頼み事



誰かが夏の思い出に花火をしようと言った。

全国大会後も部活に励み、そういえばバレー以外に何もやっていないという話になったのだ。
地元の夏祭りもちょうど大会期間と被り行けておらず、それなら河原で手持ち花火をやろうということで皆が集まった。

集まったのは主に一、二年生。
三年生は受験勉強もあるため断っていた。現に三年生の中には夏で引退する人も何人かいて世代交代を感じた。でも、北先輩、大耳先輩、赤木先輩達は春高まで残るようなので、まだあまり寂しさというものは感じない。

日も暮れて、近くのホームセンターで花火を買い河原に集まった。
周りには「女の子なんだから…」と気を遣ってもらったがどうにも働き癖がついてしまった私はじっとしていられない。だから部活でもないのにバケツに水を汲んだり、花火を配ったりと忙しなく動いていた。今となってはこういう仕事も嫌いじゃなくて、寧ろ自分の役目だと思える。

手持ち花火は黄色、緑、赤と様々な火花を散らす。久しぶりにやった花火は楽しくて、でも少しだけ疲れて石階段の所へ腰掛けた。

兵庫は以前住んでいたところよりもビルが多くて都会だと思ったけれど、日が暮れた河原の景色は地元を思い出す。
見上げれば星も見えた。一際大きな星があるのだが、あれは何て名前だっただろうか。

「ヒッ!?」
「驚きすぎやで」

ピタ—と首元に何かが触れ思わず叫ぶ。
隠すように手で首元を摩るとひんやりと冷たくなっていた。
見上げればすぐ後ろには治先輩がいて、「ほい」と私の首を冷やしたであろうペットボトルが投げられた。

「どうしたんですか、これ?」
「飲みたなって買ってきた。マネージャーにも」
「お金払います」
「律儀やな。先輩からのおごりや気にするな」
「ではお言葉に甘えて…ありがとうございます」
「その代わり、ちょっと話聞いてくれ」
「?……はい」

治先輩が私の隣に腰を下ろす。
先輩がペットボトルを開けたので私もそれに習って蓋を外し一口飲む。レモンベースの酸味と微炭酸、後味がほんのり甘くて飲みやすい。そう話せば先輩は嬉しそうに、最近のお気に入りだと教えてくれた。

少し高いこの位置からは周りの様子がよく見える。部員達は手持ち花火には飽きたのか、吹き出し花火へと火をつけていた。地面に立てたそれの噴き上げる火花は色が変わって綺麗だ。

「まだな侑にも話とらんねんけどな、」

私から話すように促すのも野暮なのでしばらくみんなの様子を見ていれば治先輩は静かに口を開いた。
深刻な話のような気がするが、私でいいのだろうか。相談役にまでなれるか分からないが、声をかけてもらった以上できる限りのことはしたい。

「俺、高校でバレーボール辞めようと思っとんねん」

驚いた。
ずっと侑先輩と一緒に続けてきたバレーボール。治先輩は実力もあるし、試合の時なんかは楽しそうだなと思う。
私のように逃げて辞めるわけではない。明確な意思を持っての発言は、きっと先輩の中で悩んで出した答えでもあるのだろう。

「理由を聞いてもいいですか?」

治先輩は蓋が開いたままのボトルに再び口をつけた。先輩の視線の先には部員達の姿がある。次はねずみ花火でも始めたのか、ワーギャー騒ぐ声が聞こえた。その声すら夏の夜には心地いい。

「俺食うのが好きなんや。せやから飲食関係の仕事ずっとやりたい思うてた。将来的には店も持ちたいし、そうなるとバレー続けたままはあかんかなって」

二年生後期ともなれば進路も決めなければならない時期である。しかし、こうも先まで考えているとは思わなかった。私の脳内では精々進学か就職かの二択だというのに、治先輩は先の先まで見通していた。

「確かに、楽な道ではないと思います」
「せやろ?高校卒業が一つの区切りになると思うねん」

もらった飲料水に口をつける。シュワッとした微炭酸が生温かくなった食道を流れ落ちる。
遠くでは侑先輩が花火に追いかけられていて、こちらからではタップダンスを踊っているようにさえ見えた。こんなところでも運動神経の良さを発揮できるのはすごいと思う。

「私はたかが後輩ではありますが、治先輩が決めたことなら応援しますよ」

侑先輩の叫び声を聞きながら、私は治先輩に力強く頷いた。先輩が別の道に歩き出そうとするのであれば私は背中を押したい。期待されること、応援されることは時にプレッシャーにもなり得るが治先輩に関していえばそんな野暮な心配は無用であろう。

「おおきに。自分にそう言ってもらえると嬉しいわ」

治先輩の大きな手で頭をわしゃわしゃ撫でられる。私は犬じゃないんだけど……でも意外にもそれが心地よくて黙って受け入れた。
ようやく先輩の手が離れ、ぼさぼさになった髪を手櫛で整える。隣にいる先輩を見上げると、その視線は侑先輩へと向けられていた。

「でもツムは怒るやろうな。あいつ俺もずっとバレー続けると思うとるし」    

治先輩は大きな目をさらに見開いて少しだけ笑った。そして侑先輩の姿を見て小さく溜息を吐く。
先輩の言う通りの未来が私の中でも想像できた。きっと侑先輩はすごく怒って、そしてものすごくへこむのであろう。もしかしたら裏切られたとでも思うかもしれない。

「そうですね。でもお二人とも双子であっても別の人間じゃないですか。同じ道をずっと歩く必要はないんですよ」

二人の間には信頼関係なんて綺麗な言葉よりも、もっと複雑で絡み合って解けないくらいぐちゃぐちゃに編み込まれた関係があるのだ。その関係はちょっとのキッカケでどうにかなるほど単純なものではない。
そんなことは私よりも彼等が一番分かっているであろう。

「マネージャー、ひとつ頼みがあんねん」

治先輩とぴったりと目が合って真剣な顔をされた。
つい出しゃばってしまったが私はそんな大層なことができる人間ではない。けれど頼られるのは悪くない、と最近の私は少しだけ自信家になっていた。

「私に出来ることなら」
「俺がバレー辞める言うて、そんでツムがめちゃくちゃにキレて俺らが喧嘩したらあいつのこと慰めてやってくれへん?」

治先輩は先を考えられる人だと思う。そして自分よりも片割れを気遣う。
侑先輩がショックを受けるのは勿論だけど、その時に治先輩が何も思わないわけがない。
約束はするけれど、その時私は治先輩にも声を掛けたいと思う。

「任せてください。でも私は治先輩も一人にしませんよ」
「なんやそれ」
「治先輩の夢を侑先輩よりも先に聞かせてもらいました。だから私は治先輩の夢を応援する権利があります。だから侑先輩がすごく怒ったとしても私は治先輩の味方でいますから」

治先輩はぽかんと口を開けて聞いていた。
しまった、調子に乗って色々と喋りすぎてしまった。

「すみません、たかが後輩がでしゃばりまし——えっ」
「マネージャー、そういうとこやで」

またもわしゃわしゃと頭を撫でられる。でも先程よりも先輩の手が重くて、視線が下に下がった。足元のスニーカーしか見えない。

「どういうとこですか?」
「分からんでええ」
「気になります」
「教えん。あと、"たかが"とか言わんといて。マネージャーは俺らの大切な後輩や」

手が離れ、ようやく頭が上げられた。
治先輩は笑っていた。だから私も笑った。

「マネージャー、サム!お前らこんなとこ居ったんか!」

走ってこちらまでやって来た侑先輩は、私達のことを不思議そうに見ていた。
似ているけど似ていないこの双子の先輩を、私はこれからも見ていたいなと思った。
手が掛かって面倒くさくて、一日一回は何かしらの喧嘩をする。でも自分の決めた道を臆することなく歩き出すことが出来る強さを持っている人達。その背中は憧れる。

「もうそろそろ撤収の時間ですか?」
「せや。最後にみんなで線香花火やろ言うとる。で、サムはマネージャー独り占めしてなに笑っとんのや」
「ツムには秘密ですー。な、マネージャー」
「そうですね」
「急に生意気になりよったな!」

次は侑先輩の手により髪が搔き乱された。なんで二人とも同じようなことをしたがるのだろうか。私は犬じゃないんだってば。

「ひ、ひどい……」
「先輩に隠し事した罰や。ほれ、はよ行くで」

侑先輩に手を引かれ、立ち上がる。
そして同じく立ち上がった治先輩にはもう片方の手を握られた。なんだ、この状況は。

「お手て繋いで帰りましょー」
「みんなで仲良く帰りましょー」
「それ何の歌ですか?」
「小っちゃな頃、下校するとき歌わんかった?」
「私のところではなかったですね。あと、腕を大きく振るのやめてもらえませんか…?お二人の身長だとっ——うわぁ!」
「なんや自分捕獲された宇宙人みたいやな」
「侑先輩!?」

二人の間で宙ぶらりんになりながら皆のところまで連れていかれた。



怒涛のように過ぎたかと思えた夏も、振り返れば一冊の文庫本が書けてしまうような濃い夏だったように思える。

少しだけ先を歩く侑先輩と治先輩の背中が目に映る。
そしてお二人の手にはそれぞれ私の手が繋がれている。

私は置いていかれないように手を握り返して、地面を踏む足に力を込めた。
その一週間後、侑先輩がユース代表合宿に選ばれたとの連絡があった。


 




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