後ろの席の糸師くんはよく分からない


中間テストの結果は中々よかった。これならパケ代交渉は上手くいきそうである。そして糸師くんはと言うと顔には出ていないものの結果は大分やばそうだった。赤点組には補習または課題が出るので彼にとっては死活問題であろう。

「ノート貸そうか?」

だから見るに見かねて声を掛けてしまった。それに対し「別に借りてやってもいいけど」と当然の如く手を出してきた糸師サマの堂々たるお姿には感服するあまりである。だからこちらも、苦しゅうないと良きに計らいその掌にノートを叩きつけた。

「これ」

しかし後日、ノートと共に渡されたものには少し驚いた。

「アルバムだ!しかも初回限定版?」
「随分前のだけど」
「貸してくれるの?」
「いらねぇんならいい」
「いるいる!ありがとう!」

リリース自体は数年前なのに私にしてみたら新曲同然。何故今までこんな素晴らしき楽曲を知らなかったのかと天を仰いだ。その感動をルーズリーフに綴りアルバムと共に糸師くんに渡せば「ゴミを押し付けるな」と文句を言われた。でもその翌日、また別のアルバムを貸してくれたので読んではくれたようだった。



前期も半分が過ぎた頃、クラスの誰かが席替えをしたいと言い出した。それなら…と担任も了承し、くじ引きでの席替えが始まった。これで糸師くんともお別れかぁとしみじみ思っていたのだがそんなことはなかった。

「着いてくんなよストーカー」
「どちらかと言えば後ろの席の糸師くんの方がストーカーなのでは?」

今度は前後の席になってしまった。だから小テストの採点こそすることはなくなったが朝の挨拶や音楽関係の会話がなくなることはなかった。あと変わったことと言えば余計なことを言われる機会が増えたことだろうか。

「今の授業寝てたろ」
「起きてたよ」
「頭すげぇ揺れてたぞ」
「ヘッドバンギングの練習だし。脳内では一途流れてたから」
「それなら千両役者だろ」

でも結果として会話は増えたかな。



とはいえ、私とて糸師くんばかりと会話をしているわけではない。友人関係は順調に構築できているつもりだ。

「さっきはありがとな」

隣の席の糸師くん……ではなく新たに隣になった男子生徒が授業終わりにそう声を掛けてきた。それはきっと授業中での出来事を言っているのだろう。夢の世界へと旅立っていた彼が先生に当てられたとき、こっそり答えを教えたのだ。

「役に立てて良かったよ」
「あの先生おっかないからさ、目付けられたらアウトだったわ」
「だよね。そしたら次の授業で集中的にっ…?!」

ガタンッ、と座っていた椅子が揺れ地震でも起きたのかと思った。しかし他に揺れているものはなくクラスの皆も騒いでいる様子はない。ただ一人、隣の席の男子生徒だけは青ざめた顔をしているが。そしてその視線は私の背後へと向けられている。

「ちょっと糸師くん、椅子蹴らないでよ」
「脚が当たっただけだ」
「そんなわけ……って本当に椅子の下にまで脚がある?!でもさすがに邪魔なんだけど」
「別にいいだろ」

唐突に脚長アピールをしないでほしい。ほら、隣の彼もびっくりして廊下に出て行ってしまったじゃないか。しかし糸師くんはというと何事もなかったかのように机の上の物を片付けていた。

「もう少し愛想よくすればいいのに」

一年生ながら既にサッカー部では活躍しており、またその容姿も相まって女の子にもモテると聞く。だからあと少しでも親しみやすさが加われば男女ともに好かれる存在になれると思うんだけどな。

「嫌なら俺に構わなきゃいいだけだろ」
「もう少し自分が目立つこと自覚した方がいいんじゃない?」
「お前は誰にでもしっぽ振ってんじゃねぇぞ」
「はぁ?」

そう言い切ると糸師くんは席を立って教室を出て行った。急に怒りだして生理前の女子か。だから戻ってきた糸師くんに優しさを込めて、薬いる?と聞いて飴玉を差し出した。それに対し「バカに効く薬があんならお前が飲んどけ」といつも通りのテンションで返されたがその手は飴玉を奪っていった。言っていることと行動が一致しない。どうやら情緒不安定の二日目だったようだ。





昼休み、自販機へ飲み物を買いに行った時だった。

「ずっといいなって思ってて……だから私と付き合ってください!」

一緒に居た友人と顔を見合わせ声が聞こえて来た校舎裏へとダッシュする。告白現場の覗き見なんて褒められたものではないけれど私達の野次馬魂は抑えられない。

「そういうの興味ねぇから」

柱の影からこっそり顔を出すがすでに事が済んだ後だった。しかし立ち去るその後ろ姿は実に見覚えがある。あんな脚長の長身イケメンは我が校に一人しかいないのだから。

「相変わらず糸師凛はモテるね〜!」
「だね。今の子可愛かったし付き合えばよかったのに」

お節介な野次を飛ばしつつ買ってきたばかりのブリックパックにストローを差し込む。それを美味しく頂いていたところで友人に「嫌みか!」と笑われた。なんだそれ。私はどこかの脚長さんとは違い、円滑な人間関係を築くために日々努力しているというのに。

「糸師ってあんたのこと好きじゃん」

どうやら彼女のコンタクトレンズは度数が合っていないようだ。今すぐ眼科に行きたまえ。しかしそんな私の有難い助言を一蹴し、友人は言葉を続けた。

「だってクラスでまともに会話できるのも糸師が自分から話しかけるのもあんただけでしょ」
「席が近いからってだけだよ」
「あんたがどこ行ってもずっと目で追ってるし他の男と話してるときはガン飛ばしてる」
「それは私のこと睨んでるだけ」

それなりに会話はするようになったが誰しも初対面の印象というものは拭えないものである。だから表にこそ出さないが心の奥底ではきっと今も私のことは毛嫌いしているはずだ。

「どうだか」

友人は最後まで自分の意見を変えずに笑っていた。



そんなことを言われてしまえば多少なりとも意識してしまう。
突如として芽生えた邪心に似た感情に頭を悩ませていれば課題に必要な教科書を忘れてきてしまった。まさかの二次被害。下駄箱へと向けた体をUターンさせ教室へと戻った。

「糸師くん?」
「あ?……なんだお前かよ」

そして幸か不幸か、教室には糸師くんがいた。いつもは放課後になったらすぐに部活動に行ってしまうのに珍しい。

「何してるの?」
「見りゃ分かんだろ」

自分の席に、というよりは糸師くんの席へと向かった。彼の机の上には日誌が広げられている。そういえば日直当番だったか。
自分の机を漁り目的である資料集を回収する。そうすればもう用は済んだというのに、気付けば椅子を引いて席に座っていた。

「なんだよ」
「糸師くんが漢字間違えないように見といてあげる」

通路側に足を向け、半身を捻るような形で日誌を覗き込む。ほとんどがもう一人の日直当番が埋めてくれたのか糸師くんの書くスペースはそこまで多くない。

「余計なお世話だタコ」
「はいはい」

角ばった文字が空白を埋めていく。それを追う瞳は長い睫毛で伏せられよく見えなかった。きっと糸師くんの事だから私が日誌ではなく自分を見ていることだって気付いているだろうに何も言わなかった。

「あのさ、」

別に友人の言葉を鵜呑みにする気はない。でも答え合わせくらいはしておきたい。正直その答えは分かりきってはいるが本人の口から聞ければ友人にも深読みだとはっきり言ってやれる。そして変な噂が囁かれる前に釘だって刺すことが出来る。

「なんだ」

あくまで普通に、何も考えていないかのように。
そう装うために視線を日誌に落として口を開いた。

「糸師くんって私のこと好きだったりする?」

よくて舌打ち悪くてタコが飛んでくる。まぁどっちだって最早慣れたものだけど。でもこの手の質問、最悪拳が飛んできたりはしないよね…?どんなに口が悪かろうとも短気であろうともさすがに手を出す人ではないと信じている。

「……、っ」

しかし中々に答えが返ってこない。
その代わりに息を呑むのが分かった。

「え?」

瞬きと同時に視線を前へ。
そうすればそこには真っ赤な顔をした糸師くんがいた。

「お、まえ……」
「いや、ちょっと待ってよ糸師くん」
「クソッ!こっち見んな!」
「待って待って、色々と大丈夫?」
「うっせぇ黙れ!」

痛みもない髪をぐしゃりと握りつぶし顔を隠した彼に、今度は私が焦る番。まさかそんな顔するとは思わないじゃん。想定外の反応にこちらもフォローの言葉が見つからない。

「とりあえず落ち着きなよ」
「テメーはゼッテェ殺す!」
「来週新曲のリリースがあるから嫌かな」
「ざけんな死ね!!」
「生きるが?」

まさかこの手の話も地雷だったのか。さすがは思春期ボーイ、色恋沙汰にはちょっと恥ずかしいお年頃か。

「ほんとお前、マジでウゼェよ」

ごめん……と言いかけた口を噤む。そういえば前に謝って怒られたんだった。しかしここでだんまりでいるのも糸師くんを責めるような形になってしまいそうだ。だから頭をフル回転させ、一言。

「あ、ありがとう……?」

とりあえずお礼を言っておいた。

「っ、………俺はもう行く、じゃあな」
「ちょっと日誌は?!」

そして中身の入ってなさそうなスクールバックだけを持ち走り去っていった。



結局、答えらしい答えも聞けぬまま逃げられてしまった。そして翌日、クラスで会っても糸師くんはいつも通りで相変わらずという感じ。ようやく生理も終わったようだった。さて、友人にはなんと報告しようか。しかし気付いた時には妙な噂が出回っていた。

「ほら、あの人が糸師凛の彼女だよ」

全くもって意味が分からない。私がいつそのフラグ回収をしたというのか。デタラメな噂を流した奴は今すぐ名乗り出てきなさい。

「いや付き合わねぇよ彼女いるから。あ?だからアイツだよ」

それが糸師くんだと分かるのはもう少し先の話。彼が告白される現場に居合わせた私が偶然耳にした会話により発覚する。だがしかし、ちょっと待て。

私は告白してもされてもいないんだが?

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