
なんでもない日のプレゼント
見上げるほど高いガラス扉に白を基調とした店内は温かなオレンジ色の光に包まれている。店員よりも先に客を出迎えるよう配置されたマネキンはフェミニンなワンピースとパンツドレスを着ていた。その煌びやかな景色に自然と胸は弾んだがどうにも気後れしてしまう自分がいた。だってここ、めちゃくちゃ有名なアパレルブランドじゃん。
「こんにちは、何かお手伝いすることはありますか?」
凛に扉を開けてもらったままでいるのも悪い気がして、震える脚で店内の絨毯を踏む。するとこちらに気付いた女性店員がにこやかな笑みで話しかけてくれた。しかし一瞬だけ見開かれた瞳を見て凛のことに気付いたことを悟った。しかしイチ顧客として接するあたりさすがは一流店のスタッフなのだと感心する。
「えっと……」
理解が追いつかず立ち尽くしていれば後ろから背中を支えられた。そしてその手は腰元まで下がっていき横から抱きしめるように力が込められる。凛の胸元に頭が当たった。
「食事に行くための服を贈りたい。彼女に会うもの探してもらえないか?」
「まぁそれはとっても素敵ね!ならさっそく店内を案内するわ」
私の頭上で凛と店員さんが会話をし、そして歩き出した彼女を追いかけるように凛も歩き出す。それに引っ張られるように私も前進したけれど未だに状況は理解できていない。
「ねぇ凛、食事ってどういうこと?それに服を贈るって……」
首だけを動かして凛を見上げる。そうすれば見知ったターコイズブルーに見つめ返された。
「言葉通りの意味だ。今度お前を食事に連れて行くからその時用の服を買う」
「誕生日でも何でもないのに?」
「理由がなきゃ買っちゃ悪ぃのかよ」
例え誕生日でもすごいことなのになんでもない日にプレゼントを買ってもらって食事に行くなんて委縮するに決まってる。急にどうしたというのだ。
「そうじゃなくて申し訳ないっていうか……だって私から返せるものもないし」
「は?アホかテメーは」
「は?」
何故か私が怒られたんだが?
この発言が凛なりの照れ隠しだってことくらいはギリ理解できるが意味までは汲み取れない。頼むからそろそろ御影コーポレーションは凛の言語にも対応した翻訳イヤホン作ってくれないかな。需要は今ここにある。
「だからっ……、見たいんだろスーツ姿」
「え?」
「パーティーより先にアレを着る。だからお前にも服が必要だろ」
しかしその必要はなかったらしい。イヤホンなんかなくたって凛は自分の気持ちを自分の言葉で伝えてくれた。相変わらず不器用で肝心なところは言ってくれないけれど、つまりは私のためってことだよね?
「嬉しいな。でもそういうことならドレスは持ってるよ?」
さすがにフルオーダーのスーツに並ぶような、ましてや特段お高いドレスってわけじゃないけれど仕立ては折り紙付きである。なんといっても韓国で開催された国際コンテストで優勝した我が親友が作ってくれたものなので。
「スーツ作るときお前にも付き合ってもらったろ。だからこれはその礼だ」
どことなく素直じゃないその言い方に愛おしい気持ちが込み上げてくる。それならばこの行為を受け取らない方が失礼と言うものだ。
「こちらが女性もののコーナーとなっております。好みの色やデザインなどはあるかしら?」
「ブルー系のワンピースはありますか?」
「えぇ、すぐにいくつか用意するわ」
女性は一度その場から離れ店内を歩き回ってはブルー系の服が掛かったハンガーを手に取っていた。そんな彼女の様子を見ながら私は自分がされているように凛の腰へと腕を回した。しかし到底、この鍛えられた体を抱えるほどの腕のリーチはないため精々服の裾を掴むのが精一杯と言ったところ。だけど回された腕に僅かに力が込められ、そして顔を上げれば必然的に目が合ったので私としては十分だった。
「じゃあさ、私の服は凛が選んでくれない?」
しかし人間と言うのは一つ満たされれば更なる欲が出てくるもの。だから私は己の欲に従って凛に我儘を言った。
「なんでだよ。自分が着たい服を選べばいいだろ」
「だから凛が選んでくれた服を着たいんだって。私がどっちがいいか聞くから凛がいいと思う方を教えてよ」
たださすがに男の人に女物を選ばせるのは酷すぎると思い二択形式にした。それでもハードルは高そうだけど。だから断れるのも覚悟の上だったけれど凛は思いのほかすんなりと受け入れてくれた。
「似たような色味で膝下のデザインの物はあるか?それと服に合う靴も頼む」
そして一着のワンピースを決めるのに二時間もかけるだなんて、この時の私は想像もしていなかったのだ。
◇
予定通りに仕事は上がれたというのに私は今、待ち合わせ時間に遅刻しかけている。
「あの、ここで降ろしてもらってもいいですか?」
フランスも中々に自動車大国、故に夕方のラッシュに巻き込まれ乗ったタクシーは渋滞に巻き込まれていた。
「いいのかい?キミの目的地はまだ先だよ」
「歩いた方が速そうなので。急いでいるのでお釣りはそのままもらって頂けると助かります」
お財布の中から十分な枚数の紙幣を取り出して渡す。それはおおよそ目的地までのメーター料金と同じ額だ。それを見て運転手も快くドアを開けてくれた。
「わかった。足元に気を付けて」
「ありがとうございます」
「良い一日を」
石畳の上に足を下ろしヒールを鳴らしながら先を急ぐ。タクシーの中で連絡はしたので多少の遅れは問題ないがそれでも逸る気持ちは私の脚を加速させた。
遅れそうになっているのは確かに渋滞のせいだけれど一番の原因は家を出るのがギリギリになってしまったからだ。服は先日プレゼントしてもらったワンピースを着たまでは良かったのだがメイクに時間を割き過ぎた。新しく買ったアイシャドウが思いのほか発色が良く何度かやり直し、そしてコテで髪を巻くのも久しぶりすぎて苦戦した。いつものネックレスは付けるとして、他のアクセサリーを悩んでいたらこの時間である。
『ごめん!今着いた!』
レストランが併設されたホテルへと足を踏み入れ凛にメッセージを送る。フロント前にはいくつかスツールが並べられているがそこに凛らしき人はいない。もしや先にレストランの方は行ってしまったのだろうか。
『エレベーター近くにいる』
キョロキョロと辺りを見回していたところでスマホが通知を告げる。エレベーター近くって……あ、いた。
約束通り、凛は先日購入したオーダーメイドスーツに身を包んでいた。しかも前髪まで上げているという特別仕様。その姿はもはや芸術作品レベルで彫刻にしか見えない。そりゃあ気付かないわけだ。
『どこいる?』
そして立て続けにメッセージが送られてきた。凛も辺りを見回しているがこちらに気付いていないらしい。今、目もあった気がしたんだけどな。
「凛」
転ばない速度で凛の元へと急ぐ。そして名前を呼んだところでようやくこちらを見てくれた。
ごめんお待たせ、と言えば凛はひどく驚いたようにまん丸な目をしていた。そんな幽霊でも見たみたいな顔しないでよ。
「え、どうしたの?もしかして遅れたこと結構怒ってる?」
「別に怒っちゃいねーよ」
「じゃあなんか言ってよ」
「お前だって分かんなかったんだよ、キレイすぎて」
おぉ……驚き過ぎて思わず声を失ってしまった。普段は照れ隠しばっかなのに偶にダイレクトに私のストライクゾーン射抜いてくるときあるよね。しかもそういうときほど真顔で言ってくるから冗談交じりに返せないんだよね。つまり私は今、凛のダイレクトシュートを防御力ゼロのままもろに喰らったわけで。つまりは只々赤面するしかなかったのだ。
「え……なっ…凛?!」
凛との距離が一歩縮まったかと思えばそのまま右手が背中に添えられ抱きしめられるように身を寄せられた。
えっなに?!急にハグ?!いや、確かにそんな雰囲気はあったけれどここそれなりに人目もあるよ?色々とまずいんじゃ……
「カメラ」
囁くように言われた言葉。そして凛が背後へと視線を向けたことでパパラッチのことだと理解する。建物内にも関わらずこんなところにもいるのか。
凛はそちらを睨みつけながら試合並の殺気を放っている。きっと私の留学中のときのことを気にしてくれているのだろう。確かにあの時のトラウマがないと言えば嘘になるけれど、もうあの時≠フ私ではない。
「強く映ってるといいな」
自分に自信がなくて凛の隣に立つことを怖がっていた私はいた。でも色んなことを経験して学んで、こっちで就職することもできた。そして親友の教えよろしくストレッチやヨガも継続してやってるし、またスキンケアやメイクといった外見にも気を配れるようになった。おかげで自己肯定感は爆上がりだ。そして何より今日の私は——
「昨日はいつもより高いパックして早めに寝て、髪だって自分でだけどちゃんとセットしたんだ。そのうえ凛に選んでもらった服を着ている今の私は、最強だから」
美しいことは二の次で、そうでありたいと切に思う。そりゃあこのイケメンの隣に並ぶのは八頭身で気品あふれる美女がお似合い≠ネのだろう。でもふさわしい¥乱ォはそうじゃない。
不愛想且つ表情筋が麻痺していて二言目には治安の悪い言葉しか言わず、フィールドを戦場と呼びトロフィーではなく実兄と好敵手を殺すためにサッカーをやっているこのエゴイストが凛である。こんな人間の隣に立つにふさわしい¥乱ォに必要なのは強さだ。だから私は自分の身をもって証明したい。
「お前、カッコいいな」
そして凛の言葉は何よりも大きい私への自信につながる。だから私も自信満々に答えるのだ。
「惚れ直した?」
「まず冷めたコトがねぇわ」
唐突に投げつけられた爆弾に再び一瞬にして顔が熱くなる。急いできても汗はかかなかったのに凛の一言でそれが薄っすら滲んでくることが分かる。化粧が崩れたら凛のせいだ。
「ん?」
火照った顔をぱたぱたと手で扇いでいれば腰を支えていた手が肩へと乗せられた。そして向き合うような形で体勢が変えられる。首を傾げながら見上げれば当然のようにターコイズブルーと交わった。
「いいか、お前は俺だけを見てろ」
今日はデレの出血大サービスデーらしい。こんな日はもう二度とこないかもしれない。だからこそ一言一句、脳裏に刻み込みたいところなのだけれどすでに私の脳はキャパオーバーだ。だからたった一言を振り絞るだけで精一杯だった。
「うん…!」
「ちゃんと見てろよ」
「ふふっだから分かっ…——、は」
再び腰に腕が回されたと思ったらそのまま体が浮くいきおいで引き寄せられる。自然と足元はつま先立ちになるが凛が支えてくれているため転ぶことはなかった。というか体が密着し過ぎて寧ろ苦しいくらいだ。それは息継ぎさえもできないほどに。
「若いなぁ」
「日本人はシャイじゃなかったのかしら」
「ママみて!あの二人ベーゼしてる!」
「あら素敵ね」
「おい待て、あれって……」
凛、さすがに公衆の面前でこれはまずいと思う。
でも凛を見てるって言っちゃったし、もうカメラにも取られちゃってるだろうし。そして何より今の私は最強だから、この幸福という猛毒に今日は溺れてもいいかもしれない。
「…………、りん」
「なんだ?」
周りの雑音もこちらに向けられたカメラもスマホのシャッター音も何も気にならなかった。今の私には唇が艶めいた凛の顔しか見えない。まるで世界が二人きりになったような、そんな錯覚さえ覚えてしまうほどに猛毒は全身に巡っていた。そしたらもう二人で堕ちるだけだ。
「もう一回」
高めのヒール履いてきて良かった。
「上等」
今度は私が首に腕を回して凛のことを引き寄せた。