私と糸師くんは友達にもなれない


四限目の授業を終え、急いで机の上を片付けた。ここからは時間との戦いだ。一分一秒を無駄にはできない。何故ならヘマをすれば午後の生命維持活動に支障をきたすからである。

「お昼食べよー」
「ごめん、今日お弁当ないから購買行ってくる!」

そう、お昼ご飯が手元にないのである。
我が家でお弁当を持って行くのは銀行で働いている母と私の二人だけ。しかし母は同僚の人達とランチをするらしく私の分のお弁当ももれなく作らなかったらしい。それは構わないのだが家を出る直前に言わないで欲しかった。お陰でコンビニに寄る時間もなかったのだ。

「マジか。今日に限ってやっちゃったね」
「骨は拾ってあげるから頑張って」

鞄の中から財布を取り出していれば、いつメンである二人からは同情の眼差しが向けられていた。

「えっそんなに混むの?」
「毎週木曜は数量限定のメンチカツサンドが出るから激混みって聞いた」
「もはや戦場らしいよ」

争い事といえば弟と残りのアイス一本を奪い合うことくらいしかやってこなかったのだが私に勝算はあるのだろうか。しかし行くしかない。

「生きて帰ってくるけど先食べてて!」
「りょ」
「いってらー」

友人等に見送られ直線の廊下を速足で歩く。購買部は一階にあり、また一年の棟からも遠いため普通のパンすら残っているかも怪しいところではある。ロールパン一つでもいいから残っていてくれ。
そんな不安に駆られながら一人競歩大会に挑んでいると、前を行く走者が一人。ただ、彼の場合は脚のリーチが違うので普通に歩いているつもりなのだろう。

「糸師くんも購買行くの?」

階段のところで追いついて、駆け降りながら声を掛ける。正直そんな時間も惜しいのだが後ろにいるとストーカー呼ばわりされるので先手を打ちたかった。

「違ぇよ」

しかし空間認識能力の高い男は私の存在に気付いていたらしい。特に驚く様子もなく追い抜いた私を横目で見ていた。そして彼の手には弁当の入った手提げが握られている。どうやら私の心配も杞憂だったようだ。

「そっか。じゃあね」

最後の一段はジャンプで飛ばし床に着地。この角を曲がれば購買が見えるのだが既に嫌な予感しかしない。そしてそれは的中し、廊下は多くの生徒がごった返しもみくちゃになっていた。

「あの中に突っ込む気か?」
「そのつもりだったんだけどね……」

全てを諦め立ち尽くすことしかできなかった。そして隣にはご自慢の長脚で追いついてきた糸師くんがいる。
あーあ、私も糸師くんほどの身長と足の速さと空間認識能力さえあれば立ち向かえたのかもしれないのに。これはもう少し人が引くまで待っていた方がいいかもしれない。

「何買うつもりだったんだ?」
「とりあえず甘いのと惣菜パン一つずつ」
「財布貸せ」

えっカツアゲですか?
思わず二度見するがターコイズブルーの双眼はただこちらを見下ろしている。ここは悪に屈して渡すしかないのか…と腕を上げる。しかし、やっぱないわーとすぐに思い留まり無視を決め込んだ。

「ちょっと糸師くん?!」

だが思考していた十分すぎるほどの隙に右手から財布がなくなっていた。その代わりに握られていたのはお弁当の入った手提げ。

「そこで待ってろ」

言うが早いが人の波に突入していく。ただ糸師くんの場合は周囲より頭一つ分抜きん出ているのでどこにいるかはすぐに分かった。滑らかな黒髪は人をかき分け奥へと進んでいく。
そして暫くすると人の流れに抗うような形で糸師くんが戻ってきた。その手には私のお財布と、そして戦利品が握られている。

「ほらよ」
「え、わっ?!」

財布とパン二個を押し付けられ危うく落としかける。一つはイチゴのジャムパンでもう一つはなんとメンチカツサンドだった。

「これ限定のやつだ!」
「ラスイチだったからとりあえず買ってきた」
「ラスイチだと買うの?」
「他の奴らが狙ってたら奪いたくなるだろ」

唐突なジャイアニズム…ではなくエゴイズム、なのか?パッとみ俺様系にも見えないのだけど意外と独占欲が強いのだろうか。あまり自分の事を話してくれないから分かりづらいんだよなぁ。

「買ってきてくれてありがとう、これで午後の授業も乗り切れそうだよ。はい、これ」
「ン、」

預かっていた手提げを返しながらお礼を言う。そういえば糸師くんはどこへ行くつもりだったのだろうか。こんな性格の糸師くんではあるがクラスに全く友人がいないというわけではない。まぁ正確には来る者拒まず去る者追わずといった様子だが。

「糸師くんはどこ行くの?」
「部室棟」
「部室の鍵持ってるの?」
「中までは入らねーから問題ねぇ」

購買とは逆方向へと歩き出す。おそらく昇降口で靴を履き替えてから向かうのだろう。

「じゃあどこで食べるの?」
「部室棟の階段とこ。教室うるせぇからそこ行く」

読書するわけでもないだろうに何故雑音を気にするのか。あぁ、糸師くんの場合は動画を見たいのかな。この前も休み時間にスマホを横にして見ていたのを知っている。その時クラスの男子に「糸師もエロ動画見んの?!」とウザ絡みされていたのも記憶に新しい。

「そっか」
「お前も来るか?」
「えっ私も?」

深くは聞くまい、関わるまい。そう思っていたのに呼び止めたのは糸師くんの方だった。わざわざパンを買ってきてくれたりと今日は異常行動が多い。

「別に嫌ならいい」

男子運動部の部室棟に女子が行くのはあまりよろしくない。それに声を掛けてきたとはいえ教室では友人も待っている。でもそんな寂しそうな背中見せられたら追いかけるしかないって。
糸師くん!と叫んで購買に行く時よりも速く脚を動かした。

「ぼっち飯可哀想だから付き合ってあげる」
「声掛けて欲しそうにしてたから言っただけだ」
「じゃあそういうことにしとくね」

あながち間違ってはいない言葉には、笑って応えておいた。





サッカー部の弟が初めてレギュラー入りを果たした。小学一年生の頃から地元のクラブチームで頑張っていることを知っている姉としては喜ばしい限りである。そしてその知らせを受けた家族もお祭り騒ぎだ。だから今日の夕飯は弟の好物である鰻にするらしい。しかしそれを買いに行かされたのは解せない。その店は沿岸にあり、また最寄駅からも距離があるのだ。

「ん?」

少し値の張る老舗店で四人分の蒲焼きを買い、長く伸びる遊歩道を歩いていればその道の先に海を眺める人を見つけた。……あれ糸師くんだよね?シルエットだけであっても脚の長さですぐに分かった。
もしかして海へ物思いにふけりに来たのだろうか、黄昏時だし。ただ、海といっても遊歩道から見たら目の前にはコンクリート壁がありその上にはさらに柵もある。だから例え糸師くんの身長を持ってしても景色は見えないのだと思うのだけど。

「えっ?!」

細身の影が動いたと思ったら糸師くんは壁をひと蹴りで上り、その先の柵までも悠々と乗り越えていた。何か道具を持っているわけでもないし釣りをするというわけでもないだろう。一体何故そんなことを……いや、まさか——

「それはダメだ!」

湘南乃風に背中を押され遊歩道を猛ダッシュした。これが真夏の海辺なら、濡れたまんまでイッちゃって!と合いの手一つくらい入れれたが生憎いまはその時期ではない。だからこそ柵を隔てた先にある足首を掴んで引き留めた。

「うぉっ?!」
「は、早まるな!」
「びっ…くりした、なんだお前かよ」
「いのちだいじに!」
「は?」

整えられた眉は歪んでいるものの突発的な行動はしないように思える。だから掴んでいた手をゆっくりと放した。
息を荒立てている私とは裏腹に、糸師くんはため息一つ吐きその場に胡座をかくようにして腰を下ろした。その様子に一先ず安心してコンクリート壁に寄りかかる。糸師くんの髪は潮風に遊ばれサラサラと揺れていた。

「こんなところで何してたの?」
「ただ海を見に来ただけだ。お前こそ何やってんだよ」
「私はお使いの帰り」
「そうか」

がさり、と手元のビニール袋を見せればタレの良い香りが鼻腔を掠めた。しかしそれもすぐに潮風に流される。波がテトラポッドに当たる心地の良い音が聞こえ、その度に反射した日の光が糸師くんの横顔を照らしていた。ここからでは見えないがきっと目の前に広がる海は絶景なのだろう。

「何かあったの?」

でも本物の海よりも目の前にあるターコイズブルーの方が私は綺麗だと思っている。だからこそいつもとは違う燻んだその色にも気付けたのかもしれない。

「手紙がきた」
「手紙?」

波が揺れ動く音よりも静かにそう言って糸師くんは白地の封筒を取り出した。それを柵の隙間から差し出されたので見てもいいかと聞けば黙って頷く。
封はカッターで切られたのかささくれ一つなく口が開いている。そこへ指を滑らせて折り畳まれた紙を取り出した。

「強化指定選手に選出されました…?」
「日本フットボール連合からの招集だ」
「えっすごいね!おめでとう!」

声を上げて喜べば糸師くんは切れ長の目を僅かに見開き、そしてフッと細めてから「あぁ」と短く頷いた。しかしすぐにその表情は険しいものになる。

「だがこれでようやくスタート地点だ」

先日、糸師くんとお昼を食べた時にいくつかサッカー試合のハイライト動画を見せてもらった。前までサッカーに興味は薄かったもののルールを知ったのでその面白さも分かりつつある。そして糸師くんが見ている≠烽フも何となく伝わってきた。

「世界で戦えるストライカーになるための?」

高校で、日本で、なんて狭い括りで考えていない。糸師くんは世界を見ている。

「あぁ。……で、糸師冴を殺す」

また糸師くんの瞳に色がなくなる。どうやら彼がサッカーをする理由は詰まるところお兄さんが理由のようだ。もしかしたら原因と言った方が正しいのかもしれないが。

「じゃあ世界一のストライカーにならないとだね」
「は……?」

どちらにせよ、私は糸師くんを応援するつもりだ。だって寝ても覚めても授業中でも休み時間でもサッカーのことを考えている人なのだ。英語だけできるのもサッカー解説を生の英語で理解したいから勉強したと言っていた。その姿を少なからず知っていたから糸師凛選手として応援したかった。

「だってお兄さんって世界一のミッドフィルダーなんでしょ。それなら糸師くんも世界一にならないと!」

それに同じ場所に立てばもしかしたらお兄さんと仲直りできるかもしれない。だから激励とその願いを込めて言ったのだ——単純で、分かりやすい、『世界一』という言葉を軽率に使って。

「そうだな。俺が世界一になって勝ちゃ全てが解決すんだ」

そう言って再び海へと目をやる。逆光でその顔はよく見えなかった。そしてそのままじっと動かなくなる。
一人にしてあげた方がいいだろうか。でもこのままどこか居なくなってしまいそうな危うさを感じた。もしかしたら海に……なんて嫌な想像までしてしまう。だからいつもの糸師くんを取り戻すべく、柵の隙間に手を入れてやる気スイッチを押した。

「あ?どうした」
「まずはその招集だよね。きっと糸師くんと同じレベルで競える人がたくさんいるよ、楽しみだね」

うちの学校も確かに強いらしいが糸師くんと同じくらいサッカーに熱を持っている人はいないようだった。その証拠に朝練も居残り練も糸師くんが一番長い。

「高校レベルのサッカーじゃあたかが知れてるけどな」
「現役高校生が偉そうなこと言わない!それに友達もできるかもよ?」
「いらね」

仲間なのかライバルなのか。それが糸師くんにとって良いのか悪いのかはまだ分からないけれど人との出会いで確実に変化する何かはある。なんか私の方が楽しくなってきたかも。今だって体が武者震いしてるし。

「お前のスマホすげぇ鳴ってね?」
「ほんとだ」

しかしそんなことはなく、通知を告げるスマホのバイブレーションだった。ポケットから取り出し画面を見れば大量のポップアップが重なっていた。その犯人は弟。どうやら腹を空かせた奴は大量のちいかわスタンプを送りつけるbotになってしまったようだ。

「スマホの通知が死ぬ前に帰るね」
「何が起きてんだよ」
「弟から」

ほら、と奇声を発するうさぎまみれの画面を見せれば「やべぇな」と一言言った。
このままでは充電すら切れかねないので『ごめん、すぐ帰る』と一文送る。そしたら一先ずは黙ったのでよしとする。でも直ぐに帰らなければまた大量のスタンプが送られてくるのだろう。

「そういや連絡先交換してなかったな」

今度こそ帰るか、と思ったところでスマホ画面を見せられた。それは糸師くんのもので柵の隙間から真っすぐ伸びて来た手に握られている。そして表示されていたのはQRコードだった。

「えっあ、そうだね」
「早く読み取れ」
「うん」

なぜ?という疑問を解決する前にメッセージアプリの友達に糸師凛を追加していた。友達ってなんか変な響きだ。まぁ友達になりましょうって言って友達になる方が少ないのだけど、周囲への関心が低い糸師くんが意外だなって。

「これが私の連絡先ね」
「なんだこれ」
「私達の今の関係では?」
「あ?」

だからとりあえず『マブダチ』と書かれたスタンプを送っておいた。しかしとてつもなく渋い顔をされたので友達と言ってもまだまだ希薄な関係らしい。連絡先知ったくらいで調子に乗るなってことね、把握。

「これからは立場をわきまえマス」
「っとに……もう二度と送んじゃねぇぞ」

そして連絡してくるなとまで言ってくる。それなら私にQRコードを読み取らせるんじゃない。

「分かったよ。じゃあ私はそろそろ帰るね」

すっかり冷めて香りがしなくなった袋を持ち直しスマホをポケットにしまった。
最後に何か気の利いたことを言うべきか。でも私からの言葉などなくても糸師くんは勝手に行って勝手に成長して帰ってくるのだろう。だからここで何か言うのも野暮と言う話。

「おい」
「なに?」

しかし、三歩歩きだした私を繋ぎとめたのは糸師くんだった。
彼は立ち上がったが黄昏時も過ぎた今となっては逆光により顏が陰ることはない。だから今日初めて向けられたターコイズブルーを見つめ返すことができた。

「いってくる」

たった一言。でもその一言に糸師くんの覚悟が乗せられていたような気がした。
かっこいいじゃん、糸師凛。

「いってらっしゃい!」

夕方と夜の境目の空の下、糸師くんに大きく手を振った。

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