なんかヤダ
夏休みが終わり九月になった。暦の上では秋ではあるが東京の気温は先月とほとんど変わっておらず制服はいまだ半袖だ。
「名前はどれ参加する?」
「うーん、私はあんまり運動神経良くないからなぁ。みんなは?」
バスケ!!と同時に声を上げた二人はバスケ部だった。さすが普段から鍛えているだけある。その中で私と同じく運動が苦手な彼女は眼鏡の縁に指を添えながら「ドッジかな……」と自信なさげに言った。確かにドッジボールなら当たれば痛いが基本逃げているだけでいい。それに一番人数も多いから一試合だけ出て後は応援に回ることもできる。
「私もドッジボールにしようかな」
「ほんと?!名前も一緒なの嬉し〜!」
「じゃあまとめて申請してくるね」
「ありがとう」
友人の一人が黒板に名前を書いている実行委員の元まで報告に言ってくれた。そうすれば種目の下にそれぞれ自分たちの名前が書かれる。
これが何かというと、二学期最大のイベントである球技大会の種目を決めているのである。体育祭とは別にあるこの行事は生徒達だけで行うイベントなのだが毎年盛り上がりをみせているらしい。特に運動神経のいい人たちに取っては大きな見せ場であり、すでに練習内容や作戦を話し合っているグループも見受けられた。
「凪、お前背が高いからバレーな?」
そしておおよそ皆希望通りの種目につけたのだが、ここに黙って寝転がっていた生徒が一人。もちろんそれは凪くんだ。
彼はクラスの中でも陽キャのポジションにいる男子生徒に指名され、残り一枠に空きがあった男子バレーに駆り出されることになった。確かに一九〇のその身長はバレー向きなのかもしれない。例え本人にやる気がなくとも……
「勝手にバレーにさせられてたけど大丈夫?」
とはいえ理不尽に決められていたので帰り際に凪くんに声を掛けた。彼はいつも通り気だるげにリュックサックを背負って椅子から立ち上がる。
「何かには参加しなきゃいけないんでしょ?だったら何でもいいし」
確かにそうだけど、凪くんと同じ男子バレーチームの人たちあまりいい人たちではないからなぁ。イジメとか手を出してくるとか、そういうことはしてこないけれど少し口が悪い。現に凪くんのことを見下すように「うどの大木」だの「デカけりゃ、こけおどしくらいにはなる」とか言ってたし。
「そっか。あれ?練習はいいの?」
凪くんは教室の後ろを避けるようにして前の扉へと歩いて行く。後ろではさっそく男子バレーチームが作戦を練っていた。球技大会への準備期間中は部活動の始まりもずらされるのだ。
「当日だけ出れば大丈夫っしょ」
現に彼らは凪くんが教室から出てこうとしているにも関わらず声を掛けなかった。そして凪くんの言葉を肯定するように「試合中に寝るのだけは勘弁な!」と言って笑い者にしていた。
まぁ双方がそれでいいならいいけど。ただ、怪我だけはしないでほしいな。
◇ ◇ ◇
球技大会とかダルすぎ……しかもバレーのキャプテンは一学期に隣の席だったアイツとか。
凪はその身長から入学当初から様々な運動部から勧誘を受けていた。バスケ、野球、ハンドボール、バスケ、そしてもちろんバレー部からも。しかしそれらすべてを断り続け、逃げ続けた。その理由は「めんどくさい」の一言に尽きる。
だからもちろん、今回の球技大会も特にやる気はなかった。チームを勝ちに導いて人気者になりたいだとか、かっこいいプレーを決めてモテたいだとか、凪の頭にそのような思考回路はない。そもそもチームプレー自体かったるい。
「え?!お前ルールも知らないの?!マジかよ!」
そして一切の練習にも参加せずに迎えた大会当日。「で、何すればいいの?」とキャプテンに聞いたらえらく驚かれた。キョーミがないものは知ろうともしないので、ボールタッチの回数から何点取れば勝ちだとか、そんな基本的な知識すら持ち合わせていなかった。
「足引っ張んないでくれよ〜俺ら毎日放課後に練習してきたんだからな」
そう言ってキャプテンからビブスを押し付けられ、じゃあ出さなきゃいいのに……と思う。しかしひとり一回は必ず出場しなければいけないためそうも言っていられない。
とりあえず突っ立っててボールが来たらジャンプしろと言われたので「へーい」とだけ答えておく。あとの戦術だとかは右から左に聞き流しコートに立った。だって試合はこの一試合だけ出ればいいと思っていたから。この時までは。
「凪くんお疲れ様」
「ひゃっ」
しかし己の思惑通りにはならず、ここまでの三試合フル出場する羽目になってしまった。
もう帰りたい……と逃げるように体育館と外とを繋ぐ段差のところで休んでいれば頬に冷たい物が当てられた。肩を跳ねさせれば小さな笑い声が降ってくる。随分と耳に馴染んだその声は心地いい風のようで疲労していた気持ちがほんの少し凪いだ。
「苗字さんひどい」
「ごめんね、これあげるから許してくれる?」
「じゃゆるす」
差し出されたスポーツドリンクを開けて口に付ける。身体は思ったよりも水分を欲していたらしく半分ほど一気に飲んでしまった。
「さっきの試合大活躍だったね」
「見てたの?」
「うん、私たちの方は二回戦目で負けちゃったからね。ブロックだけで十点以上決めててすごかった」
凪が試合にフル出場した理由、それは相手からの鋭いスパイクを何本も的確に打ち返していたからだ。きっと素人目には運よくその場にいた凪が、偶々人のいないところにボールをはじき返していたように見えたことだろう。しかし実際には凪の驚異的な反射神経があってこそのプレーだった。
「あれだけ分かりやすいコースで打って来てるんだから誰でも取れるよ」
「そんなことないよ、凪くんだから出来たんだよ。かっこよかった!」
凪にとっては当たり前のこと。人間は自分の想像できることしか理解できない。だから誰も凪のすごさは分からない。でもそれは彼にとってさして問題ないこと。だって他人からの評価にキョーミはないから。ただ、彼女に「かっこいい」と言われたことは素直に嬉しかった。
「そう?」
だけどこういう時にどんな顔をして、何と返せば分からなかったので凪は首を傾けた。首を擦りながら猫背気味になり、彼女を見上げた。
——あ、かわいい。
彼女の色白の頬がぽっと色づき千切れんばかりに首をコクコクと振る。やっぱり小動物だ、と思うのと同時に抱きしめたらどんな反応すんだろ?とも思った。しかし今はひどく汗をかいていたので試さなかった。
「じゃあ私はもう行くね。決勝頑張って」
「ありがと」
パタパタと去り行く彼女に凪は大きな瞳を向ける。
彼は知らない。誤魔化すように取ったポーズがイケメンにだけに許される仕草であり、彼女の情緒を狂わせたことに。
彼女は知らない。他人に無頓着な彼が自分に興味を持ち始め、そして密かに愛でようとしていることを。
彼らは、知らない。
「一回戦からストレート勝ち!このまま優勝すんぞ!!」
そろそろ決勝戦が始まる時間。このままバックレてもよかったけれど彼女が応援してくれていると分かれば出るしかない。そうしてのろのろと自分のチームの元へ戻ろうとしていた時だった。
「アイツやけに熱いよな。バレー部だからか?」
通りすがりにいたのは次の対戦チームだった。自分のところも大概だが、やはりキャプテンは陽キャの熱い奴がやるらしい。ソイツは大きな声を上げ仲間に檄を飛ばしていた。その勢いは周りも若干引くほどであった。あー暑苦し。さっさと行こ。
「それもあるだろうけど、この試合に勝ったら告白すんだってさ」
「えっマジで?!相手だれ?」
「苗字名前って人」
凪の足はぴたりと止まる。接着剤でシューズが床に這い付いてしまったかのように、一歩も動けなかった。
「誰それ?」
「ほら、よく女バスの鈴木と一緒にいる一番大人しそうな子」
「あーわかった」
周囲を捲し立てるキャプテンを余所に彼らのお喋りは続く。そして後ろで足を止めた凪のことも彼らは気付いていなかった。勝負に絡んだ恋愛ごとは、傍から見てひどく面白いものだからお喋りに夢中だった。
「選択授業で一目惚れしたらしくてさ。でも二学期になってその授業もなくなったから告白しようと思ったらしいぜ」
「へぇ勝機はあんの?」
「試合の?告白の?」
「告白に決まってんだろ!こっちは現役バレー部二人いんだからまず負けねーだろ」
「ハイハイ告白ね……まぁ俺は二人の仲よく知らねーけど女の子の方は押しに弱そうだしいけんじゃね?」
「つーことは俺らの中で一番に彼女持ちになんのアイツかよ」
その言葉に、凪の脳には存在しない記憶が流れた。
自分のことをゆすり起こしてくれた彼女の手がアイツに触れる。図書室で席を並べて勉強するのが自分じゃなくてアイツになる。彼女の手作りが自分ではなくアイツに渡される。
なんだが、すごく、きもちわる。風邪のような吐き気とは別の嫌悪。胸が、心がざわつくような感覚。新雪を汚した足跡のような、調弦が合っていないピアノの伴奏を聞いているような、メロンソーダに乗ったさくらんぼを横から奪われたような、そんな気持ち。
ようやく足が床から離れたけれどその足取りは重かった。
「ここまで来たら絶対勝つぞ!プレッシャーに負けるな!俺たちならできる!」
試合前に自チームのキャプテンが声を張り上げ円陣を組んだ。皆が「おー!」と気合を入れて応える中、凪はなにも言わない。でも心の奥底に負けたくないという闘志だけはしっかりと抱いていた。
——うへえ…帰りたい。
だがしかし凪の気力は持たなかった。
さすがはバレー部二人がいるだけあって今までのように凪がブロックしてもレシーブで上げて来る。またこちらも素人ながら女子の声援に驚異的な集中力を発揮し粘りに粘っていた。その結果、五セットにまでなだれ込む接戦になっていた。
「よし!!もう一点!もう一点だ!!」
そして凪の気力を根こそぎ持っていくのがこれである。自チームのキャプテンはさながら日本代表戦のように点が決まったタイミングで毎回軽く円陣を組んで、オウムのように同じ言葉を繰り返した。これに何の意味があるのか……と思いつつも、こうすると女子の声援が大きくなるのに気が付いた。熱くなっている様子を見せつけることでかっこ付けをしているのだ。
現在五セット目、十四対十五でこちらが一点リードしている盤面。バレーの最終セットでは十五点先取で十四対十四になるとデュースとなり、二点差がつくと勝利が決まる。そのためここで同点になるとさらに試合は長引いてしまう。
「来るぞー!」
「死んでも取れー!」
ボールが両面のコートを行き交い、熱い試合にキャットウォークからの声も大きなものになっていく。
——あと一点で家に帰れる、ゲームができる。そしてあの告白もなくなる。この心のもやもやも腫らすことが出来る。絶対に勝つ。
「フェイントだー!」
しかしバレー部のいる向こうが一枚上手か。強烈なスパイクが来るかと思いきや、五本の指で揺れられたボールはやわらかな軌道を描き凪の頭を超えた。高速な試合展開中でこの不意打ちに、誰も反応することができない。でも凪の頭は冷静だった。
「凪くん……!」
大観衆の中から聞こえたか細い声、耳に馴染んだ彼女の声はどこからでも聞きとれた。
「うわ!?」
凪が足の甲で捉えたボールは味方セッターの真上へ。驚いたセッターが反射でトスを上げた。それにキャプテンが反応しへなちょこスパイクが棒立ちであった相手チームの真ん中あたりに、——決まった。
静まり返る体育館、しかし試合終了のホイッスルと共に歓喜の悲鳴が響き渡った。
「やったああああ!」
「うおー!すげえ!」
「ツイてたな!凪の足に当たって!」
「くっそ悔し〜!」
「あんなのただの棚ぼたじゃねーか!」
おわっ……た。
凪は俯瞰しながらその光景を見ていた。どうしてみんな、こんなに喜んだり悔しがったりするのか意味が分からない。大人が幼稚園児相手にかけっこに勝って喜ぶの?そんな感覚で彼はいた。
「凪くんお疲れ様!最後すごかったね!」
熱気に沸いた体育館から逃げるように立ち去ろうとする。しかしそれを見越したかのように体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下で彼女が凪を捕まえた。
「まさか足で反応しちゃうなんてね!かっこよかった!」
なんで苗字さんはこんなにはしゃいでるんだろ。自分のコトでもないのにひどく喜んでる。その感情はやっぱり意味が分からない。でもうるさいだとか不快だとかは思わない。むしろ彼女の笑顔を見て何故だか安心した。
「苗字さん、ちょうどよかった。おんぶしてー……」
そして蓄積された疲労がどっと沸いた。歩くのも怠い、着替えるのも怠い。ゲームもしたいのに家どころか教室にまで行く体力すら残っていない。
「えぇ?無理だよ」
と言いつつも、逃げ出さずに隣に並んでくれるところは優しい。そんな彼女の肩に凪は、ぽすっと頭を乗せた。「お、おもい……」という彼女の言葉は無視して乗せたまま。そして彼女も凪のことなどお構いなしに歩きだすので、凪も変な体勢のまま歩きだした。
「もっと褒めてよ」
彼女に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声。それはちょっと拗ねたような声だった。
「えっなに?」
その言葉が聞こえなかったのは、凪にとって良かったのか悪かったのか。それは本人にも分からない。
「おんぶして?」
「しないよ」
「ダメ?」
「ちょっと可愛くってもだめだよ」
「ケチ……」
ただ、凪の中に新たな感情が生まれたことだけは事実だ。