匿名希望 (※糸師 凛)


好きとも嫌いとも思ったことはないけれど雨の日が特別だと思うようになったのはいつからだろうか。
グラウンドが使えないとき、サッカー部は筋トレに励む。階段ダッシュにうさぎ跳び、サイドステップに腕立て伏せ。しかしその全てが「ぬりぃ」と彼は言っていた。
だからそういう日は部活をサボって公共施設のジムに行ったり、部活後直ぐに屋内でサッカーができる場所へと行く。つまり普段なら絶対に被らない下校時間が雨の日だけは一緒になった。

頭上にそれぞれ傘を広げて一定の距離を保ちつつ同じ速度で歩く。
私は最近見て笑ったバラエティ番組のことや音楽のことを。彼の場合は大抵サッカー関連のことだったけれど意外にもホラー映画が好きということはある日の帰り道に教えてくれた。曰く、ゾクゾクするあの感覚が好きらしい。それならば、と背後に回って首筋から腰に掛けて一直線に指を滑らせたら「ヒッ…?!」って可愛い声出したから笑っちゃったよね。もちろんその後、ぶちギレられたけど。

今日も朝から雨が降っている。それが憂鬱だとは思わないけれど少しだけ寂しい気持ちになる。その理由はきっと雨の日の思い出が出来てしまったせいだ。

「おーよかった!まだ学校にいたか!」
「先生?」

放課後、図書室に寄った帰りに担任から声を掛けられた。昇降口へと向けていた足を止めれば職員室に来るよう言われる。もしやまた糸師くんのことについて聞かれるのだろうか。友人のみならず、何故先生まで私に聞けば糸師くんの様子が分かると思っているのか。ただ、先生の場合は私を糸師くんの保護者の一人と思っているらしい。「留年だけはしないよう面倒見てやれよ」とは親の声より聴いた懇願だった。

「お前宛に学校に届いてたぞ」

しかし私の予想は大いに外れ一枚の封書が差し出された。真っ白な封筒に、角張った特徴的な文字で学校の住所と私の名前が書かれている。何度も見たことがあるその癖は書道が嫌いと言った彼の字だった。

「えっと、これはどういう……」
「それはこっちが聞きたいよ。送り先のところには 青い監獄ブルーロック≠ネんて書いてあるけどな」

こちらの独り言に先生は丁寧に答えてくれたが私の疑問はそこではない。電話でもメッセでもいいのに何故こんなことをしているのか気になっているのだ。というか自分の名前くらい書きなよ糸師くん。

「今回は見逃すが学校を宛所にするなよ」

しかも私が怒られたし。これでも学年で上位の成績キープしてるんだから教師に目を付けられるような行いは慎んでいただきたい。凡人の自分は精々学力でしか周囲との違いを見い出せないんだからさ。





「姉ちゃんそれってラブレター?!」

大事なことが書かれていそうな手紙は家に帰ってから開けることにした。そこでリビングでまさに封を切っていた時、ソファの背後から弟がひょっこり顔を出す。思春期真っ盛りの男子中学生はこういったものにやはり興味があるらしい。

「そうそう、私にもついにモテ期が来たみたい」
「は?冗談で言っただけだけど」
「途中でボケを放置するのはやめて欲しかったかなぁ」
「で、何それ?」

弟にやんややんやと急かされつつも、特に面白いものじゃないと思うよーと宥めながら中身を取り出す。そこには一枚の手紙と、更に封筒が出てきた。

「えーっと…『U-20日本代表 VS. 青い監獄ブルーロック 十一傑イレブン戦の御招待チケット』」
「えっ?!マジで?!」

糸師くんが言ってた試合のことだ。それは既に世間的にも話題になっておりテレビ中継もなされることになっていた。だから家で見るつもりだったのだがこのチケットがあれば生で試合が見れるってこと?

「ハァ?!それめっちゃいい席!!」

弟曰く、その席はテレビ中継でカメラが映している側になるため試合も見やすいらしい。ライブで言うところのSS席のプレミアシート。おそらく招待客分のチケットしか配られていないのだろう。

「マジか……」

チケットとその概要の手紙しか入っていなかったのだが、つまりは私に来いと言っているのだろうか。確かめようにも彼は今、無我の境地へと足を踏み入れているためメッセージも送れない。色々と言葉が足りなさすぎて頭が痛くなってくる。

「つーか姉ちゃんにサッカー関連の知り合いいたのかよ!あっもしかして糸師冴の弟?!」
「あー…うん、そうそう」
「えっそれでチケット送ってくるってまさか……」
「見に来いってことなのかなぁ」
「もしかして時報電話の相手ってその人?」

弟からも時報扱いされてる糸師くん面白いな。まぁ合ってるんだけど。じゃなくて、確かに生で応援したい気持ちはあるがスポーツ観戦歴ゼロ且つ一人参戦は中々にハードルが高い。

「せっかくなら二枚は欲しかった。いや、でもこれものすごく貴重なチケットだよね」
「姉ちゃん、」
「なに?」
「コレですか?」

唐突にサムズアップをしてきた弟に、そうか尻込みせずに行ってこいと言う事かと納得しこちらも親指を立てて答えてみせる。ゴールが決まる瞬間を見せてくれるって言ってくれたわけだし。

「父さんと母さんに連絡しなきゃ!」

私の初サッカー観戦の情報は弟により瞬く間に家族に周知された。そんなに重要事項か?まぁ会場は遠いみたいだし日帰りで行けるとしても両親の許可は取っておいた方がいいよね。

「……なんか今日の夕飯豪華じゃない?」

その日は家族から散々祝われた。それほどまでにこのチケットは希少価値の高いものなのだろうか。確かにサッカーファンからしたらプレミアものだし韓流アイドルの追っかけをしている母もその価値は私以上に理解しているのだろう。でも赤飯はちょっと違くない?

「まだ家からは出ていくなよ…!」

と、父親からは念押しされたが私がブルーロックに行くわけではない。あくまでサッカー観戦だからね。でも交通費という名のお小遣いが貰えたから良しとしよう。というかお父さんめっちゃ泣くな。別に嫁に行くわけでもないんだからどうか落ち着いてくれ。





来たる当日、会場に着いたまではよかったが絶賛迷子になりつつあった。まず初めにとにかく人が多い。右を見ても左を見ても人、人、人。それもそうだ。日本代表チームがあの世界的ミッドフィルダーの糸師冴を招集したからだ。そうなると今の糸師くんの心境も心配なところではあるが、まず自分の席まで辿り着けるかが不安になってきた。

「うわっ?!」

手元のチケットとスタジアムの座席看板を見比べていたら背後から押されバランスを崩す。が、一歩のところで立て直した。「すみません!」という声は直ぐに人混みに流されていく。きっと悪気はなかったのだろう。

「えーっと席は……あれ?」

スタジアムの構造も何となく分かったのでメインスタンドへ繋がる入り口に向かおうとする。しかし私の手元には何もなかった。

「うそ?!」
「これ貴方の?」

一人焦っていれば黒髪をポニーテールにした女性に話しかけられる。彼女の手にはチケットが握られていて「落としましたよ」と教えてくれた。

「そうです!ありがとうございます…!」
「もうほんと人が多くてびっくり!さっき突き飛ばされてたみたいだけど大丈夫?」
「それは全然大丈夫です!」

親切な人に拾ってもらえて良かったと安堵していれば彼女がこちらをじっと見ていることに気が付いた。そして辺りを見回して「もしかして一人?」と質問される。素直にそうだと答えれば彼女の顔がパッと明るくなった。

「そうなんだ!実は私も一人で……さっき見えちゃったんだけどメインスタンドよね?一緒に行かない?」

そう言って彼女が見せたものは私と同じチケット。しかも列番も確認すればなんと隣同士の席だった。

「嬉しいです!実はこういう場所初めてで一人でちょっと不安だったので」
「同じ同じ!」

話を聞けばその女性は蜂楽優さんといい息子さんがブルーロックの代表として出場するのだとか。ん?となると一児の母ってこと…?えっものすごく若いよね、四十は超えてなさそうに見える。そして屈託のない笑顔から同級生の友人と話している感覚になる。

「もー!嬉しいこと言ってくれるじゃない!下の名前で呼んでくれていいからね!」
「いだっ」

景気良く肩を叩かれお言葉に甘え優さんと呼ばせてもらう事にした。
そして、ついに試合が始まる。

——KICK OFF!——

『U-20日本代表!糸師冴のゴールで先制!!』

しかしブルーロックの幸先は悪く、先に得点を決めたのは日本代表チームだった。しかもそれは糸師くんのお兄さん。そしてこの瞬間、観客の歓声がスタジアムを震撼させたことで分かってしまった。この試合の主役は糸師冴でブルーロックチームは彼を輝かせるためのヒール役なのだと。

「くぅ〜!廻も頑張ってたのに!」
「優さんまだ一点です!まだまだチャンスはあります!」

このスタジアムにいる六割……いや、九割以上は日本代表チームを応援していて、しかも糸師冴目当ての観客だ。でもブルーロックが負けるだなんて思っていない。事実、糸師冴に点を取られても糸師くんは冷静にコートだけを見つめていた。

そしてそこからの切り替えは早かった。十一番・潔選手とパスを回し一気にゴール前へ。そしてさらにドリブルで前に出てシュートを打った。先ほどの糸師冴と同じシュートコース。確か彼の利き足は右だったはず。しかし左足でボールを蹴り上げてみせた。

「「あー…!おしいっ」」

優さんとまるっきり声が重なってゴールポストに嫌われたことに落胆する。
しかしそこからブルーロックチームの立て直しも早く先ほどの倍以上はする歓声がスタジアムに響いた。

『な…凪誠士郎のスーパーゴールで…… 青い監獄ブルーロック 十一傑イレブン一対一同点!!』

周囲では「誰あの選手?」「凪って初めて聞いたわ!」「どこの高校?」などゴールを決めた選手に注目が集まっていたけれどあのゴールが決まるキッカケを作ったのは間違いなく糸師くんだった。
糸師冴が点を決めるまでのブルーロックの攻めは確かに目を見張るものがあったけれど太刀打ちできなかった。だからこそ即興アドリブ≠ニいう名のイレギュラーな動きでゴールを狙いに行った糸師くんのシュートがこのゴールの全ての始まりだった。サッカーは素人程度の知識しかないけれど見てたから分かる。ボールを持っていない時でもずっと彼のことを見てたから。でも糸師くんの場合は「ゴール意外価値無ぇんだよ」とか言って自分を褒めることはしないんだろうなぁ。

「ひぇ〜すごい!」
「糸師くん……」

そして前半残り十五分といったところでついに糸師冴と糸師くんの一on一ワンオンワン対決が始まる。それを盛り上げるかのかのように実況と観客席の声が入り交ざるがこの対決を制したのは糸師冴だった。

「もしかしてあの十番の選手がお友達?」
「はい……」
「まだこれからこれから!ほら応援しましょ!」

ブルーロックチームが繋いだボールが再び糸師くんの元へ。日本代表チームのディフェンダー、そして直ぐ近くにはフォローに入る潔選手。しかしそれらを無視し己のエゴをむき出しにした糸師くんが強烈なシュートを放ち点を決めた。これで二対一の逆転。

「〜〜っ!」
「すごいすごい!ほら点決めた!…え、大丈夫?」
「なんかすごく感動しちゃって…!」

拳を握りしめてガッツポーズをした糸師くんに目頭が熱くなる。本当にゴールが決まる瞬間が見れた。この一点が決まるまでにたくさんの駆け引きと言葉では説明できないくらいの思考があったのだろう。その全てが集約された一点だった。

「まだ泣くのは早い!それに次はウチの子が決めるんだから!」

廻ー!と息子さんの名前を叫ぶ優さんに釣られて再びコートへと視線を戻す。
前半残り五分、からのアディショナルタイム一分——ボールは糸師冴の足元へ。そこから味方へのパスを糸師くんが防いだ。ここで守りきれば前半リードで後半を迎えられる。だからこそブルーロックは守りを固めたフォーメーションだった。しかしパスカットからの跳ね返りのボールは幸か不幸か……いや、もしかしたらそれすらも予想の範疇での軌道であったかもしれない。糸師冴がダイレクトでシュートを決める。

「お、おわった…?」

しかしゴールが決められる寸前、二番・蟻生選手の長い脚がボールを防ぎそこでホイッスルが鳴り響く。一対二、 青い監獄ブルーロック 十一傑イレブンのリードにて前半戦が終了した。

prev next