思い出なんかいらん



ホテルに戻ると監督と先生から話があった。
部員達への労いの言葉に三年生への感謝の言葉。そして負けたが実りある試合だったと称賛した。でも私はその半分も頭に入ってこなくて、監督の言葉は右から左に流れていった。

夕食を取り部屋にまた戻ってきてもどこかぼうっとしてしまう。このまま一人でいても気が滅入りそうだったので外に出てみることにした。無断外出は良くない気もしたがまだそこまで遅くないので近場の散策くらいなら許されるだろう。

一月のひんやりした空気が頬を撫でる。火照った体にはこれくらいがちょうどいい。
大通りに沿って当てもなく歩いていく。周囲は同じようなホテルが立ち並んでおり、時折すれ違う人の中には春高の出場校と思われる人たちもいた。

目の前の信号が赤になったので立ち止まる。この先は繁華街なのでさすがに行くべきではないだろう。

踵を返しホテルへと戻る。
二十分ほど歩いてみたが気持ちが晴れることはなかった。まだ部屋に帰る気にはならなかったのでホテルの近くにあった外のベンチに腰掛けた。

ふと空を見上げると高い建物の隙間から星が見えた。それに特別な感想を浮かべるまでもなく只々見上げていた。

「何やっとん?」
「そないなとこ居ったら風邪ひくで?」
「うわぁっ!?」

視界が同じ顔の二人に遮られる。思わず後ろに仰け反りベンチから落ちそうになれば二人分の腕で支えられた。

「びっくりしました…」
「大丈夫か?」
「そこまで驚くとは思わへんかったわ。堪忍な」

そう言った治先輩と侑先輩の手にはビニール袋が握られていた。どうやらコンビニに行っていたらしい。夕食後にまだ食べるのだろうか。そして治先輩の方が若干大きい気がする。

「いえ、私がぼうっとしていただけなので…」
「女の子が一人で居ったら危ないで」

治先輩の言葉に頷きつつも私はどうにも立ち上がる気にはなれなかった。そして先輩方の顔を見る勇気もなかった。
その場に気まずい空気が流れる。それは黙り込んでしまった私のせいである。これ以上はさすがに迷惑が掛かる、そろそろ行かないと。

「すみませんでした。戻りま———」
「どないしたん?」

顔を上げると侑先輩が私の目の前でしゃがみこんでいた。そうして下から顔を覗き込まれる。
先輩と目が合ってしまえば、ぼろっと涙が零れるのが自分でも分かった。今まで抑え込んでいたものが一気に溢れ出してしまったのだ。

「えっ!?ほんまにどないしたん!?」
「あーあツムが泣かせたー」
「違うんです、すみま、せ…んっ」

焦った侑先輩が親指で涙を拭ってくれたが後からどんどん溢れ出てくる涙にそれは追い付かなかった。治先輩はというと私の隣に腰掛け頭を撫でてくれた。一気に子供に戻ってしまったような感じだ。

「ごめ"んッなさ、い……っずみませ、ん」
「謝るのやめえや。それマネージャーの悪い癖やで」
「怒っとらんよ。ほれなんでも俺らに話してみ?」
「うぅ……」

しばらくしゃくり上げていた私にも、先輩方は文句の一つも言わずずっとそばにいてくれた。その行為に申し訳なく思い、また涙が溢れそうになったが何とか自分で自分を落ち着かせようと試みる。

ようやく話せるくらいまでに落ち着いたので膝の上に置いた自分の拳を見ながら口を開いた。

「負けちゃったんだなぁって思いまして……」

二人は黙り込む。でも治先輩の大きな手は変わらずに私の頭を優しく撫でていた。

「負けたな」
「負けたなぁ」

治先輩と侑先輩の声が重なる。
今回は相手が悪かったのだと監督も言っていた。確かにそうだったと思う。いつも先輩たちの調子がいいとき、たいてい相手の選手たちは置いていかれる。でも今回は違ったのだ。飛雄も日向君も同じくらいノッていて、それが先輩達よりも上手だった。全力は出し切った。反省すべき点はあれど後悔が残る試合ではなかった。

でも私は悔しかった。
インターハイ二位。先輩達はすでにその結果を消化していたけれどそれはその分たくさん練習をしてきたということなのだ。私はそれを間近でずっと見てきた。そして誰よりも応援してきたつもりだ。試合に出ていない私が泣く権利などない。頭では負けたことも十分に理解できている。でもどうしたってその結果を消化まではできなくて、それが涙となって溢れ出てしまったのだ。

「私が、泣くことじゃ、ないッのに…」

またも嗚咽交じりになってしまった私の背には侑先輩の手が回された。気付けば治先輩の反対側のスペースには侑先輩が座っている。両側に先輩方が座ったことにより私の周りの温度が一度くらい上昇したかのようにぽかぽかと暖かくなった。

「我慢することじゃあらへんやろ」
「せやで。ちゅうかマネージャーがそこまで悔しがってくれとるとは思わへんかったわ」
「俺もやわ。試合後もすんっとしとったもんな」
「あとほんまは飛雄くんの方を応援しとると思ったで。試合前に親しげに話しとったからな」
「そんなわけないじゃないですか!!」

侑先輩の言葉に自分の中の何かがプツリと切れた。そして治先輩にも腹が立ってしまった

「飛雄は確かに大切な幼馴染ですが私は稲荷崎のマネージャーです!先輩方に勝ってほしかったに決まってるじゃないですか!というか絶対に勝つと思ってたんですから!」

うぅ、と再び顔を伏せてしまった私に先輩方は先ほどよりも慌てた様子であった。現に二人の手が痛いくらいに私の頭と背を擦った。

「ほんますまへんかったわ!俺らマネージャーの気持ちに何も気付い取らんかった」
「試合中もアドバイスしてくれたやんな。ほんまにすまへん!」

先輩方の全力の謝罪に些か申し訳なくなり目元に残った涙を袖で拭う。鏡を見なくても目が真っ赤に腫れていることは分かった。あとで冷やさないと明日にまで引きずりそうだ。

「取り乱してすみませんでした。烏野高校には負けましたが私の中での最強は稲荷崎先輩方です。それは今も昔も変わりません。そして今日の負けは絶対に明日への布石になるんです。私はこれからも稲荷崎の勝利を一番近くで見る人間になりたいです」

随分と偉そうなことを言ってしまった。
でも私はたかが、、、マネージャーではない。私だって稲荷崎男子バレーボール部の部員なのだ。
それをいろんな人から教えてもらったから、ようやく私は自分の気持ちを声に出すことが出来た。

「「マネージャー」」

左右に座っていた先輩方は立ち上がり私の目の前に立った。二人の瞳には目を真っ赤に腫らした私の顔が映る。

「次は最終日にセンターコートまで連れてったるで」
「そんで一番眩しい色のメダル取ってきたるわ」

治先輩と侑先輩の言葉に、一度は止まったはずの涙がまた溢れてくる。
声を出したら嗚咽が漏れそうだったから、首を縦に何度も振った。

「そろそろ戻るで」
「体冷えたやろ?手えかし」

左右から伸ばされた二人の手を、今日は自分から掴みに行った。

先輩方の手は大きくて温かくて、そしてバレーボールをしている人の手だった。


「私もこれから頑張りますね」
「「頼んだでマネージャー」」


二人揃って言われた言葉に、私はその手を強く握り返した。


稲荷崎高校
春の高校バレー全国大会 二回戦敗退


 



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