バレンタインミッション

昨夜に降った雪は昼過ぎになっても僅かに残り道の端には白い塊がぽつぽつと残っている。そうでもなくとも冬になれば外は寒く、春先のように中庭でお昼を食べるのは厳しい。それは毎日ひとりでご飯を食べる凪くんにも言えることで、彼は新しい穴場スポットを見つけていた。

「凪くん、私もここで食べていい?」
「名前?どーぞ」

東棟の北側階段は人の利用が少ない。廊下に空調はないため寒いことには変わらないがそれでも踊り場にある大きな窓からは日差しが差し込むため悪くない。

「ありがとう」

凪くんがいる一つ下の段に腰を下ろし膝の上にお弁当を広げる。片や上の段にいる凪くんはコンビニで買ってきたであろうパンを咥えながらスマホを横持ちにしてゲームをしていた。
凪くんとは今も偶にだがお昼を共にするときがある。といっても私が勝手に凪くんのいるところにお邪魔してるだけだけど。だから特別会話が弾むわけでもない。

「ねぇ名前のスマホ貸して」
「どうして?」
「昨日始まったイベント、マルチだとドロップ率二倍になるから」
「はい、どうぞ」
「ン、」

二台同時にプレーできるの?なんていう野暮な質問は一々しない。ロックを解除しゲームアプリを立ち上げ凪くんに渡す。そうすれば胡坐をかいた左右の膝の上にそれぞれスマホを置き同時に使い始めた。きっと戻ってくる頃にはたくさんの素材がアイテムに追加されているに違いない。

「欲しい素材ドロップした?」

凪くんがゲームをしている間は無言で食事をし、そして食べ終わったタイミングで声をかける。凪くんは先ほどと同じ体勢で両画面を交互に見ながらスマホを操作していた。

「名前の方には落ちたけど俺の方には落ちない」
「そっか……」

それはなんだか申し訳ないな。とはいえドロップする素材はランダムなのでどうしようもない。
私は腰を浮かせて凪くんと同じ段に座り、膝の上に置かれたスマホを覗き見た。あともう少しで全敵撃破だ。

「次は俺のとこにも落ちろー」

その横顔は無表情で、でも目だけは忙しなく左右に動いていた。こうやって見ると凪くんって意外とまつ毛長いんだな。それと当然だけど髪と同じ淡い色で、先端に埃でも付いているのか瞬きをするとキラキラ光って見える。あと今さらだけど凪くんってものすごく顔整ってるよね。目も大きくて鼻筋も通ってて、そして高身長というハイスペック。しかしその全てを整えていない髪型と猫背で台無しにしている感はある。

「なに見てるの?」
「うわっ?!」

声を掛けられた時には凪くんの顔が目の前にあって。階段から落ちそうになるくらいびっくりしてしまった。

「俺の顔になんか付いてた?」
「ううん…!そういえば素材は?落ちた?」
「うん。スマホ返すね」

ありがとー、と付け加えながらスマホを渡される。アイテム欄にはレアリティの高い素材がいくつも収まっていた。これで私の武器も強化できそうである。

「……凪くんどうしたの?」

あとで攻略サイト見ながらやってみようと思っていれば隣から突き刺さる視線。凪くんは立てた膝の上で腕を組み、その上に頭を乗せながら上目遣いでこちらを見ていた。

「名前のマネ」
「私、そんなに見てた?」
「うん。ねぇなんでさっき俺のコト見てたの?」

いつもならこんなこと気にしてこないのに凪くんこそなんでこんなに知りたがるのだろうか。でも正直に、横顔に見惚れてました!なんて話すこともできないし……しかしそこで私は当初の目的を思い出した。

「実は凪くんにお願いがあって……!」
「お願い?」

私の言葉を復唱し、腕に頭を乗せたままさらに首を傾げた。些か不自然かと思いつつもそこは割り切り、そうそう!とこれまたわざとらしく首を縦に振る。

「もうすぐバレンタインだよね。その、私からのチョコ貰ってくれないかな」

海外は別として、日本のバレンタインは好きな人に女性がチョコを送る日と言われている。まぁ今やそれもさらに大衆化し義理チョコ、友チョコ、自分チョコとお菓子会社の戦略にはまり種類が多々あるが一般的には好きな相手にチョコを渡す日だ。

「え?」

凪くんの瞳に困惑の色が滲んだ。それもそうだ。どこに事前予告して強制的にチョコを押し付ける女がいるのだ。でも私からこういうことを頼める男子生徒は凪くんしかいない。だから断られたくなくて必死に言葉を続けた。

「あっ深い意味は全然ないから貰った後に捨ててくれていいんだけど、人目に付くところで受け取ってほしくて!」
「えーっと…つまりどうゆうコト?」

ダメだダメだ、一回落ち着け。私は六秒間ゆっくりと深呼吸してから改めてそのあらましを伝えた。
前期に選択授業で一緒になった他クラスの男子生徒。その人のことが苦手で散々逃げ続け、先日は家まで送ると言って着いて来られそうになった。凪くんのおかげで無事に追い払うことができたけどあの人のことだからまたしつこく来るかもしれない。

「あの人の目の前で私が凪くんにチョコを渡すから受け取ってほしいの」

作戦はこうだ。バレー部のあの人は毎日第三体育館で部活をしている。その体育館から部室棟に行くには必ず渡廊下を通るのだが、そこからだとちょうど裏庭の花壇が見える。その人が渡廊下を通る時間帯を見計らい私から凪くんにチョコを渡す。要は私が凪くんのことを好きだと向こうに信じ込ませられればいい。

「放課後に少し残ってもらうことになるから帰るのは遅くなっちゃうけどお願いできないかな…?」

前よりは話しかけられなくなったからこそ、今このタイミングで諦めをつかせたい。それにあの人はプライドが高そうだからこのことを周りに言いふらしたりはしないだろう。

「そんなコト?全然いいよ」
「ほんと?!」
「うん」
「ありがとう!」

めんどくさいと言われ断られることも覚悟していたがこうもあっさり引き受けてくれるなんて。しかしもちろん凪くんをタダ働きさせるわけではない。あの人の目に本命チョコを渡す私≠ニして見えればいいので渡すものはチョコじゃなくたっていい。但しそれなりに豪華なラッピングにはさせてもらうが。それも踏まえて凪くんに今欲しいものはないかと聞いた。

「別になんでも……名前の作ったものならなんでもいいよ」
「手作りってこと?それでいいの?大丈夫?」
「今まで散々食べてきたんだケド」

いやそういう意味じゃなくてもっと高いお菓子とかなんならiTunesカードでもよかったんだけど。そんな安上がりでいいなんて凪くんって物欲とかないのかな。というか睡眠欲以外の欲求が欠落していそうである。

「分かった。じゃあ咀嚼回数が少なくてすむようにトリュフにするね、ピックも付けるから手も汚さずに食べられるようにする!」
「トリュフ?うん、なんでもいいよ」

名前が作ってくれるなら、と凪くんは付け足して一つ大きな欠伸をした。





来たるバレンタイン当日。校内のあちこちには幸せそうなカップルや今から告白に挑もうとする女の子。はたまた女子生徒に囲まれる男性教員や義理チョコばっかり!と嘆く男子も数多く見られる。しかし私としては戦地に赴く兵隊のような心境であった。

「場所はここで大丈夫なはず。あの人が来たら私が『受け取ってください!』って言うから凪くんは頷いてチョコを受け取ってもらっていい?」

渡廊下から見える裏庭の花壇の前、そこで凪くんと最終打ち合わせをする。ターゲットの彼は放課後に委員会があったようでいつもより遅れて部活に来るはずだ。これはある意味好都合だった。おかげで彼以外の生徒にこの現場を目撃されずに済む。

「分かった。でも俺と名前の場所は交換した方がよくない?」

私は花壇を背に渡廊下を向いて立っていた。そして凪くんは私の正面にいる。こうすることであの人に女子生徒が私だと気付いて欲しいからだ。しかし場所を逆にしてしまうと凪くんの顔は見えるが私の顔は向こうから見えなくなってしまう。

「それだと向こうに私だって気付いてもらえなくなっちゃう」
「好きな子の後ろ姿くらい気付くっしょ。合図は俺がするから名前はこっちね」
「う、うん」

凪くんにしては少し強引な気がするがそこまで言うには何かわけがあるのだろうか。促されるままに場所を移動する。凪くんの後ろでは規則正しく植えられたノースポールが白い花弁を揺らしていた。

「……きた」

しばらくすると凪くんがそう合図した。私の位置からでは見えないが彼が渡廊下に来たのだろう。ここで振り返るのも変なのでこのまま作戦に移らせてもらう。

「あの……」
「名前が呼び出しって珍しいね。俺に何か用?」

ア、アドリブ?!いや聞いてないんですけど!
しかし私の動揺を余所に凪くんはじっとこちらを見てくる。……あぁ、なるほど!私の名前を呼ぶことで向こうに私だって気付かせようとしているのか。結構考えてくれてたんだな。でもそれなら先に言ってほしかった。

「う、うん!急にごめんね、凪くんにこれ渡したかったんだ」

百均のものを駆使して豪華に飾り付けた紙袋を差し出す。誰がどう見ても一目で本命だと分かる代物。中身は見た目の豪華さに劣る映えもしないトリュフだけど味には自信がある。

「バレンタインのチョコレート?」
「うん。受け取ってくれる?」
「本命なら貰う」

えぇ?こんなところまでアドリブ必要?!いや、ある意味本命なんだけど改まって聞かれてそう答えるのってものすごく緊張する。そうこう考えてるうちに顔も熱くなってきた。今声を出したら絶対に裏返る。そしたら怪しまれるかも……だからこくこくと頷くことしかできなかった。

「なら貰うね。ありがと」

私の手から紙袋が離れていった。よかったこれでミッション完了だ。私の位置からでは彼の様子は見えないがきっと上手くいったはず。

「……え、」

スッと目の前に影が落ちたと思ったら目の前には凪くんの顔。この距離でも凪くんの肌は綺麗だなぁなんて……待って今どうゆう状況?

「そのまま動かないで」

声を上げる前に先手を打たれ言葉を飲み込んだ。というか動きたくても顔がぶつかりそうでとてもじゃないが動けたものではない。だから気を紛らわすために自分の心臓の音だけを数えていた——それを二十数えた頃、ようやく凪くんの顔が離れていった。

「うん。もうよさそう」
「はっ……」

自分でも知らぬうちに息を止めていたらしくしばらくは肺に酸素を送るので精一杯だった。呼吸が落ち着けばようやく脳みそもクリアになってくる。

「大丈夫?」
「うん。向こうの様子はどうだった?」
「諦めたっぽい感じだったよ。もう大丈夫なんじゃない」

よかった。これで例え二年で同じクラスになったとしてももう絡まれることはないだろう。今度こそミッションコンプリート。今日から穏やかな学校生活が送れそうだ。

「よかった!本当にありがとね、凪くん」
「ン、じゃそろそろ帰りますか」

そうだね、なんて胸をなでおろしていれば不意に手を取られた。それはいつかの時と同じようなタイミングで。あまりに自然な動きすぎて驚く暇もなかった。

「名前に付き合ってずっと外いたせいで手が冷えた」

凪くんはこちらに考える隙も与えないように言葉を続ける。歩きながら、淡々と。少し出遅れて転びそうになったけれど歩幅を合わせてくれたおかげで転ぶことはなかった。そして横に並べば凪くんはこれまた図ったようなタイミングでパーカーのポケットに手を入れた。もちろん私の手も一緒に。

「責任、取ってよね」

加えて逃げられないような一言まで添えられてしまえば、やはり私は頷くことしかできなかった。

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