有言実行


——糸師くんってさ、今まで何人の女の子に告白されたことあるの?——

私がまだ『糸師くん』呼びをしていた高校時代に一度そんなことを聞いたことがある。何度目かも分からない、部室棟の外階段でお昼を共にしていた日のことだ。
高一の記憶だけでも指折り数えるほどにその数は多かったのだ。だから中学のときやそれより昔の幼少期も含めたらどれほどの数になるのか、純粋に興味が湧いた。

「覚えてねぇ」

しかしご本人の反応ときたら、まぁある意味予想通りだった。それならば、とバレンタインにもらったチョコの数も聞いてみたが全部断ったという無関心ぶり。

「勿体ないなぁ」
「は?」
「イケメンの無駄遣いだと思って」

私が糸師くんくらいモテる男だったら、貰ったチョコの数を自慢したり顔面の良さを駆使して気になるあの子に告白をしていたかもしれない。ほかにも芸能事務所に声を掛けられたくてわざと人通りの多い所とか歩きたくなっちゃう。それで芸能界デビューしてコネで入手困難なライブチケットなんかも手に入らないだろうか……なんて邪な妄想までしてしまった。

「好きでこの顔に生まれたわけじゃねーよ」
「まぁ容姿は親の遺伝だしね」
「つーか、」

残りひと口の白米を口に放り込んだところで糸師くんは言葉を切った。だから私は咀嚼しながら、どうぞと箸を持っていない方の手でその続きを促した。

「俺のコト、イケメンだと思ってたのかよ」
「ん゛ッ」

この人めっちゃ面白いこと言うな、と思わず吹き出しそうになったが間一髪のところで抑え込む。イケメンが己の容姿に自問自答しているようでどうにも可笑しく思えたのだ。彼は意外と天然なのかもしれない。

「どうした?」
「いや、ごめん……で、なんの話だっけ?」
「イケメンだと思ってるかどうかって話だ」
「……っ、ふ」
「?」

糸師くんの『本当に訳が分からない』という顔を見てまた笑いが込み上げてくる。でもここで大笑いでもしてしまえばブチキレは必須であろう。それにこの時点で私もかなり失礼だし。だから気分を害してしまったであろう彼を元気づけるために力いっぱい答えたのだ。

「もちろん!私が今まで出会ってきた人の中で一番のイケメンだと思ってるよ!」
「……そーかよ」

自分で聞いたくせに随分と素っ気ない反応である。ただ、イケメンの中でもクールキャラの位置にいる彼としては当然の反応か。でもその後、水筒に口を付けようとして蓋も開けずに唇をぶつけていて意味が分からなくなった。ドジっ子にでもキャラチェンしたいのかな?

「あっでも、」
「あ?」

唇の赤みが頬にまで伝染している糸師くんを改めて見る——…まず先に言っておきたいのは、この頃の私は凛に恋愛感情を抱いていなかったということ。ただし、ヴェルタースオリジナルをあげたくなるくらいには特別な存在だった。詰まる所、現状を拗らせて過ごす時間が減ることだけは避けたかったのだ。

「糸師くんの顏は私のタイプじゃないから!私が好きなのは丸顔で童顔っぽい感じの人だからね!」

イケメンだから一緒にいるだのと思われたくなくてそう言った。でも嘘ではない。確かに糸師くんはものすごく整った顔をしてはいたがタイプ≠ニは違ったのだ。

「チッ!クソッ!!」
「え?ちょっと、糸師くん?!」

こちらとしては気を使ったつもりだったのだが糸師くんは怒り、そして私を置いて教室に帰ってしまった。その理由は、当時の私には理解できなかったが今思い返してみると随分と酷いことを言ってしまったという自覚はあるし、反省もしている。また、それと共にこの時の言葉を撤回させてほしい。

私、凛の顏も好きかもしれない。





「かっ……!」

叫び出しそうになる口元を慌てて自分の手で覆った。その下で口元はにやけに、にやけまくっていたがそれは致し方がないこと。だって糸師凛の寝顔が可愛すぎるから!

昨夜もまぁ色々ありまして、目覚めたのはベッドの上だった。ただ昨日と違うのは隣で凛も寝ているということ。どうやら私の方がアラームが鳴るより先に目覚めてしまったらしい。というのも体に回された腕が重くて、寝苦しくて起きたのだ。

そして目の前にあったのが瞼を閉じた凛の顏である。切れ長の目から放たれる眼光もこのときばかりは封印され長い睫毛が影を落としている。こうしてみると下睫毛だけでなく上の睫毛も相当長いことが分かった。きっと下向きに伸びているため今まで気付けなかったのだろう。そしてセットされていない髪がまた無防備で母性本能が擽られた。おまけに薄いピンク色の唇の隙間からは小さな寝息まで聞こえてきて可愛いという言葉しか出てこない。

「はぁ……」

その様子に、思わず限界オタクのため息(と書いて感嘆と読む)が漏れた。今この瞬間こそスマホがないことが悔やまれる。本人も嫌だろうし、そしてあとでキレられることが分かっていてもこの寝顔を画像として手元に残しておきたい。寧ろ動画が欲しい。一生ループして見てられそう。

「かわいい……」

せめて目に焼き付けてから日本に帰ってやろうとガン見する。でも次第に可愛さを超えて愛おしいという感情が胸の内に湧いてきた。だからか、眠っている凛の唇に軽いキスをしてしまったのだ。

「…………、え?」
「はよ」

そして唇を離した瞬間に目が合ってしまったこの状況に、私の脳は追い付かなかった。
凛の目はとろん、ととろけていたけれど焦点が合っていないわけじゃない。そしてこの反応の良さに、それなりに年月を共に過ごしてきた私は気付いてしまった。

「……いつから起きてましたか?」
「お前が布団の中で体動かし始めたとき」

それは寝苦しくて藻掻いていたときですね!
つまり、今日も凛は私よりも先に目覚めていたというわけだ。

「なにやってんだ」

ということは私の限界オタクの声もきっと聞こえていたわけで。もう恥ずかしすぎて穴に入りたいくらいだった。でも穴はないので布団にもぐりこんで凛のスウェットに顔を埋めた。

「私は貝になりたい」
「朝からバカなコト言ってんじゃねぇ、いいから出てこい」

そう言っているが力技でどうこうするつもりはないらしい。寧ろこちらを夢の世界へと誘おうとしているのか背中に回された手で、トントンと規則正しく叩かれる。

「怒らない?」
「俺が怒るようなコトでもしたのかよ」
「訴えない?」
「どこでそんな物騒な話になんだよ」
「キスも時と場合によっては暴行罪に当たるかなって」

凛の手が背中に添えられたまま止まった。それを不審に思い、ようやくこちらも顔を上げる。でも凛を見る前に額に何かが当たった。そして次は瞼に、頬に、と降りていき唇に触れる——…凛からのキスだった。

「お前は嫌だったか?」

それから再び抱きしめられて耳元で囁かれる。普段と違った凛の擦れ声。きっとこのくらい近くなければ聞き逃してしまうような、内緒話をするかのような声だった。

「…………やじゃない、です」
「なら俺も嫌じゃねーよ」

身動ぎすれば凛の腕が緩められる。その中から顔を出して、もう一度自分から口付けにいった。今度はさっきより長かった。それから再び凛のスウェットに顔を埋めてしがみ付けば、背中に手を回されたのと同時に脚が絡められた。腕よりも筋肉質な脚はタコのように私の太腿と脛に絡みついて離れない。それを拘束と呼ぶには緩かったけれど、逃がさないという意思は感じられた。もう自分の気持ちから逃げるわけじゃないのに。

「私、凛のこと好きだよ。ぜんぶ、ちゃんと、すき」

なんとも語彙力のない台詞ではあったが今この状況での精一杯の言葉だった。そうしたら痛いくらいに抱きしめられた。というか、本当に脚が痛い。しかしそれと同時にこれが年俸億越えの締め付けか、と笑ってしまう。

「凛、可愛すぎ」

言葉より先に行動してくるのが凛らしい。いつかに友人が言っていた糸師@ャの照れ隠しってやつだ。

「お前のが可愛いだろ」

でも凛≠フ場合は照れの先にデレまであるから困る。この不意打ちはずるい。

「くっ今の言葉、録音したかった……」

あまりにもずるかったから、負け惜しみの言葉しか出てこなかった。

「残念だったな」

凛の小さな笑い声を聞き、また愛おしさが込み上げた。





朝食を食べて支度をし、そして荷物を持って靴を履き替えた。この間に「ゼッテェ家からは出んなよ」と何度言われたか分からない。あまりにも言われ過ぎて凛の言うタイミングを予測し台詞を被せるゲームを行ってしまうほどだった。最終的に凛より先に言うことで黙らせることに成功した。

「じゃあ行ってくるからな」
「うん」
「それとゼ……」
「ゼッテェ家からは出ないので安心してください」
「……分かってんならいい」

むすっとした凛の顔が可愛くて面白い。それをしっかりと目に焼き付けてから凛の背中を叩いた。それには「分かった」と「応援してる」の意味を込めている。

「試合はテレビでちゃんと見てるからね」
「おう」
「凛のこと一番に応援してるから」
「あたりめーだ」
「可愛くないなエゴイスト」

でもそんなところに惚れたのも事実なので何も言うまい。

「男相手に『カワイイ』なんて言葉使うんじゃねぇ」
「じゃあかっこいい凛の活躍期待してるね」
「ゴール決めてくっから見とけよ」
「うん。いってらっしゃい」
「いってくる」

手を振って彼を見送る。数時間後にはエースナンバーを背負っている後ろ姿を見つめながら。



凛を見送ってからはとにかく一日が長く感じられた。自分の分の洗濯を回したり軽く部屋の掃除をして時間を潰す。掃除の延長で棚の埃も取っておこうと並べられていた本を退けようとすれば、とある雑誌が目に付いた。

『¡Una mirada más cercana al mundialmente famoso mediocampista Sae Itoshi! (世界的ミッドフィルダー糸師冴に迫る!)』

スペイン語で書かれているため内容は分からないが糸師冴の特集が組まれていることは読み取れた。中を捲って見ればスーツ姿でインタビューを受ける糸師冴の姿ある。他にも試合中のスナップ写真なんかが載せられており六ページに及ぶ記事が掲載されていた。しかしその全てのページに握りつぶしたような皺がよっていて何とも言えない気持ちになった。

掃除を終えた後は現地のテレビ番組を見て過ごし、お腹が空けば昨日買ってきた食材で料理を作って食べた。それから入浴を済ませテレビに齧りつきながら今か今かと待っていれば、画面がパッと青に染め上がった。

『スタジアムは既にすごい熱気だ!』

長円形スタジアムは超満員。ホームであるP・X・Gのサポーター席が初めに映し出され、そこはドレーク海峡の荒波のように青一色に染まり躍動している。しかし対戦相手のサポーターも負けてはおらず、燃えるような赤色に闘志を乗せて声を上げていた。

『今宵はパルク・デ・プランスからP・X・G対GSモナコ戦をお送りします!』

画面越しとはいえ日本とは比べ物にならないほどの熱気に圧倒される。今までも海外チームの試合中継は見ていたけれどリーグ・アンの中でもトップチーム同士との試合ともなるとサポーターの応援も気合が入る。この様子を見るに一人で行くのはちょっときつかったかもしれない。

『では選手入場です!まずはP・X・Gより——』

凛の名前はそこまで待つこともなくFWとしてすぐに名が挙がった。ホームだけあって選手が呼ばれてからの一人一人の盛り上がりも一段と大きい——そして、ついに試合が始まった。

開始直後から互いに攻めの姿勢を崩すことなく激しいボールの奪い合いが続く。だが、どちらもシュートまで繋がらない——しかし、前半二十八分にして試合が動いた。

『ここでリンが飛び出す!パスカットからそのままドリブルで攻める!』

GSモナコのパスコースを防いだ凛がボールを奪取しセンターラインを越え敵陣へと乗り込む。しかし目の前にはディフェンス二枚。だがそこで味方からのフォローが入る。シャルル・シュヴァリエとパスを回し凛はさらに敵陣へと侵入していった。

『攻めろ攻めろ攻めろ!このままゴールを決めちまえ!』

実況者席も熱くなり今までの敬語が抜け落ちている。そのため上手くフランス語を翻訳できなかったが大観衆の声援がその言葉の意味を表していた。
凛の傍には追い付いてきたディフェンスが一人。ファウルを貰ってでも止めようとする意思が感じられるほどの勢いがあった。現に体への接触があったが、それよりも先に凛が右足を振り切った。

『ゴーーール!先制点を決めたのはP・X・Gだ!!』
「すごい!!」

気持ちいいほどに決まった堂々たるゴールに思わず声を上げる。そしたら外からも雄叫びが聞こえてきた。きっと現地に行けなかったサポーターの声であろう。ここにも同志がいたのかと、さらに嬉しくなって画面に向かって大きな拍手を送った。

しかしゴールを決めた凛は味方に肩を叩かれつつも表情を緩めることはなかった。本人にとってはようやく決めれた一点であったのだろう。そして一点の差が出来た以上、相手チームの動きがここからさらに活発化する。だからこそ凛は緊張の糸を緩めない——だが、その後は点を取り返す形でGSモナコが一点を決め同点にて前半戦が終了した。

『前半四十分でGSモナコが点を決め状況は振出しに戻った!さぁここからが後半戦……始まった!』

観客のボルテージは前半戦よりも高い。そしてその中心にいる選手らもまた熱い試合展開を繰り広げていた。互いに守りよりも攻めの姿勢を取り、ボールが目まぐるしくフィールド上を駆け巡る。その間にゴールのチャンスも生まれたが決定点にはならず、試合は平行線を辿っていた。

『ここで再びボールはリンへと渡った!!』
「凛、頑張れ!」

本日、何度目かとなる展開ではあるがその度に両手を固く握っては名前を呼んだ。しかし、やはり凛は警戒されているのか中々前に抜け出せない様子。そこで一度ボールを外へと逃がし凛は距離を取った。

「行け行け行け!絶対決まる…!」

でもそこはやはりエゴイストと言ったところか。敵の死角を上手く使いポジション取りをし、最終的に自分へとボールが回ってくるよう誘導し、ゴール前でパスを受け取った。

『これはどう……っ、決まった!決めたのはリン!本日二得点目だ!!』

敵も味方も入り混じる密集地帯。しかし針の糸を通すかのようにボールが蹴り出されゴールネットを揺らした。後半三十八分にしてP・X・Gが再びリードする。青の観客席が波のように躍動し、凛も拳を強く握りしめ追加得点を喜んでいた。そして今はチームメイトにもみくちゃにされている。

「本当にハットトリック決めるかも……」

凛の言葉を信じていないわけではなかったのだが、正直半信半疑だった。でも既に二点決めており実況席でも『今日のイトシは絶好調だ!』と興奮気味に話をしている。本当に有言実行してしまうかもしれない。それにサポーターからの応援と言う名の檄がすごい。ハットトリックを決めろとばかりに凛の名前がコールされていた。

『残り時間は七分!ここから追い付けるかGSモナコ!!』

P・X・Gからしたら残り時間、自身のゴールを守り抜けば勝てる。そう指示する監督もいるだろう。現に日本がいい例だ。しかし、ここではそれが許されない。大観衆を前に保守的なゲームをして何が面白いと言うのか。サポーターはそんな試合を望んではいないし、つまらない試合にスポンサーはつかない。そしてリードしていても尚、ストライカーは己のゴールを欲し続ける生き物なのだ。

『ここから試合の流れは変わるのか、残り時間は三分を切った!』

GSモナコのコーナーキックで試合が再開される。相手からしてみたらこれは大きなチャンスであろう。現にパスで繋がれたボールはゴールに向かって蹴り上げられた。しかしそれはゴールキーパーにより防がれる——そしてP・X・Gのカウンター攻撃に移った。

『追加得点を上げるかP・X・G?!』

守備から攻撃へと切り替えた選手たちが猛攻する。そしてゴールキーパーからのロングパスを取ったのは凛だった。しかしこの展開を見えていたのは凛だけでなく、相手チームのディフェンスが間に合っていた。ギリギリの試合展開。しかしゴールが決まる前に鋭いホイッスルが試合を止めた。続いてひどいブーイングが観客席から沸く。

「えっ?!今の絶対レッドでしょ?!」

相手チームの選手も必死だったのか、体が激しくぶつかり凛がゴール手前で転ばされたのだ。二回転して地面に転がった凛は右脚を抑えている。ピッチ上にいる選手たちもかなり荒れていて混沌としていた。

「脚大丈夫かな……」

祈るように握りしめていた指の感覚はとっくになくなっていた。
カメラはしばらく猛抗議する選手たちを映していたがパッと画面が切り替わり再び凛が映し出された。意識ははっきりしているのか上半身を起こしチームトレーナーと会話をしている。しかし足元では別の人が怪我の手当てをしていた。

『ここで主審が……レッドカードが出た!』

そしてまたも画面が切り替わりレッドカードを突きつける審判の姿が映し出される。観客席からは罵声も含む叫び声が上がっていた。
そしてこれによりP・X・Gにフリーキックの権利が得られた。

『リンは試合続行のようですね』

平然とした顔で再び戦場へと戻った凛は、自らフリーキックを蹴ると味方に詰め寄っていた。先ほどのこともあって凛のことを気遣う選手の様子も見られたが本人はそんなことお構いなしである。奪い取るようにボールを掴みセッティングした。

『左サイドからのフリーキック』

凛の利き足は右であるが数年前からは両利きと言っても差し支えないほどに左サイドからのシュートも増えていた。

「凛ならできるよ」

スタジアムが怖いくらいに静まり返り、画面越しでも空気がヒリついているのが分かる。そして凛は軽く助走をつけ——見惚れてしまうほどの美しい弧を描いてゴールを決めてみせた。

『決まったァーー!本日三得点目となるリンのゴール!今リーグ初のハットトリックはリン・イトシだ!!』

ユニフォームで汗を拭った凛を皆が囲んだ。もみくちゃにされている凛の顔は残念ながら見えない。ただ容易には想像できた。きっといつもの仏頂面だ。

『ここで試合終了!P・X・G対GSモナコ戦、三対一でP・X・Gの勝利だ!!』

映し出された青一色の観客席が波のようにうねる。そして今日の出来事はすぐにでもニュースになるだろう。それこそ日本にまで報道されるビックニュースだ。


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