春来たりて友増える

桜はすでに散ってしまったがこの麗らかな陽気は春を感じさせるには十分すぎるほどの日差しである。姿の見えぬ貌鳥もその季節を歌に乗せて鳴いていた。そして春とはいえ些か早すぎるタンポポの綿毛が目の前を浮遊していた。

「凪くん、おはよう。今日は早いね」

声を掛ければぴょこぴょこと跳ねていた綿毛が停止してこちらを向いた。その瞳は重そうな瞼に半分ほど隠れてしまっている。いつも始業時間ギリギリの登校で来る凪くんと会うのはこの一年で初めてのことだった。

「おはよ。さすがに今日寝坊したらマズいかなって思ったら早く起き過ぎた」

くぁっと凪くんがあくびをすればそれが映って私も小さくあくびをした。春ってお出かけしたくなる気候だけど同時に睡魔との戦いでもあるんだよなぁ。凪くんとまではいかないが私も授業中ついつい寝てしまうかもしれない。

「今日から二年生だもんね。クラス分け気になるよね」

でもせっかくの高校二年生という時を無駄にはしたくない。三年生になれば嫌でも受験一色になる。そうなる前に学生のうちにやりたいことは目一杯楽しんでおきたい。

「そうだね」

その中には凪くんと過ごす時間も含まれてる。だから今年も同じクラスになれるといいな。



「よかった!名前も同じクラスだ!」
「えっほんと?!嬉しい!」

掲示板に貼られたクラスを確認し教室に足を踏み入れれば、一年でも同じクラスだった眼鏡の彼女がいた。仲のいい子が二年でも一緒なのはすごく嬉しい。でも凪くんとは残念ながら別のクラスになってしまった。これから一年、凪くんが移動教室で置いてかれたり放課後まで寝たままでいないかかなり心配である。でも当の本人はケロリとしたもので「窓側の席だといいなぁ」なんて呟いていた。そして私には「教科書忘れたら借り行くね」とこれまたいつもの調子で言われた。私だけ一緒のクラスになりたかったみたいでちょっと悲しい。

「ねぇこのクラスヤバくない?」
「だよね、めっちゃ当たり!」

近くにいた女子生徒の会話が耳に届く。彼女たちは一年の時よりも短く折ったスカートを履いてうっすらと化粧までしていた。派手とまではいかないが、きっとこのクラスの中心グループに入りそうな子だなって感じはした。

「名前どうしたの?」
「えっ……あぁ、このクラス他にどんな子がいるのかなぁって見てた」

友人も少なからず彼女たちの会話が聞こえていたのかすぐに察した様に「あー」と言いながら苦笑した。そして一歩こちらに距離を詰めて耳元に顔を寄せる。だから私はそのまま彼女の言葉を待った。

「このクラスかっこいい人が多いんだよ。バスケ部の黄瀬くんにテニス部の不二くんでしょ。それに野球部の清峰くんにバレー部の及川くんもいるし……それに極めつけは」
「きゃー!!玲王さま!」
「玲王くん!!」

後で悲鳴が聞こえ友人と共に肩を震わせる。そちらへと視線を向ければ特徴的な紫色の髪をした人物が一人——御影玲王がいた。

「おはよー今日からよろしくな!」

その一言でこれまた黄色い悲鳴がクラスから上がった。
総資産七千五十八億円、御影コーポレーションの御曹司である御影玲王。その生まれの良さに加えて頭脳明晰、成績優秀、スポーツもできて顔立ちも群を抜いて整っている。しかし自身の高スペックに胡坐をかくわけでもなく、誰にでも分け隔てなく接し明るい性格でコミュニケーション能力も高い。全てを持って生まれたと言っても過言ではない人物だった。

「相変わらずすごい人気だなぁ」
「だね。周りの空気がキラキラして見える」

彼女も私もどちらかといえばそう言った世界とは一歩引いたところで生活している身。御影くんは確かにかっこいいと思うが、仲良くなりたい!よりは動物園にいるパンダと同じくらいの距離で眺めていたいって感じ。

「今年一年、大分賑やかになりそうだね」

彼女の言葉に笑い、これから始まる新学期に胸を膨らませた。





徐々にクラスにも慣れ新しい友人もできた。周囲の顔の良さやテンションの高さに気後れしていたところもあったけれど話してみたらみんな優しくていい人だちだった。これなら体育祭も文化祭も、二年で一番のビックイベントである修学旅行も楽しめそうだ。

「先生、これクラス全員分のプリントと日誌です」
「おーお疲れさん」

日直当番を済ませ荷物を取りに行くため自分の教室に戻る。放課後の今はすでに部活に行っている生徒が多いようで廊下に人は少なかった。そこで凪くんのことを思い出す。ここ最近は私も自分のことで手いっぱいだったけれど彼は新しいクラスでやっていけているだろうか。

「凪くん……?」

自分の教室に戻る前に凪くんのクラスに顔を出す。でも彼のことだからHRの終了と共にもう帰ってしまったかも……ということはなく机の上に突っ伏していた。あの様子、もしや寝てる?

「凪くん」

自分のクラスではないが他に人がいないのをいいことに教室に足を踏み入れる。そして凪くんの傍に近づいて先ほどよりもはっきりと名前を呼べばそのわたあめがぴくりと動いた。もう一度、名前を呼ぶ。そしたらもぞりと頭が持ち上がった。

「んぇ……名前?」
「おはよう」
「おはよ。いま何限目?」
「もう放課後だよ」

目元を服の裾で擦りながら辺りを見回している。それから数秒の沈黙がありようやく今の状況を理解したらいい。どうやら午後の授業は軒並み爆睡していたようだった。

「なんか、久しぶりに人と話したかもしんない」

そして凪くんからはさらに衝撃的な一言が。二年生になりもう二週間ほどは経とうとしているがその間、彼は人と会話をしていないという。

「本当に?」
「うん。さすがに人としてヤバい気がしてきた」

凪くんにもそういう感覚あるんだ。そんな彼の人間らしい部分に感動を覚えながらその日は二人で帰ることにした。
その道すがら今後の凪くんのコミュニケーションの取り方について一緒に考える。凪くんの場合、淋しいとか誰かと話したいというわけじゃない。声を出す習慣としてのコミュニケーション相手が欲しいという感覚。さすがに私が毎日声を掛けに行くわけにもいかないし他に方法がないか考える。

「うーん…よく聞くのはペット飼うとか、かな」

一人暮らしの人が寂しさを埋めたり癒しを求める相手として犬や猫を飼う話はよくある。しかし凪くん曰く寮暮らしではそういった動物は難しく、また例えハムスターや金魚でもエサやりが無理だといった。確かに自分の食事すらめんどくさがる人にお世話は難しいかもしれない。

「えーっと、じゃあロボットとかは?今は受け答えのできるそういう物もあるみたいだし」
「買ってもたぶん話しかけない」

その姿は容易に想像できた。きっと買って数日も断たないうちに部屋のオブジェと化しているに違いない。他になにか代用できるものはあるだろうか。受け答えはできずとももう少し温かみのあるような、ギリ生き物っぽいもの。

「……植物」
「え?」

うーん、と唸っていたところで凪くんがそう呟いた。目の前には周囲よりも少しばかり早く生まれ変わりを遂げたたんぽの綿毛が風に乗って泳いでいる。なるほど、確かに植物は悪くないかもしれない。



「いらっしゃいませ〜」

ということでその足で町内のお花屋さんに来た。凪くんが何を買うのか気になったので私も同行させてもらっている。店内はそこまで広くないながらも色とりどりの花が飾られてて甘い香りがした。また、切り花以外にも鉢植えや観葉植物のようなものもある。

「いちばんめんどくさくないヤツをください」
「……え?」

物珍しくて店内を物色している内に凪くんが女性店員さんに直球で聞きに行ってて驚いた。まぁ確かに植物の知識はないし聞いた方が早いだろう。でもその聞き方は……店員のお姉さんは困惑しながらも凪くんの要望に合う商品を紹介してくれた。

「でしたらサボテンですかね。どれもお世話はほとんど必要ないですよ。どんなずぼらな人間でも育てられます」

お姉さんの言い方も中々である。でもサボテンなら確かに水やりも多くなくて済みそうだし凪くんにぴったりかも。
その中でも凪くんは平べったいうさぎの耳のような形をしたサボテンを選んだ。その見た目通り、名前も『バニーカクタス』というらしい。日当たりのいい窓辺において水やりも土が乾いたらやる程度でよく、基本的にほっとくだけでいい。

「これください」

店に入ってわずか五分。凪くんはそのサボテンを即決で購入した。



「そのサボテン、名前はどうするの?」

袋の中の鉢植えが倒れないように凪くんは両手でサボテンを持っている。その袋を覗きながら聞いてみればきょとんとした顔をされた。でもすぐに納得したらしい。

「そっか。ペットだから名前があったほうがいいよね」

例え受け答えができずとも愛着がわくように名前が付けることも大事だと思う。私も小さい頃とかぬいぐるみに名前を付けて呼んだりしてたし。

「ケロちゃんとかモコナとか、好きなキャラの名前つけてたりしたなぁ」

古き良き思い出を振り返りながらしみじみと回想する。日によってぬいぐるみの名前が変わってたりするのもよくあることだったけれど、糸がほつれても縫い直して大切にしていた。そして今もその子達は枕元に並べてあったりする。

「じゃあ名前」
「なに?」
「違う。このサボテンの名前、名前にする」

袋の中から飛び出しているうさ耳を持つサボテン。この子を私と同じ名前にするという。一体なぜ……

「え、なんで?」
「好きなキャラとかそうゆうのも特にいないし」
「じゃなくて私の名前にする必要ある?」
「今思いついたのが名前の名前だったから。それに俺好きだし」

名前が、だよね…?私の名前の響き的な、そういうのが好きってことだよね。うん、そうだ。きっとそう。そういうところは省かないでほしい。

「そ、れは…紛らわしいからやめた方がいいんじゃないかな?」
「そう?」
「うん」

言葉を濁しながらも伝えれば凪くんはまたサボテンをじっと見て無言になる。そして結局そのサボテンは『チョキ』という名前になった。うさ耳にも見えるけどその二股の形がじゃんけんのチョキにも見えるという理由で。実にシンプルな名前だけど呼びやすくていいと思う。

「じゃあチョキ、凪くんをよろしくね」

凪くんのアパートの前に着き二人にお別れを言う。これから一人と一匹での生活がスタートである。チョキは自ら話すことはできないけれど凪くんの支えにはなるだろう。どうか彼が日本語を忘れないように手助けしてあげてくれ。

「マカセテー」
「ふふっ」

私の言葉に凪くんがチョキにアフレコをして答えてみせる。その仕草が可愛くて思わず笑ってしまう。それと同時にもう自分はお役御免かなぁなんて思ったりして。私の今までの役割が……といっても勝手にそう思ってただけだけど、それをチョキに奪われたような感覚。

「またね」

唯一の強みを上げるなら私なら会話ができるってところだけど凪くんがそれを必要としてるかも分からない。寧ろ独り言を聞いてくれるようなあのくらいの距離感の方が凪くんには好ましいのかも。

「名前!」

サボテンに嫉妬するなんて馬鹿みたい。そう自嘲していた後ろで名前が呼ばれた。凪くんにしてはその声は少し大きくて驚いた。振り返ればまだアパートの前にいた凪くんと目が合う。

「チョキを飼うコトにしたケドこれからも俺と話してね」

私の気持ちを組んでくれたのだろうか。いや、凪くんに限ってそれはないだろう。でもその言葉一つで私がどれだけ安堵したか。だからこちらも柄にもなく少し大きな声を出してしまった。

「もちろんだよ!」

新学期になり変わったことはいくつもある。でも凪くんとの関係は良くも悪くも現状維持のまま進みそうだ。でもやっぱり嬉しい気持ちが勝ったから私は大きく頷いた。

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