糸師くん、青檻いくってよ


三日経って一週間が過ぎて、十日を超えて今日でちょうど二週間。それでもまだ私の後ろの席はぽっかりと穴が開いたままだった。

「糸師マジで大丈夫なの?」
「なんか先生や家族ですら連絡取れないらしいよ」
「それってさすがにヤバくない?あんたなんか知らないの?」

ほうれん草の混ぜられた卵焼きを食べていた私に三人の目が向けられる。しかし生憎私もこれといった情報を持っていない。強化指定選手に選ばれた話を聞き海岸沿いで糸師くんを送り出して以来、会ってもないし連絡も取っていなかった。

「世界一のストライカーになるってことくらいしか知らない」
「いやいや、夢の話じゃなくて今どこで何してるかってことだよ」
「地球上のどこかでサッカーしてるんじゃないかな」
「連絡取れないの?」

私が糸師くんの連絡先を知っている前提で話を進めないで欲しい。まぁ知ってるんだけど。でも彼女達の場合は未だに私と糸師くんが付き合ってると思い込んでるからなぁ。何度訂正しても右から左に受け流していくのでこの日本海ブルースに抗うことをやめた。

「えっ私が取る必要性ある?」
「はぁ?彼女なんだからメッセの一つくらい送ってやんなよ!」
「送るなって言われたし」
「それ絶対糸師流の照れ隠しだから!いいから今すぐ送れ!」

私が連絡を取ったところでストレスを与えるだけだと思うんだけどな。そして一体何を送ればいいのやら——ご飯はちゃんと食べているのか、友達はできたのか、いつ帰ってくるのか。それとも新曲が配信されたこととか美味しいアイスを見つけたことの報告をするべきか——確かに聞きたい事や話したいことはあるけれどそれは今℃рゥらすべき話じゃない。

「じゃあなんて送ればいいの?」
「『黒の組織に拉致られたんですか?』」
「『私との関係は遊びだったの?!』
「『アイラブユー』」

しかし彼女らに考える気はなかったらしく、散々冗談めいて言った後に「そこは自分で考えな!」と放り投げられた。
それから色々と考え抜いた結果、午後の授業が始まる直前にようやく一文送ることが出来た。返ってくるかも分からないけれどこれならば私から送っても怒られることはないだろう。

「先に資料を配るので後ろに回してください」

前の席の人から五限目の授業プリントを受け取る。そこから二枚抜いて立ち上がり二つ後ろの席にプリントを届けた。一枚は机の上に置き、もう一枚は糸師くん専用のクリアファイルにしまっておく。全然学校に来てくれないからこのファイルも随分と分厚くなってしまった。
もう本当に、早く帰って来て欲しい。





夕飯を食べ宿題も終えお風呂に入り、そして特に見たいテレビもないのでベッドの上でスマホを弄っていた時だった。

通販の方が安くて可愛い服が多いなぁなんて見ていたら突如現れたポップアップに邪魔される。そして表示された名前を見た瞬間、スマホが顔面に落下した。おでこが痛い、鼻が潰れた。これも全て糸師くんのせい。

『生きてる』

メッセージアプリを立ち上げれば一分前の時刻でそう表示されていた。急な生存報告通知に、この人は一体何を言っているのだろうか?と純粋な疑問が生まれたが三日前に自分から連絡を取ったことが思い出される。糸師くんのメッセージの上には右側の吹き出しから『生きてる?』の文章が残っていた。

『糸師くんと連絡つかないって皆心配してたよ』

まさか返事が来るとは思っておらず、また慌てて返したため随分と素っ気ない文章になってしまった。しかし、それもすぐに既読が付く。

『スマホ引き換えるの忘れてた』

いや、引き換えるって何?一体、糸師くんはどんな環境で生活をしているのだろうか。軍事施設かどこかにいるの?しかし何を聞いても一問一答でしか返ってこなさそうなので状況を把握するには先が思いやられる。

『そっちに行ってからずっとサッカーしてるの?』
『おう』

それでも元気に過ごしてはいるようなので一安心である。ただ、世界を見ている糸師くんと平凡に生きている私とではきっと時間の流れは違う。だからいつ帰ってくるかだとか、出席日数が足りなくなるよと送るのは違う気がした。

『過度な練習には気を付けてね』

だから便りのないのは良い便り、ということで受け入れておく。ネイティブ並みに話せる糸師くんらしい海外のことわざだ。

「え……、えっ?!」

後は、親にも連絡入れときなよーと言って終わるつもりだった。しかし真っ黒に切り替わった画面に既にキーボードは映っていなかった。その代わりに赤と青の丸ボタン、そして『糸師凛』の三文字が表示されている。

「もしもし…?」
『よぉ』
「どうしたの?」
『打つのめんどくさくなった』

あぁそうゆう……でも相変わらずの糸師くんに笑ってしまった。そうすれば「あ?」という声が聞こえてくる。きっといつも通り眉をひそめているのだろう。その顏は容易に想像できた。
仰向けから体勢を変え、抱き枕をクッションに寝転がる。

「今日の練習は終わり?」
『あぁ。んで今ストレッチ中』

確かに糸師くんの声が少し遠くで聞こえる。ということは私との通話って最早ラジオ替わりなのでは?生憎、井口さんほどの美声は持っていないので歌を流すことはできない。それに今日ばかりは私じゃなくて糸師くんに話をしてほしいんだけど。ということで気になることを質問しまくった。

どうやら糸師くんは現在ブルーロック≠ニいう場所にいるらしい。そこでは全国から集められたユース年代三百人のフォワードの中から、ただ一人のストライカーを選別するプロジェクトがなされているよう。どこかで聞いたデスゲームのような話だ。

そして彼らをサッカーだけに集中させるためスマホも取り上げ、外出も禁止しているらしい。ただし、試合中のゴール点数によってはその救済もあるのだとか。糸師くんが言っていた「引き換え」というのがつまりはそれのこと。

「なんかブルーロックってすごいところだね」
『あぁ。だが来てよかったと思ってる』

確かに世界一のストライカーになる為の最短ルートがブルーロックには備わっている。彼ならば成長と言う言葉では語りきれないくらいすごい選手≠ノなるのだろう。

「そっか」
『じゃあ俺は風呂入って寝る』
「あー遅くまでごめんね。……いや、まだ十時前なんだけど」
『七時間半は睡眠時間確保してぇからな』

めっちゃ寝るじゃん。それなら確かにサッカー以外のことをしている時間などないのだろう。しょうがないから糸師くん用のテスト対策ノートを作っておいてあげようか。彼自身、要領は悪くないのか勉強をすれば平均点以上は取れているようだから。それならもう少し授業はちゃんと受けて欲しんだけどな。

「まぁ寝る子は育つって言うしね。身長二メートル越えくらいになって帰って来てよ」
『んな伸びねぇわ』

冗談の通じない人だな。身長は伸びなくていいからせめて笑いのセンスとコミュニケーション能力は伸ばして帰って来てもらいたいところである。

「それは残念。じゃあもう切るね、おやすみ」
『おい待て』

遠くで聞こえていたはずの声がいきなり大きくなってびっくりした。
スマホ越し、だけどすぐ傍に糸師くんがいる。

「なに?」
『大抵は練習してっけどこのぐらいの時間なら出れる』
「うん?」

その言葉の意味が理解できずにいれば『あー…』と小さな唸り声が耳に届く。こういう時は急かさずに続きを待つことにしていた。電話じゃ見えないけど考えてる時の糸師くんは隙があって少しあどけない表情をしている。悪趣味ながらもその変化を見るのが好きだった。

『お前の話くらい付き合ってやるっつってんだよ』

今もそんな表情をしているのだろうか。でも友人曰く、こういった場合は糸師くん流の照れ隠しが混ぜられているらしいのでもしかしたら私の知らない顔をしてるのかも。それが見えないのはちょっと悔しい。

「そっか。じゃあまた連絡するね」
『あぁ』
「おやすみなさい」
『……おやすみ』

通話を終了しスマホをベッドの上に投げる。そして自らの下敷きになっていた抱き枕に顔を埋めた。先ほどまでスマホを当てていた耳の奥がこそばゆい。
もしかしたら私も今、私の知らない顔をしてる……のかもしれない。





それからは週に二回、多い時で五回は電話をした。私からも電話は掛けているが蓋を開けてみれば糸師くんからの着信の方が多いように思える。しかも彼の場合は大抵、一分狂わず決まった時間に掛けてくるものだから最早時報だった。家族にも「アラームかけてるの?」と聞かれるくらいには正確だった。

『今日、二次セレクションが終わった』

そしてこの日も糸師くんからの着信で電話を取った。ブルーロックプロジェクトではセレクションごとに人が振り落とされていく仕組みらしいが今回も彼は生き残れたらしい。おめでとう!と声を大にして労えば「ったりめぇだろ」と返される。その声は受話器から少し遠い。どうやら私にそう言われるのを見越してスマホを遠ざけていたようだ。

「中々対戦相手見つからないって言ってたけど試合できてよかったね。どんな感じだったの?」

二次セレクションでは 奪敵決戦ライバルリー・バトルといって、三人一組から始まり試合に勝ったチームは相手から一人を引き抜き勝ち進んでいくルールなのだと教えてもらった。
糸師くんのチームは現時点でのブルーロックランキング上位メンバーと組んだせいか一回目の試合後は対戦相手が見つからないと愚痴っていたから心配していたのだ。因みに糸師くんは現時点ですでにランキング一位らしい。

『相手は一回目の試合でブチのめした奴らだった。試合には勝った……が、運≠フ差でしか勝てなかった』

一回目の試合も一次セレクションの時も、そして今までだって糸師くんが負けたのを聞いたことがなかった。でも今の言葉は自身の負け≠認めた発言だった。事実、その語尾には悔しさが滲んでいる。

「いい試合だったんだね」

だから私は嬉しかった。それはきっとブルーロックに行かなければ味わえなかったことなのだ。ようやく糸師くんと張り合えるほどの選手を見つけた。彼にとってそれはこの日本で砂漠の中から一粒のダイヤを見つけるくらい難しいことだったのかもしれない。

『は?どこがだよ』
「だって運でしか勝てなかったって言うくらい紙一重で熱い試合だったんでしょ?しかも相手は一回目と同じチーム。糸師くんも負けてられないね」

悔しさを原動力に出来る人だ。きっともっともっと強くなろうと藻掻くのであろう。

『フン……もう二度と負けねぇよ。明日の世界選抜との試合だって勝つ』
「え、ちょっと待って」

今サラッと世界選抜って言った?ブルーロックって国内だけでなく世界からもサッカー選手を呼び集めてるの?元よりブルーロックは日本をW杯優勝に導くストライカーを養成する施設とは聞いていたが本当にスケールが大きい。

セレクション今までのは全部前座だ。兄貴…糸師冴に勝つまで休んでる暇はねぇ』

そうだ。世界ってことは糸師くんがお兄さんと試合をする日も近いのかもしれない。もうこれは可能性レベルではなく確信に近い事実だ。

「でもあんまり過度なトレーニングはやめなよ?今日も試合で明日も世界選抜と戦うって……」
『言われなくても分かってるわタコ。クールダウンヨガも瞑想も終わっ……』
『凛?』

ここに来て初めて聞いた糸師くん以外の声。しかも下の名前呼びだ。声質的に男の人。

『ッ、潔…?!お前なんで』
『いやぁタオル忘れちゃってさ』

イサギ、と呼び捨てなことから相手は指導者や監督と言うわけでもないだろう。しかもこの砕けた口調……間違いない。

『ぬりぃんだよボケっとしてんな!』
『んな…!そんな怒ることないだろ!』
「糸師くんついに友達出来たの?!」
『うっせぇ!』
『え、もしかして電話中だった?』
『うっせぇ!!』

双方にキレ散らかしている糸師くんはもう一度瞑想をする必要がありそうだが私としては嬉しい。試合をする中で、また共同生活をする中でようやく彼にも友人が出来たようだ。

「イサギくんとの時間を邪魔するのもあれだからもう切るね」
『は?コイツとはそんなんじゃ』
「あんまり喧嘩しないようにね、おやすみ」
『おい、待っ』

空気を読んでとっとと通話を切り上げる。そういえば今まで糸師くん視点でしか話を聞けていなかったが周りから見て彼はどのような人に映っているのだろうか。客観的視点での糸師くんはちょっと気になる。
顏も分からないイサギくんにいつか教えてもらえないかなぁと小さく祈っておいた。





残念ながら世界選抜との試合は一対五で負けてしまったらしい。
しかし糸師くんはこの敗北をも消化しすでに前に進み始めている。でも最近はサッカーよりも語学学習に時間が割かれていると愚痴っていた。しかも英語だけは堪能である糸師くんがチームの勉強を見てあげているらしい。ただ、実のところ勝手に頼られているらしいが。

『中学英語も出来ねぇバカしかいない』

特大ブーメランかな?
しかしそうは言ってはいるがそれだけメンバーと交流が出来ているということ。そしてしつこく聞けばその人たちのことも少しだけ教えてくれた。

今同じ部屋で練習や生活を共にしているのが蟻生くん、時光くん、蜂楽くん、そして潔くんの四人。糸師くんはあまり彼らについて語ってはくれなかったがそれなりにサッカー技術は認めているようだった。その中でも一番多く名前が出てきたのが潔君だ。糸師くんにとってのライバルと言うべきか仲間と言うべきか。ともかく互いを高められる存在であることはなんとなく分かった。

『ようやく各チームの試合が終わって三次セレクションに進めることになった』

定時報告のようになりつつある通話。世界選抜との試合後からは毎日のように電話をしていて、今日もてっきり愚痴から始まるかと思いきや神妙な声色で糸師くんは話し出した。

『特別壮行試合をするんだと』

三週間後、ブルーロックの存続を掛けU-20日本代表選手と試合をすることになったらしい。その裏では金が絡んだ大人の事情が見受けられるらしいが糸師くんにとってはビッグチャンスに違いない。なんせ日本代表チームは絶対的な勝ちを掴み取る為に糸師冴を初招集することを決めたのだから。

『やっとだ』

しかし全員がフォワードであるブルーロックチームをチーム≠ニして成り立たせるためにU-20日本代表戦のレギュラーをかけたトライアウトを行うらしい。その仕組みを聞く限り糸師くんのレギュラー入りはほぼ決まっているようだが他の選手達もその座を奪いにやってくるのだろう。だからもう戦いは始まっている。

『当分は連絡出来ねぇと思う』

糸師くんの声がワントーン落ちる。自分もそれに引っ張られそうになるが、小さく呼吸をして努めて明るく応えて見せた。

「それはいいよ。糸師くんの邪魔したくないしそれに試合には出てもらいたいからさ」
『あ?試合は出るに決まってんだろ。これは決定事項だ』

かと思えばいきなり不機嫌になる。それは私も信じてるから安心してよ。
でもこの試合は中継もされるようだから本当に出てもらいたいんだよね。糸師くんが一人自主練をしている光景は見たことあるが実際に試合をしている姿は見たことがなかった。もちろんお兄さんのこともある。
彼のプレーを、サッカーにかける熱量を画面越しであっても見てみたいのだ。つまるところ私は——

「糸師凛のファンだからさ、試合楽しみにしてるね」
『ンWン?!』

ゲフンゲフンと喉の不具合を訴え出した糸師くんの体調が心配だ。しかしこちらが声を掛ける前にそれは収まる。

『ようやくルールを理解したにわか、、、がナマ言ってんじゃねぇ』

そして相変わらずのテンションでそう言った。ただいつもより辛辣だな。でもここ最近が異常だっただけでこれが彼の通常運転。

「確かにそうだけど。でもゴールが決まった瞬間はテンション上がるし」
『それなら、』

とそこで言葉を区切る。
そして続けられた言葉に頬が緩んだ。

『俺だけを見てればいい。そうすりゃゴールが決まる瞬間をいくらでも見せてやる』

はいはい分かりましたよ、エゴイストさん。

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