糸師くんが糸師くんじゃなくなった日


「お前はどっか行きたいとこあるか?」

買い物を済ませ店を出てきた糸師くんにそう聞かれた。その台詞でまず思い浮かんだのはこの前、友人たちとの話題にも上がった古民家カフェだ。あとは来るときに見た雑貨屋さんも気になったし欲を言えば出来たばかりのフクロウカフェにも行ってみたい。

「うーん……」

でもそこを糸師くんと一緒に行くなんてハードルが高すぎる。何故なら糸師くんがイケメンだからである。最早、見慣れ過ぎて忘れていたがこの人フツーにかっこいいよね。先ほどからすれ違う人がチラチラと彼のことを見ているのを感じる。それと同時に「隣の人彼女?」「えっ可愛い系?美人系?」みたいな会話まで聞こえてきて居た堪れなくなっている。

「あっじゃああそこ寄りたい」

ともかく、好奇の目から逃れるためにも一先ず屋内に入りたい。そんな私を導くかのように光る一つの建物を指差した。

「ゲーセンか」

あそこならみんなゲームに夢中だろうし、男女で行っても気まずい思いはしないだろう。糸師くんの興味があるかは別の話だが。

「ダメだった?うるさいの苦手?」
「いや、あんま行ったことねぇから」

しかし話を聞けばテレビゲームはやったことがあるという。小さい頃からサッカー漬けの毎日を送っているかと思ったのに意外と年相応の男の子っぽいところもあったんだな。

「私もすっごく久しぶりに来るなぁ」

土曜というだけあってここも同い年くらいの人で賑わっていた。狭い通路で人を避けながら歩いて行く。
店の入口側には主にクレーンゲームが並べられていて人気アニメキャラのぬいぐるみが景品になっていた。他にはお菓子やフィギュア、食器やバスタオルなんてものもあり見ているだけでも面白い。せっかくだし私も何かやってみようかな。さすがに大きなものは取れそうにないが小さい物ならどうだろうか。例えばあそこにある二段重ねで置かれたクレーンゲームとか。

「ねぇ糸師くん」

あれが見たい、と声を掛けてみるが周りがうるさいせいで私の声が届かなかったらしい。それに彼もまたゲーセンという場に物珍しさを感じているようで辺りを見回していた。ならば致し方なし、と手を掴んで引き止めたら思いっきり肩をビクつかせてしまった。えっそんなに嫌だった?

「ご、ごめん……」
「いや……」

すぐに手を離すもその場に気まずい空気が流れる。もしや潔癖症だった?だから自分からはいいけど人から触られるのは嫌だとか……でもその割にはコンクリートの上でも普通に座るし、お弁当の苺食べる?と聞けば手で摘まんで持ってくしな。

「あれ見てもいい?」

一先ずその場の空気を何とかするためにクレーンゲームをやりたいと申し出る。糸師くんの視線が私の後方へと向けられ、ようやくこちらの意図も伝わったらしい。「ン、」と短く返事をした姿に安心してそちらへ足を向けようとする。

「は……?」

そうすれば、なんということでしょう。糸師くんの手が私の手を掴んでいるではありませんか。
それならさっきの反応はなんだったのか。俺の許可なしに俺に触れるなってか?よくわからないよ糸師くん。

「これか?」
「あ、うん」

引かれるがままお目当てのクレーンゲームの元まで連れていかれる。デフォルメされた文鳥のぬいぐるみキーホルダー。掌に乗るくらいの大きさだし他のものに比べたら難易度は低いように思える。

「やるのか?」
「うん!いける気がする」

文鳥の入っているクレーンは一番端の下の段に置かれていた。だからその場にしゃがめば引かれるように糸師くんも隣にしゃがむ。うん、とりあえず手離そうか?
百円玉を入れて丸いスティックを握る。どうやら三十秒間は自由に動かせる仕様らしい。横の位置は正面から合わせ、縦方向は身体をずらして奥行きを確かめながら位置を調整した。そして狙いを定めたところで、ここだ!と降下ボタンを押す。

「あーおしいっ」

狙いは悪くなかった。でもアームが弱いのか取り出し口の穴の前でキーホルダーが落ちてしまう。その後、二回ほどやってみたが文鳥がケースから出て来ることはなかった。

「やっぱりそう簡単には取れないね。諦める」

まぁこういうのは確率機といって設定金額に達するとアームの力が強くなるという。その設定に未達ならばこんなものだろう。だから先の見えない天井にこれ以上つぎ込むのはリスキーで、つまりは引き際が肝心なのだ。

「そこいいか」

しかし今度は糸師くんがやるつもりらしい。私が一人、盛大な独り言を漏らしても尚黙って隣で見ていた糸師くんのお手並みは如何に。
どうぞ、と言って場所を譲れば百円玉を一枚入れる。そして軽快な電子音と同時に糸師くんがアームを操作し位置を調整していく。そしてしばらく微調整を行った後に降下ボタンが押された。

「全然場所違わない?」
「狙いはあってる」

真っすぐ降りていくアームの先にキーホルダーはいない。現にその先端は底に敷き詰められたアクリルアイスを引っ掻いていた。しかしアームが浮上し始めたときにようやく糸師くんの言っていた意味が分かった。

「えっすごい!」

キーホルダーのポールチェーンがアームに引っ掛かっていたのだ。そしてアームが開いたタイミングで真下に落ち、取り出し口から文鳥が顔を出す。私のように横から確認することもなく、真正面からあの小さな部分を狙って一発で取れるだなんてすごすぎる。

「ほら」
「わっ?!」

糸師くんの手の中にいたものが目の前へ投げられる。慌ててキャッチすればケース越しに眺めていた真っ白な文鳥が手の中に収まっていた。

「いいの?」
「お前が欲しがったんだろうが」

可愛いとは思うけど特別これが欲しかったわけじゃない。ただ、今日という日の思い出に何か残るものがあればいいなって思ったんだよね。それを糸師くんが取ってくれるなんて。

「ありがとう!大切にする!」
「そんなんでいいのかよ」

糸師くんが小さく笑う。それはきっと「文鳥好きだなんて変わってんな」って意味だと思うけど嬉しかったから今日は怒らないでおいてあげる。

「二階もあるみたいだな、行くか?」
「うん。ちょっと待って」

先に立ち上がった糸師くんに待っててもらい、バッグの中にお手乗り文鳥をしまう。帰ったらスクバに付けようかな。それが一番、身近にこの子を置いておける気がする。

「あれー?!そこにいるのって凛ちゃん?おいーっす!!」

店内は相変わらずうるさいけれどその子の声ははっきりと聞こえた。おまけにドタバタと走る足音まで。そしてそれはその場でしゃがんだままでいた私の後ろで急停止した。

「おかっぱ……なんでお前がンなとこいんだよ」
「俺は絶賛帰省中の凪の付き添い!ってゆうか俺らかな?向こうに潔もいるよ、おーい潔ー凪ー!」

毛先に黄色が混ざっている前髪パッツンの男の子。かつてこれほどまでに糸師くんに親しげに接する人間がいただろうか。そして他にも友人がいるのか彼は店の奥に向かって大きく手を振っていた。それにしても蜂楽って優さんのところの廻くんだよね?そして潔も凪も聞き覚えがある。

「おい蜂楽!凪置いてどっか行くなって!」
「えーだってずっと格ゲーやってるんだもん」
「ゴメン、でもオンラインランキング二百三十上げてきた」
「ひゅー♪こんなとこでも天才発揮!」

黒髪の真面目そうな男の子が白髪の気だるそうな男の子を引きずるようにしてやって来る。
私服だからピンとこなかったが身近で見てようやく確信を持てた。やっぱりこの前の試合で活躍してたブルーロックの人たちだ。どうやらこの三人でゲーセンに来たらしい。

「っとに……って凛?」
「チッ」

そして潔さんは糸師くんに敗北を味合わせた相手。だからこそライバル視しているのは分かるが試合以外でもこんな感じだったのか。

「びっくりした!お前なんでここにいんの?」
「テメーには関係ねぇだろ」
「凛ちゃんもゲームするの?太鼓の達人やる?」
「黙れ視界に入るな刺されたくなかったら今すぐ消えろ」

そういえばここにいる皆さんって全員私達よりも年上なんじゃなかったっけ。そんな方たちに対してなんという口の利き方。本当にブレないな。それにしても完全に立ち上がるタイミングを失ってしまった。

「なっ…そんな言い方ないだろ!」
「聞こえてんなら消えろよ」
「ねぇキミ、そんなとこ座ってると危ないよ」
「あ……」

I am Kabe…と言い聞かせその場で縮こまっていれば、この中で一番ぼんやりしてそうな凪さんが私に声を掛けてきた。そうなってしまえばあとの二人も私の存在に気付くのは必然で。慌てて立ち上がりあいさつをした。

「すみません!ちょっと声を掛けづらくて……!」

何も考えないまま喋り出したせいでしどろもどろになってしまった。それでも何とか自分の名前と糸師くんのクラスメイトであることを伝える。そうすれば前髪パッツンの男の子——廻さんの顏がパッと明るくなった。

「あー!優が一緒に試合観戦したって言ってた子だ!」
「そうです…!貴方がめぐ……蜂楽さんですよね?あの時は糸師くんに差し入れ渡してくださりありがとうございました」
「いーっていーって!それと別に名前呼びでも気にしないよ?」
「いえ、これは優さんの呼び方が移ってしまっただけで……」
「んな堅苦しいこと言わなーい!敬語もけっこーコケコッコ♪」

優さんと同じで親しみやすいな。そのお言葉に甘え名前呼びとタメ語で話をさせてもらうことにした。次いで潔さんと凪さんからも自己紹介をされたが二人ともタメ語でいいとのこと。体育会系は上下関係が厳しいと聞くが三人ともなんてやさしいのだろうか。どこかの糸師くんに爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。

「おい、もう行くぞ」
「えーまだいいでしょ」
「ここにいても時間の無駄でしかねぇだろ」

私の隣でずっと嫌悪と憎悪を増幅したオーラを放っていた糸師くんに肘で腕を突かれる。糸師くんが私の想像以上に彼らを嫌っているのはよく分かったが私としてはもう少し話したい。だって所詮は一般人の私が彼らと会う機会なんてもう二度とないかもしれないし。

「あっそういえば潔くんのご両親、潔くんがラストゴール決めた時すごかったよ!ずっと世っちゃんコールして『ウチの息子です!』って叫んでた」
「なっマジかよ!恥ずかしー!」
「それと凪くん!」
「え、なに?」
「私の弟が凪くんのファンになったみたいなんだけどもしよければサインとかってもらえっ…ぇぇえ?」

特級呪霊にでもなりそうな隣の呪いを放っておいた結果、強制退去を喰らう羽目になった。肘の関節を持ち上げるように引きずられ抵抗もできやしない。でもこのまま去り行くのはあまりにも失礼過ぎると思ったので後ろ手に見える彼らに、これからも糸師くんと友達でいてください!とお願いしておいた。すると舌打ちと共に「余計なこと言ってんな」とドスの効いた声が聞こえた気がしなくもないがゲームの電子音で聞きとれなかったことにしておいた。

「あっそっか!前に凛が電話で話してた相手ってその子だったのか!」

あと一歩で店の外。その時、潔くんがそう叫んだ。そうすれば彼の隣にいた凪くんが興味津々に「どうゆうこと?」と潔くんの方へ首を傾げ、廻くんは「ああ!そうゆうコト!」と私を見ながら笑顔をみせた。

「前に凛のアフターケアに付き合ったことあんだけどさ、そん時タオル忘れて取り戻ったら電話してたんだよね」
「へ〜」
「なるほどね♪二次セレクション中ほぼ毎日決まった時間に部屋からいなくなってたのはそうゆうコトだったんだ」
「凛ってそんなにマメなんだ。意外」
「その時間がいつも正確過ぎてさ、蟻生なんか『糸師凛…ついに時をも司るようになったか』とか言ってネイルケア始めるアラーム代わりにしてた!」
「ブハッ蜂楽モノマネ上手すぎ!」

ゲームの電子音で聞きとれなかったことにしておけばよかったのに糸師くんが脚を止めたせいで今の会話が耳に届いていたことが分かる。本人はきっと周囲にバレていないつもりで電話をしていたのだろう。

「まぁでもあんなに明るくて可愛い彼女がいたら毎日でも声聞きたくなるって!」

潔くんがそう言い切った瞬間、掴まれていた腕が重力に従い空を切った。そして瞬きの間に私の横を通り過ぎ一直線に走っていく。そして声を掛けた時には潔くんの胸ぐらを掴んでいた。

「ちょっと糸師くん?!」
「おいテメー潔!!」
「ハァ?!なんだよ急に!」

今にも殴りかかりそうな糸師くんに待ったをかけるために二人の間に割り込もうとする。でもそんな私の肩がやさしく、ぽんと叩かれた。それは歯を見せて笑う廻くんで「あの二人ならだいじょーぶ!」と自信満々に言ってのけた。

「でも糸師くんかなりキレてるよ?」
「ブルーロックでも大体あんな感じだよ。それに凪もいるし」

と言ってはいるが凪くんは二人の間で棒立ち状態である。何とかしたい気持ちはあるようだがどうすればいいか分からないといった顔をしている。

「凛ちゃんね、」

やはり私がいくしかない、と一歩踏み出そうとしたところで廻くんが静かに切り出した。その瞳は糸師くんの方に向けられている。

「サッカーやってないときでもずっとサッカーのこと考えてる。まぁそれは他のみんなにも言えることなんだけどずっとおっかない顔してんの。こんな感じ!」

廻くんの大きな目が半分ほどの大きさに閉じられて両の人さし指を使ってきゅっと目尻が釣り上げられる。そして口をへの字に曲げて「ぬりぃ」と言ってみせた。その顏は確かにいつもの糸師くんだ。

「でもね、偶にこんな顔してる時があるんだ」

そういって人さし指の力を抜いた。口もへの字からほんの少しだけ口角が上がる。あんまり糸師くんらしくない表情だけど私はその顔を知っている。手を繋いで帰った、夕日に染まる沿岸沿いで見た顔だ。

「潔に言われて気付いたけどそれってキミと電話をしてたからなんだね。凛ちゃんよっぽど嬉しかったんじゃないかな」

別に大した会話はしていないし、沈黙が続く時だってあった。私と電話せずに動画でも再生していた方が気が紛れるんじゃないかと思ったこともあった。でもそう言ったことはない。だって電話が嬉しかったのは私の方だったから。

「あのっもしかしてブルーロックの人ですか?!」

廻くんと同時にそちらを向けば糸師くん達に話しかける女性グループの姿があった。見たとこ女子大生ってところか。それにしてもよく声を掛けれたな、これが大人の余裕ってことか。

「ありゃまた捕まったか」
「また?」
「うん。この前みんなでボーリング行った時もあんな感じでねー今日は人数少ないからいけるかと思ったけどやっぱり凛ちゃん目立つね」

確かに彼女達の視線は主に糸師くんへと向いていた。ただでさえかっこよくて目立つのに、そこに『将来有望なサッカー選手』の肩書きがついてしまえばさらに注目度は増すだろう。現にメディアでもブルーロックの勝利は大々的に取り上げられ、ネットニュースではゴールを決めた糸師くんだけの記事もいくつか上がっていた。

「ねぇあそこにいるのもブルーロックの人じゃない…?」

女性の一人が廻くんを見つける。本当にすっかり有名人のようだ。
私は一歩下がり廻くんに、呼ばれてるみたいよと声を掛けあちらに行くよう促した。「キミは?」と聞かれたけれど、外に出てると答えてさよならをした。

逃げるようにゲームセンターから出てきたが外もまた人に溢れていた。
土曜の午後三時、特にこの通りはゲーセンの他にもカラオケ店や食べ歩きができるスイーツ店が立ち並んでいるので賑わいがある。
人の流れに沿って歩いて行けば広場があり、等間隔にベンチが設置されていた。それが一つ空いていたので腰を下ろし、そこでようやく一息つくことができた。

「はぁ……」

そして前かがみになり膝の上に肘をたて、両手を口元に持ってくる。どこぞのシンジくんのお父さまを模したポーズで思考を巡らせた結果、一つの結論に辿り着いた。

私、糸師くんのこと好きだな。

一度フラれた手前(私としては全くそんなつもりはなかったし関係性確認の問いかけであったけれど今となってはそう捉えた方が分かりやすいので妥協してフラれたと言っておく)下手に意識しないように気を付けていたのにはっきりと自覚してしまった。

今日出掛けることを楽しみにしていた自分がいて、廻くんの言葉で今までの気持ちにも気付かされて。そして女の子に囲まれている糸師くんを見て、嫉妬した。昔の私だったら告白現場を見たとしても、付き合っちゃえばいいのにって難なく言えたのに。

「はぁー……」

頭を垂れて組んだ両手に額を乗せる。そして先ほどの様子を思い出し大きく息を吐き出した。
このため息は嫉妬ではなく消沈によるものだった。だって恋心を自覚するのと同時にもう違う世界の人間なのだと見せつけられたから。

ブルーロックプロジェクトはまだまだ続く。そして糸師くんはこれから世界に向けて羽ばたいていくのだろう。現に世界選抜とも試合をしたと言っていた。U-20日本代表戦でもあれほどの活躍をしたのだからどこかのチームから声が掛かってもおかしくはない。

だから手の届かない存在に消化するのはもう秒読みなわけで。そしてサッカーに命を懸けているような人間が恋愛をするだなんて思えなかった。それに相手が私とか、また「何言ってんだ?」の一言でバッサリ切り捨てられるに決まってる。

「おい、」
「あだっ?!」

私が呪霊になる日も近いかもしれない。しかしそんな負の念を祓うかのように脳天に軽い衝撃がかかる。どうやら空間認識能力の高い男は私の残穢も辿れるらしい。

「勝手にどっか行ってんじゃねぇよ」

顔を上げれば、会いたくて見たくもない顔がそこにはあった。
矛盾した気持ちに自分でも嫌気がさし、自然と視線も逸れていく。

「友達はいいの?女の子は?」
「あ?そんなモンいたか?」

その認識こわぁ……ほんと興味ないものに対してはとことん無関心だよね。じゃあ声を掛けてもらえる私は——と無駄な期待をしては現実を知り傷付くことは目に見えている。だからここは素直に、声掛けなくてごめんねと謝った。

「それはもういい。ン、」

スッと目の前にカップが差し出される。それを両手で受け取ればひんやりとしていて冷たかった。そして自分の目線の高さまで持ってくればその正体が何かはすぐに分かった。

「ジェラートだ」

カップから盛り上がるほどにピンクと白が身を寄せ合って収められている。その境目にはパステルカラーの川が出来ていて少し溶けかけていることが分かった。

「すぐそこに店あったから」

私の隣に腰を下ろし未開封のペットボトルのキャップを音を立てて捻る。自分の分はないんだ。

「そうなの?ありがとう、じゃあお金払うね。いくらだった?」
「いらねぇ」
「でも、」
「差し入れの礼だ」

それはきっと廻くん経由で渡してもらったもののことを言っているのだろう。ただ、本当に大したものはあげていないのだ。高いものを渡しても気を使わせると思ったから。
だから今の言葉を糸師くん流に解釈するならば「一人にさせて悪ぃ」かな。

「凛ちゃんありがと!」
「その呼び方やめろ」

本当にそうかは分からない。でも都合よく解釈した方が自分が幸せになれるから私は甘い夢をみる。でも夢と現実の線引きの為に、私はいつも通り糸師くんを揶揄った。これが恋心を自覚してしまった私にできる最大限の予防線。

「はいはい、分かったよ。ありがとうね糸師くん」

ひと口頬張れば口の中で苺とマスカルポーネチーズの味が広がる。どちらも見た目ほど濃い味ではなくさっぱりとしていて美味しい。

「その呼び方もやめろ」

私が座っている場所とは反対のスペースにペットボトルが置かれた。そして不意にターコイズブルーがこちらに向けられる。口の中のジェラートは飲み込む前に熱で溶けた。

「下の名前でいい」
「……凛くん?」

少しだけ緊張。だから何も考えずに甘さが残る舌で呟いた。

「なんか気持ち悪ぃな」
「えっ今喧嘩売られてる?買うが?」

一転、暴言には暴言で吐き返した。

「ちげーよ」
「じゃあなに」

手の中のカップにピンクの面積が増えていく。

「呼び捨てでいい」

そこまで強い日差しでもないのにこうも早く溶けてしまうのは私の熱のせいなのだろうか。

「凛……?」
「おう」

彼は再びペットボトルを手に取って口を付けていた。気温が高いわけでもないのにその中身はすでに半分以上ない。熱くなった体を冷まそうとでもしているのだろうか。
それにしてもこのジェラート甘いな。

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