決戦準備



インターハイ兵庫県予選———
一日目、二日目、最終日と順当に勝ち進み、稲荷崎は今年も全国大会への切符を手に入れた。

マネージャーとしてベンチに座るというのは初めての経験で、自分が試合に出ないからこそ今までとは違った緊張感があった。
それと同時に、何処となくもどかしさのようなものを感じてしまった。でもそれを脳内から拭い去るように私はマネージャーの仕事に徹した。

稲荷崎の場合は特にブラスバンドを含む観客席から応援してくれる人が多いから、その人達を誘導したりするのも仕事の一つだった。そのため試合時間の合間も、コートと応援席を行き来したりと慌しく過ごしていた。

そして怒涛の三日間が過ぎ、表彰式を終える頃には試合に勝ったというよりも無事に終わったという安心感の方が上回ってしまった。

学校に戻りミーティング後、解散の号令が掛けられる。監督からの指示もあったがさすがに今日は居残り練習をする人はいなかった。



私は辺りを見渡して、誰もいないことを確認すると倉庫から一つボールを取り出した。
それを真上に放ってトスを始める。
ボールを上げる度に指先にヒリヒリとした感触が残る。バレーボールから離れた半年間に指の皮は薄くなり、筋肉量も落ちたことを実感した。
それが妙に悔しく感じて無心でトス練を続けた。

「もう帰る時間やで」
「うわぁ!?」

誰もいないはずの体育館に声が響き、オバケかと驚いて大きな声が出てしまった。
空中へ放られたボールはそのまま床へと落下し、コロコロと先輩の足元まで転がっていく。

「誰や思うたらマネージャーかいな」
「北先輩…すみません………」

駆け足で先輩の元へ向かい謝れば「居残り練、今日は禁止やろ」と言われてしまった。自分でも分かっていた手前、言い訳も出来ずもう一度すみませんと謝った。

「なんかあったん?」

北先輩はボールを拾い上げ、私の顔色を伺った。
先程とは打って変わり、やんわりと話した先輩の表情からは心配の色が伺えた。

「バレーしたいなって思ったんです」

インターハイ予選の決勝は先日練習試合をした学校とだった。
練習の時だって決して手を抜いていたわけではないだろう。しかし、今日の試合はそれを上回るほどの迫力があった。
私はそれを見て感化されたのだ。
もうバレーボールには関わりたくないとまで思っていたのに"もし自分がこの試合に出ていたら…"と想像してしまうほど今日の試合を見入った。

そしてまたバレーをやりたいと、ほんの少しだけ思ったのだ。
 
「しゃあないな、少しだけ付き合うたる」
「え?」
「ほれ、いくで」

北先輩は少し距離を取り、私に向かってボールを放った。それを上げ返せば先輩がまた私に返してくれる。
久しぶりのパスが繋がる感覚。返ってくるボールが少し重くて、それが心地いい。私の手の大きさではボールを包み込むことはできないけれど、一瞬だけピタッと収まるような感触が好き。

「怪我してバレーやめたんやろ?あんま無理せんようにな」

ひたすらにボールを繋いでいれば、北先輩はポツリと言った。そういえば先輩にはちゃんと説明をしていなかった。
視線はボールに向けたまま、やや躊躇いがちに口を開き侑先輩たちに言ったことと同じ話しをした。

「そうやったんか」
「はい。隠していたみたいですみません…」
「気にせんといて」

北先輩は黙って最後まで私の話を聞いてくれた。
一定の間隔で続いていたボールを受け止める。バレーにしろ話にしろ、随分と長く先輩を拘束してしまった。

「付き合わせてしまい、すみませんでした。もう満足です」

二人だけの体育館に静寂が訪れる。いつもは活気に溢れているのに今は怖いくらいに静かだ。
私が改めてお礼を言えば、北先輩はその空間をぐるりと見回した。

「うちのスローガン分かるか?」

問いかけというにはあまりに静かで、どこか自問自答しているかのような話し方だった。
首を傾げつつもこの三日間、毎日目に入れた横断幕の文字を思い出す。

「"思い出なんかいらん"ですよね」
「せや。俺はあのスローガンあんま好きとうない。道は前ばかりに延びとるわけやあらへんし」

私からは北先輩の後姿しか見えず表情は分からない。でも、ネットも張られていないコートを見ていることは分かった。

「でもな、過去に囚われすぎてもあかんねん。思い出は未来を邪魔するもんとはちゃうしな」

北先輩が一瞬私を見たことには気付いた。でも、先輩が言っていることが的を射ていて私は顔を上げることができなかった。

先輩は私の手から体育館の鍵を受け取った。「もう暗いから早よ帰り」という言葉に、お礼を言って体育館を後にする。
もう日が随分とのびたというにも関わらず、外は暗く、星がまばらに空に散っていた。

「うちの部員は前だけを見とる。俺は君もその部員の一人だと思っとるよ」

そう言った北先輩の言葉を背中で受け止めた。
振り返り、先輩の顔は見ずに一礼をして暗い廊下を歩き出す。

ここが私の居場所なんだと——
そう言ってもらえた気がして少しだけ涙が出そうになった。





夏休みに入り、全国大会まで残り数日———

今日は視聴覚室に集まり、大見先生が入手した各出場校の試合を見ることになった。
男子バレーの強豪校はあまり知らなかったけれど、私も今日までに色々と情報収集はしてきている。

やはり注目するチームと言えば九州の狢坂高校、関東の井闥山学園、そして東北の白鳥沢学園高校だ。そこには全国で三本の指に入るスパイカーと謳われる選手たちがいる
その高校の予選決勝戦の試合を順を追って見ていく。

狢坂の桐生八といえば中学時代に最優秀選手に選ばれたこともある超一流スパイカーだ。“悪球打ちの桐生”なんてかっこいい肩書に恥じず、どんなに打ち辛いボールにも威力を落とさずに打ち切ることができる。それは一重に強靭な下半身のおかげであろう。さすがはフィジカルトレーニングに重きをおく狢坂高校ゆえのハイレベルな基礎体力の賜物だ。

昨年全国優勝を果たした井闥山学園。そこにいるのは佐久早聖臣。パワーは他の選手と比べ少し見劣りするものの、コースの打ち分けや回転をかけたスパイクが厄介だ。おそらくそれは彼の手首の柔らかさ故の武器なのだろう。スロー再生でスパイクの瞬間を見たが、手首の動きは鞭のようにしなやかだった。
そしてもう一人、井闥山には高校ナンバーワンリベロと言われる古森元也さんがいる。月バリで名前と活躍は知っているので是非とも生の試合を拝みたい。

そして白鳥沢学園高校の牛島若利。同じく宮城県出身ということもあり、私も彼のことは知っている。地元ではバレーに詳しくない人でも“ウシワカ”と言えば誰を指すのか分かるほどの有名人であった。
一度、幼馴染とともに彼の試合を見に行ったことがある。サウスポーという生まれながらの武器を差し引いたとしても彼は強い。パワーもスパイクも、コースの打ち分け技術も高く“王道”でありながら隙がないプレースタイルは見ていて引き込まれた。幼馴染も「あの人にトスを上げてみたい」と言っていた。



「あっ及川先輩だ」

宮城県大会予選決勝戦、白鳥沢高校の対戦相手は青葉城西であった。青城といえば宮城では白鳥沢と並ぶ強豪校だ。そして今まさに見ている録画映像には自分と同じ中学であった及川先輩の姿があった。

当時、幼馴染伝手に及川先輩が青城に行ったと聞かされた時は驚いた。
及川先輩は上手い。人より秀でた才能やセンスがある、というよりはカリスマ性がある人だった。先輩がいるとチームが華やぐ。それは見た目だけの話ではなく、仲間のことを誰よりも良く知りその人の才能を開花させトスを上げられるから。皆、それを当たり前のように打つけれど“当たり前”だと思わせる及川先輩はすごい。
侑先輩とは少し違うけれど、及川先輩もまたスパイカーに大きな敬意を払っている。

そんな人だからどこへいっても活躍できるだろうと思ってはいたが、白鳥沢へ行かなかったのは私からしてみたら大いに疑問であった。牛島さんと同じ世代、同じユニフォームを着た二人を見たいと思ったのはきっと私だけではなかったはずだ。

「どした?知り合いでもいたん?」

私の声が聞こえていたらしい。後ろに座っていた侑先輩が上半身を机にくっつけて私に尋ねてきた。

「青城のセッターの人、中学の時の先輩なんです。ベストセッター賞も取った上手い人なんですよ」
「ふぅん…まぁ俺の方が上手いけどな」
「顔はツムよりええんとちゃう?」
「あ?それゆうならサムも同列やからな」

宮兄弟が何やら騒がしくなってしまったが、視線を再び前へと戻す。
映像には試合の様子だけではなく、時折画面の端に控えの選手も写った。
白鳥沢の方に知り合いはいなかったが、青城には及川先輩のほかに岩泉先輩、それに金田一君と国見君がいた。二人は私と同級生で、確かに中学時代も上手かったけれど高校ではさらに強くなっていた。青城は決勝で敗れていたため全国で会えないのが悔やまれる。

「牛島のスパイクは威力が強い上に打ち分けも上手い。加えてサウスポーちゅう三段構えや。でも基本、牛島はレシーブには参加せえへん。そこからの切り崩しを考えてこ」

黒須監督の言葉に耳を傾け、対ウシワカの作戦を皆で練る。
しかし、どうにも気になったのは白鳥沢にも青城にもいなかった幼馴染の姿だった。


 



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