糸師くんの家は兄弟仲が悪いらしい


黄昏時を過ぎた校門前——カラスはとっくに家に帰り、部活終わりの生徒達もわらわらと目の前を通り過ぎていく。しかしお目当ての人物は未だに姿を現さない。あと十五分ほどで最終下校時刻になるわけだがまだ部活動に勤しんでいるのだろうか。全く、少しはその労力を勉強に……と、どこぞのオカンのようなことを言いたくもなるが実は少し羨ましかったりもする。

「そこで何してんだ?」

今日の夕飯は何かなぁなんて石ころを眺めながらぼーっと考えていれば頭上から声が降って来た。パッと顔を上げれば待ち人が珍獣でも見たかのような顔でこちらを見下ろしている。

「糸師くんを待ってた」

安心して、人間ですから。その意味も込めて言ったのだが何故だか硬直された。もしや日本語を忘れてしまったのだろうか。それとも返事と言う名の暴言でもお探しか。綺麗なお顔に似合わず意外と口悪いからなぁ。

「じゃあ帰るか」

てっきり、うぜぇだのストーカーだの言われると思っていたのに予想に反した答えにお次は私が面食らう。長い脚を動かして数メートル先へ行ってしまった背中を眺めていれば「置いてくぞ」とまたも予想外の言葉が続く。そして待たずして進むところがさすがの糸師凛。だから走って追いかけその背に平手打ちを喰らわせた。

「イッテ?!」
「話があるんだけど」
「だからって殴る必要ねぇだろ。クソ痛ぇわゴリラかよ」
「ゴリラは珍獣の分類には入らないよ」
「お前は何の話をしてんだ?」

反応が一々大袈裟だ。糸師くんはリアクション芸人でも目指しているのだろうか。でもコンビを組むつもりはないので一人でR-1グランプリに出てください。

「で、なんだよ話って」
「私ってさ、」

そこで一度言葉を切る。
先日、軽いノリで聞いた質問にオーバーリアクションで応えてみせた糸師くんの姿が思い出された。そして昨日の告白現場での出来事。糸師くんは想いを伝えてきた女の子に対し、私が彼女だと言って断っていた。あの時の事はてっきり流されたのかと思っていたのに。

「糸師くんの彼女なの?」

だからこそ、直球ドストレートに聞いた。もちろん緊張しているのがバレないように一息で。
顏は直視できないから制服のボタンに意識を集中させた。糸師くんはまた前のようにオーバーリアクション芸をかましてくるのだろうか。しかしそうされたとしても冷静に対処するつもりだ。

「お前何言ってんだ?」
「え?」

しかしこの場で誰よりも冷静だったのは糸師くんだった。流氷を思わせるような透明感のあるターコイズブルーが向けられて、その顔はいつも通りの無表情。そして言葉通りの「お前何言ってんだ?」の文字までもが書かれていた。

「な、なぁんてね!今の忘れて!」
「一々聞いてくんじゃねーよ」
「うん、そうだよね!もう聞かないから!」

は、恥ずかしい……糸師くんも呆れて歩きだしちゃったよ。穴が合ったら入るからセメントで埋めて私を封印してほしい。

「くだらね」

追い打ちが痛い。まぁ不躾に、私のこと好き?なんて聞いて「殺す」だの「死ね」だのと言ってくる男の中に恋愛フラグなんて立つわけがない。

そして改めて当時の事を振り返れば糸師くんは自分が揶揄われたと思っているのではないだろうか。あんなに真っ赤な顔して怒っていたのだ、私を恨んでいるに違いない。だとすると、その腹いせに告白の断わり文句として私の名前を使っているだけなんじゃ……きっとそうだ。間違いない。

「はぁ……」
「さっきから何なんだよ」

糸師くんの影を踏むようにその後ろを歩く。そうすれば歩幅を狭められ隣に並ばれた。仕返しが成功した後の私の顔でも見に来たのだろうか。笑いたければ笑えばいい。その話題は全力で逸らすけど。

「別に……ただお腹が空いたなって思って。糸師くんは夕飯何食べたい?私は肉じゃが」
「マグロ丼」
「あーそれにイクラとサーモンも乗ってるとなお良しだよね」
「は?醤油とワサビのコンボで優勝だろ。なんで他のモン乗せんだよ」
「美味しいからだよ。イカもダメ?」
「他のモン乗せるとか正気か?マグロ一択だ、異論は認めねぇ」

こわっ。ゲッソーに親でも殺されたのだろうか。ネイティブなら赤い帽子の髭のオッサンに救け求めに行きなよ。あの人、日本出身だけど。
それにしてもサッカー部が終わるまで待って聞くことでもなかったわ。ついでに一緒に帰ることにもなっちゃったし。

「あっ私コンビニに寄って帰るから。じゃあね」
「待て、俺も行く」

だからちょうど見つけたコンビニに駆け込もうとすれば何故か着いてきた。どこでも一緒なのはトロとピクミンだけで十分なんだけど。部活終わりで疲れてるだろうし早く帰ったらいいのに。しかしここで、やっぱり私は帰ります、とまでは言えないので二人でコンビニに行くことになってしまった。

「イラッシャイマセー」

たどたどしい日本語に迎えられ、入口で糸師くんとは別れた。といっても何か買いたいものがあるわけでもない。だから店奥の冷蔵庫まで行き適当にペットボトルを一本取った。そして糸師くんの姿を探せば彼はアイスコーナーにいた。

「アイス食べたかったの?」

意外や意外、確かに部活帰りに買い食いする生徒は多く見るが食べ盛りの男子高校生がアイスを選ぶなんて。でも糸師くんが菓子パンやホットスナックを立ち食いするイメージもないので何を選んでも意外に見えたのかもしれない。

「まぁ」

私のことなど眼中にないのか、それともアイス選びに夢中なのか、糸師くんの視線はじっと冷凍庫の中へと注がれていた。その瞳が少しだけ寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「せっかくだし私も買おうかな。おすすめある?」

改めて冷凍庫を除けば多くのアイスが取り揃えられていた。ここは学校に近いから学生受けするような商品を仕入れているのだろう。我が家の場合は弟セレクトのアイスが箱で冷凍庫に入れられるため私が自分で買う機会は多くない。だからどれも目新しく見えた。

「これとこれは美味かった」

このコンビニ限定であろう苺のアイスキャンディーとチョコレートバーを指差した。糸師くんって甘い物も食べるんだな。
せっかくなので教えてくれた苺のアイスを手に取りレジへと向かう。糸師くんは私が選ばなかったチョコアイスを買っていた。

「わっ見た目からして美味しそう」

袋を開ければパッケージ通りの赤く艶やかな氷菓子が姿を現した。さすがは少し値が張っただけある。そして一口かじり確信する。やばい、これハマるやつだ。果実の甘みはくどくなく、しかしジューシーで苺の果肉まで感じられる。真夏だったら余裕で一度に十本はいける。

「糸師くん」
「なんだ」

隣を見れば彼のアイスはもう半分もなくなっていた。アーモンドチョコがアイスをコーティングしている仕様上、齧って食べ進めていたらしい。そんな糸師くんの前に棒を持ち上げ、丸みを帯びたアイスを見つめながら感想を伝えた。

「めっちゃ好き」
「ンW?!…ゲホッ」

誰が分かりやすいコントをしろと言った。人の顔見て咽るとかどんだけ失礼なんだよ。それとも食べかけのアイスを見せられて吐き気を催したのか? はいはい、すみませんね。

「見苦しい物みせて悪かったね」
「お前はなんでいつも唐突なんだよ!」
「じゃあ前振りしたらいいの?今から食べかけのアイスを見せるのでエチケット袋のご用意をお願いします!」
「そういう問題じゃねぇしなんで吐くこと前提なんだよ!」
「今吐こうとしたじゃん!」
「咽ただけだわタコ!」

顔を背け、残りのアイスをガリガリと食べ進めている。意外と繊細なくせに食べ方は男らしいな。糸師くんのもそこそこの値段したんだからもっと味わえばいいのに勿体ない。片や私は溶けかけたアイスの雫を舐めとってゆっくりと食べ進める。

「糸師くんは将来アイスの早食い選手権にでも出るの?それとも吉本行く?」
「どういう思考に陥ったらその二択になんだよ」
「ずばり将来の夢は?」
「サッカー選手……で、糸師冴をぐちゃぐちゃにする」

何となく気付いてはいたがお兄さんとの仲は悪いらしい。そしてその目を見れば明らかだった。透き通るようなターコイズブルーは何の景色も写らずに、しかしドス黒いナニかが渦巻いていた。怨恨、憎悪、憤慨…どの言葉でも言い表せない感情が渦巻いている。

「お兄さんってすごい人なんだよね。その人を倒す?ってかっこいいじゃん」

糸師くんの言葉の意味はよく分からなかった。でも彼を否定するつもりもないし、ましてや説教する気もない。彼がそう思うに至るまでの過程も理由も分からないけれど、そう言い切れる姿には少しだけ憧れる。だからかっこいいって思った。

「糸師冴のこと知らねぇのか?」
「ミッドフィルダーやってるすごい人としか」
「出た試合やチーム名は?」
「存じ上げないですね」
「マジかよ」

少しの気まずさを感じつつ、残りのアイスを口の中にいれた。斜め上からの視線を感じつつも苺を噛みしめ飲み下す。そして食べきった頃、ため息のような小さな呼吸音が耳に届いた。

「何も知らねぇのに話しかけて来たのかよ」
「それはキッカケ作りだよ」

弟にサインを貰ってきてくれとは言われたがそれが理由と言うわけではない。せっかく隣の席なんだし仲良くなれたらって思ったんだ。まぁその話題のせいで出鼻は見事に挫いたが。

「うちの父親と弟がサッカー好きでさ、糸師選手の顔と名前だけは覚えてたから最初にそう聞いただけ。実はサッカー自体詳しくないんだ」

正直ルールすら怪しい。十一人で行うスポーツで前半と後半戦があるということだけ。オフサイド、ボランチ、アディショナルタイムって創作フレンチの名前ですか?と聞きたくなるレベル。

「ぬるい。サッカー舐めてんのか」

ありのままを伝えたら彼の中でスイッチが入ってしまったらしい。君だけのやる気スイッチが一体どこにあったというのだろうか。もしや背中を引っぱたいた時か。ラグがあり過ぎて今の今まで押したことに気づけなかったわ。

「舐めるのはアイスだけかな」
「んなコト誰も聞いてねぇんだよ。俺がサッカーを一から教えてやる」
「えっ私運動神経良くないよ」
「誰もプレイヤーになんか期待してねーんだよ。最低限のルールは覚えろ」
「じゃあ糸師くんは年表覚えなよ」
「あ?それ覚えて将来なんの役に立つんだよ」

進級に関わるんだが?
しかし何を言っても今の彼の耳には届かないだろう。まぁ私もルールくらいは知りたいと思ってたし付き合って上げますか。

その後、授業一コマ分のサッカーレクチャーを受けることになるとは、この時の私は知る由もなかった。

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