敵か味方か

図書室に本を返しに行った帰り道、後からドタバタと足音が迫って来たのでスッと廊下の端に寄った。まったくお昼休みに元気なものである。走り回るなら校内ではなく運動場か体育館にしていただきたい。

「名前たすけてー」
「へ?!えっあ、なに?!」

早く通り過ぎてくれと願いながら隅っこを歩いていれば突然後ろから両肩を掴まれた。その勢いのまま体がくるりと回って通って来た廊下が視界に映る。そして気付けば私の背中には凪くんがくっつき虫のようにへばりついていた。

「めんどくさい人に追われてる。助けて」
「めんどくさい人?」
「待てよ凪!」

髪を振り乱してこちらまでやってきたのは同じクラスの御影玲王。凪くんは玲王くんから逃げてきたのだろうか。それにしても凪くんと玲王くんの組み合わせって不思議な感じ。この二人って何か接点あったっけ。

「もーしつこい。キョーミないって言ってんじゃん」
「お前には才能がある!だから俺と一緒にサッカーやろうぜ!」
「めんどくさい」

そういえば一年生の最初の頃も凪くんの身長目当てで色んな運動部から声掛けられてたっけ。それと同じ理由で玲王くんが勧誘してるのもなんか今さらな感じはする。それに玲王くんってサッカー部でもなかったような……事の経緯と今の状況がまったくわからない。

「お前は選ばれた人間なんだよ!頑張りゃプロも夢じゃないって!」
「頑張んなきゃダメなんてめんどくさ」
「ダーッ!部活も入ってねぇんだから付き合えよ!つーか名前ちゃんと凪って知り合い?コイツのコト説得してくんね?」
「えぇっと……」

だからどういう状況なのでしょうか?とりあえず凪くんの様子を窺うために振り返ろうとする。しかし肩に乗せられた手に力が込められたため凪くんの顔を見ることは叶わなかった。あれ、ちょっと怒ってる?

「名前行こ」

そして突撃されたときと同じように凪くんにより進行方向を変えられた。玲王くんに背を向ける形になり、そのまま凪くんに押されて前に歩かざるおえなくなる。歩く速度は遅いため転ぶことはないけれど、なんというか圧が強い。だから成すすべなく玲王くんだけをその場に残し立ち去ることしかできなかった





今日もいつも通りの時間に登校し、自分の席に座った瞬間だった。

「名前ちゃん、ちょっといい?」

その場にふわりとベルガモットの香りが広がって自分の隣に気配を感じた。顔を上げればすぐ傍には玲王くんが立っていて私に向けて僅かに首を傾げている。この時間に彼がいるのは珍しい。それに私に話しかけてくることも。

「うん、いいよ」
「ありがと!」

そう言って玲王くんは爽やかな笑みを浮かべた。こういう仕草が人の心を掴むんだろうなとしみじみ思う。そのハイスペックから女子にモテることはもちろんだけれど玲王くんには男子の友達も多い。きっとこういう人当たりの良さとか取っつきやすさに自然と人が集まるのだろう。

「人が来る前のがいいから単刀直入に聞きたいんだけどさ、」

私の前の男子生徒の席に座って玲王くんは半身を捻ってこちらを向いた。てっきり小テストの範囲とか私の所属する委員会のことでも聞かれると思ったのに、そんなにじっくり話すようなことなのだろうか。というかその切り出し方はあまりいい話ではない?

「どうぞ」

先が気になり続きの言葉を促す。すると僅かに顔を近づけて私と自分との空間に手を添えた。周囲に口元が見えないように、内緒話をするかのように。

「名前ちゃんって凪と付き合ってんの?」
「えぇっ?!」

しかし玲王くんの気遣い虚しく私が大きな声を出したことにより、教室にいた何人かのクラスメイトがこちらを振り返った。私は慌てて首を横に振り、違う違う!と全否定する。どこからどうしてそのような勘違いをされたのだろうか。それとも私が分かりやすかった?でも玲王くんに一発で見破られるなんて、そんなことある?

「ど、どうしてそう思ったの?」
「この前の二人見てたらそう思うっしょ。だって凪の奴、誰とも話さねぇし関わり合おうともしねぇくせに名前ちゃんとは仲良さそうにしてたからさ」

そうか凪くんの場合、学校に親しい人がいないから普通に接すること=仲がいいという認識になるのか。それで私が女子だったから傍からしたらそう見えたという……それは本当にただの勘違いだ。

「一年のとき同じクラスだったんだ。それで移動教室のときに凪くんのこと起こしたりしてたからその延長で今もよく話すって感じ、…です」

どう説明したらいいのか考えながら話していたら妙にたどたどしい喋り方になってしまった。玲王くんは私の話を聞き「そうなんだ」と相槌を打ってから細い顎に手を添えて何やら考えていた。

「玲王くんこそ凪くんとはどういう関係?」

これ以上の詮索を回避すべく隙をついてこちらから話題を振る。結局、あの後凪くんからの説明は一切なかったのだ。私を教室の前まで連れて行き「じゃあね」と言って彼は自分の教室に帰っていった。あ、でも最後に「レオと仲いいの?」って聞かれたっけ。

「俺と凪?あぁ、いま俺が凪のコト口説き落としてんの」
「口説き落とす……?!」

もしやそうゆう関係なの?!だからお互い私に「仲いいの?」なんて聞いてくるの?となると私は二人にとってかなりの邪魔ものになる。あーだから凪くんの質問に、クラスメイトとして話すくらいだよと答えたときに渋い顔をされたのかな。同じクラスってこと自慢してんのかよ、みたいな。

「ははっ名前ちゃんって結構純粋なんだな」
「え?」
「ごめん、揶揄ったワケじゃねーよ。俺が凪とサッカーやりたくて誘ってんだ」

ネガティブ思考が度を増してあらぬ方向に行きかけるも寸でのところで軌道修正させられる。そして玲王くんの口からようやく事の経緯とあの時の状況を聞くことができた。

玲王くんは日本の誰もが知っている大企業の御曹司ではあるが本人に今のところ会社を継ぐ意思はないらしい。曰く、親から与えられたモノで満足する人生では終わりたくないという彼のプライドがそう言っているらしい。そんな彼が生まれて欲しいと思ったのがワールドカップの金杯。

「俺の存在を証明するためにもアレを手に入れる。その為には凪が必要なんだ」

東棟の北側階段、考え事をしながら下りていた玲王くんはそこにいた人物の背を蹴ってしまう。その勢いで相手の手からはスマホが飛び出した。それは綺麗な放物線を描き階段下へと落ちていく——が、スマホは床に着地する前に上履きの先端に触れた。

「俺はあの天才が欲しい」

ノーモーションで一気に階段下までジャンプするばねと体幹。その姿勢からジャンピングトラップする超絶技巧。自分の理想のはるか上を行く鮮やかでクールなトラップ——それをやり遂げた凪誠士郎に玲王くんは魅了された。

「アイツとならワールドカップも夢じゃねぇ。つってもまずはウチのサッカー部を全国出場させるとこからだけど」

てっきり玲王くんの夢物語を聞かされているだけかと思っていたけれど、彼は夢を現実にするためのルートをすでに見い出していた。それはとても現実的で理に叶っていて、初めて聞いた私でももしかしたら数年後、彼らはワールドカップに出てるかも……と思ってしまうほどだった。

「どうしても凪には俺と一緒にサッカーをやってもらいたいんだ。だから名前ちゃんも協力してくんね?」

玲王くんの話し方が上手いのもあって二人がサッカーをするシーンを想像するだけでわくわくしてくる。だけど先日の凪くんの様子を見る限りかなり嫌がっていた。嫌がるものを無理やりやらせるのはどうかと思う。玲王くんが親の敷いたレールの上を歩きたくないように、凪くんも望まぬ路を歩かされたくはないだろう。

「玲王くんの話は理解できたけど凪くんに無理強いはさせたくないかな」
「じゃあ凪にやる気を出させる方法ってなんか思いつく?俺だってタダで協力してもらおうとは思ってねぇし」

玲王くんもかなり真剣なのか思いのほか粘ってくる。うーん、凪くんのやる気か……レア素材のドロップ率が高い時は何を犠牲にしてでも鬼のように周回プレーをしているが、たぶん今求められている答えはそれじゃない。

「うーん…ご褒美的な何かって意味ならないかも。凪くん基本的に物欲ないし興味があるのはゲームくらいだし」
「やっぱそうかぁ」

玲王くんは頭を抱えてその場で盛大なため息をついた。ごめんね、私はあくまで凪くんの味方だから玲王くんには協力できないかも。





二年生は確かにゆとりのある時期ではあるけれど私は勉強にも力を入れなければならなかった。この学校には特待生として入学しているため学年上位の成績をキープするのはもちろんのことだけれど、今後の成績は受験の時にも大きく関わってくる。できれば大学も授業料が免除される形で入学したいので成績キープの他にも検定の取得や弁論大会への参加で周りと差をつけたい。

「隣いい?」

だからテスト期間でなくても放課後に図書室を利用することは多い。今日も定位置と化した壁際の長机に座っていれば後ろから声を掛けられた。そこにいたのは勉強や読書と無縁の凪くん。

「もちろんいいよ」
「どうも」

隣の椅子を引いて机にリュックを乗せる。その中身はやはりほぼ空なのかすぐさま重力によってぺしゃんこになった。でも凪くんがそれを枕代わりにすることはなく椅子の背に体を預けてこちらを向いた。

「凪くんが図書室に来るなんて珍しいね」
「まぁね。ここに来れば名前に会えると思ったから」
「私に何か用だった?」

またマルチプレイのためにスマホを貸してくれとか、そういったお願いだろうか。
基本的に私語禁止ではあるが人も少なく司書の先生がいるカウンターからも遠い席なので声を潜めて会話をする。

「別に用はないよ。用がないと会いに来ちゃいけない?」
「え?」

しかし凪くんからは私の予想に反した答えが返ってきた。私が瞬きをしている間も凪くんは一切視線を動かさずにこちらを見てくる。相変わらず重い瞼で瞳は半分ほど隠れてしまっているにも関わらずそこから目が逸らせない。そして私に続きの言葉を促していた。

「別にそんなことないけど……」

凪くんらしくない。いや、凪くんらしいって何だろう。前まではめんどくさがりで食事もろくに取らず、寝てるかゲームするかの二択で生きてるような性格だった。でも最近はそれだけじゃない気がする。

「だよね」

凪くんは今度こそリュックを枕にする形で机に寝そべった。
私の答えに満足したかに思えたが体勢を崩しても尚、凪くんは私のことを見続けている。

「レオのコト『玲王くん』って呼ぶんだね」

そしてお次は何の脈絡もなくそんなことを聞いてくる。もしかして寝ぼけてるの?と思わず素でそう聞いてしまえば「俺が今寝起きに見える?」とごもっともなことを言われ押し黙る。やっぱり凪くんはちょっと変わった気がする。

「みんな呼んでるからね。御影くんって呼んでる人の方が少ないと思うよ」

相当親しくなければ下の名前呼びなんてしないけどそういった意味では玲王くんは特別なのかもしれない。皆、彼のことを下の名前で呼ぶ。その理由は御影≠ニいうブランドで自分を測られたくないのだと、どこかの噂で聞いたことがある。

「ふぅん。レオに名前呼びされるのは嫌じゃないの?」
「玲王くんは基本的に女子全員『ちゃん』付けで呼ぶよ」

一年の時に絡んできた男子生徒のことを思い出して心配してくれたのだろうか。でもそれに関しては本当に大丈夫。玲王くんの場合は下心なんてものはないし親しみを込めてクラスメイトを名前で呼ぶのだ。外国の人がファーストネームで呼び合うようなそんな感覚に近い。

「そっか」

凪くんはリュックの上に腕を組みその上に頭を乗っける。傍から見ても先ほどよりも姿勢は楽そうで、これはいよいよお昼寝タイムに突入するかのように見えた。でも目を瞑ることはせずにぼぅっと私の広げたノートを見ていた。

「そういえば玲王くんにサッカーやろうって誘われてるんだって?」

相変らず声は潜めたままに、寝そべった凪くんを見ながらそう聞いた。その発言に頭がぴくりと揺れる。そのままもぞもぞ動き組んだ腕の中に顔半分を埋めてしまった。

「なに?名前まで俺にサッカーしろって言うの?」

もごもごとむくれたように、鬱陶しそうな声色だった。やはり私と話した後も玲王くんは説得を続けていたらしい。でもこの様子では口説き落せていないのだろう。そして凪くんにサッカーをやりたいという意思はない。

「言わないよ。凪くんがやりたくないことに無理強いはしない」

玲王くんの夢はとっても素敵だと思うけどやっぱり私に協力はできない。確かに凪くんには才能があるけれどやる気がない人にやらせても勝利は掴めない。根性論を唱えたいわけでもないけどスポーツ競技で最後に勝敗を分けるのは気持ちの強さだと思う。

「私は凪くんの味方だよ」

凪くんは人に褒められるような生活もできていないけれど私はそれを否定しない。もしかしたら甘やかしすぎかもしれないけど、そのままの凪くんでいてほしい。

「嬉しい」

ありがとう、じゃないんだ。
凪くんはちょっとだけ笑って本格的に腕の中に顔を埋めた。私の位置からではもうつむじしか見えない。

「名前が帰るとき起こしてね」

そう言ったかと思えば数秒後には寝息を立てていた。やっぱり私は凪くんに対して甘やかしすぎたのかもしれない。でも頼って貰えるのが嬉しいと思えてしまうのは、私が凪くんのことをとっくに好きになっていたからだ。

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