宝物
高級、一流なモノだけに囲まれて育ち、望むものはすべて手に入った。高額なおもちゃに入手困難なゲーム機、マンガにスマホにドローンも。でも何を与えられたって俺の心は満たされなかった。
勉強も教科書を一通り読めばテストでもほぼ満点、スポーツも大概やれば人並み以上の結果を出せた。友人も多い方、笑顔を絶やさなければ女子にもモテる。でもそんな日々に退屈していた。
親から買い与えられるモノには飽き飽きした。
簡単に手に入るモノは、つまらない。
すべてに恵まれていても、欲しいモノだけが見つからない。
『試合終了のホイッスル!ついに、ついに決まった!今年のサッカーワールドカップを制したのは…——!!』
これだ!
世界が熱狂する勝利と栄光の、唯一無二の金杯。退屈と相反する劇場の嵐の中心で光り輝くあれこそが俺の欲しかったモノ——ワールドカップの金杯を俺だけの宝物にしたい!
「ダメだ。諦めなさい」
しかし、親はそれを許さなかった。総資産七千五十八億円を誇る企業の後継者として育て上げてきた俺をそう簡単には手放さない。もっともな正論を並べられサッカー選手になることを否定された——が、当然親の言いなりになる気はさらさらない。
ンな簡単に諦められるほど安い夢じゃねーんだよ。ようやく俺が自ら『欲しい』と思えたモノ。それが簡単に手に入らないと分かれば渇望はよりひどくなる。
ワールドカップの金杯を手に入れるために。
高一である今の自分が日本代表に選ばれるための最短ルート。
プロになるために一番手っ取り早いのは自分の高校のサッカー部を全国優勝させること。
自分自身のレベルアップは済んだ。しかし進学校の弱小サッカー部を全国にまで連れて行くにはそれだけでは足りない。あと一ピース、勝利に必要な圧倒的な天才さえいれば全国大会出場も、いや優勝だって可能になる。そんな天才がどこかに……
「ちょちょ……スゲーなお前!サッカー部!?」
見つけた。
「あー死んだ」
階段に座っていた男子生徒を誤って蹴ってしまった。そいつの手からスマホが飛び出して階段下へと落ちていく。しかし次の瞬間、信じられないものを見た。床に落ちる寸前のスマホを階段からジャンプしつつ足の先で受け止めて見せたのだ。
ノーモーションで一気に階段下までジャンプするばねと体幹。その姿勢からジャンピングトラップする超絶技巧。自分の理想のはるか上を行く鮮やかでクールなトラップ——それをやり遂げた凪誠士郎を、俺は欲しい。
◇
屋上から見上げる空はどこまでも澄み切っている。その青空に向けて俺はサッカーボールを投げつけた。狙いは勿論、空高く飛ぶ鳥ではなく理解不能の天才だ。
「うぇ…」
投げたボールは狙い通りに頭に当たる。貯水タンクに寄りかかりスマホゲームに没頭していたそいつは鬱陶しそうに俺を見下ろした。
「おーい凪、サッカーやろーぜー」
ワールドカップの金杯を手に入れるためにはこの天才・凪誠士郎が必要不可欠。まったくのド素人のくせしてああも鮮やかなスマホトラップをやってみせたのだ。今まで自分が見てきた誰よりもサッカーの才能がある。
「…えーもーしつこいなあ」
でも当の本人はその自覚がない。いや、自覚はあるケドやる気がない?ともかくこちらが何度声を掛けても「めんどくさい」の一言で終わらせのらりくらりと逃げられる。
「お前は俺と世界一にならなきゃいけない!そーゆー運命だ!俺に見つかったコトを誇りに思うのだ!」
「マンガの読み過ぎでしょ」
どうやったらコイツを口説き落せるのかさんざん考えコイツの周囲を調べつくした。そして俺はようやくその取っ掛かりになりそうなものを見つけた。
「うるせぇ。つーかお前も男なんだからさ、サッカーで活躍してる姿見せて好きな子に『かっこいい!』て言われたいとか思わないわけ?」
二年で同じクラスになった苗字名前。この無気力無関心理解不能な男が唯一キョーミを示す存在、それが彼女だ。そのことに気付いたのは先日、凪を追いかけ回して廊下を急いでいた時のこと。凪が唯一頼りにし、そして名前を呼んだのが彼女だった。
「別にー」
名前ちゃんの第一印象は『大人しそうな子』。クラスに二、三人はいるような物静かな女の子って感じだった。でもこの手のタイプの女子には二種類の人間がいる。まずは見た目通りの控え目な性格の子。もうひとつは控えめそうに見えて二人きりになった瞬間、本性を現してくるタイプの女——通称ロールキャベツ系女子と言われるその種の女を玲王はひどく嫌っていた。小学校の時に自分に告白をしてきた女教師がまさにその類だったからだ。
「お前、好きな子とかいねぇの?」
しかし名前ちゃんは俺が危惧した類の女ではなく見た目通りの子だった。控えめで物静か、似たもの同士のグループで固まっていて、かと言って派手な女子とも普通に話す。男子と話してるところはあまり見ないが人見知りや男嫌いというわけでもない様子。
「いなーい」
だから初めは人畜無害のお人好しである彼女に凪が甘えているだけかとも思った。でも違った。コイツらの関係はそうゆうのじゃねぇ。
「あの子は?ほら、ウチのクラスにお前と仲いい子いんじゃん」
「……名前のコト?」
目の前で見せつけられた凪の嫉妬に、分かりやすいくらいの彼女の反応。間違いなく二人は両想い。
「そうそう名前ちゃん!凪が自分から人に話しかけてんの初めて見たからさ、てっきり名前ちゃんのコト好きなのかと思ったわ」
これを使わない手はない。おそらく恋愛経験ゼロの凪は自分の恋心すら気付いていない可能性が高い。まずはそれを自覚させ名前ちゃんにかっこいいところを見せて惚れさせる≠ニいう名目で凪にサッカーをやらせればいい。そしたら俺も凪も、そして名前ちゃんも幸せになれるwin-win-winの関係ができあがる。凪も所詮は男子高校生、一度火を点けちまえば乗ってくるはず。
「ああ、そっか。ありがとレオ」
これからのコトを脳内でシミュレーションし、凪がどんな返しをしてきてもその気にさせららるような会話文を何パターンか考える。しかし自身の選択肢にはなかった言葉が飛んできた。
「は?何が?」
凪は徐に立ち上がり「ほっ」と地面を蹴って高い位置にあった貯水タンクの傍から飛び降りた。その跳躍だけでも百九十の身長に対してかなり身軽であることが窺える。そして俺と同じ場所に降り立った凪はスッと背筋を伸ばしてこちらを見た。
「俺、名前のコト好きだ。レオに言われてようやく腑に落ちた気がする。だから気付かせてくれてありがと」
一人納得した天才は「じゃねー」と言って俺の横を通り過ぎる。
「ちょ、待て待て待て待て!」
「えっなに?まだなんか用?」
思わず腕を掴んで引き留める。マジでなんなんだよこの理解不能男は!自分の恋心にも無関心なのかよ!なんかもっと羞恥に駆られるとか、照れ隠ししたりとか、そうゆうのもねぇのかよ!
「そんだけ?!」
「そんだけって寧ろほかに何かあるの?」
完全に俺の計算は狂った。だが、恋心を自覚したんなら話は早ぇ。あとは勢いでゴリ推す。
「名前ちゃんのコトが好きならサッカーやろうぜ?!ンで、かっこいい姿見せて告白しろよ!」
「名前のコト好きだからサッカーやるとか意味わかんないんだけど」
「お前に惚れさせるためにだよ!」
「やりたくないコトはやらなくていいって名前は言ってたよ。それにレオ、そもそもサッカー部じゃなくない?」
「そんなもんとっくに話はつけてる!」
掴んだままの腕を引き、凪を屋上から連れ出した。
◇
凪くんが溶けてる?!
「な、凪くん……」
教室の鍵は朝一番に登校した生徒が開けることになっている。それは大抵私で、今日も教室に行く前に鍵を借りるため職員室に向かっていた。そのとき一階の廊下の窓から凪くんの姿を見つけ、私は逆戻りして再び靴を履き彼の元へと向かった。
「……、んぁ」
「大丈夫?」
運動場に面した水道のところ。そこで出しっぱにした水道の水を頭から被り微動だにしない凪くんがいたのだ。
私の声に気付いた凪くんは手探りで蛇口の水を止め頭を上げた。その髪の先端からは雫が滴り落ちている。このままではジャージも濡れてしまう。だからバッグの中からタオルを取り出して渡した。体育がある日はいつもハンカチとは別にフェイスタオルを持って来ているのだ。
「ありがと」
顔と髪の水滴を拭って、それから凪くんは犬がそうするみたいに顔をぷるぷると振った。その様子を見ていれば視界の端にロゴが見えた。凪くんが着ている黒のラインが入ったそのジャージは紛れもなくサッカー部の指定ジャージだった。
「凪くん、サッカー始めたの?」
あんなにやりたくないと言っていたのにどういう風の吹き回しなのだろうか。いや、御影玲王の話術をもってすれば当然の結果なのか。それでも凪くんのことを口説き落せるとは思っていなかった。
「まぁなんか、成り行きで」
ただ凪くんには相変わらず覇気がない。嫌々ってほどでもないけど言われたからやってます感がすごい。聞けば朝早くに玲王くんが自宅前まで車で迎えに来たらしくそのまま連行されたとのこと。
「おい凪!いつまで休んでんだよ!」
「うげっ」
運動場から玲王くんがこちらに走ってくる。そうすればサッと凪くんは私の後ろに隠れてしまった。
「あ、名前ちゃんおはよ」
「おはよう。二人で朝練?」
「そうそう!最低限の体力は付けねーとだからな。ほら、行くぞ」
「えーまだ走るのー?」
「ちげぇ、次はシュート練」
一度は渋ったものの玲王くんに促され凪くんはのそのそと動き出す。
「ん?」
そして気付けば、横を過ぎていく彼の手を反射的に掴んでいた。
「凪くん大丈夫?その、いやじゃないの?」
そう聞かずにはいられなかった。でもそれは凪くんのことを心配してるからじゃない。サッカーを始めたことで玲王くんに凪くんを取られたと思ったのだ。あまりにも自分勝手な醜い嫉妬で私は凪くんのことを呼び止めたのだった。
「うーん……走ったりとか疲れるコトはやだよ。サッカーも別にやりたくないし」
すぐそばで玲王くんが「おい!」とツッコミを入れた。でもその声はとても遠くから聞こえたような感覚だった。
「でもレオといるのはめんどくさくないから良いかなって」
お役御免の文字が脳内に浮かぶ。今までそのポジションにいたのは私だったのにね。やっぱり男の子同士通ずるものがあるのかな。そうでもなくても玲王くんは十二分過ぎるほど魅力的な人だ。
「そっか。練習頑張ってね」
タオルも持ってっていいよ、と言って凪くんの手を離す。なんか子どもが親離れをしていくような、大切に育てていた雛が巣立っていくような感覚。別に凪くんとの仲を進展させたかったわけじゃないけど、勝手に横取りされた気分になって悲しくなった。
「名前、再来週の土曜日ヒマ?」
「え?」
ヘタな笑いで取り繕うとすれば凪くんが私の顔を覗いた。先ほど拭き取られなかった雫が髪から滴り落ちて足元に数滴落ちる。そこでいつの間にか自分が俯いていたことに気付いて顔を上げた。そうすれば凪くんの真っすぐな瞳と視線が交わる。
「練習試合するんだって。見に来てよ」
「あ……えっと、うん」
「約束ね」
「約束……」
「破っちゃダメだから」
「うん…!」
それだけ言い残して凪くんは玲王くんの後を追うようにして運動場へと戻っていった。凪くんが自分に追い付けば玲王くんはその肩を抱くように凪くんの首に腕を巻く。でもその様子を見てももう嫉妬なんかしなかった。
——名前と凪のやり取りを見ていた玲王の機嫌はよかった。
「なに?ようやくやる気になった?」
「別に。ただ、名前にはああゆう顔してほしくないんだ」
てっきり自分の思惑通りに名前きっかけでサッカーへのモチベが上がったと思ったからだ。でもそれは残念ながらただの思い過ごしだったらしい。
「ああゆう顔?」
「自分の気持ち隠して無理してるような顔」
「あーなるほど」
玲王もその言葉に納得する。しかし凪にはまだその続きがあったようで玲王は自分の腕をどかしてそれを待った。凪の横顔は相変わらずの無表情だ。
「レオが言ってた好きな子にかっこいい姿を見てほしいってのはよく分からないケド」
ただ、凪の瞳には僅かに炎が揺らいでいた。
「俺は好きな子には笑顔でいてほしいよ」
玲王は一瞬フリーズする。しかし凪の言葉を理解して思わず噴き出した。そんな玲王の様子を凪は不思議そうに見ている。玲王は決して凪のことを馬鹿にして笑ったのではない。なんて可愛げのある奴なんだと、純粋な奴なんだと、微笑ましくてつい笑ってしまったのだ。そして打算なしに本気で二人の恋を応援してやろうと、そう思ったのだ。