無自覚な男ほど厄介な人はいないんだよ、糸師凛


二週間の休暇を終え凛はブルーロックへと戻っていった。そこからの彼の快進撃は私の想像を上回るほどだった。

ブルーロックプロジェクトの次ステージとして欧州五大リーグのエースストライカーたちとの練習が始まった。自分の希望するチームに入り世界トップクラスの選手たちの中からレギュラーを勝ち取り試合に出る。そこで実力を示しU-20W杯に挑む日本代表を決定する新英雄対戦ネオ・エゴイストリーグ≠ェ幕を開けた。しかもこれはリアルタイムショーとしてBLTVで配信されることとなる。

だから凛の顔はテレビを通じて見ることができた。五つのチームの中からフランスのP・X・Gを選んだ彼の活躍は世界相手でも目覚ましく、現にとある海外チームは三千六百万の年俸価格を付けていた。世界がついに彼という才能を見つけたのだ。

しかし驚いたのは彼が画面越しの人間になったとしても連絡が途絶えなかったということだ。さすがに毎日じゃないし一週間以上音信不通になることもあった。それでも月に三回は話せていたと思う。

基本的に私から連絡をすることはなかったけれど一度だけ自分から電話をかけたことがあった。それはクリスマスを過ぎた年の瀬のこと。お正月くらいは帰って来られないのかと聞いたのだ。その時は「分かんねぇ」と濁されたのに大晦日の昼に電話が掛かってきたと思ったら「駅着いたけどお前はどこいんだ?」と帰って来たことを明かされた。

こちらの都合はお構いなしにいつも暇だと思って。私だってネトフリでホラーコンテンツを消化したり、英文記事を読めるように勉強したり、テイラーの曲から発音を学んだり、SNSでは凛の名前でパブサしたりと忙しいのだ。そんな中、彼からの電話に炬燵から這い出て猛ダッシュで迎えに行った私はある意味、正直者だと思う。

彼の活躍を見る度に私のことなんてもう忘れちゃったんだろうなって思う。
でも、その不安を察知したかのように電話が鳴る。
ネットを開けば彼のことは何だって知れた。
でも電話越しの「おやすみ」の声が案外幼いことはきっと私しか知らない。
着信履歴の数に自惚れて。
しかしそれ以上に知らない人たちが凛の名前を口にするのを耳にしては、もう住む世界が違うのだと落胆する。

私は正直者で、馬鹿な女だ。

私たちの関係性に大きな変化はなく季節は進む。
そして校庭の桜が満開を迎えた今日は高校一年最後の登校日だった。

「はよ」
「うぉっ?!」

進級できたことに特に喜びも悲しみもないけれど風に吹かれて踊る花びらを見てどこか感傷的な気持ちになる——なんて柄にもないけど、その雰囲気に浸りたくて今日は音楽を聴いていなかった。だからこそ聞き取れた低くかすれた声に本気で驚いた。

「んな驚くことかよ」
「え?夢?幻?それとも本当に呪霊になっちゃった?この前の試合でも士道選手と揉めてたもんね」

学校最寄りの改札口、確かにここはうちの学校の生徒が多く利用するし凛だって使うことは知っていた。でも朝練に行く彼とは登校時間が違うためこの場所で会うことは今までに一度もなかったのだ。というか、なんでいるの?

「チッ ソイツの名前出すんじゃねぇ朝からクソ気分悪くなる」
「その舌打ちは本物だ。えっうそいつ帰って来てたの?」
「昨日」

最後に電話したのは一週間前、でもその時はこちらに帰ってくるだなんて一言も言っていなかった。しかし話を聞けば休学に関して担任と話すことがあるから登校してきたらしい。それを生返事で受け流しながら私は質問を続ける。

「でもなんでこんなところにいるの?」
「お前のコト待ってたんだよ」
「私……?」

昨日帰って来たならせめてメッセージの一つでも送ってくれればよかったのに。そしたら待たせることなんてしなかったし、髪ももうちょっといい感じにセットして来れた。しかも昨日は寝る直前にホラー映画を見たせいで寝付きも悪かったから隈もできてるし……ちょっと待て。いま私のこと待ってたって言った?

「悪りぃかよ」
「め、滅相もございません…!」
「は?なんだそれ」

無自覚にこういうことを言ってくる男が一番タチが悪い。しかも真顔で。

「いやっなんかその……実は最近大河ドラマにハマっててそのなごりみたいな…!」
「はぁ」

コイツ何言ってんだ?みたいな目で見てくるがそれは私が一番聞きたいことなのでこれ以上触れないで頂きたい。その私の思いが通じたのか、それとも面倒くさいと感じたのかは分からないが「行くぞ」の一声で学校へと歩きだした。

しかしその道すがら、周りの視線と会話が気になるようになってきた。それはもちろん私ではなく隣の有名人に向けられているもの。

「ねぇあれって糸師凛?!本物?」
「テレビで見るより実物かっこよくない?」
「俺らの高校にいるってマジだったんだ!」
「もう海外チームに行くこと決定してるんだっけ?」
「サインとか貰えっかな」
「っていうか隣の子だれ?」

そしてもれなく私にも好奇の視線が被弾する。しかし当の本人は飄々としていて周りの視線も噂話も無視して歩いている。ただ校門を潜る頃には遠巻きに見ていた生徒達が団子状態で後に着いてきていて大名行列のようになっていた。私の言葉遣いもあながち間違っていなかったかもしれない。

「おっ糸師じゃん!BLTV見てるぜ、お前マジでスゲー奴だったんだな!」

そしてクラスに足を踏み入れた瞬間、凛はあっという間に囲まれた。しばらく会っていなかったとはいえ数ヵ月は共に授業を受けたクラスメイトである。だから凛とそれなりに仲の良かった男子が声を掛ければ周りの皆も話しかけていいと思ったらしい。あっという間に人の波に攫われていった。

「大丈夫?」
「死ぬかと思った……」

そして私はその輪から見事に弾き出されたため友人の元へと避難した。彼女とは以前、野次馬魂をみせつけて凛への告白現場を見に行った同士だ。だからこそ決まり文句のように「相変わらず糸師凛はモテるね〜!」と遠巻きに囃し立てた。

「だね。本当に」

確かにクールではあるが近寄ってくる人間を邪険に扱うような人ではない。だから若干の勢いに押されながらもぽつぽつ質問には答えていた。その横顔は周囲の同い年の生徒より大人びて見える。

「朝一緒に来たの?」
「まぁうん……なんか待っててくれたみたいで」
「それってやっぱりあんたのこと好きなんじゃん」

人の噂も七十五日と割り切り、凛と付き合っているという噂に関して私からはノーコメントを貫き通していた。そして凛が学校に来なくなったのも相まって確かに三ヵ月を過ぎる頃にはそのような噂もすっかり消え失せていた。ただ、彼女だけはブルーロックに行ったきりの彼と私のことを気にかけてくれていたので本当の事を話したのだ。私たちは付き合っていない、と。

「だと思いたいけどさぁもう遠くの人って感じだよ」
「今も連絡とり合ってるんでしょ?ならまだ間に合うって!ほら、現役のスポーツ選手でも学生時代に出会った人と結婚したって話聞くし」
「結婚はさすがにスケールが大きすぎる」

そして自身の心境を一人で抱えきれなくなった私は彼女に凛のことが好きだと話した。そしたら「は?両想いの惚気か?」とこれまた盛大な勘違いをされそうになったので彼の帰省期間に過ごした出来事を順を追って話した。それからは良き相談相手になってくれている。

「男だけのスポーツなんてこれから大した出会いないでしょ。精々、女子アナとかアイドルリポーターとかチアガールくらいで」
「大した出会いだよ!それに全員可愛い人じゃん!」
「あんたも十分可愛いよ」
「えっ惚れた。結婚する?」
「そういえば言いそびれてたんだけど彼氏できたんだ」
「この世は無情だ……!」

天を仰ぎながらも彼女に彼氏ができたのは喜ばしい事なので、おめでとうと伝える。話を聞けば同じ部活の先輩らしい。その人の名前は何度か彼女の口から聞いたことがあった。趣味が合って一緒にフェスにも行ってきたと聞いたときからこうなる日も近いんじゃないかと思っていた。
そこで再び、趣味があっても私と凛とじゃそうなれないんだな……と気落ちする。

「彼氏ができても偶には私の話聞いてね」
「寧ろ聞かせて」
「おいチャイム鳴ったぞ、席付けー」

担任の声に生徒達はお喋りを切り上げ自分の席へと戻っていく。私の席は廊下側の一番前の席。そして凛は学校にあまり来ないからという理由で窓側の一番後ろの席に割り当てられていた。

隣を見ても振り返ってももう凛はいない。
これが痛いくらい分かりやすい現実だ。





とはいえ、悲観的な性格でもないので『同級生の中でもちょっと仲のいいポジション』という立場に甘えてやろうという気持ちはある。だから帰りも一緒に帰れないかと、凛がそうしたように連絡なしで校門の前で待っていた。

同じクラスであるのになぜ待っているかというと例の休学に関することで凛が職員室で先生と話をしているからだ。昇降口で待っていてもよかったのだが現三年生を抜いた全校生徒が集まる終業式後にも学年を超えて人に集られていた。だからそこを通らずに帰る可能性もあると考え校門にいる。そして外を選んだのはやっぱり桜が綺麗だったから。

「マジでいんのかな?」
「後輩に写メ送って貰ったから来てるのは本当」
「でももう帰ったんじゃない?」
「絶対まだいる!ってゆうかいてもらわないと困る!」

同じ制服の女子生徒、もう授業もないのに校門を潜り校舎へと向かっていく。二人組の中でも声を大きくした生徒には見覚えがあった。確か文化祭のミスコンで優勝した三年生だ。三年生ってもう学校に来なくていいんじゃなかったっけ?それに校則で禁止されてる化粧までしていた。

「もしかして本当に告白するつもり?」
「だから違うって!私が将来女子アナになったとき学生時代の糸師凛とのツーショ持ってたら話題になるでしょ?そこからお近づきになってくの!」
「その五カ年計画の恋愛施策こわいわー」

そんな事のためにわざわざ学校に……友人が話していたことが脳内にちらついて、容易に熱愛報道ニュースまで想像が出来た。それは上野のパンダの出産報道よりもよく見た記事であり、張り込みには牛乳とあんぱんに並ぶ鉄板の組み合わせだ。そしてそのお相手が糸師凛だと……

「……っ!」

ポケットに入れていたスマホが震える。画面に表示されたアイコンを確認し、ポップアップをスライドして一気にメッセージ画面まで飛んだ。本当に彼は私が不安になっているときに連絡をくれる。

『帰ったのか?』のメッセージに既読だけつけて駆け出せば、続けて『いま下駄箱にいんだけど』と送られてくる。返事は返さないまま、そのまま下駄箱へと走っていけばちょうど昇降口から出て来る彼の姿を見つけた。

「凛っ……!」
「あ?お前マジで先に帰っ」
「帰ろうか?!」
「は……」

お構いなしに凛の手を掴んで元来た道とは違うルートを選んだ。途中で追い抜いた彼女達と鉢合わせをしないよう、桜の木の影に隠れながら迂回して校門まで抜ける。それでもまだ油断は出来ず、結局二つの青信号を渡り切ったところで足を縺れさせながら減速した。

「なんだよ急に」
「はっ…それ、ゲホッ…はっ…!ゴホゴホッ」
「大丈夫か?」

そして体力テスト張りの全力疾走をした結果、私の心臓は悲鳴を上げていた。口の中が乾燥して喉が引きつり、ひゅーひゅーと情けない呼吸が続く。この俊足ぶり、きっとゾルディック家の彼でも見逃しちゃったんじゃないかな。

「はーっはーっ……ぅッしぬ」
「おい、こんなとこで座り込むな。もっと辛くなんぞ」

その場にへたり込みそうになれば、ぐっと腕を掴まれて立たされる。そして引きずられるように歩かされた。訳も分からず連れ出されて走らされたというのに凛は呼吸一つ乱さず汗もかいていなかった。これが世界で戦う男の体力か。

「落ち着いたか?」
「お陰様で……」

コンビニの前、近年の健康増進計画の一つとして撤去された元喫煙スペースにてようやく私の呼吸は平常を取り戻した。買ってきてもらった水を飲み一息つく。その間にも目の前を通り過ぎる人がひそひそと「あれってブルーロックの……」という会話を耳にして複雑な気持ちになった。

「体育の奴がなにやってんだよ」
「それは前期の成績だよ」
「後期は?」
「三」
「そりゃスゲーな」

凛も自分が買ってきた水をひと口飲んだ。ユニフォームではなく制服姿の彼には違和感が滲み出ていた。それはやはり彼の雰囲気が大人びたせいか。でも同じ校章が描かれた制服を着ていることで年相応に話をしてもいいんだって思えて、勇気が出た。

「……凛の出待ちしている人がいたから」
「ン?」

ペットボトルのキャップを締め、こちらを見たことが分かる。前髪の生え際辺りに視線が降り注ぐのを感じる。だから私は両手で握ったペットボトルのラベルを眺めながら話を続けた。

放課後にわざわざやってきた三年生。凛と写真が撮りたいと言っていて、でもそれは将来悪用?されそうで。それに凛は写真とか嫌いだし、今日は一日質問攻めにあって大変そうだったから早く帰してあげたほうがいいかなって。しかもその人は『サッカー選手』としてではなく『有名人』として凛のこと見てたから、なんか、ちょっと、いやだなぁって思った——そのようなことを、ボソボソもごもご卑屈に聞こえない程度にぼかして言った。

「フッ……」

手癖が悪いせいか、爪の先で弄っていたラベルが剥がれかけていた。それがペラリと捲れたのはきっと風のせい。だけど聞こえてきたのは間違いなく風の音ではなかった。

「え、なに笑ってんの?」
「は?笑ってねぇし」
「いや笑ったって」
「酸欠で幻聴が聞こえただけだろ」

んなワケあるか、と言ってやりたかったけれど凛の顔をこれ以上直視していたら自分の顔がにやけそうだったのでそういうことにしておいた。
苦し紛れに水をひと口飲む。そしたらボトルが潰れてラベルが剥がれた。ゴミが増えた。さいあくだ。

「ありがとな」

パッと顔を上げて、凛を見た。
目尻が緩んでターコイズブルーが溶ける。いつもは強く結ばれている口角が僅かに上がり弧を描いていた。春の風が髪を撫でれば前髪が攫われ、額から鼻筋までの細い線が息を呑むほど美しかった——しかしそれは瞬きのうちに逸らされ、いつもの顔に戻っていた。

本当にこの人は絶妙なタイミングで自分のイケメンを有効活用してくるから困る。BLTVでも教室でも見られないその表情。凛がクールじゃなくなる瞬間。超絶レアのSSR顔。思わず自分が特別かなって思っちゃうじゃん。

「……っ、苦しゅうない」
「どんだけ大河ドラマ引っ張んだよ」

あWー……すき。

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