両片想いコント


瞼越しに感じる白くやわらかな光に導かれ、徐々に意識が浮上する。うっすらと目を開ければ視界の端には無地のカーテンが揺れていた。あれ、うちの内装ってこんなんだっけ?それにしても妙に首が痛い。とりあえず一度起き上が…——

「うわっ?!……〜〜っ!」

体勢を変えた瞬間、身体の下に支えがなくなり地面へと転がり落ちた。その拍子に柱にでも頭を打ちつけたのか後頭部がずきずきする。しかしそれと同時に一気に覚醒した脳がこの状況を即座に理解した。

「凛っ……!」

家主である人物の名を叫ぶも返事はない。テレビの横に置かれたアナログ時計を確認すれば朝の九時を過ぎていた。きっともう家を出たのだろう。
ようやく来れたフランスで早々にスリに遭い、凛に助けられてここにいるというのになんという体たらく。結局、私はあのままソファで眠ってしまったらしい。一先ず連絡だけでも入れて……ってそうだ、スマホがないんだった。

朝から憂鬱な気持ちになりつつも、いつまでも床に寝っ転がっているわけにはいかない。今度こそラグに手をついて起き上がれば肩からブランケットが滑り落ちた。帰ってきたらちゃんとお礼を言わないと。

「これは……」

とりあえず化粧したままの顔だけは何とかしたいので洗面所を借りることにする。しかしそこでカウンターテーブルに、ぽつんと紙袋が置かれていることに気が付いた。昨日は確実になかったもの。気になって確認しに行けばその横には走り書きのメモが一枚置かれていた。

『朝メシ 家のものは自由に使っていい なるべく早く帰る』

中を除けばサンドイッチにクロワッサン、渦巻き状のパンやオレンジピールが混ぜ込まれたデニッシュまで入っていた。朝メシ、とあるがきっとお昼の分も考えて色々と買ってきてくれたのだろう。
先にお礼だけでも……と思ったがそこで再びスマホがないことに気付く。スマホ依存症ってほどでもないけれど、やはりあるのが当たり前の環境で育ってきたのでないのが不便すぎて仕方がない。

部屋の隅に置きっぱなしにしてあったキャリーケースを開いて必要な物を取り出す。そしてメモ書きのお言葉に甘え、シャワーも借りさせてもらった。
フランスは硬水だと知ってはいたがシャワーから流れ出る水は日本とそん色ないほどに軟らかい。おそらくシャワーヘッドのお陰であろう。ヘッドひとつで硬水に含まれる石灰を除去してくれるなんて現代社会様々である。
勝手ながらドライヤーも拝借し、洗面所でスキンケアと化粧も済ませる。そして朝食を頂き外に出ることを決意した。

身一つで海外を歩くのはやはり不安でしかないが警察署には行っておきたい。スマホの盗難証明書を貰ってこないことにはせっかく加入した保証も受けられないからだ。

そしてこの家の鍵はと言うと、これも自力で探した。合鍵の置き場と言うのは大抵相場が決まっているものである。といっても家中の引き出しを全て開けるほど非常識な人間でもないのでシューズボックスの中を調べてないなら諦めるつもりだった。私は自分の家の合鍵を靴箱に隠しているので。そして実際に確認してみれば、あった。自分も人のことは言えないが隠し場所としてはあまりよろしくないので玄関はやめた方がいいと思う。

鍵を掛けて外へと出た。
昨日、タクシーに乗る時に凛が住所を言っていたのでそれはノートに控えておいてある。そしてマンション周りの簡単な地図も描いておいた。最低限の迷子防止対策だ。

そこからは己の語学が頼りだった。某お正月番組で日本を代表するミュージシャンが「知識は誰にも奪われない唯一の財産」って言ってたけど、本当にその通りだと痛感する。
道行く素敵なマダムにお声がけをし、一先ず駅までの道を教えてもらう。そして駅員さんに声を掛けパリ警察署の場所を聞くつもりでいた。しかしこのやり取りが非常に難しくかなりの時間を要した。英語での説明も試みるも向こうが英語に慣れていないという状況。それでも他のスタッフさんの力を借り地下鉄で警察署最寄りの駅まで行くことができた。



「疲れたぁ……」

——家を出て約三時間、諸々の手続きを済ませ大きく伸びをして警察署を後にする。たどたどしいフランス語で話す姿はさぞ滑稽だっただろうに、対応してくれた人は遮ることなく私の話を聞いてくれて同情までしてくれた。スリにこそあったがこの街の人間が皆そういう人ではない。

さて、安心したところでお腹が空いたわけであるがどうしようか。近場にカフェでもないか調べて……はい、スマホはありませんでした。そういえば家に朝食のパンが残ってたっけ。せっかく買ってきてくれたものだし食べないのも申し訳ない。もう道は覚えてるし行きよりは早く帰れるはずだ。

空腹も頂点を超えれば腹の虫も大人しくなり、再び地下鉄で移動し凛のマンションを目指す。家を出た時は余裕がなかったが改めて見るとマンション付近にはパン屋に洋菓子店、花屋に美容室など多くの店が並んでいた。その外観も如何にもといった石造りで見ているだけで楽しい。

「おい!どこ行ってた?!」
「……っ?!」

ふらふらと歩いていたところで後から腕を掴まれ、同時に馴染みの母国語が鼓膜を貫く。それは周囲の人も振り返るほどの剣幕で、散歩中の犬も吠え出すほどだった。
振り返ればTHE不審者と言わんばかりに黒パーカーのフードをすっぽりと被った凛がいた。

「びっくりした!えっもう帰って来てたの?」
「もう帰って来てたのじゃねーよ!今までどこ行ってた?!」
「警察署。スマホ盗まれたからそのことで」
「一言書置きくらいしとけ!」

それならわざわざ探しに来なくても電話を掛けるとか……って、スマホがないんだった(n回目)
ここまで手続きに時間が掛かるとは思ってなかったし、早くても帰ってくるのは夕方以降だと思ってたからあまり気に留めていなかった。でもこれはただの言い訳に過ぎないので、ごめんと素直に謝る。凛はまだ言いたいことがあったようだが道の真ん中ではさすがにまずいと判断したのか「とりあえず帰るぞ」と言って歩きだした。

「昨日は寝落ちしてごめんね。それとパンと、ブランケットも掛けてくれてありがとう」
「っとに、お前の危機管理能力どうなってんだよ」
「なんか凛の家に着いたら安心しちゃって」

自嘲気味にへらりと笑えば盛大な舌打ちをされた。なんかここだけ治安悪いな。そして迷子防止とばかりにしっかりと手を握られた。でも歩くペースは落とされず、それ以降は家に着くまで無言だった。

「あっそういえば合鍵勝手に借りちゃった。ごめん」
「あ?……あぁ、別にそれはいい。でもよく分かったな」
「私も靴箱に隠してるんだ。防犯対策としてはあんまり良くないみたいだけどね」

凛が持っていた鍵を使い部屋に入れば玄関先にはスポーツバッグが放置されたままになっていた。そして出るときには閉まっていたバスルームの扉も開きっぱなし。相当慌てて家を飛び出してきてくれたらしい。

「お前、昼メシは食ったのか?」
「まだだよ。凛が朝食に買ってきてくれたパンが残ってるからそれを食べようと思って」
「そうか。なんか飲むか?」

コーヒーと紅茶くらいならある、と続けながら凛はやかんにミネラルウォーターを注ぎ火にかける。じゃあコーヒーで、と答えれば「分かった」といってマグカップを一つ用意してから、置きっぱなしだったスポーツバッグを手にキッチンから離れて行った。

「で、警察署での手続きは済んだのか?」

カウンターテーブルを挟み向かい合わせに座り、凛はペットボトルの水をひと口飲んでからそう聞いてきた。てっきり勝手に出歩いたことをくどくど言われると思ったので少し拍子抜けである。
私はお昼と言うよりはおやつに近い食事を取りながらひとつ頷いた。

「うん、とりあえず書類はもらえるから大丈夫。凛の方は、今日はもう練習はいいの?」
「試合前だから練習量は抑えられてんだよ」
「そうなんだ」

昔は試合前でも負荷をかけた練習をしていた気がするけれど今は決められたメニューに従っているらしい。プロサッカーチームであれば凛が納得し従うくらいにはそのあたりの指導も一流なのだろう。それにしても……

「凛もお昼食べてないの?」
「とっくに食ったわ」
「じゃあお腹空いてる?」
「空いてねーよ」

じゃあなんでガン見してくるんですか?向かい合っているからと言えばそれまでだけどテーブルに頬杖を突きながらじーっとこちらを見ている。そんなもの欲しそうな顔してたら欲しいのかなって思っちゃうじゃん。それと目力が強いのも相まって非常に食べづらいんだが。

「はい、どうぞ」
「は?」

食べかけのパンの、まだ口に触れていない部分をちぎって目の前に差し出す。この視線から逃れるための一手だった。

「美味しかったからお裾分け」

あ、でも試合前なら食事にも尚更気を使ってるよね。現に今もカフェインを控えているのかコーヒー飲んでないし。きっと断られる。だから、返事を聞く前に腕を引込めようとしたのに不意に伸びてきた手に掴まれてそうはできなかった。

「へ……?」

思わず間抜け声が出るほどには一瞬で指先にあったはずのパンはなくなっていた。掴まれたままの手首がじわじわと熱を帯び、今の状況への理解を促す。まさか、いま、直に、食べました?

「まあまあだな」
「でしょ?!」

慌てて手を引っ込め残りのパンを無理やり口に押し込んだ。その様子を見て「まだなんか食うか?」と的外れな気遣いをしてきた男は一度自身の行動を振り返ってほしい。というか私がこっちに来てからの凛ってちょっと様子おかしくない?それとも私に余裕がないのか?

——きっとそれは、どちらも答えなのだ。





私の遅すぎる昼食を終えた後は凛に少しだけマンション周辺を案内してもらった。「面白いモンはなんもねぇケド」と凛は言ったけれど歩くだけでも楽しい。それに現地のスーパーやドラッグストアの品揃えを知れたのもよかった。

「凛は自炊とかするの?」
「朝だけな。昼と夜はクラブチームの方で済ませる」

スーパーで食材を買いながら食事事情を聞けばそんな答えが返って来た。プロサッカー選手と言えば個人で専属調理師と契約を結ぶ人もいると聞いたことがあるが凛の場合は他人を家に上がらせたくないらしい。人を招いたのも私が初めてだと言っていた。相変わらずの人間関係である。

「料理できたんだな」

アスリート飯といえば低カロリー高たんぱく、詰まるところ鶏肉であろう。ということで、それをメインにいくつか料理を作ることにした。私に気を使ってか、凛はクラブではなく家で食事を取るといったのでその役は買って出た。テイクアウトで買うという選択肢もあったが「あんま美味かねぇぞ」と言われたのでやめた。

「一応…人間が食べられるものなら……」
「なんだよそれ」

映え料理だったり、はたまたダークマター的な物でも産み出せたらネタにもなるが良くも悪くも料理のセンスは凡人なので普通のものしか作れない。でも凛の家には日本の調味料が揃っていたのでその点は助かった。どうやらご実家から送ってもらっているらしい。

「ン、美味い」
「よかったぁ」

テーブルを挟んで向かい合って座り、頂きますを唱える。
即興とはいえ作った料理はそれなりに満足してもらえたようだった。

「……これはなんだ?」

しかし一品だけ凛が眉をひそめたものがあった。それは味噌汁の具材で、茶色いスープの中から出てきた緑色の輪切りを見せつけられた。

「知らないの?ズッキーニだよ」
「知ってるわタコ。なんで入ってんのか聞いてんだよ、お前の家ではズッキーニが味噌汁の具になるのか?」

なるわけないじゃん。汁物に使うとしてもミネストローネに使うのが一般的であろう。でもさ、冷蔵庫の中から一部がカピカピに乾燥しきった味噌があったら可哀そうって思うじゃん。使ってあげたいって思うじゃん。それで買い物袋の中を見たら鶏肉に添えるように買ったズッキーニがいたんじゃん?そしたらキミに決めたって思うじゃん?

「だってそこにズッキーニがあったから」

乾汁でもないんだから問題なし、身体に異常は発生しないよと言いきって自分も味噌汁に口を付ける。うん、あんまり美味しくはないね。でも凛はそれ以上、文句を言うことはなく完食してくれた。

「これ洗い終わったら軽く外走ってくる」
「そう?なら洗い物は私がやるよ」

食べ終わった食器を流しに片付けながらそのままスポンジを手に取る。元より、凛が出掛けずとも洗い物までやるつもりでいた。でも凛にとってそれが意外なことだったのかこちらをじっと見てきた。だから目力強すぎだって。

「え、なに?」
「別に。なら頼む」

そして去り際に、ポンと頭を撫でられた。え、だからなに?
スポンジと洗剤を手に固まる私を余所に、凛は身支度を整えて専用の靴に履き替えている。そして「いってくる」の声と共に背後で扉の閉まる音を聞き届けた——え、マジでなんだったんだ…?!

やはりこちらに来てからというもの距離感がバグっているような気がする。フランスと言うこの街の雰囲気が彼をそう駆り立てているのだろうか。今も変わらず脳みその九割はサッカーの事しか考えていないのだろうが、残りの一割がこちらに全部振りされている気がしなくもない。なんだが恋人同士みたいだ。

これはもう勝率八割越えか?でも、告白を決意したもののフランスに来て一つだけ嫌なことに気付いてしまった。それは、凛はやっぱり遠い存在だということだ。

スーパーに買い出しに出た際、帽子とマスクを付けた凛を遠目からチラチラと見ている人を何人も見かけた。中には凛だと気付いて遠くから写真を撮っている人もいた。そこに映り込まないよう離れれば、ファンだという人に声を掛けられていた。

今や彼は世界的に有名なサッカー選手だ。美人アナウンサーやグラビアアイドルとの出会いだってあるだろうし、私の知らぬところでスポンサーのご令嬢と食事なんかもしているかもしれない。分かっていたことだけれど彼はもうそういう世界の人間なのだ。

でも手が届きそうな距離にいるから、いてくれるから、私は期待してしまう。遅すぎた自覚を引きずってフランス語を専攻して、そして留学までしようとしている自分がいよいよ虚しくなってきた。

少しでも優しくされたら舞い上がって。でも現実を見つめ直して自己嫌悪の繰り返し。そんな私はまた凛の言葉に甘えている。

——そして今脱衣所で後悔をしていた。

「お、おおきい……」

ランニングから帰って来た凛の後にシャワーを借りようとした。しかしそこで寝巻だけは持ち合わせていないことに気づいたのだ。元よりホテル備え付けのバズローブを借りるつもりだったから服がない。どうしようかとキャリーケースの中身とにらめっこをしていたところで凛は言った「俺の貸すぞ」と。

「あー……」

サイズが合わないのは覚悟の上だったのだが問題なのはこれが糸師凛の服だということ。洗濯済みであろうともどことなく凛の匂いがするのだ。
うわっ変態じゃん……と思いながらも肺いっぱいに吸い込んでは脱衣所で悶えているという始末。でも一度借りといて返すのも悪いし下着で出ていくわけにもいかない。腹をくくって凛の香りに包まれながらリビングに戻った。

「……でけぇな」
「でかいよ」

ソファに座りスマホを弄っていた凛にそう言われた。上はぶかぶか、下はだぼだぼ。でもズボンのウエスト部分には紐がついていたためずり落ちることはない。三つ折りにした裾を踏まないよう気を付けながらソファへと向かう。が、リビングにあるのは二人掛けのソファのみ。えっ凛の隣に座るしかない…?と思っていたところで「座らねぇのか?」と言われてしまったので大人しく腰を下ろした。せめてもの救いは二人掛けにしては二.五人分くらいの広さがあったことだ。

「お前、明日はどうすんだ?」
「来年通うことになる大学の方まで行ってみようと思ってる」
「バッグは前側に持って裏道は通るんじゃねぇぞ。で、十五時までには帰ってこい」
「小学生の下校時刻かな?」

なお、ごねてはみたが門限は譲ってもらえなかった。まぁ外出許可が出ただけでも良しとしよう。

「あっでもやることあるなら何でも言って!掃除も洗濯も、大したものは作れないけど一応料理もできるし!」

といっても流石に明日はクラブの方で食べて来るのかな。なんせ明後日には凛が所属するP・X・Gとモナコの試合がある。きっと万全の態勢で挑みたいだろうから。

「何でも?」

だと思ったのだが何故その言葉だけを切り出したのか。
あくまで私ができることで、常識の範囲内での何でも≠セ。だから無理難題を出されても困るわけで。つまりは唐突に私の腕を掴んで押し倒そうとした今の行為はアウトの部類に入るかな。

「……待って」
「あ?」
「今何しようとしたの?」
「分かんだろ」

凛の右手は私の腕を掴んだまま。そして私の右手は押し返すような形で凛の左肩についていた。今のところ均衡は保たれている。だからこそターコイズブルーの瞳をまっすぐと見つめ返す形になった。

「え、いや、私たちそうゆう関係じゃない……よね?」
「そうゆう関係だろうが」
「ここはフランスだけど日本人なら順序は踏むべきだと思うんだけど」
「はぁ?」

都合のいい女は嫌だ。だからこそ私はここまで自力で来た。

「んなコト思ってねーケド」
「じゃあなんで……」
「付き合ってんだろうが」
「は?」
「…………は?」

「「は?」」ともう一度二つ分の声が重なった。
そしておそらく互いにそれぞれの宇宙を背負っている。

「付き合ってるの?私たち?」
「そもそもお前から言い出したんだろうが」
「えっ言ってないよ」
「言った」
「言ってない!」
「言ったわ!!」

凛の右手に力が込められ、思わず顔を顰める。それを見た凛の眉が一瞬動き、力が緩められた。しかし離してくれる気配はない。そして会話は続けられた。

「高一の時、放課後に日誌書いてたらお前が言ってきたじゃねーか」

高一って……えーっとその時は凛がブルーロックに行った年でもあったからまともに学校に来てたのはそれより前ってことになる。その頃はそれこそそんなに親しくもなかった気がするけど、思い当たる出来事といったら…——

「もしかして『私のこと好き?』って聞いたやつ……?」
「あぁ」
「いやいや、あれは確認的なもので決して告白というわけでは」
「その後『ありがとう』っつたじゃねぇか」
「はぁ?!もしかしてそれで付き合ったと思ってたの?!」
「あ?テメーも周りに聞かれて否定してなかったじゃねーか!」

マジで切れだす五秒前をすっ飛ばして一瞬にして怒りの沸点を超えた。ここまで鳴りを潜めてきた凛もいよいよ不機嫌を露わにし、私も思わず声を上げる。このやり取りは学生時代に近いものがある。

「だからって肯定もしてなかったと思うんだけど!」
「部室棟で昼メシ食って時間が合えば帰りも一緒に帰って俺がブルーロックから戻って来た時には出掛けてだろ?!散々それっぽいコトしてたじゃねーか!」
「えっそう思ってたの?!ぼっちが寂しかったから声掛けたんじゃないの?」
「テメーマジでいっぺん殺すぞ!」

人生二度目の命の危機に押し黙る。一度目は、それこそ放課後に凛が日誌を書いてた時だったな。そっか、あの時からそう思ってくれてたんだ。
それなのにどうしてこんなに空回りをしてしまったんだろう。いつから打算的で保守的な行動を取るようになってしまったんだろう。むかしの私はもっと単純で、考えなしで、いい意味で青かった。

「凛は、ずっと私と付き合ってると思ってたの?」

ともかく大事なことは今 である。
体勢は変わらずに、でも逃げ出そうと藻掻くことはせずにターコイズブルーを見つめ返した。そして凛も逸らさなかった。相変わらず目力が強すぎる。でもそれはきっとその奥に眠る彼の感情の表れでもあった。

「じゃなきゃ飯も誘わねぇし電話もしねーわ。そもそも家に上げた時点で分かれよタコ」
「なら今までの、その…キス、も……?」
「付き合ってもねぇ女とするわけねーだろ。それともお前は俺が女遊びするようなクソだとでも思ってんのか?飲み行った先で男に持ち帰られるようなどっかのバカと一緒にすんじゃねーよ」
「罵倒がすごすぎて会話が頭に入ってこないんだけど」

ちょっと待って、情報量多すぎ。じゃあ今まで私は散々一人で空回ってたってこと?一緒に出掛けたのも、キスも、迎えに来てくれたのも、家に招いてくれたのだってただの同級生だったからじゃなくて。

「あー…….」
「あ?」
「いや、なんか、ごめん」

思わず右手で顔を覆った。つまり私はすでに凛の彼女だったわけで。ただひとり相撲をしていただけだったというわけか。フランスまでのフライト時間よりも今の方がどっと疲れを感じる。

「俺と付き合ってるつもりはなかったのかよ」
「うん……」
「だからか」
「何が?」
「なんでもねぇ」

恋しさと切なさと、心強さではなく養恥心を抱きしめ悶える。
そんな私を前にしても凛の手が私の腕を離すことはなかった。それに気付けば顔だけではなく自然と腕も熱を帯びてくる。だから今度こそ腕に力を込めて押し返そうとしたのに、目の前の壁は微動だにしなかった。

「ねぇ、」
「今はどうなんだよ」
「え?」
「今、お前は俺のコトどう思ってんだ」

まっすぐに瞳が向けられる。そこには逃げるな、という圧が込められていた。

「十秒以内に答えろ」
「そんな急に」
「なら五秒以内な」
「私の話聞いてましたか?」

そしてここにきてエゴ丸出し。マグロの追い込み漁じゃないんだからそんな迫ってこないでほしい。事実、先ほどよりも体重を掛けられているのか体が徐々に後ろへと倒れていく。

「こっちはもう限界なんだよ」

不機嫌そうにそう言って、少しは私の気持ち考えてよ。だけど凛の気持ちを考えられなかった私にそれを言う資格はない。

「嫌なら腕振り払って逃げろ。そうしねぇならこのまま押し倒す」

凛にしてみればこれ以上ない譲歩だったのだろう。

「五、」

そして律儀にカウントまでしてくる。

「四、」

それでも五秒は短いと思うけど。

「三、二、」

しかも早くなってるし。

「一、」
「逃げるわけないじゃん」

ただ、私の答えは決まってた。

「だって凛のことがす…——、っ」

天地がひっくり返ったと思ったら自分がひっくり返っていた。背中からソファにダイブしたが柔らかな生地のお陰で痛くはない。スプリングに受け止められた身体がわずかに跳ねる。しかし、それを押さえつけるように上から影が重なって体を押さえつけられた。そして目の前にあるのは視界いっぱいの凛の顔。

「んんっ」

唇が重ねられて呼吸をするのも忘れた。逃げないって言ったのに手首まで覆うほど大きく広げられた手が掌を押さえつけている。だから凛を少しでも安心させたくて空いている方の手で服を引っ張った。それに気付いたのか唇が離れる。しかし動かせば触れ合ってしまうほどの距離だった。

「最後まで言わせてよ」
「もう聞かなくたって分かってるわ」
「お願いだから言わせて。そのために凛に会いに来たんだから」

手首を押さえつけていた手が退けられそのまま頬を撫でられる。

「俺のコトどう思ってんだ?」

顎を僅かに持ち上げられ、全身の力が抜けた。

「好き。ずっとずっと、好きだっ——」

結局最後まで言わせなかった自己中男を私は絶対に許さない。
絶対に許してあげない。

だから、その分めいっぱい愛してほしい。


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