お宅訪問

先週は日中なら半袖でも過ごせるほどの気候であったというのに、今日は長袖にニットのカーディガンを羽織ってもなお肌寒いと思えるほどの気温だった。本格的な冬はまだ先とはいえ急に寒くなってしまえば温かいものを食べたくなるのが人間の性である。ということで、今日の夕食は迷うことなく鍋に決まった。

「名前お菓子買って!」
「あっずりぃ!俺も欲しい!」
「一人ひとつまでならいいよ」
「お菓子なんて太るだけでしょ。わたしはスムージーにする!」
「じゃあ一つ選んで持って来て」

しかしここからが大仕事だった。母親が夜勤で涼太が土曜の部活練に行っている今、下の兄弟三人を連れて買い物に行かなければならないからだ。現在、五歳である双子の弟——健と翔はまさにやんちゃの一言に尽き、縦横無尽に走り回る。小二の妹はまだ大人しいものの、かなりませているので買い物に連れて行くと口出しをされる。

「俺がポテチ買うんだから翔は違うやつ選べよ!」
「なら健が違うのにしろよ!」
「シール欲しいからヤダ!」
「俺もシール欲しい!」
「こらっ喧嘩しないの!家にチョコはあるんだから二人ともポテチでいいでしょ」
「ねぇ寄せ鍋じゃなくてごま豆乳がいー!」
「涼太が豆乳嫌いだから買えないよ」
「食わず嫌いなだけじゃない!」
「それでも可哀そうでしょ」

と、まぁこんな具合に目的の食材調達だけでもかなり骨が折れる。事実、まだ白菜しか買えていない。レジが混みあう前にお会計までできるかなぁ。

「健、翔、お豆腐と油揚げ取ってきてもらっていい?」
「「はーい!」」

やんちゃな双子ではあるが言えばお手伝いはしてくれるので興味を逸らすためにも食材を籠に入れるようにお願いする。そして妹はというとちゃっかり鍋つゆの素を差し換えようとしていたので手を伸ばしてそれを阻んだ。

「みぃちゃんはごま豆乳の素を元の場所に戻してきてください」
「えー」
「ほら早く」
「お姉ちゃんのケチ……わっ」

土曜の夕方の時間帯は買い物客も多い。だからか、周りを確認せずに方向転換した妹が人にぶつかり尻もちを付いた。その姿に慌てて籠を床に置いて傍にしゃがむ。幸い尻もちを付いただけで怪我はないようだった。

「あ……ごめんなさい」
「いえ、妹も周りを見てなかったみたいで……」
「苗字さん?」

こちらが顔を上げる前に自分の名前が呼ばれた。目の前のスニーカーのサイズが大きかったことから相手が男の人だと分かる。白いズボンに白いパーカー。そして首が痛くなるほど見上げても中々顔の位置まで辿り着かない。でもそれだけで相手が誰か特定するには十分すぎるほどの情報だった。

「凪くん?!」
「ども」

まさかスーパーで凪くんと会うなんて。自炊を一切しない凪くんとは無縁の場所だと思っていた。でもちらりと覗いた彼の籠の中にはバナナしか入っていなかったのでやはり自炊はしないようだった。

「びっくりした」
「俺も。こんなトコで会うとは思わなかった。それと、」

凪くんは通路を塞がないよう、一歩こちらに近づいてから私と同じようにその場にしゃがんだ。そして未だに尻もちを付いていた妹の顔を覗き込みながらペコリと頭を下げた。

「ぶつかってごめんね。大丈夫だった?」
「……王子様」
「ん?」
「うん?」

共に宇宙を背負った私と凪くんを余所に妹は機敏に立ち上がる。そして徐に凪くんの手を取ってとんでもないことを言い出した。

「わたしね、すっごく痛い思いをしたの!」
「へ?あ、うん」
「だから家まで送って?」

やっていることがもはや当たり屋である。この様子だとどうやら妹は凪くんに一目惚れしてしまったようだ。そしてイマドキの子らしく肉食系の妹はガンガンに攻めていく。

「もう、凪くんを困らせないの」
「お尻が痛くて一人じゃ歩けない〜!」
「いや、元はと言えば俺が悪いんだしいいよ」
「じゃあ手も繋いでくれる?」
「イエッサー」
「やったぁ!」
「ちょ、ちょっと凪くん!いいって!」

さすがに妹の我儘にこれ以上付き合わせるわけにはいかない。でも凪くんは「予定もないしいーよ」と言う。めんどくさがり屋の凪くんにしては珍しい対応である。意外と子どもが好きなのだろうか。

「豆腐と油揚げ取って来た!」
「その人だれー?名前の彼氏?」
「違う!わたしの彼氏になる人よ!」
「全部違うから!もう騒がないの!」
「なんかいっぱい来た」

弟たちにも見つかってしまったので軽く紹介をする。凪くんは妹にしたのと同じようにその場にしゃがんで「こんにちは」と挨拶をした。次いで「双子って初めて見た」と感想を溢す。一卵性双生児であり同じ髪形でもある彼らは保育園の先生を困らせるほどにはそっくりだった。

「ねぇ、本当にいいの?」

それから互いに会計を済ませれば、凪くんは本当にうちまで一緒に来てくれることになった。右手にバナナ、菓子パン、ゼリー飲料の入ったビニール袋を引っ提げ、左手で妹の手を握ってくれている。そんな彼の右隣に並んで耳打ちをした。

「なにが?」
「妹を送ってくれるって話。ただの我儘だから付き合わなくて大丈夫だよ」

凪くんと妹の身長差は六十センチ以上ある。だから凪くんはいつも以上に猫背になっていた。その分、私との距離もいつも以上に近い。そしてすぐ真横で彼の大きな瞳がくるっとこちらを向いた。

「別に嫌じゃないから」
「でもめんどくさいでしょ?」
「うーん……」

そこで凪くんは一度黙り込んだ。そんなに変な質問しちゃったかな。しかしこちらが声を掛ける前に腕に違和感を覚える。荷物を持っている手を見ればやんちゃツインズがエコバッグの中を漁っていた。

「こら!何してるの?!」
「お腹空いた!」
「ポテチ食べたい!」
「ポテチじゃなくてカードが目当てでしょ?ここじゃ危ないから家に帰ってからね」
「「えー!ケチ!」」

ごねる二人をいなしていれば、あっという間に家は目の前だった。
住宅街の一戸建てが我が家である。妹と双子の弟のお父さん——私からみたら二人目のお父さんが残してくれた家である。今はここに母と涼太を含めた六人で住んでいる。

「本当にご近所さんだったんだね」
「そうだね。裏道使えば凪くんの家まで五分くらいで行けるかも。ほら、みぃちゃんは凪くんの手離して」
「えー」

ぐずる妹を促すも中々に頑固で引く様子がない。私が健と翔に構っている間も妹の方からものすごく話しかけてたからなぁ。相当、凪くんのことが気に入ってしまったようだ。
しかし凪くんはというと実に冷静な様子で、妹と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「お姉さんを困らせちゃダメだよ」
「じゃあまた会ってくれる?」
「それはお姉さん次第だと思うケド」

チラリとこちらを見上げて私の顔色を窺う。え、私に聞くの…?でも確かに妹と凪くんを取り持てるのは私しかいない。ということは凪くんをいつかうちに招くことになるのかな。ただ、それが本当にそうなるかは別としてこの場を丸く収めるために一先ず頷いておいた。

「いいってさ」
「やったぁ!じゃあ凪はいつヒマ?来週は空いてる?」
「うぇえ…?」
「ほら、もういい加減にしなさい。しつこい女は嫌われちゃうよ?」
「凪はわたしのこと嫌わないもん!」
「だからっ……ごめん、電話だ」

なおもしつこい妹に制裁を下そうとしたとき、バッグの中のスマホが震えた。取り出したいのは山々だが片手でファスナーが開けられず苦戦する。その時、横から伸びてきた手が食材の入ったエコバッグを奪い取っていった。

「持つよ」
「ありがとう」

凪くんに荷物を預けて電話に出る。ついでにバッグの中から家の鍵を取り出して石けり遊びをしていた健に手渡した。まだまだ手の掛かる子達ではあるが家の鍵を開けることはできる。

「もしもし?」
『あ、姉ちゃん?ごめん、今日は夕飯友達ン家で食べて来るわ』
「えっどうゆうこと?」
『今、雄太ン家にいるんだけどおばさんが飯食ってけってさ』
「そうなんだ。ちゃんとお礼言って迷惑かけないようにね」
『はーい!』

涼太がいないということはした三人の面倒を見ながら夕飯を作るのか。お母さんもいないしこれは長い戦いになりそうである。

「大丈夫?」
「え?……あぁ、一番上の弟が友達の家でご飯食べて来るんだって。その連絡だった」
「へぇ〜」
「それなら!」

私と凪くんの間にいた妹が大きな声を上げる。その目はキラキラしていてこちらとしては嫌な予感しかしない。そして妹は凪くんの脚にしがみつきながらその瞳を真っすぐに向けた。

「凪もうちで夕飯食べてって!」





野菜を先に切ってザルに上げ、まな板を裏返して鶏モモ肉を切る。洗い物の回数は減らしたいので先に煮る物でもナマモノの処理は後に行うようにしている。食材が揃ったら肉から順に、火の通りにくい物から鍋に入れ放っておけば完成である。ほんと市販の鍋の素、様様である。

「うぉー!凪スゲェ!」
「マジで初めてやったのかよ?!」
「うん。まぁ他のシリーズはやったコトあるけどね」
「すごーいっ!」

そして食材を切り刻んでいる傍らで彼らはテレビゲームに興じている。画面には敵に華麗なジャンプを決めて軽快にゴールするマリオの姿があった。どうやら凪くんはこのようなRPGゲーも得意らしい。というかきっとゲーム全般はいけるような気がする。

「よっしゃあこれで次のステージいける!凪、コントローラー返して」
「ほい」
「あっずりぃ!次は俺!」
「あらら…?」
「二人とも喧嘩しない!」

仲良く遊んでいると思いきやその三秒後には喧嘩するというのがいつもの流れである。鍋の火を弱めてリビングに行けばすでに取っ組み合いの喧嘩にまで発展しており二人でラグの上に転がっていた。そこですかさずコントローラーを取り上げる。

「あっ何すんだよ!」
「名前返して!」
「ゲームは交代でってルールでしょ?さっきはどっちがやってたの?」
「「ン!!」」

そう聞けば膨れっ面で互いに互いを指さすのだから困ったものである。こうなったらジャンケンでけじめをつけさせるべきか……

「俺の前にゲームしてたのは健だよ」

少し離れたところにいた凪くんがぽつりと言った。
妹が連れ出したらしく凪くんはリビングの隅に体育座りをしている。そして健の方を見ながら「健がこのステージで死んだから俺にコントローラー渡してきたんでしょ」とはっきり言った。

「凪くん……」
「えっ俺なんか変なコト言った?」

先ほどまで騒いでいた双子も凪くんの発言で喧嘩をぴたりと止める。もはやこの場にいる凪くん以外の人間がゲームのことなどどうでもよくなっていた。画面越しのマリオだけはやたらと元気に奇声を発していたが、私たちの興味は凪くんにしかない。

「「凪!俺らの見分けつくの?!」」
「二人のこと分かるの?!」
「見分けられるの?!」

上から順に双子、私、妹である。髪型に加えて今日は服も全身お揃いだったのだ。家族でも見る角度によっては間違えてしまうほどなのに、凪くんは初対面で見分けてみせた。これはギネスに乗せたいくらいの最速記録だった。

「え、うん」
「「なんで?!」」
「どうして?!」
「どこで?!」
「いや、双子でも別の人間でしょ。フツーに見れば分かるって」

例えば笑ったときの目尻の皺の数とか。あとは健は上唇を突き出す癖があるでしょ、翔の方が耳朶が厚いよね——と、本人たちすら気付かないようなところまで見ていた。

「ここまでちゃんと見分けられたのは家族以外で初めてだよ」
「そうなんだ」

また凪くんのすごいところを見てしまった。こういう人を世間では『天才』と呼ぶのだろうか。

「じゃあ凪!今から『どっちが健くんでしょうかゲーム』やろ!」
「なにそれ?」
「あっちから俺たちが出て来るから健がどっちか当てるゲーム!」
「別にいいケド」

その後、ゲームは五回ほど行われたが凪くんは全問正解した。



「凪くん、今日はありがとうね」

すっかり弟たちに気に入られた凪くんは夕食後も引っ張りだこ。それからやっとのことで彼らを引きはがし凪くんを外へと連れ出した。空には満月と無数の星が瞬いていて明るい夜だった。

「なんで苗字さんがお礼を言うの?」
「だって弟たちと遊んでくれたでしょ?私はゲーム上手くないから助かったよ」

涼太もゲームは上手いが一度手加減なしで彼らをスマブラでボコボコにしてしまった過去があるので、それから健も翔も誘わなくなっていた。例えそれが対戦ゲームでなくても、だ。

「俺も久しぶりにテレビゲームで遊べたし全然いいよ」
「よかった……、さむっ」

ひゅぅっと強い風が吹きその場で身震いする。吐く息こそ白くはないが長袖一枚では流石に寒い。そろそろ立ち話も切り上げた方がいいだろう。凪くんに風邪をひかせるわけにはいかない。

「大丈夫?」
「うん。話し込んじゃってごめんね、また学校で」
「またね」

凪くんはパーカーのポケットに両手を入れて猫背気味に歩きだした。月の光に照らされると白いわたあめがキラキラ光る。その姿に、雪の中だと同化しそうだなと失礼な感想が浮かび一人笑ってしまった。

「あ、そうだ」

だらしなくにやけていたところで凪くんが振り返る。慌てて口元を隠すが小走りで戻ってくる様子に顔は自然と元通りになった。何か忘れ物でもしたのだろうか。

「どうしたの?」
「まだ答えてなかったなって思って」
「何を?」
「苗字さん家に行くの、嫌じゃないしめんどくさくないって話」

そういえば来る途中にそんな話してたっけ。私はもうすっかり忘れていたけれど凪くんにとって重要なことだったのだろうか。わざわざ進んだ道を走って戻ってくるほどには。

「あ、うん。えっと…妹の我儘とは言え凪くんにとってうちにくる理由なんてないのに付き合わせるのはめんどくさいことだって思ってたんだけど、違った?」
「うん。だって理由ならあるし」

凪くんの目は光に透かされると少し金色が混じってるんだなって。そんな新たな発見ができるほどに、大きな瞳がしっかりと私に向けられていた。

「苗字さんのコト知りたいって思ったから」
「私のこと?」
「うん。なんか苗字さんのコト見てると胸のあたりが気持ち悪くなるんだよね」

そんな「天ぷら食べ過ぎて胃もたれやばい」みたいな顔で言われても……というか、見てるだけで気持ち悪いってつまりは私の存在自体が不快ってこと……?これでも凪くんとはそこそこ仲がいいと思っていただけにショックだ。

「そう……」
「あっちがう、そうじゃない」
「えっ」

凪くんの顔も見ていられなくなり頭を垂れれば突然腕が掴まれた。びっくりして目の内に溜まっていた涙も引っ込む。

「自分でもなんて言ったらいいかよく分からなくて…でも今は寧ろ穏やかになったっていいうか安心したっていうか……なんか、そんなかんじ、……デス」

初めの勢いは萎んでいき、最後の方はお口をばってんにしながらもそもそ話していた。天才、凪誠士郎に言語化することができないそれは一体何なのか。でも嫌われていないことだけは十分に伝わった。

「もういいよ」
「その…ごめんなさい」
「別に怒ってないよ。うちでよかったらまた遊びに来てよ、健たちも喜ぶし」

私がそう言ったことで凪くんも安心したのかようやく手が離された。掴んでいた部分だけが温かくて、でも外気に触れるとその熱も一瞬で吹き飛んでしまった。

凪くんは今度こそ「また」と言って歩きだした。心なしか先ほどよりも背筋が伸びているような気がする。その姿を見ていたら「あっ」と声を漏らして唐突にこちらを振り返った。しかしこちらにまで走ってくることはなく、その場で一言だけ置土産を残していった。

「お姉さんしてる苗字さん、かっこよかった」

凪くんの不意打ちはいつも私の急所に当てて来るね。
あとその台詞、そっくりそのままお返しします。

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