じゃ何にも記憶に残らない、よ!」
肥大化させた腕を大きく振るえばマキマさんの体は綺麗に真っ二つになった。辺りは血に染まるが手に違和感が残る。殺せた気がしない。
『
のくせに活きがいい』
辺りの景色は変わらずに、映画館のスピーカーから声が響く。やはりここは悪魔が創り出した世界か、もしくはそいつの体の中か。しかしどちらにせよ状況は最悪だ。
『せっかくいい夢見させてから殺してあげようと思ったのに!』
再びマキマさんの形となった悪魔が襲い掛かってくる。殺しても、殺しても、何度も形をつくっては私の前に現れる。そしてその度に「可愛い顔が台無しだよ」「疲れてない?私が癒やしてあげる」「ほらおいで」と甘い言葉を囁いてくる。
「早くここから出して!」
『どうして?ここにいればずっと一緒に居られるよ』
「居たくない!」
『ふふっじゃあ言い方を変えようか、私の番にしてあげる』
「っ?!」
初めて悪魔が攻撃をかわした。そして特徴的な模様の瞳を細めてはマキマさんの顔で淡く微笑む。ゆっくりとこちらに歩いてくるがその後ろには黒いヘドロのようなものが付いていた。距離が縮まるにつれそのヘドロも大きくなっていく。
「番?」
『そう。ずっとなりたかったんでしょう?』
確かにそうだった。でも今はマキマさんの番になりたいとは思わない。それはこの正体が悪魔だからか、それともマキマさんへの感心がなくなったためか。その答えは今はまだ分からない。
『これからはずっと一緒です。幸せな生活を……ガハッ?!』
「思いあがらないで」
だから躊躇いなく殺せた。下等生物なりに意思はある。オメガがただの生殖動物であるというのなら強い相手と子孫を残したいというのもその本能。マキマさんはもうその相手に値しない。それだけははっきり言えた。
「はぁ…おっと、」
悪魔の気配が消えると足元がぐらついた。私が倒したものが悪魔本体だったかは定かではないが相当なダメージはいったらしい。景色が歪んでいる。しかし出口は見当たらないしこのままだと3D酔いしてしまいそうだ。一体どうしたら……
「……っきろ!」
「ッ、いったい?!」
バチンと大きな音がして頭の中が真っ白になる。次いで左頬がじんじんと痛みだし、口の中が鉄の味でいっぱいになった。飲み込もうにも唾液と混ざったそれは気持ち悪く場所も考えずに地面に吐き捨てる。そうして深呼吸して辺りを見回せば目の前には半壊した映画館があった。
「悪魔の仕業…?——え、吉田君?!」
サイレンの音が鳴り響いて周囲にはパトカーや救急車が列を作っていた。今も瓦礫の中から人が救出されている。先ほどとは明らかに違う景色に戻ってきたことを実感する。しかしそんな遠くの景色を気にしている場合ではなくすぐ近くには大きな血だまりが。そしてその中央には吉田君が倒れていた。