子どもには神対応、私には塩対応な糸師くん


神奈川県鎌倉市といえば日本の有名な観光地の一つと言っても過言ではない。パワースポットとしても名高い鶴岡八幡宮をはじめ多くの神社が点在し、それにあやかる形で周囲にはおしゃれなカフェや土産物店が増えた。また、江ノ電に乗れば江ノ島から一本で来ることができ、週末ともなれば駅周辺は観光客で賑わいをみせる。特に最近では某バスケ漫画の劇場版が放映されたこともあり、国外問わずさらにその賑わいを加速させていた。

「Excuse me」

待ち合わせ時刻の十五分前、晴天の日差しと人ごみを避けながら改札口の横で突っ立っていれば声を掛けられた。そのネイティブ並みの発音の良さに待ち人かと顔を上げるがまさかの本物の外国の方だった。家族連れなのか声を掛けてきた男性の後ろにはこげ茶色の髪の女性とそばかすがある二人の男の子がこちらを見ていた。そしてもう一度男性と目が合えばその口から流暢な英語が発せられる。

「アクアリウム……水族館?」

その中の聞きとれた英単語から察するに新江ノ島水族館に行きたいのだろう。そこへいくにはまず江ノ電で江ノ島まで行き、駅からは徒歩で移動しなければならない。そう伝えるために一度脳内で英文にしてみるがこれを実際に話すとなると難しい。リスニングはギリできても発音の方は自信がなかった。

「えーっと…Take the …train to……」

江ノ電の方を指差しながら伝えるが男性の表情を見る限り伝わっているか微妙である。せっかく家族旅行できているのに自分の対応の出来なさに申し訳なくなってくる。いっそのこと翻訳アプリにでも頼った方が早いだろうか。

「After exiting the station, go south along the road.」

しかしアプリよりも先に神からのお告げがすぐ隣から発せられた。私がその内容を脳内で訳す暇もないほどに会話は進んでいき、飛んでくる質問に対してもすぐに受け答えをしていた。そして四人の家族は「アリガトウゴザイマス!」とたどたどしい日本語と満面の笑みを添えて去っていった。

「ありがとう糸師くん」

待ち人来たり、振り返ればそこには糸師くんがいた。私がお礼を言っても「別に。あんぐらい日常会話だろ」なんて可愛くないことを言ってくる。もっと誇ってもいいと思うんだけどな。そういえば糸師くんって自信家ではあるけれど、あまり自慢というかそれを自分から周りにアピールしたりとかはしないよね。

「突然聞かれたらあんな風に答えられないよ。私なんてテンパってトレインの単語すら中々出てこなかったし」
「向こうもこっちが日本人だって分かってんだ、観光客相手なら多少の接続詞は省いても問題ねーよ。ただ、知ってる単語の数は増やしとくに越したことねぇな」
「なるほど」
「将来苦労すっから英会話くらいできるようなっとけよ」

確かにできるに越したことはないが将来的に海外に移住する予定はないんだけどな。それにしても将来の話をされると耳が痛い。まだ高一といえども二年に上がる際には理系コースか文系コースを選はなければならない。なりたいものすら決まっていない私が何を基準に進路を決めればいいのだろうか。

「随分早かったんだな」

現実を見つめていたところで現実へと引き戻される。
まぁとりあえず今は今日という日を楽しみますか。

「だって映画見るんでしょ?遅れるわけにはいかないよ」

仮釈放中(と言う名の二週間の休暇)に糸師くんがしたいことというのは映画を見に行くことだった。先週公開の洋画、その内容はもちろん糸師くんの好きなホラーだ。そして私もこの手のジャンルは存外嫌いじゃなかったりする。

「んな楽しみだったのかよ」

張り切って答えれば小さく笑われた。そりゃあもう楽しみにしていましたとも。ネタバレを踏まないようにあらすじと登場人物は事前に頭に入れて来たし、なんなら同じ監督が制作した過去作品も何本か見てきたから。

「アカデミーで美術賞取るんじゃないかってくらい作り込みがすごいんだって!」
「そうか……」

事前情報を披露し力説するも糸師くんはあまり興味がないようだった。見に行きたいって言ったのはそっちなのにテンション低くないかな。糸師くんは楽しみじゃないの?と聞けば「聞かなくても分かんだろ」と返される。だがしかし、私には超能力も心眼もないから分からない。しょうがないので、巫力値百二十五万ないから分かんないやと小粋なジョークをかましてみたらフツーに置いてかれた。



「本当にすごかった……!」
「だな」

映画の余韻に浸りながらシアターを後にする。しかし未だに心臓は小刻みに震えていた。日常の違和感がじわじわと広がっていく様から後半にかけての息もつかせぬほどの急展開に瞬きするのを忘れるほどだった。スリラー映画ではあるがサスペンス要素もあり、得体のしれない殺人鬼に加え精神崩壊した主人公の兄弟まで襲い掛かってくる場面では本気で叫びそうになった。

「糸師くん途中でビビってたでしょ?」

そしてそれはきっと糸師くんも同じであろう。視界の端でビクッてなったの見えたもんね。
私が揶揄いようにそう言えば呆れた目を向けられた。

「お前にな」
「はい?」
「何もないシーンで肩ビクつかせるわ肘掛けに腕ぶつけるわ……お前の様子にビビった」
「うっ……」

ホラーも見れるしスクラップも平気。でもそれと映画を見て驚かないってのはまた別の話である。そういえば弟がバイオハザードをやっているのを隣で見守っていれば「姉ちゃんうるさい!」って怒られたこともあったっけ。だって急にタイラントが現れるから……

「でも面白かったのは本当だから!」

少しムキになって答える。日常では味わえない緊張感、糸師くんほどではないけれど背筋がゾクゾクと泡立つ感覚は嫌いじゃない。
私の様子に糸師くんはほんの僅かに目を見開いた。えっなに急に。

「じゃあまた誘うからな」

んん?なんか思ってた返しと違うな。てっきり「テメーとはもう二度と行かねぇ」と殺意高めに言われるものだと身構えていたのになんだか拍子抜けだ。でもそう言われて悪い気はしない。映画を見に行くことは友人同士でもあるけれどホラー映画に付き合ってくれる子は周りにはいないので。

「それなら次回までにはネトフリで鎩えとく」
「鎩えるって何をだよ」
「肝っ玉を」
「き…………ブッ」

糸師くんって凍った水道管の蛇口捻った時みたいに急に爆発することあるよね。そのタイミング未だによく分かんないんだけど。っていうか上映中も私じゃなくて映画見なよ。確かにビビってはいたけど逆隣の人に変な顔されるくらいオーバーリアクションは取ってないしね。しかしこうなったら平常心の化身として生まれ変わってくるしかない。

「冷静沈着、北村ハレ男になってくるから期待してて」
「例えが古いんだよ」

よくこのネタ分かったな、と感心していれば「別に、お前はそのまんまでいい」と付け足される。彼のその本心は、やっぱり超能力者ではないので分からなかった。

「私がよくないの」

でも嘘はつかない人だと思っているので、

「なら後でオススメ送っとく」
「ありがとう」

また誘う、の言葉だけは信じてる。





その後、お昼ご飯を食べて向かった先はスポーツ用品店だった。何でもスパイクの手入用品が欲しいとのこと。 青い監獄ブルーロック≠ナはそういった備品の支給もあったようだがこの休暇中に自分のものがなくなっていたことに気付いたらしい。

「へぇこういう風になってるんだ」
「来たことねぇのか?」
「ないですね」

運動とは無関係な人生を送っているためこの手の店に来るのは初めてだった。スポーツ用品店というだけあってあらゆるスポーツやメーカーのものが取り揃えられている。そんな店内を糸師くんは案内図も見ずにすたすたと進んでいく。しかしその後を付いて行きつつも物珍しさについつい足が止まってしまう。スパイク一つとってもカラーバリエーションやデザインが豊富で見ているだけでも面白い。糸師くんはどこのメーカーの物を使っているのだろうか。

「あのっもしかしてブルーロックの糸師選手ですか……?!」

糸師くんを呼ぼうとしたら私よりも先に声を掛けた人物がいた。数メートル先で棚の商品を手に持つ糸師くんと二人の男の子の姿が見える。ぱっと見、小学六年生と四年生くらいだろうか。そして顔立ちと雰囲気から兄弟であることが窺える。

「?……あぁ」
「うぉー!やっぱりそうだ!」
「スゲー!!」

本人だと分かり二人は大はしゃぎだった。その様子にこちらも微笑ましく思い、離れたところから様子を見守る。所々聞こえる会話内容からやはり先日のU-20日本代表戦との試合を見ていたらしい。

「ブルーロックの二点目のゴール、スゲーかっこよかったです!」
「試合見て糸師選手のファンになりました!」
「そうか、ありがとな」

こちらからでは糸師くんの顔は見えないがその声色からどんな表情をしているのかは何となく察せてしまった。それはおそらくかなりのレア顔だ。

「ねぇねぇ兄ちゃん」
「ん?なんだよ」
「あれ聞いてよ!」

自分が不審者であることは承知のうえで引き続き見守っていれば弟くんがお兄ちゃんに何やら耳打ちをしていた。本人を目の前にして緊張で言えないのだろうか。弟くんの言葉を受け取ってお兄ちゃんの方が口を開いた。

「冴選手とは兄弟なんですよね?昔は一緒にサッカーしてたんですか?!」

あちゃーここに来て地雷を踏んだな少年よ。さぁてここで過去に経験のある私が通りますよっと。でも悪気はないんだよね。兄弟でサッカーをやっているからこその純粋な質問だ。この手の話に糸師くんがぶちギレないか心配だが、さすがに子ども相手にはそうならないと信じたい。

「あぁ。俺にサッカーを教えてくれたのはに……兄貴だったからな」
「へぇ〜!」
「じゃあどんな練習してたんですか?!」

どうやら私の心配は杞愛だったようだ。
そうしてしばらく雑談が続き、最後に彼らは糸師くんに握手を求めた。それに応えるように糸師くんは片膝をついてその場にしゃがむ。そして差し出された彼らの手を一人ずつ丁寧に握った。えっなにその神対応。
学校では女子からの告白をバッサリ断り続けた糸師凛からは想像もつかないような姿である。そして糸師くんの場合、世間に対する好感度上げというわけでもないだろう。相手は子どもだったけれど実に紳士的な対応だった。

「俺達も兄弟でフィールドに立てるよう頑張ります!」
「糸師選手みたいになる!」
「おう、頑張れ」

その兄弟は終始興奮気味にその場を去っていった。きっと彼らにとって今の出来事は一生の思い出になるのだろう。こちらとしても一本のホームビデオを見終えたかのようなほっこりした気持ちになってしまった。

「やさしいね」
「見てたのかよ」

立ち上がった糸師くんの背中に声を掛けるもその顔は相変わらずの仏頂面だった。レア顔拝めると思ったのにな。ちょっと残念。

「あの兄弟からしてみたらきっと一生の思い出だよ。なんせあの試合の主役スターに会えたんだから」
「それを言うなら潔だろ」

確かに試合後は観客全員が潔選手の名前をコールしてたし、その後のヒーローインタビューも彼が受けていた。だからあの試合の主役は確かに潔選手だったかもしれない。

「そうかもしれないけど試合中一番走ってたのもボールを持ってたのも最後までゴールを狙ってたのも糸師くんだったし」

潔選手のことを否定したいわけではないし、ましてや他の選手たちを下に見ているわけでもない。厳密には私の言っていることはあっていないかもしれない。でも私の目には確かにそう映っていたのだ。

「一番かっこよかったのは糸師くんだよ」

そしてあの兄弟にもそう見えていたはずだ。まぁ私の場合は糸師くんしか見てなかったから比較する人がいないんだけどね。

「言うのが遅ぇわタコ」

おい、さっきまでの神対応はどこいった。というかこの様子だと試合後に控室に寄らずに帰ったことまだ怒ってるな。この前、海から一緒に帰った時に謝ったんだけどな。全くいつまで根に持って……そういえば謝るのに必死で試合の感想言ってなかったかも。

「ねぇねぇ糸師くん」
「あ?」

私のことなどお構いなしに商品を手に取って一直線にレジへと進んでいく。先ほどまではそれなりに歩幅を合わせてくれたというのに急に一人で競歩大会を開催しないで頂きたい。しかしその速さに振り落とされることなくこちらも着いて行く。

「これからも応援してるからね」

彼が世界で活躍する日を私も夢みている。これでも糸師凛のファンなので。

「当たり前のこと言ってんじゃねぇ。俺以外のヤツ応援したら許さねぇからな」
「はいはい、分かりましたよー」

そうは言っても糸師くんの中じゃあの兄弟よりも下の立ち位置みたいだけどね。まぁサッカーに関してはにわか≠ノ毛が生えた程度なのでまだ大きな口では語れない。

「すぐ買ってくっからお前は外で待ってろ」
「うん」

しかし彼に超絶レアのSSR顔をさせることができるのは私だけらしい。
ただ、その事実に気付くのはもう少し先の話である。

prev next