デジャヴ


ひとつ寝返りを打てば掛布団と体の間に隙間ができる。そこから外気が入り込み無意識に布団をかき集めた。しかし手に触れるシーツの感触に違和感を覚える。うちはではまだタオルケットを使ってたと思うんだけどな。

「ん……」

薄ら目を開けて視線だけで周囲を確認。……あぁそうだ凛の家にいるんだった。それでここは凛がいつも使っているベッドの上。そうだ、私たちは昨日——

「いっ?!……、っ」

と、記憶を辿る前に腰に響いた鈍痛に意識を持っていかれることとなる。高校時代の体育の成績は万年三=Bそんな私が大学の講義でスポーツものを選択することはもちろんなく、年々体力は衰えてきている。まぁバイトのシフトはかなり入れているので足腰だけには自信があったのだがプロサッカー選手相手にそうはいかなかった。

「こんなに体力使うんだ……」

誰もいないのをいいことに昨夜の感想を独り言ちる。そういえば性行為の消費カロリーって軽いジョギングと同じくらいなんだっけ。そして昨夜の回数と激しさを思い出して身震いした。腰と股関節と下腹部の痛みの原因は確実にそれだ。

「う゛ー」

なんとか上半身を起こすがここでもうひとつの違和感に気付く。Oh、私の下着どこいった。確か昨日はそのまま意識が落ちそうになったところで「風邪ひくぞ」と言われトップスだけ着せられた記憶しかない。うわぁぁ…と羞恥に駆られながら布団を退けて衣服を探す。そしたら正方形のビニールのゴミが複数枚出てきて余計にうわぁぁぁ!ってなった。

昨日スーパーで買ったサンダルを履いて寝室を出る(凛も家にいるときは室内履きとしてサンダルを履いてたから買った)。時計を見れば時刻は朝の九時すぎで、すでに凛はいなかった。デジャヴかな?しかし昨日と違ったのは机の上に合鍵とメモが置かれていたことだった。そのメモの内容を要約すると『帰りは二十時を過ぎるからご飯は自分で食べて家の鍵はしっかり掛けておけ』とのこと。

「はぁ……」

とりあえず一人の時間ができて安堵する。ようやく叶った、というか誤解が解けて?晴れてお付き合いできたというわけだがまだ実感が湧かずに戸惑っているところもある。私たちは私たちのままなのに、その関係性の名が変わっただけで妙に意識してしまう。

「…っ、〜〜!」

にしても体中が痛いな。これはさすがに帰ってきたら文句の一つくらい言っても許されるだろうか。腰を労わりながら恨み言を垂れる。しかし、どうしたって頬が緩むのだけは抑えきれなかった。





結局、家を出たのはお昼頃だった。そこからは昨日と同じ要領で道を訊ね来年から通う予定の大学を目指した。
その大学はベルギー寄りのフランス国境近くにある地方都市に立地する。フランス都市からはやや離れているもののアクセスも良く治安も悪くない。そして留学生の受け入れも盛んでその都市自体が学生都市とも言われるほどだ。大学のカリキュラムはもちろんだけれど生活面のことも含めてこの大学を選んだ。

大学最寄りの駅へと降り立ち、街を歩く。そこはフランスとは思えないほどに色々な国の種族が混ざり合い、そして多言語が行き交う独特の文化があった。その中には日本人の姿も見え親近感が沸く。そしてちょうどイベントでもやっているのか街のあちこちには目を引くモニュメントが飾られていた。スマホがあれば優さんに見せれたのがもどかしい。

さて、そんな形でふらふら歩いていたら帰って来たのが十九時半過ぎになってしまった。小学生よりも早い門限を過ぎてしまったわけだが凛にバレなければセーフだろう。そう開き直り、夕飯の入ったビニール袋を手首に引っ掛けバッグの中から鍵を探す。

「今帰って来たのか?」
「えっ凛?!」

部屋の扉に鍵を差し込む直前、背後から声を掛けられ肩が跳ねる。振り返れば奴がいるのはもはやお約束で、眉根を寄せた凛がそこにいた。

「おかえり!早かったね?!」
「トレーナーとの話が早く終わったからな。で、お前はこの時間までどこふらついてたんだ?」

スッと目を逸らして言い訳を考えようとしたところで頭を鷲掴まれた。ちょっそれ彼女にする対応ですか?しかし強制的に目を合されてしまえば下手な言い訳もできなくなり素直に事情を説明した。

「十五時までには帰って来いっつったろ!」
「そうしようと思ったんだけど私の中の銀ちゃんが掟は破るためにこそあるって聞かなくて」
「なにふざけたこと言ってんだ。連絡手段も持たねー日本人の女が一人でほっつき歩くのは危ねぇんだよ。十分痛い目見たろ」

凛は私を押しのけて持っていた鍵で扉を開けた。その後ろに自分も続く。確かに銀ちゃんリスペクトで凛の言いつけを破った私が悪いのかもしれないけど凛にも責任があると思う。だって私がもう少し早く家を出ることができれば少なくとも凛が帰ってくる前に家に着けたし。

「体中が痛くて午前中はほとんど動けなかったからこの時間になっちゃったの」

今だって振動が響くから歩き方だって気を付けている。だから歩くスピードもいつもより遅い。そう、全てはどこかの体力オバケのせいだ。

「ん?」

心の中で呪詛を唱え睨みつけていれば凛が立ち止まる。その背中は大きく壁を見ているようだ。どうしたのだろうかと視線を持ち上げれば凛が首だけでこちらを振り返った。

「じゃあこれから体力付けんぞ」

……もしや墓穴掘ったか?スッと目を逸らし何も聞かなかったことにしておいた。

それから私は買ってきた夕食を食べて凛はシャワーを浴びて。そして私が入れ替わる様に入浴を済ませた。今日出た時に寝間着も買ってきたため裾を折ることはなかった。

「ねぇ凛」
「ン?」

髪の毛も乾かし終えソファにいる凛に声を掛ける。凛は手に持っていたスマホから顔を上げてこちらを見た。今なら言えそうな雰囲気である。私は後ろに隠した物を握りしめて凛の元へと向かった。

「明日、試合あるよね?」
「あぁ。二十一時キックオフだがホームゲームだし家には帰ってくる」
「凛も試合出る?」
「当然だろ」

スターティングメンバーは発表されていないというのになんという自信。でもここ最近の成績を見れば当然の事であろう。それならやっぱりこの時期に来てよかった。
思わず頬が緩めば凛が不思議そうな顔をする。だから印籠を突きつけるが如く、手に持っていたものを目の前で見せびらかした。

「じゃん!明日の観戦チケットです!」

席はかなり後ろの方だけれど私も遂に現地で試合を見れるというわけだ。
そのチケットを凝視し瞬き二回。凛も喜んでくれるかなぁ、なんてそわそわしながら見守っていれば徐に手からチケットが抜き去られた。そして鋭い声で一言。

「来んな」
「はい?」

その瞬間、チケットが破かれそうになったので慌てて手を掴む。そしたら睨まれた。いや、何怒ってんの?寧ろ怒りたいのは今まさにチケットを破かれそうになってる私なんだけど。

「離せ」
「絶対離さない!ずっとこの試合に行けるの楽しみにしてたんだから返してよ!」

割と本気で声を荒げれば一先ず手は離してもらえた。でも表情は相変わらず硬いまま。しかし力づくは良くないと思ったのか「とりあえず座れ」と隣に座るよう促された。本当はまだまだ言いたいことはあったけれど一度冷静になり大人しく腰を下ろした。

「こっちの試合は日本みたいに穏やかじゃねーんだよ。試合の勝ち負けでサポーターは暴徒化するしスタジアム周辺では交通規制だって敷かれる」

私だってそれくらいは知ってる。殴り合いの喧嘩が起きたり相手チームのサポーターを襲撃したりという話はニュースでも取り上げられる。それほどフットボールというスポーツは人々を魅了し狂わせる。

「サポーター席でもない後ろの方だよ?それでも行っちゃダメ?」

私もある種その一人だ。だからこそ危険なのはわかっているけれど観戦しに行きたい気持ちが強い。例え凛の姿が米粒より小さくてもいい。四万人以上の観衆のド真ん中でゴールを狙う凛の姿を見たいのだ。

「場合によっては地下鉄だって動かなくなんだよ。この辺りも人が押し寄せるかもしんねぇ。明日は家から出んな」

淡々と、しかしはっきりとそう言い切った。スマホがないからか、ここに来てから随分と過保護な扱いを受けているが理由を明確に告げられた分、試合観戦は本当に危ないのだろう。
チケット眺めながら、ボスンとソファの背に身を預ける。そして拗ねた子どものように唇を尖らせ、わかったと小さく告げた。

「凛の試合見たかったなぁ」

でもやはり行きたかったというのが本音。ここまでの正論パンチを喰らってしまえば隠れていく気もないけれど、ホームゲームに合わせて渡仏するくらいには本当に楽しみにしていたのだ。

「……?」

見るからに不貞腐れている私の頭に、ポンと大きな手が乗っけられる。しかし撫でることもされずに置かれたまま。私はサイドテーブルじゃないんだけど。でも振り払う気力もないのでほっておく。

「ゴール決めてきてやるから大人しくテレビで見とけ」
「え……」
「明日の試合で最低三点は決める」

静かに紡がれた言葉に隣を見れば目が合った。その顔はいつも通りで、決してこちらに気を使った様子も見栄を張ったようでもない。そしてそれが逆に凛の自信であると伺えた。

「それってハットトリックってこと?」
「あぁ」
「相手はモナコだよ?さすがに難しいんじゃ……」

現在、リーグ・アンでは首位争いをP・X・Gとニースがしているが他のチームも当然ながら弱いわけではない。明日の対戦チームであるモナコもFIFAランキングではP・X・Gより下だが優秀な選手を集め力を増してきていると聞く。それにP・X・Gにも素晴らしいストライカーがいるわけで、チーム内でのボールの奪い合いだってある。

「俺がやるっつてんだからやるんだよ」

困った。どうやら変なスイッチを入れてしまったようだ。もはややる気スイッチ以外はオフにしておいてもらいたいのだけれど、この負けず嫌いの精神があってこその凛だと思う。でも試合前に変に気負わせたくないしなぁ。

「それに、」

掛ける言葉を探していれば凛がそのまま話を続けた。口数はそこまで多いタイプでもないのに珍しい。だからこそ大切なことなのだと理解してその続きを待った。

「ハットトリック決めりゃそれなりにニュースになんだろ。お前が帰った後も日本で報道くらいはされる。そしたら何度だって俺のゴールが決まる瞬間が見れんだろ」

朝起きてテレビをつけて。そこに映るアナウンサーがスポーツトピックを取り上げる。そしたら映像が切り替わって『糸師凛のハットトリック』のテロップと共にその瞬間が何度も地上波で流される。日本にいても凛の活躍を知る。その姿に励まされて私も頑張ろうって思う——そんな光景が容易に想像できた。

「ふっ……ふふ」
「あ?なに笑ってんだ」

凛なりの気遣い、それが面白くて可愛すぎて。凛の肩にもたれ掛かって笑ってしまった。バカにされたとでも思った凛は不機嫌そうだ。でも退けと言わないあたり、やっぱり凛は優しいのだ。

「嬉しいなって思って」

私のために……とまではさすがに自惚れないけれど好きな人のかっこいい姿は何度だって見たいものである。凛がサッカーをする理由は一言で言い表せるほど純粋なものではないないけれど、私は凛がサッカーをしている姿を見るのが好き。そして何よりそう宣言してもらえたことが嬉しかった。

「あっじゃあハットトリックを決めたお祝いの準備しとかないと!部屋の飾り付けをしてもいい?」

勢いのままに思い付いた案を口にしながら凛を見上げる。そしたら何故か凛も口に手を当てながら天井を見上げていた。えっ上に何かいるの?ゴースト?ついにホラー好きを極めて降霊術でも身につけたか?
戻ってこーい、の意を込めてぺしぺしと腕を叩けば無事に魂は戻って来たらしい。パッとこちらを向いて真顔のまま口を開いた。

「それはやめろ」
「ならご馳走でも用意しようか?あ、でも試合当日はクラブの方で準備されるよね」

勝っても負けても試合後はミーティングをしてその流れで食事会もある。それに今シーズンの試合はまだまだ続くわけで明日の試合さえ勝てればいいというわけではない。しかも試合が終わるのは夜中だしお祝いをするにしても逆に迷惑かも。

「ちょっと待ってね、何か他の……」
「おい、」

凛が体勢を変えようとしたためソファに手を付き自分の身体を支えた。しかし重心が乗る前に凛が動いたからバランスを崩し倒れ込みそうになる。だが、横から伸びてきた腕に引き寄せられソファから落ちることはなかった。

「んっ」

そしてその反動で……いや、この場合は確信犯なのだろうが、唇同士が磁石のようにぴったりと重なり合っていた。

「前祝い」
「へ……」

一瞬のことで脳内処理が追いついていない私に向けての一言。しかし、それはもちろん説明不十分でまぬけな声しか出せなかった。

それを凛がどう解釈したかは分からないがもう一度、同じ場所にキスが落とされた。それは先ほどのような一瞬のものではなく、触れたと思ったら上唇を舐められて。そして下唇もはむように吸われる。その口付けに呆けて顔の筋肉が緩めば隙間からぬるりと舌がねじ込まれた。先端が触れ合えばいよいよキスも深くなっていき、頭もぼーっとしてくる。唾液の混じり合う音と息遣いは生々しい、けれど夢心地のような感覚に意識は次第に溺れていく。もう何も考えたくない——しかし骨張った手に素肌を撫でられた瞬間、一気に現実へと引き戻された。

「ま、待てい!」
「あ?」

降霊術により江戸時代の武士を憑依させた私は声を上げることで一時的に凛の動きを止めた。しかし呪言師ではない人間の言霊などたかが知れているもので、服の中に侵入した手は腰から背中へと這わせられている。

昨日と同じく流されそうな展開である。いやもう付き合い出したんだし(凛の中では四年前から付き合ってる計算だけど)この流れは恋人同士であるなら自然なことだから問題はない。でも、……

「明日試合でしょ?!早く寝た方がいいんじゃないかな?!」
「集合は昼過ぎだ」
「でもコンディションとかあるだろうし!」
「このまま寝た方が寝付き悪ぃわ」
「それとソファはちょっと……」

ここに座る度に色々と思い出しちゃいそうで、よくない。昨日だって結局はベッドの方に移動したしここでするのは本当に嫌だ。
凛の視線から逃げるように目を泳がせる。そうすればようやく服の中から手が引き抜かれた。そのぬくもりが少しだけ名残惜しい。

「落ちるなよ」
「は…………うわっ?!」

背中に掌が当てられたと思ったらそのまま抱き寄せられた。そして凛が立ちあがるのと同時に膝裏に腕が差し込まれ体が浮く。顔を上げれば自分の背丈から見る景色よりも高い位置で部屋を見下ろしていて、足が付いていないのも相まって怖い。だから反射的に凛の首に腕を回して抱き着いた。重いし暑苦しいかもしれないけど、頼むから落とさず責任取って運んでほしい。

「これでいいだろ」

抱きあげられた拍子にサンダルは脱げた。だからそのままベッドの上に座らされる。
そして先ほどの続きをリロード時間もなしに始めようとしたので、それには凛の目の前に掌を広げて待ったをかけた。PS5よりも速い読み込み時間には恐れいったが心の準備くらいはさせて欲しい。

「あ゛?」

地の底から湧いて出たような声。しかし、素肌に這わされた手は優しく撫で上げているものだからこそばゆかった。

「りん、」
「なんだ」

右手のおいたはあるが一応は私の返事を待っていてくれた凛に声を掛ける。恥ずかしすぎてベッドの上に運ばれてからは一度も顔を見れていなかったけれど、瞬きと同時に手を退けて視線を移した。

「や…やさしくして、ね……?」

昨日みたいにされたら確実に腰は砕ける。
自分に色気や可愛げがあるとは思っていないができるだけ言葉尻を柔らかくしてお願いしてみた。凛の目が僅かに見開かれる。よかった、ちゃんと伝わったみたい。

「無理だな」
「はい?」
「諦めろ」

俺に不可能なことはないとばかりにハットトリック宣言したのにこれはなんということか。諦めたらそこで試合終了だぞ。私の腰も終了するよ。せめて努力くらいはしてくれないかな。

「あのー……」
「舌噛むなよ」
「っ、……んぅ」

しかし抗議の言葉ごとまるごと全部食べられた。


prev next