ログインボーナス

夕飯の片づけを終え末の弟たちも寝静まり、ようやく自分の時間となったときだった。

「姉ちゃんスマホ貸して!」

絶賛反抗期中の弟がリビングに現れた。
中学二年生の涼太は現在、母親と喧嘩中である。というのも前期の学校の成績が良くなかったからだ。だからここ最近は食事以外の時間にリビングへ訪れることはなかったのだが今日は母親が夜勤でいないため自室から出てきたらしい。

「なんで?」
「実は今日リリースのゲームがあってさ、友達招待するとレアな強化素材が貰えるんだよね。だから姉ちゃんにもそのゲームダウンロードしてほしくてさ」

そして我が弟は説教にも懲りずまたゲームアプリの数を増やすらしい。因みに弟の沽券のためにも言っておくがやればできる子なのだ。しかし、中学生というのはゲームやらSNSやら部活動やらと、まぁとにかくやらなきゃいけないことが多いらしい。一種の集団凝集性が問われるそれはきっと高校生の私よりも敏感なのだろう。

「新しいゲーム始めたって知られたらまたお母さんに怒られるよ」
「姉ちゃんがチクらなきゃ平気だって!だからスマホ貸して!」
「はいはい」

そんな弟の気持ちも少なからずわかるのでそこまで口うるさいことは言わずにロック解除したスマホを渡す。
リビングのソファに並んで座り横から自分のスマホを覗き込む。弟の手によりダウンロードされたのはよくあるシューティングゲームのようだ。主人公の斜め後ろの視点からキャラ操作を行い、NPCやオンラインプレイヤーを銃で攻撃して倒す。その報酬で強化素材を得たり強い武器と交換したりするよう。

「チュートリアル後じゃないと特典もらえないからとりあえずそこまで進めて」

ゲームと言っても精々姉弟でマリパするくらいの私にスマホが返される。右も左も分からぬ状態ではあったがそのためのチュートリアルということで、武器操作やターゲティングのやり方を一つ一つ覚えていく。

「……終わったっぽいんだけど」

初心者装備一式を渡されたことでチュートリアルが終わったことが分かる。私の言葉を聞いた涼太はゲームをリロードしてからプレゼントボックスを確認した。

「おっ素材届いてる!ありがと!」
「うん」

これで私の役目は終わったわけだがチュートリアルを経て少なからずこのゲームに興味が湧き始めた。それに招待された側にも特典として同様のレア素材が届いている。私もそれを受け取り武器強化の画面へと切り替えた。

「もしかして姉ちゃんもやるつもり?」
「せっかくだしね。これって何に使うのがいいの?」
「まだ大した武器持ってねーだろ?まずは対戦数こなして強い武器交換するところから始めた方がいいぜ。あとは……」

興味を示したのが嬉しかったのか涼太が饒舌に色々と教えてくれた。それをうんうん聞きながら、結局日付が変わるまで二人してやり込んでしまった。





今日も今日とて諸々のことを済ませ自分の時間を迎える。この日は母の仕事が休みだったため私もようやく夏休みらしくダラダラと過ごしていた。そこでふとアプリの存在を思い出し、昨日インストールしたばかりのゲームを立ち上げた。

起動と同時にログインボーナスを受け取る。そして画面を切り替えればまたボーナス報酬の画面が表示された。どうやら初心者ミッションであるこの項目をこなすとまた別に報酬が貰えるらしい。

「凪くんもこのゲームやってるかな」

ミッションの一つにある『フレンドを追加する』の項目を見て彼のことが思い出された。
夏休みに入りちょうど一週間。凪くんとのやり取りはゼリーのお礼で止まっていた。そのトーク画面を立ち上げ簡潔に文章を打ち込んでみる。

『久しぶり!凪くんはこのゲームやってる?』

ゲームタイトルのスクショと共に送信。そしてタスクを切り替えゲームを再開させた。どうせすぐには返ってこないだろうし、もしかしたら通知も切ってて気付かれない可能性だってある。返事が来たらラッキーくらいに思っておこう——だからこそ、十秒も待たずにきた通知に驚いた。

『やってる』
『苗字さんもやってるの?』

反射的にポップアップをタップしトーク画面を開いてしまった。ともなれば既読がついてしまうわけで、気持ち的にすぐに返さねばとやや焦る。返事を打ち込み送信すれば自分の吹き出しにはもらったメッセージの一分後の時間が表示されていた。そしてその隣にすぐ『既読』のマークが着き、お口バッテンのアイコンが顔を出す。

『ならフレンドにならない?』

次いで表示されたのは十六桁の英数字だった。それをコピペしゲーム内でフレンド検索をかければ『ng』というプレイヤーが見つかる。まんまだなぁと小さく笑いながらフレンド申請を送ればこれまた秒で承認された。

『こっちでもよろしくー』

そう、スマホが通知を告げた。

それからというとそのアプリを通して凪くんの生存確認ができるようになった。というのもフレンド一覧を見ればそのプレイヤーのログイン履歴を辿れるからだ。
私がやる時は大抵ログインしていて、プレゼントボックスを開けばng からコインが届いている。これはデイリーミッションにある『フレンドにエールを送る』の特典だった。だからこちらもエールを返してミッションを消化する。
それも日々の日課になり、私の杞憂はこうして解消された。


——はずだったのだが。


私は今、凪くんのアパートの前にいる。
それは彼が例のゲームに昨日からログインしなくなってしまったからだ。もしかしたらもう飽きてしまったのかもしれない……でも、今は素材ドロップ率が二倍の期間で「めんどくさいけどマシンガン完凸したいからやるー」と言っていたのだ。

『お掛けになった電話番号は電波の届かない場所にいるか電源が入っていないため……』

試しに電話を掛けてみるもこの状態。もしかしたら行き倒れてるかも……なんて想像までしてしまって陽炎が揺らぐアスファルトを踏み彼の元へ向かった。

凪くんの家の場所は分かるが部屋番号は分からなかったのでアパートの監守室に寄り事情を話して教えてもらった。
無機質な扉を前にして恐る恐るインターホンを鳴らす。中からは確かになった音が聞こえたがその他の物音はない。そうなればいよいよ心配になり連続で二回インターホンを鳴らした。

「凪くん!同じクラスの苗字だけどいる?」

扉に向かって声を掛けて様子を窺う。すると、ガタンバタンといった騒々しい音が聞こえてきた。
凪くんだよね…?とりあえず生きていて一安心である。そのまましばらく待っていれば鍵が外された音と共に扉が開かれ、白いわたあめが顔を出した。

「あの急に来ちゃってごめ……」
「しぬ」
「うわっ?!」

扉が大きく開き、そこから大きな体が倒れ込んでくる。反射的に手を伸ばすが凪くんの体を支えることなど到底不可能で、重力に従う形でその場に尻もちを付いた。

「痛い……」
「うへー」
「えっ大丈夫?!」

Tシャツにスウェットというラフな格好。開け放たれた扉の内からはエアコンの冷気が流れ出てくる。だというのに凪くんの体は熱いように感じた。

「あ…ごめん」
「起き上がれる?」
「たぶん」

弱々しく応えながら凪くんは上体を起こす。肩を支えながら補助してやれば「はぁ」と大きく息を吐き出して玄関の壁に寄りかかった。普段ならば透けそうなほどに白い頬が少し赤い気がする。

「とりあえず中入ろうか、歩ける?」
「うん」

すぐに救急車をよんでもよかったのだが意識がはっきりしていたので休ませることを優先した。壁に手を付きよたよたと歩く凪くんの後ろを着いて行く。

元は単身赴任者用のアパートだったのか中は実にシンプルなつくりの1DKだった。廊下を抜けるとローテーブルとテレビが置かれた部屋があり、右手側に扉を挟んでもう一部屋ある。開け放たれたままの扉の奥を見れば背の高いラックがあり主に漫画本がずらりと並べられていた。

「もうむりー」

そして凪くんは窓際に設置されたシングルベッドに勢いよく倒れ込んだ。その枕元に充電ケーブルに繋がれたスマホを確認する。しかし肝心のコンセントが抜けており充電ができていないことを悟る。

「ねぇ凪くん、」
「ん?」

凪くんの盛大な寝癖とカーテンを閉め切った部屋。ここに来るまでに見た台所に生活感はなかった。その状況から導き出される彼の不調の原因について一つの仮説に辿り着く。

「最後にご飯食べたのいつ?」

恐らく軽度の熱中症と夏バテだ。室内で冷房を利かせていると分かりづらいが水分補給を忘れて脱水症状になる人も多いと聞く。また自律神経の乱れによる体調不良あるのだと思う。

「朝起きて……あれ?昨日の夜?時間気にしてないから分かんないや」
「じゃあ食べたものは覚えてる?」
「買い置きのパンがなくなってからはゼリー飲料」

碌な食事もせずにゲームをしてそのまま寝落ちし起きたらまたゲーム。そしてお腹がすいたらゼリーを食べる。悪い意味での気ままなスローライフだ。

「そっか……とりあえずこれ飲んで」

手ぶらなのも悪いかと思い、来る前に買ってきたスポーツドリンクを取り出す。凪くんはゆっくりと上体を起こしベッドの上で胡坐をかきながらそれを受け取った。

「ありがと。ちょっと生き返ったかも」
「よかった」
「そういえば苗字さんどうして来たの?」

ペットボトルの中身を一気に半分ほど飲み口元を手の甲で拭う。そのぽけ〜とした顔を見て、どれだけ心配したと思ってるの?!と言いたくなったが、こちらのおせっかいであることは分かっているのでその言葉は飲み込んだ。

「ゲームにもログインしないし電話も繋がらなかったから心配で来たんだよ」
「へ…?」

凪くんはきょろきょろと辺りを見回し布団の上に置かれたスマホを手に取った。しかし画面をタップするもそのディスプレイは黒いままだ。

「充電切れてたっぽい」
「みたいね……」

その場から立ち上がり台所の方を確認する。フライパンに鍋、まな板やお玉が壁にかかっているのをみるに調理器具は揃っていそうだ。それにガスコンロの近くには油や醤油、塩、胡椒くらいの調味料もある。

「あのさ、もしよければなんだけど何か作ろうか?」

スポドリ以外にも差し入れは持って来たがお菓子なのでダメだ。冷蔵庫の中身は期待できないし、スーパーには行った方がいいだろう。

「いいの?」
「私でよければ」
「じゃあお願いします」

断わられるかなと思ったけれど、私の提案は思いのほかあっさり凪くんに受け入れられた。

お財布とスマホを持ち再び灼熱の地へと一歩踏み出す。ここに来る前に地元チェーンのスーパーを見掛けたためそこを目指すことにした。
早歩きで五分ほどで到着し、野菜コーナーから順に店内を一周する。作るものは移動しながらなんとなく考えてはいたので買うものは迷わなかった。

「ただいま」

そして来た時と同じく早歩きで凪くんの家へと戻る。鍵は開けたまま出たのでそのままお邪魔させてもらった。インターホンを押したとしてもきっと同じことになっただろう。だって凪くんは家を出た三十分前と同じ体勢のままベッドの上で転がってたから。

「おかえりー……」
「台所借りるね」
「どーぞー…」

鍋に水を張り火にかけて、それからレジ袋の中身を取り出していく。作るものは夏場の食卓の主役である素麺だ。口当たりのいいこれなら今の凪くんでも食べられるであろう。そして時間もそこまで掛からない。

「いい匂いがする」

あとは盛り付けだけ、となった頃に凪くんが寝室から顔を出す。そしてひょこひょこ髪の毛を揺らしながら台所までやってきた。

「ちょうどできたよ。食べられそう?」
「それなに?」
「素麺だけど」

というよりも煮麺と言った方が近いだろうか。鶏がらベースのスープの中には一束分の素麺がすでに入れられている。そして上には茄子とトマトと豚肉を甘しょっぱく煮詰めたものを乗せた。

「すごい豪華だ」

うどんにしなかったのは素麺の方が細くて食べやすいと思ったからだ。凪くんの場合、食べるのにも「めんどくさい」という言葉を使う人なのでこれは割と重要なこと。

「家でもよく素麺食べるんだけどいつも同じだと文句言われるから具も乗せるようにしてるんだ」
「へー」
「伸びちゃう前にどうぞ」
「いただきます」

箸を手にした凪くんはどんぶりの前で手を合わせてから麺を口へと運んだ。それから具にも絡ませながらちゅるちゅると麺を啜っていく。

「これ好きかも」

三分の一ほどがあっという間に消えて、ぽつりとそんなことを言う。だから咀嚼しているその顔をまじまじと見つめてしまった。今まで味の感想なんてないも同然だったのに。

「ほんと?」
「だってこれだけで炭水化物も野菜も肉も全部取れるじゃん。それに噛む回数少なくて済むし」

うーん……ちょっと思ってたのとは違うけどここは素直に喜んでおこう。
そうして凪くんはペロリと完食してしまった。

食器の片付けも終えて外に出る。そうすれば蒸し暑い空気が頬を撫でるものの日差しは先ほどよりも落ち着いていた。さて、帰ったら自分の家のご飯の支度をしないと。

「じゃあ私は帰るね」
「うん。苗字さんありがと」

来た時よりも多少顔色は良くなっているものの、同じ生活を続けていればまた体調を崩すであろう。といっても私が毎日作るわけにも行かないし……あ、そういえば——

「ちゃんとした物なら学食でも食べられるから行ってみたら?」

夏休みでも部活動のある生徒のために学食はやっている。さすがにお盆期間は休みで昼間の三時間だけの営業にはなるが日に一食でもまともに食べられたら違う気がする。
凪くんは「へー」と感心したように目を少し見開いてから、「ん?」と首を傾けた。

「もしかして夏休み中も学校行ってるの?」
「図書室にね」

食堂と同様に図書室も開館している。そしてさすがは金持ち校というべきか、空調の効きも上々。おまけに仕切りのある学習スペースもあるので勉強が捗るのだ。

「なら行くとき教えて」
「いいけど、どうして?」

図書室の素晴らしさを語っていれば、そんなことを言う。凪くんってテスト勉強すらしない人じゃなかったっけ。それか課題をやるためか。はたまたお昼寝しにでも来るのかな。失礼ながらこの理由が一番しっくりくる。

「苗字さんにも会えるってなったら学校に行けそうな気がするから」

それ、学食も図書室も関係ないよ。っていうかそれだと私に会うことが目的になってるような……凪くんって偶に気のあるような言い方してくるけど多分そうゆう&翌ネ意味で言っているわけじゃないだろうし。

「あ、うん」
「えっ嫌だった……?」

どう返すか迷った挙句、素っ気ない態度になる。すると見るからにテンションが落ちてしまった。なんだか小さい子を泣かせてしまったような感覚。だから首を思いっきり左右に振った。

「ううん…!連絡する!ぜったい、するから!」

そうだ、指切りをしよう!とそのまま凪くんの手を取って指切りをする。思わず子ども相手の対応をしてしまった。しかし凪くんは、まるで私が子どもであるかのように目をまん丸くして感心したように頷いていた。

「相変わらず苗字さんは元気だね」

それは凪くんのせいだよ。

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