醜く壊す
『全部壊してくる』
今朝送ったメッセージの、恋人からの返信がこれだった。なんとも物騒で殺人予告とも取れるそれはあくまでフィールド上の話である。しかし凛の心中は痛いくらいに察せれた。
「今夜の試合、アレックスの家に集まって観戦するけどお前も来るか?」
講義後にスマホを見ていたところで後にいた学生の話が耳に飛び込んでくる。盗み聞きってわけでもないけれどメッセージ内容と同じ話題だったからかつい聞き耳を立ててしまった。
「いいや遠慮するよ。なんせ俺にはこれがあるからな」
「チケット?!よく取れたな!」
国際親善試合としてフランス対スペイン戦が今夜行われる。今シーズン好調である凛はおそらくレギュラーとして試合に出場するだろう。そしてここ最近大きな怪我もなくチャンピオンズリーグでの活躍も目覚ましい彼もまた試合に出る可能性が高い。
「苦労したよ。でもこれで夢の兄弟対決が見られる!」
「あぁ、今夜注目される選手は間違いなくリンとサエだろうな」
あくまで親善試合だ。勝っても負けてもランキングやリーグに影響があるわけでもない。しかし今夜の試合は凛にとっては何よりも重要なものになるだろう。
「だが二人とも今シーズンの活躍が期待されているし監督は使うだろうか?」
「ホームで負けたら笑い者だからな、まずリンは使うだろうな。ただそれに対してスペインがどう出るか」
「向こうも負けそうになったらさすがにサエを使うと信じたいがな」
「どちらにしろ今夜は良い試合になるに違いないさ!」
良い試合、か……その言葉を脳内で反復しては何故だか私が複雑な気持ちになってしまう。凛がサッカーをする理由は糸師冴を壊したいからだ。糸師冴の完璧に計算された美しいサッカーを凛は相手の最高を剝き出しにさせ醜く壊そうとする。戦略もプレーも感情も、自分自身の過去も含めて全てをぐちゃぐちゃにするつもりでいる。
——いつもこの時期はゼッテェ帰ってこねーのにな——
ただ、私としては糸師冴の方はそれほど凛に対して負の感情を抱いているとは思えない。糸師冴が凛のいる部屋を見上げていたあの横顔は今も鮮明に覚えている。そこからなにを読み取れたわけでもないけれど少なくともそれは兄ちゃん≠フ顔に見えたのだ。
『買い出し手伝える人は十六時にカルフール集合!』
バッグの中のスマホが震え新着メッセージを知らせる。それは今夜の試合を寮で観戦しようと決めたメンバーからの連絡であった。すでに何人かが反応してスタンプやコメントを返している。もちろん私も観戦メンバーに加わっているので快い返事をして荷物を持って席を立った。
◇
共用のリビングスペースは試合前から大いに盛り上がっていた。そしてその場はP・X・Gのユニフォームカラーに染まっている。
「ちょっと飲むの早すぎ!」
「ポテト揚がるからお皿頂戴〜!」
「ピザも届いたよ!」
「タオル落ちてるけど誰の?」
チケット争奪戦に敗れた熱心なサポーターもいればただ単にサッカー観戦が好きな人、なんとなく盛り上がりたいから来た人もいるが合わせて十五名ほどだろうか。スタジアム以外でこれだけ多くの人と一緒に観戦する機会もないのでこの雰囲気は新鮮でわくわくしてくる。
「キミはリンのファンなの?」
キッチンでチーズを切り分けていれば飲み物を取りに来た友人に声を掛けられる。彼もまた私と同じクラブチームのユニフォームを身に纏っていた。
「うん!ブルーロック時代からのファンなんだ」
これは凛からもらったユニフォームである。今日の試合を現地で見に行きたいと言ったところ真っ向から「危ねぇから来ンな」と言われ不貞腐れていた私にくれたのだ。ついでに「いるならサインも書いてやるケド」と言われたがそれは丁重に断っておいた。そしたら迂闊に着ることもできないし、何より凛のサインはモリサワフォント並みに整ったローマ字なので本人の私物っぽくなりそうで全力で首を横に振っておいた。
「俺も彼のプレーは好きだ。タッチ、スピード、テクニック、読み……全てがトップレベルでその試合展開にはいつも胸を熱くさせられる」
自分のことでもないのに凛が賞賛されるとこちらも嬉しくなる。凛がサッカーをする理由は歪でねじ曲がってはいるけれど、それでも彼のプレーが多くの人を魅了していることは確かなのだ。
「だよね。自分のゴールを狙うそのエゴイストさが好きなんだ」
「今日もリンと、そしてパサーである彼の活躍にも期待だな!」
彼は私に背を向けて自身の背中を指差した。そこにはチーム最年少としてメンバー入りを果たしているシャルル・シュヴァリエの名がある。凛とシャルルのコンビネーションもブルーロック時代のネオ・エゴイストリーグでよく見たコンビだった。
「うん!」
「そうだ、記念に一枚撮らないか?」
「いいね!」
並んで肩を組んでインカメに向かって笑顔を作る。初めこそカメラに向かって笑顔を作るのが苦手だったがソユン直伝のトレーニングのおかげで今では表情筋の使い方に大分自信が持てるようになった。
「ありがとう。この写真SNSに上げてもいいかな?」
「いいよ、それと私にも送ってくれると嬉しい」
「分かった」
残り少ないチーズを切り終え皿に並べ終ったところでスマホが震える。確認すればさっそく彼が写真を送ってくれていた。
「あと五分で試合始まるぞ!」
「みんな飲み物揃ってるー?」
「よし、じゃあこっち向いて!」
それからこの場にいた全員でも写真を撮った。それを先ほど彼から送られてきた写真と共にハッシュタグをいくつか付けてSNSへと投稿する。きっと日本の友人からは「イケメンの供給ありがとう」とコメントが付くに違いない。
これは日本を出て改めて実感したことなのだが海外の人は写真を撮るのが好きだ。その写真とは静物や風景ではなく自分自身のことを指す。彼らは自分の写真を撮りその思い出の記録としてSNSに投稿する。それに釣られるように私も時折自分の写真を上げるようになっていた。
『さぁ、今夜はここパルク・デ・プランスより試合をお届けします!』
テレビ画面がパッとブルーに染め上がる。その波のようにうねる青に赤のラインが入ったその色はP・X・Gのチームカラーである。さすがホームとあってその熱気はすさまじいものだったが対戦相手のレ・アールも負けてはいない。アウェー戦にも関わらず多くのサポーターがスタジアムにひしめいていた。
『ここでメンバー紹介に移ります…——』
そしてリン・イトシの名が呼ばれれば、その瞬間スタジアムでもここリビングでも歓声が上がった。日本では海外サッカーの放映はほとんどされず、日本での凛の知名度はサッカーファンを覗きブルーロック時代よりは下がったようにさえ思える。しかし欧州ではもはやスター選手であった。
「スペインのメンバーは誰だ?」
「サエはいるのか?!」
選手として招集されてはいるものの糸師冴はベンチでの控えだった。しかし親善試合とはいえレ・アールも手を抜くつもりはないのだろう。メンバーを見る限り様々な選手を試すような雰囲気が感じられた。
『KICK OFF!』
そして始まったP・X・G VS レ・アール戦——P・X・Gは凛とジュリアン・ロキをツートップに置いたフォーメーション。チーム最年少のシャルルが攻撃の起点を作り攻めていく。それから両者激しい攻防戦が繰り広げられ、激戦の末、先に読み勝ったのはP・X・Gだった。
『神速 ジュリアン・ロキが決めたぁぁあ!ここにきてようやく一点目が決まった!!』
ここまでで前半三十七分である。それまでにヒヤリとする瞬間は何度もあった。レ・アール優勢の場面はいくつもありゴールがポストに当たったときには悲鳴が上がった。シュート本数、ボール保持率もレ・アールの方が上。それでも凛のボール奪取からの形勢逆転で点が決まった。しかし自分で点を決められなかった本人は大変不服そうな顔をしていた。今にも人ひとりやりそうな顔をしている。そしてそのままハーフタイムへと突入した。
「一対〇で前半終了か〜!」
「後半にサエは出るだろうか?」
「開始から出なくても途中で使っては来そうだけどな」
「現地サポーターが黙ってないだろう」
後半戦でもP・X・Gはメンバーもフォーメーションも変えなかった。片やレ・アールは前半とはガラリとメンツを変え、攻撃的な布陣を揃えてきた。
『ここでレ・アールの初ゴール!!』
その実力を示すように後半十分で点が決まった。得点を挙げたのはレ・アールの貴公子と謳われているレオナルド・ルナである。味方をステルスにしセカンドボールを取ったかと思えばDF陣を股抜きで抜き去り見事にゴールを決めてみせた。
「さすがルナ!!」
「彼は三十代になっても衰えないな!」
そのプレーには敵ながら賞賛を送りたくなってくる。しかし僅かに移された画面越しの凛はこれまた酷い顔をしていた。眉根を寄せ芝生を睨む。そしてユニフォームで顏の汗をぬぐいそのまま固まっていた。きっと脳内では次のプレーのシミュレーションをしているのだろう。それから糸師冴をフィールドに引きずり出す算段を考えているに違いない。
「決まった!凛が点決めた!」
そのわずか五分後、再び戦況がひっくり返った。凛がルナのプレーをそっくり真似てDFを抜き、シャルルと共にゴールまで繋いで点を取り返して見せたのだ。
「やったな!!」
シャルルの背番号を背負った彼と肩を抱き合って喜びを分かち合う。この場にもいつの間にか人が増え皆が抱き合って喜んでいた。試合時間はまだ三十分以上あるというのに勝利を確信したかのようなお祭り騒ぎ。しかしそれも画面越し声で一気に静まり返った。ついに彼が来たのだ。
『ここでレ・アールのメンバーチェンジです——来た!サエが投入されたぞ!!』
実況解説はフランス人だというのに彼の声は喜び故に上ずっていた。しかしこれに関してはフランスもスペインも、敵も味方も関係ない。この試合を見ている全フットボールファンが望んでいた展開——凛と冴の兄弟対決。
『今夜の試合は歴史に残るかもしれないぞ!』
そして待望の瞬間はすぐに訪れた。糸師冴へのパスを読んだ凛が喰いにかかりにいった。そのマッチアップにスタジアムでは怒号のような歓声が上がる。ど真ん中の舞台上で二人はぶつかり合いボールを奪い合う。フィジカルでは凛の方が有利ではあるがやはりテクニックでは糸師冴が上か。しかし読み合いでは凛も負けていなかった。
「凛……!」
凛のつま先が掛かりボールが二人の間を抜ける。しかしセカンドボールを取ったのはレ・アールの選手。それは今思い返せば凛に抜かれることも想定してボールがそちらに飛ぶよう計算された足運びであった。
『レ・アールに得点が入る!これで再び二対二の同点だ!』
糸師冴が投入されたことでバタついていたレ・アールのプレーが落ち着いたものになってくる。個人技だけでなくひとりの選手でここまでチームの雰囲気を変えることができるのか。攻撃と守備の両方の役割をこなすだけでなく調和を図りチームをまとめる。これが過去に新世代世界十一傑に選出されたこともある天才MFと謳われた糸師冴の実力。
『ここで再びレ・アールの追加点!戦況は厳しくなってきたがまだ諦めるには早いぞP・X・G!』
カメラは常にスタジアム全体を映しており、得点後の合間もテレビではリプレイ映像が流れるため現地の様子は分かりづらい。だから凛の様子もこちらでは分からなかった。
『ここで試合終了…!!』
そして後半四十二分で追加得点を決められ二対四という敗北にて親善試合は幕を下ろした。最後まで攻めの姿勢を崩さない試合ではあったけれど向こうの攻撃パターンにこちらが対応できなかったと監督はインタビューで語っていた。
「もっとシュート打てよ!」
「今日の審判甘くなかったか?」
「残りの選手交代使ってもよかったよなぁ」
リビングではその後の熱気もそのままに試合の感想戦が繰り広げられていた。私もその輪に入っていたけれど一言二言交わしそっとその場から抜けだした。
凛は今日の試合をどう思ったのだろうか。少なくとも糸師冴に勝てなかったことは明白。それはチームとしてでなく個人技だけで見てもそうだ。それに対しへこむことはないだろうが突拍子もないことをしそうで心配なところはある。凛はよく「殺す」という言葉を口にするが彼が何よりも殺したいのは自分自身なのだと思っている。
『お疲れ様。今夜はゆっくり休んでね』
でも結局、試合後の凛に送れた言葉はそれだけだった。
◇
今日は二限目からの授業になるのでいつもより遅い時間に起床した。だからか共用のリビングに人はおらず簡単な朝食を作りスマホをお供に食事を始める。
昨夜、凛へと送ったメッセージは既読こそ付けられていたが返事はなかった。その様子が気にはなったがここでこちらが連投するのもよくないだろうと判断しぐっと堪える。
白湯をひと口飲み、スクランブルエッグを乗せたバケットを口に運ぶ。もう片方の手は自然とSNSのアイコンをタップしていた。これはもはや癖のようなものだ。そして昨日上げた写真にコメントが付いていないか確認した時だった。
「えっ」
しかしそれよりも先に通知の数に目がいった。いつもは一桁台であるその数も今はカンストして表示されている。恐る恐る画面をタップし確認してみれば昨日上げた投稿へのコメントに対する通知だった。ざっと目を通したところどうやらコメント同士で会話をしているがためにこれほどの通知件数になってしまったらしい。
『このユニフォーム本物じゃないか?』
『精々オーセンでしょ』
初めに目に付いたのは私が着ていたユニフォームに関してだった。一般的に手に入るユニフォームにはレプリカとオーセンティックが存在する。前者は商品性を高めたもので耐久性が高く普段使いもできて比較的価格の安いもの。もう一方のオーセンとは選手が実際に着用しているものとほぼ同じ仕様であり、インナー付きで機能性の高いものになっている。
『だとしても今オークションで千ユーロはするぞ。それを学生が買うか?』
『彼女の過去の投稿を見る限りかなり熱心なサポーターみたいよ』
『日本人なら金はあるだろう』
私が凛からもらったユニフォームはほぼ%ッじどころか凛が試合中でも着ていた本物のユニフォームである。すでに新しい物が支給されているためこれはもう着ないと譲ってくれたのだ。しかし一見すればオーセンだと皆が思うであろう。そもそも画像ではレプリカとオーセンの見分けすらままならないはずだ。
『左側の裾が右よりも伸びている。先日のスイス戦で着ていたものじゃないのか?妨害で相手にイエローが出た時ユニフォームを引っ張られていただろう』
『それはさすがにこじ付け過ぎ』
『裏側にプリントタグがあればほぼ本物確定だけどな』
しかしどこの国にも特定班はいるというもの。僅かな不審点を上げては徹底的に調べ上げ、他者からの同意や否定を受ける形でさらにコメントが付く。事の真偽よりも彼らは暇つぶし程度に騒ぎ立てたいだけなのだ。
そしてさらにコメントをスクロールしていけば私に対して向けられたコメントもあった。もちろん私は彼らのことをフォローもしていなければ知りもしない。向けられたコメントには様々な国の言語が入り交じっていたがどれも良くないことであることは察せられた。
『どういう関係なんですか?』
『匂わせ乙』
『マウントの取り方に一般人の限界を感じるw』
『不快 今すぐ消してください』
『いま噂になっている相手は貴方ですか?』
どうしてこうも炎上しているのか。それには多少なりともあの噂≠フせいであろう。
リン・イトシが住居を高級街へと移す——凛が引越しを終えてすぐにそんなパパラッチ記事が出回った。これに対しファンは、当分はフランスチームでの活躍に期待できると移籍がないことを喜んだものだった。しかし一部ではなぜ日本人の凛がわざわざそんなところに引っ越したのかと様々な憶測が行き交ったのだ。それで行きついたのが『女ができた』だった。
それに関しては、まぁある意味間違ってはいないのだがそのせいで多方面から我こそが彼女であるという醜い争いが起きている。あるモデルは凛が起用したブランドを見に纏いを意味深なコメント付きで写真をSNSへと上げ、あるインタビュアーはカメラには映らないところで如何に凛が紳士的だったのか(その話を聞いた時はあり得なさ過ぎて笑ってしまった)を語った。
『リンと同い年じゃない?ハイスクールも一緒とかありそう!』
そして女側の一人芝居に周囲が飽き飽きしていた時に投稿されたのが私の画像だった。凛と同じ日本人で年齢も同じ、フランスに留学してきた時期が引越し時期と被っていたこともあり目を付けられたらしい。また、海外でも交友を深めるためにもとアカウントに鍵も掛けず、またbioにある程度の個人情報を書き込んでいたのも不味かったようだ。
「まだ朝食食べてるの?」
「っ?!」
しかし今さら後悔したところでどうしようもできず、ひとり頭を抱えていたところでリビングにソユンが姿を現した。彼女も一限がないようで外に走りに行っていたらしい。ウェア姿の彼女はそのまま冷蔵庫に直行し自分の名前が書かれたボトルを取り出した。
「ソユン助けて!」
「お?」
水分補給を終えた彼女を隣に座らせ事の経緯を説明する。そしたら「有名人デビューね!」なんてケタケタ笑われた。全くもって笑い事じゃないんだけど。でも彼女のお陰で気が少し楽になった。
「やっぱりこの投稿は消した方がいいかな?」
「それはやめといた方がいいわ。逆に怪しまれるしどうせ誰かが別で上げ直すから」
「そっか……」
「無視しとくのが一番!それでしばらく投稿せずにSNSも開かないこと!ひとつ嫌なコメ見つけてエゴサし出すと精神病むから!」
さすがはSNSを使いこなしている先輩の言うことは違う。素直に感謝を述べれば自分も昔似たような目に合い鬱になって自分の髪を切るという自傷行為にまで走ったと教えてくれた。急に重い話になるじゃん。だけど私を励ましてくれる今の彼女があるのはその過去を乗り越えたからだろう。
「ありがとう、しばらくはSNSは見ないようにしとく。どうせ一時的なものだろうし」
「うんうん!ほら日本語でもあるでしょ?えっと、ヒトノ ウキワモ シチゴサン!」
「人の噂も七十五日ね!」
「それー!」
そうして私はスマホの電源を落した。
確かにこれは一時的なもので炎上はすぐに収束を迎えた。
凛の熱愛報道という最悪の形で。
——ホテルで美女と密会か——
それは七十五日とも待たず僅か三日後の出来事だった。