
朝チュンではなく朝ギャン
喉の渇きを覚え意識が浮上する。しかしそれと同時に頭が絞めつけられたようにズキズキと痛みだした。その痛みから逃げるように体を縮こまらせてはアナグマのように布団の中へと逃げ込んでみる。だがその行為はかえって喉の渇きを増幅させただけだった。この体はどうやら大層水をご所望らしい。
「うっ……」
「起きたか……?」
冷蔵庫に飲み物あったっけ。起きてすぐなら胃に負荷がかからないよう常温水を飲むべきだが今はキンキンに冷えた水が飲みたい。例えそれがぼったくり価格の五千ペリカだったとしても。
「水飲むか?」
もぞもぞと布団の中から這い出れば目の前には夢にまでみたミネラルウォーターのペットボトルがあった。中身と同じく透明な汗をかいたそれは十分に冷えていることが窺える。オアシスはここにあったかと体が欲するままに水滴が浮かびあがったボトルへと手を伸ばす。しかし、そのとき骨張った手に触れて夢現だった脳みそが一瞬にして覚醒した。
「ヒッ……ぎゃあああああ!?」
「イ゛ッテ?!」
「いったぁ?!」
手に取ったペットボトルを力任せにぶん投げる。そしたら見事クリーンヒット。高校時代のハンドボール投げは平均以下の記録保持者ではあったがこの至近距離ではなんら問題にはならなかった。しかし、周囲を確認せずに後退したことで頭を思いっきり壁にぶつけてしまった。おまけに叫んだことで頭の内側もズキズキと痛みだす。
「何すんだよ?!」
「なんで裸なの?!」
「シャワー浴びた後だからに決まってんだろ!」
痛む頭を押さえペットボトルを投げつけた相手を見る。そして彼もまた少しばかり赤くなった左肩を右手で押さえながらこちらを見た。だがその赤みよりも問題なのは上半身裸ということ。端正な顔に似合わず鍛えられた体は男としての色香が放たれていてとてもじゃないが直視できなかった。だからこそ一度は跳ねのけた布団を再度かき集め自分の前に薄い壁を作った。
「じゃあ服着てよ!」
「まだ髪濡れてんだよ!」
「ならドライヤーで…っ、ゲホゲホ」
水分を欲している体にこの大声は大分堪えたようだ。喉が乾燥しているため思わず咳き込む。また頭痛も相まって作ったばかりの壁は早々に取り崩す羽目になった。そしてそれは今、私のお腹の前で一塊になりクッションの役割をはたしている。
「おい大丈夫か?」
寝起きに裸の糸師凛を見て大丈夫なわけあるか。ファンにとってはスチルレベルのサービスショットかもしれないが私にしてみたら目の毒にしかならない。そういえば凛がまだブルーロックにいた頃、BLTVでトレーニング中の上半身裸の姿が放映されるが否やネットが大荒れしてたっけ。そしてその動画は運営側に削除され以降、肌色多め動画はセンシティブ扱いされた。
「だいじょ、…ぶだからっ……ケホッ、凛は早く服着て!」
「チッ…分かった」
咳き込みながらも凛を遠ざけることに成功する。直視できないのもあってしばらくはクッションにした布団に顔を埋めていた。そしてようやく落ち着いたところで周囲の状況を確認できるようになった。
私がいるのはベッドの上で、サイドランプを挟んだ横にもう一つ同じ形のシングルベッドがある。そのシーツは乱れていたので凛はきっとそちらのベッドで寝たのだろう。というかそう信じたい。それに私の服装も多少乱れてはいるものの昨日と同じだし一夜の過ちはなかったはず……たぶん、きっと、お腹は痛くないし大丈夫なはず。たぶん。
先程投げつけたペットボトルは凛が拾ってくれていたらしく枕元のサイドテーブルに置かれていた。それを有難く頂いてから横にあった自分のバッグへと手を伸ばす。スマホを取り出し時刻を確認すれば午前十一時を少し過ぎていた。
「気分は?」
そしてТシャツを着た凛が戻ってくる。タオルを首にかけているので髪は濡れたままだが言った通り服はちゃんと着てきてくれた。そしてまともに顔を見たことで昨日の記憶が蘇ってきた……そこで襲ってくる自己嫌悪。これは大分やらかした。
また、泥酔したのはこれが初めての経験なので今気付いたことなのだが、どうやら私は酔った時の出来事も覚えているタイプらしい。これならいっそ全てを忘れて目覚めたかった。夢ならばどれほどよかったでしょうか、米津さんもそう思いますよね?
「うん、もう大丈夫……それであの、昨日は本当にすみませんでした…!」
しかし残念ながらやらかしたことは現実であるので凛には深々と頭を下げた。やり方はどうあれ助けてくれて介抱までしてくれた。この恩義はかなり高くつきそうだ。
「昨日のコト覚えてんのか?」
「えっと、曖昧にだけど……」
ほとんど覚えていたけれど泣いて縋ってしまったことが恥ずかしすぎて誤魔化した。
私が目を逸らせば凛はしばらく何も言わずにじっとしてから、静かにベッドに腰を下ろした。その重みで僅かにベッドが沈む。
「スゲェ泣いてたぞ」
「それは人生の汚点過ぎるからもう触れないで」
「お前あんなに泣くんだな」
「なんか凛の顔見たら安心したんだよ。もういいからこの話やめよ」
「抱き着いて離れねーし。吐く吐く言ってた割にそのまま寝落ちするし」
「えっそうだったの……?」
「あぁ。だからそのまま抱き上げてタクシーで運んだ」
「うわー……」
更に明かされた事実に頭が痛くなるばかりだ。酒は飲んでも飲まれるな、だ。当分飲酒は控えよう。
「外で飲み過ぎんなよ」
「はい、気を付けます……」
「んで男と飯行くな」
「それはまた別の話だね」
「は?」
やだなにこの人、朝からキレるじゃん。特別親しい男友達はいないけど、それでもバイト仲間や同じ学部には男もいるわけで、その人達とご飯に行く機会はある。どうせ凛にはバレっこないから誤魔化してもよかったけど億が一バレた時に身の危険(主に相手)を感じたので正直に言った。昨日だってまさか凛に出くわすとは思わなかったし。
「お酒が入ってなければ大丈夫だって」
「そもそもお前は隙が多いんだよ」
「そりゃあ視野の広い凛からしたら大抵の人間は隙だらけでしょ。でも嫌なことは嫌ってちゃんと言えるし昨日だって逃げるつも、……っ」
世界がぐるりと回って視界は天井の白で埋め尽くされた。しかし、それもすぐに影がかかり薄暗くなる。視線の先にはターコイズブルーの双眸。いつもは穏やかで澄んだ色をしているのに今は海底の奥に眠るような獰猛さがそこには潜んでいた。
「その考えがぬりぃつってんだ。
より一層マットレスが沈み込み、凛との距離が近くなる。髪から伝った雫が落ちて私の頬を濡らした。私を押し倒したであろう彼の右手がそっと肩に触れ、ツツ…と鎖骨をなぞり肌を撫でる。
昨日、あの男に触られたときは嫌悪しか感じなかったのに凛に触れられるのは嫌じゃない。でもその代わりに沸々と胃の中から怒りが煮えたぎる。それは二日酔いの気持ち悪さを超えるほどの不快感があった。
「確かに私はその場の空気に飲まれやすいけど誰にでも気を許すわけじゃない!」
「あ?今だってそうじゃねぇか!」
「それは凛だからだよ!他の人には絶対にこんなことさせない!」
私が男たらしみたいな言い方はご遠慮いただきたい。そうじゃなければ彼氏いない歴=年齢でもないし、純潔などとうの昔に散らしてる。高校時代に擦らせた片想いを引きずって、瞬きほどの短い青い春の思い出を抱え、この関係に甘んじて、いま私はここにいる。一途とは程遠いような執念とも言えるこの感情を、大多数の定義で吐き捨てないで。
「……俺だからか」
「そうだよ!」
「そ……、うか」
パッと視界が晴れたと思えば、再び無機質な天井とご対面していた。スプリングの反動で僅かに体が浮いたが自分は仰向けのまま。その状態で首だけを動かし凛を探せばベッドの端に座りこちらに背を向けていた。この位置からでは表情までは伺えない。しかし、黒髪の隙間から覗いた真っ赤な耳を見て自分でもようやく口走った事への理解に追いついた。
「ちょっとトイレかりる……!」
サイドテーブルに置かれたバッグを掴みベッドから飛び降りる。そのまま裸足でソファの後ろを駆け抜け部屋の出口手前にあった扉を開けた。そこは脱衣所になっていて、その奥にトイレがあり右側には洗面台とバスルームへと続くもう一つの扉がある。だが、幸いにもこの脱衣所自体に鍵が付いていたのでトイレにまで逃げ込む手間は省けた。
後ろ手に施錠したことを確認し、扉に背を預けずるずると床へへたり込む。
「〜〜〜〜っ!」
そしてすぐに大荒れのハリケーンが私を襲った。
昨夜に続きなんてことを口走ってしまったのか。これは実質告白なのでは?古の「月が綺麗ですね」よりも新手の「お前だけは百%殺す」よりも分かりやすいアイラブユーだったような……
ついに言ってしまったか……いや、でも相手はあの糸師凛だ。友達がいなくてコミュニケーション能力が乏しくて母国語よりも外国語の方が得意になってしまった糸師凛だ。この絶妙なニュアンスを彼が読み取れたかどうかは怪しい。ヘタしたらめちゃくちゃトイレ行きたい奴に思われたかも。
「いっ……あー捻ってる」
心を無に還し立ち上がろうとしたところで左足首に痛みが走る。ロングスカートのスリットから覗く膝は擦りむいたのか少し赤くなっていて、足首は腫れていた。きっと昨夜ベンチから立ち上がろうとしたときにやったに違いない。ほんと、何やってんだか。
それでも歩けないほどの痛さではないので立ち上がってトイレと洗面所を借りる。少しお高いウォータープルーフにしただけあってメイク崩れはマシな方であった。ただ、化粧をしたまま寝たので地肌は砂漠のようになっていそうだが。
扉の前で深呼吸。そして鍵を開けていつも通りの顔を作って部屋に戻る。
凛はベッドからソファへと場所を移していて、大して興味もないだろうにつけっぱなしのテレビへと視線を向けていた。ちょうどお昼の番組が始まったのか元気なタイトルコールが聞こえてくる。
「ねぇ私の靴どこにある?」
「そこの壁際」
「ありがと」
平然と訊ねれば淡々と答えられる。ほら、やっぱり凛には伝わってなかった。それが良いのか悪いのか、安心していいのか寂しがってもいいのかも分からない。ただ、ため息だけはこっそりついて部屋の隅に並べられた自分の靴に足を入れた。
「そんでこれ」
「な、なに?」
気付けば凛は直ぐそばまで来ていた。いつ暗歩を習得したんだ。ある程度の暴言は見逃すがどうか本物の殺人鬼にだけはならないでくれ。
おっかなびっくり凛の方を見ればその手にはビニール袋が握られていた。冷えた袋を受け取り中を見れば二日酔いに効くドリンクやトマトジュース、ヨーグルトや梅干のおにぎりといったものが入っている。
「他にもあっけど」
そういってソファの前のテーブルへと視線を移せばあさりとしじみのインスタント味噌汁が並べられていた。きっと二日酔いに効きそうなものを調べて色々と買ってきてくれていたのだろう。
「ありがとう、じゃあ帰ってから食べるね」
「もう帰んのか?」
「これ以上長居はできないよ」
テーブルの上に置かれたインスタントもビニール袋へと詰め込む。お金は……とも一瞬、思ったけれど受取ってくれなさそうなのでお言葉に甘えておいた。昨夜の件も含め、また今度別の形で返そう。
『それでは本日のゲストはこの方です!どうぞ!』
『えー、千切豹馬です。よろしくお願いしまーす』
ふと覚えのある名前が聞こえ顔を上げれば千切選手が画面越しに手を振っていた。どうやら生放送番組のゲストとして呼ばれているようだ。
ブルーロック時代のBLTVの影響もあり、彼らは知名度が高い状態で世界へと羽ばたいていった。それは彼らサッカー選手の商品≠ニしての付加価値ともいえるもので、このように試合以外の場面でも目にする機会は多い。例えば雪宮選手はスポーツ飲料のCMに出ているし、馬狼選手の掃除コラムが女性雑誌に掲載されることもあった。最近だと蟻生選手がヘアトリートメントの監修をしていたのには驚いたっけ。そして凛もまたメンズブランドのイメージモデルを務めている。
「え?」
画面に見入っていたところで不意にテレビの電源が落とされる。それはもちろん心霊現象の類などではなく人為的に操作されたもの。そしてその犯人は音を立ててリモコンをテーブルの上に置いた。
「結局さっきのも調子合せただけってことかよ」
「はい?」
「試合見に来たときも昨日の会話もその爪も、んで今。調子合せてテキトーな態度取って馬鹿にしやがってマジで悪趣味だな」
「え、今なんの話してる?」
「テメーが見惚れてる赤髪の話だタコ」
「はぁ?!なんでそこで千切選手が出て来るの?!」
訳が分からないがどうやら私に弁明の時間はないようだ。暗歩の次は瞬歩を繰り出し間合いはゼロになっていた。先ほどのあれが伝わっていないことは想定内として、なぜテレビを見ていただけでいちゃもんを付けられなければいけないのか。
「現にそうだっただろーが」
「テレビに知ってる人が出てたらつい見ちゃうでしょ?凛だって潔くんがサッカー解説してた動画見てたよね?」
「それはアイツを殺すために必要なことだからだ!話すり替えてんじゃねーよ!」
「すり替えるって……先にこの話し出したの凛じゃん!」
「してねぇよ!」
温度を失ったターコイズブルーは私を見下ろす。感情の読み取れない瞳にはただ私が映っていただけだった。
「じゃあ凛は何が言いたいの?」
「お前の中での一番は誰かって話だ」
「それはっ……!」
凛だよ——と、ここで言えたらどんなに楽だったろうか。そして凛もその言葉を望んでいることは痛いほどわかる。
「……そういえば週明けに提出するレポートがあるんだった。急いで帰らないと」
「は……」
でもそれを言ってしまったら私は都合の良いときに欲しい言葉を与えるだけの女になってしまう。きっと本当の私の気持ちは凛に届かない。
「おつかれっした!」
運動部さながらの元気な挨拶をして出口へと急ぐ。臆病者だとも恥だとも何とでも言え。結局逃げるが勝ちなんだよ。
二日酔いも足の痛みも自分の気持ちも、ぜんぶぜんぶ考えないようにして今一番楽になれる選択をした。しかしそう簡単には逃げきれない。何故なら私はすでに深淵に片足を取られていたのだから。
「ちょ、待てよ!」
「キムタクはお呼びでない!」
「あ?他の男の話すんじゃねぇよ煽ってんのか?!」
うわっめんどくさ!糸師凛めんどくさ!その執着何なの?部屋移動で巻けない分、青鬼よりも厄介なんですけど。伸びて来た手はさらりとかわして部屋の外へと急ぐ。
「国民的スターを数に入れるな!」
「その定義で言やアイツも数に入んだろ!」
「なら凛も入るね!おめでと!」
ほんとにああ言えばこう言う!学校の勉強はできなくとも頭の回転が速いのでこういう屁理屈ばかりは上手い。
広いとはいえ所詮はホテルの一室。捕まることなく出口の扉まで辿り着くことが出来た。オートロックの為、内鍵はなくこのまま外に出られる。しかしドアを押し開けようとした瞬間、腹の前に腕が回された。うわっマジで捕まえに来たじゃん。
「まだ話は終わってねぇだろうが!」
「ちょっ…お風呂入ってないから近づかないで!」
「んなの気にしねーわ!」
「私が気にするの!」
五センチほど開いた扉も後ろに引き寄せられるのと同時に閉まりかける。でもその扉は私が取っ手から手を離しても閉まりきることはなかった。そしてあろうことかそのまま外側に大きく開かれた。
「凛ちゃん?!言われたものは買ってきたけどさっきの連絡は……え?」
「え?」
目の前には茶髪でタレ目の背の高い男性が一人。日本語の発音と骨格の作りからその人が海外の出身だということは一目でわかった。そんな彼と目が合えば同じ言葉が口から零れ落ちた。
「「だ、だれ……?」」
「チッ」
いや、キミはなに舌打ちしとんねん。凛しかこの状況把握してないんだから説明してよ。しかしそれを聞くまでもなく分かることが一つだけある。
「とりあえず二人とも中に入ってもらえる…?」
それはまだ帰れないということだ。