引導を渡す
一月三日の今日は正月休みの最終日。今年は日の並びが悪く残念ながら十日を超える大型連休にはならなかったがそれでも十分すぎるほどの休みを満喫していた。
「なぁに?名前までゲームするようになったの?」
リビングのソファでスマホを横持ちにしていれば母親が後ろから覗き込んできた。普段は看護師として不規則に働いているのだが毎年正月だけは連休を取っていた。旅行にいくことはないけれど家族六人で過ごせる貴重な休みである。
「涼太に誘われてやり始めた」
「あんまりのめり込み過ぎないでよ」
「分かってるって」
「「ママ見て!どっちが健でしょうか?!」」
今は初詣や初売りも済ませて各々が自分の時間を過ごしている状態。だから私も久しぶりにゲームをやり込んでいるわけだが、しばらくログインしかしていなかったので大分腕がなまっていた。もはやログイン日数とレベルが合っていない。しかし凪くんは相当やり込んでいるようでアプデ後に上限が解放されたレベルすらすでにカンストしていた。
「こっちが健でこっちが翔!」
でも珍しく今日はまだログインしていないらしい。凪くんもまた実家でのんびり過ごしているのだろうか。家が快適すぎて東京に戻ってこないか心配ですらある。
「「えー!なんで分かんの?!」」
「家族だからに決まってるでしょ」
デイリーミッションであるエールを送りながらフレンド一覧を見ていればスマホの画面にポップアップが一つ飛び出す。そしてそのアイコンを見て驚いた。
「ん?……えっ?!」
お口ばってんのアイコンは言わずもがな凪くんである。向こうからの連絡なんて珍しい。というか寧ろ初めてなのでは?しかし本当に驚くのはその内容の方だった。
『お土産買ってきたんだけど今から家行っていい?』
あけおめーというゆるいスタンプの次にはそのようなメッセージが打ち込まれていた。
お土産ってなに?帰省した時の?わざわざ買ってきてくれたのかな。っていうか今から家来るって…私めっちゃ部屋着なんですけど……
「どうしたの?」
「ちょっと出掛けるから着替えて来る!」
いいよ、と返事をしてからは時間との戦いだ。今さらだけど着替えてから返事をすればよかったと後悔するが色々とそれどころではない。上下のスウェットを早急に脱がなければ。
「名前落ちたー」
転げ落ちるようにソファから立ち上がればその反動で手からスマホが滑り落ちる。それを健がナイスキャッチ。しかし運悪くその画面はメッセージアプリを開いたままであった。それはもちろん好奇心旺盛の弟の目に入り、そのアイコンに興味を示すのはもはや必然だった。
「この顔おもしれー!」
「なになに?」
「ちょっと返して!」
「なんか凪に似てる!」
「凪?!」
そして双子が騒ぎ出せば今まで大人しくテレビを見ていた妹もこちらへとやってくる。凪くんに対しどこか夢を見ている妹の反応は早い。私が健からスマホを取り上げるよりも早く奪い去りお母さんの後ろに隠れた。
「凪、今からうちくるの?!」
「凪って誰?名前のお友達?」
「まぁ…うん」
「ちげーよ!」
「名前の彼氏!」
「違うから!健と翔も変なこと言わない!」
「違うし!わたしの旦那さんになる人だし!」
「それも違うから!」
スマホは取り返したもののこの騒ぎは収まる気配を見せない。そしてお母さんもお母さんで呑気なもので「名前のお友達が来るの珍しいわね」なんて言いながらお茶の用意をしようとしている。本当なら家の外でこっそり受け取るつもりだったのにこの流れは非常にまずい。
「ただいまー玄関の方までスゲェうるさいんだけど」
「兄ちゃんだ!なぁ聞いてよ今から凪来るんだって!」
「凪?もしかしてこの人?」
コンビニに行くと言って出て行った涼太の手には白いビニール袋が握られている。そしてその背後からもう一つ白いものが顔を出す。ちょっと、なんでももう来ちゃったの……
「お邪魔します」
涼太が凪くんを連れて帰って来た。
◇
凪くんは今日、神奈川の実家から帰ってきたらしい。そして一度荷物を家に置いてうちまで来てくれたと。一人暮らしの家を出るタイミングで連絡をくれたからさほど着くのに時間は掛からなかったようだ。そして正にインターホンを鳴らそうとしたときに涼太に出会い家に招き上げられた。
「ねー凪!今日はぷよぷよしよ!」
「新作なんか出てたっけ?」
「スイッチで昔のゲームいっぱい買ってもらったんだ!」
「へー」
「おい待てお前ら、凪さんとゲームしてもらうのはこの俺が先だ!」
「「兄ちゃんずるい!!」」
そして私が着替えに行っている間に凪くんはリビングで弟たちに囲まれていた。どうやら双子にだけでなく中学二年生の涼太にも気に入られてしまったようだ。きっと凪くんが同じスマホゲームでトップランカーにいることを知ったからだろう。現に呼び方が「さん」付けである。
「みんな、凪くんが困ってるよ」
右に左に揺さぶられている凪くんはお口ばってん状態。お土産を届けに来てくれただけなのに巻き込んでしまって申し訳ないばかりである。
「だって凪と遊びたいんだもん!」
「凪くんは遊ぶために来たんじゃないんだから」
「あぁ、これお土産」
私の言葉にここへ来た目的を思い出したのか凪くんから紙袋を渡される。なんか催促したみたいになっちゃった。そんなつもりはなかったんだけど……でもお礼を言って有難くそれは受け取った。
「休みの日にわざわざありがとうね。凪くんはお昼食べた?」
これで凪くんのミッションは完了したわけだが次に彼を引き留めたのは母親だった。作り置きをしていたおでんを温めながらキッチンから声をかけてくる。
「まだです」
「じゃあ食べてく?」
「お母さん、凪くんはこっちに帰って来たばかりで荷解きに忙しいから呼び止めたら迷惑だよ」
「だって一人暮らしなんでしょう?帰って準備するのも大変よ」
そして凪くんの同意を経たかどうかも定かではないのだが、話は勝手に進んでいき結局うちでお昼ご飯を食べることになった。妹は凪くんの横に場所を陣取り甲斐甲斐しく皿におでんを盛っている。すでに嫁気取りである。
「ねぇ、凪は何が食べたい?」
「あんま噛まなくてすむもの」
「大丈夫?歯が痛むの?」
「いえ、咀嚼がめんどうなので」
「凪くんはイマドキの子ってかんじね!はんぺん食べなさい、はんぺん!」
「ありがとうございます」
口数は多くないけれど話を振られればそれなりに受け答えはしてくれる。妹とお母さんのお節介に挟まれながらも凪くんはもそもそと食事を取っていた。案外、我が家の食卓に馴染んでいる。
「あら?職場から電話だわ」
鍋の中身が空になりかけたところで母親のスマホが鳴った。こういう時は呼び出しのパターンが多い。だから食事の片づけは私が引き受け皆が食べ終わったお皿をトレーに集めた。
「名前、今日準夜勤の人が来れなくなったみたいだから行ってくるわね」
「分かった。でももう行くの?」
「いま日勤で入ってる人のお子さんが熱出しちゃったみたいで早く来て代わってほしいって言われたのよ」
人の良い母だから引き受けてしまったらしい。
身体を壊さないか心配ながらもそのまま送り出した。
「お母さん、大変そうだね」
「都内の病院で看護師やってるんだ。なんか慌ただしくてごめんね」
一部始終を見ていた凪くんは目をくるくるさせていた。現在一人暮らし且つひとりっ子の凪くんからしてみたら嵐のような一幕であっただろう。
「手伝うよ」
トレーに乗せたお皿を流しに置いたところで凪くんがそう申し出てくれた。その背景には見慣れた我が家の食器棚があって、改めて凪くんがうちにいるんだと実感した。なんか変な感じだ。
「いいよ、お客さんなんだしゆっくりしてて」
「ゆっくり……」
凪くんの瞳がスッとリビングに向いた。その先にはテレビでぷよぷよをしている双子の姿とソファでスマホと対峙している涼太の姿がある。涼太は先ほど凪くんに色々と聞いていたのできっと例のゲームをやり込んでいるのだろう。そしてどちらにしろあの中にいてはゆっくりできないのは何となく想像ができた。
「弟たちがうるさくてごめんね。じゃあ私が食器洗うからその後水で流してもらっていい?」
「イエッサー」
蛇口から温水を出しスポンジに付けた洗剤を泡立てる。油汚れもないし食器の枚数もそこまで多くないので早く片付きそうである。お皿にスポンジを滑らせ一枚ずつ洗っていく。
「お父さんは今日仕事なの?」
服の袖を捲った凪くんが私からお皿を受け取る。視界の端に映った手首は想像よりも太くて骨張っていた。凪くんは雰囲気の割に意外と男らしい体をしている。
「うちお父さんはいないんだ。四年前に亡くなってて……あっでも私の生みのお父さんは生きてるんだけど」
「んん?」
泡を流して水切り籠に重ならないよう縦に食器を並べる。その空いた手にまたお皿を渡す。わんこそばのようにテンポよく手元の食器は消えていく。
「お母さんバツイチでさ、私と涼太のお父さんと妹と双子の弟のお父さんは違う人なんだよね」
自分と血は繋がっていないながらも二人目のお父さんは私たちのことも可愛がってくれた。でも仕事で事故に巻き込まれて死んじゃって。その時はすごく悲しかったけど今は家族六人で前を向いて生きている。
「ごめん、なんか複雑なコト聞いたかも」
ハッと思い隣を見れば凪くんは少し気まずそうな顔をしていた。初めこそ乏しいと思っていた表情だが意外と凪くんは感情が読みやすい。だから本当に申し訳なさそうな顔をしていて私が焦ってしまった。
「いやいや私が勝手に語っちゃっただけだから!寧ろごめん!」
手が泡だらけなのでブンブン顔を横に振る。その勢いがすごすぎて髪がボサボサになった。でも私の気持ちは十分に伝わったらしく「そっか」と言ってお皿を洗い流す作業に移っていた。
「まぁ血は半分しか繋がってなくてもみんな家族だよ。健と翔なんて私のこと呼び捨てで呼ぶし」
「そういえばなんで双子くんたちは『お姉ちゃん』って呼ばないの?」
「あの子たちからしたら私とみぃで二人お姉ちゃんがいることになるからね。で、みぃが名前で呼ばれたくないからって言ってみぃが『お姉ちゃん』になって私が名前呼びになった」
妹は自分の名前があまり好きじゃないらしいので「みぃ」とか「みぃちゃん」と人に呼ばせている。それは学校の友人だけでなく私たちに対しても。年頃の女の子というのはなんとも難しい生き物である。
「みぃってあだ名だったんだ」
「そうだよ。全く困った妹だよ」
「苗字さんは自分の名前好きじゃなかったりする?」
「私?私はそんなことないよ」
「じゃあ俺もこれから名前って呼ぼ」
これが最後の一枚。この食器を凪くんに渡したら私の仕事は終わり。しかしそのお皿は凪くんの手に渡る前に私の指から滑り落ちた。
「あっぶな」
だが抜群の反射神経を持つ凪くんの前にそのお皿がシンクに落下することはなかった。彼は利き手でもない方の手でそれをキャッチし、そのまま流れるように食器に付いた泡を水で流した。
「ご、ごめん!ありがとう……」
「うん」
動揺してお皿を落としそうになるなんてもはや鉄板ネタすぎて笑えない。でもいきなりそんな宣言されたらびっくりするって。それにしてもなんでこのタイミング。
「よし、任務かんりょー」
最後の一枚を食器置き場に立てかけて凪くんは濡れた手を拭く。私も同じように水気を拭き取って、そしてタオルを見つめたまま何となし≠装って胸に引っ掛かったことを聞いた。
「急に名前で呼ばれたからびっくりした」
聞くというか、それは独り言に近かった。
凪くんは黙ったままで、リビングからのゲーム音だけがやたらとうるさく聞こえた。そして二拍ほどおいて思い出したように「ああ」と声を上げる。でも驚いた様子でもない。
「だってこの家の人はみんな『苗字』さんでしょ。苗字さんって呼んだら誰か分かんないから」
「分かるでしょ。だって私以外の兄弟のことは名前呼びじゃない」
だからちょっと悔しくなって意地悪なことを言った。凪くんがこちらを見たような気がしたが私の視線は今もタオルに注いだまま。しかしそんな状態の私に対しても凪くんはこちらを見続けていた——と思う。
「俺が名前って呼びたかったから名前で呼んだ。それじゃダメ?」
そして今度は大した間も置かずにはっきりと言ってみせた。なっ…なんじゃそりゃ。
「ダメじゃないけど……」
「じゃあこれからは名前って呼ぶ」
「学校でも?」
「うん」
「えっ?!」
「学校だとダメなの?」
なんで?って顔をして凪くんは私の顔を覗き見た。本当は私の方が、なんで?って言いたかったけど凪くんに先を越されたので言うこともできず……そして私は一切の思考を放棄した。どこぞのわたあめくんの言葉を借りるならその理由は「めんどうくさい」からだ。
「いや、別に、ダメじゃないよ……ご自由に、どうぞ」
「じゃそうする」
凪くんは壁にかかった時計を見て「もうこんな時間か」と呟いた。うちに来てからもう二時間は経っている。随分と長く引き留めてしまった。だから弟たちにバレないように凪くんの荷物をリビングから回収し玄関へと送り出した。
「弟たちと遊んでくれてありがとうね、あとお土産も」
「夏に看病してくれた時のお礼。随分と遅くなっちゃったケド」
「私がお節介焼いただけだから気にしなくていいのに」
「それと名前が好きそうだと思ったから買ってきた」
凪くんの名前呼びがスムーズ過ぎてどうにもむずがゆい。小学生の時は男女関わらず名前呼びの方が多かったのに、なんでこんなにも意識しちゃうんだろ。でもそれはきっと相手が凪くんだからだ。
「じゃあ大切に頂くね」
「うん。お昼ご馳走でした、じゃあまたね」
玄関の扉が閉まり切るまで手を振って。そして凪くんの足音が聞こえなくなるまでその場から動けなかった。
「凪、帰ったの?」
「…っ、みぃ!」
家政婦は見た!とばかりに壁から半分だけ体を出していた妹は、土曜ワイドの女優の顔をしていた。きっと自分に何も言わずに帰したことを怒っているのだろう。だから、急用ができたみたいだから急いで帰ったんだよ、とありがちな嘘をついた。
「ふぅん」
嘘がバレたのか、未だに妹の表情は険しい。しかしフッと糸が切れたように表情が切り替わった。その顏は慈愛に満ちている。シスコンではないが一言だけ言わせていただくと、妹は演技の才能があるのかもしれない。
「分かったわ。お姉ちゃんのためだもの、今回は身を引くわ」
そしてヒロインを前に立ち去るライバルが如く、去り行く後ろ姿には目を見張るものがあった。今年の助演女優賞は貰ったと背中が語り掛けている。
きっと彼女はこの場にいた誰よりも相関図を把握していたことだろう。全く年頃の女の子というのは本当に恐ろしい生き物である。