私の幼馴染



私には幼馴染がいる。

言葉足らずの仏頂面で目つきも悪い。
でも、何よりもバレーボールを愛している男の子だ。



母親が産後太りから未だに戻らないのだと、二十数年ぶりにバレーボールをやると言い出した。
父親はもちろん仕事で、近場に親戚の家もなかったものだから当時四歳であった私もそこへと連れて行かれた。

"北川☆バード"という九人制のママさんバレーボールチーム。
一つのボールを高く上げてそれを落とさないよう繋いでいく。そして相手の陣地にボールが落ちると母は真剣だった表情を緩め屈託なく笑うのだ。その横顔を、幼子ながらもキラキラしているなと思ったのは今もよく覚えている。

「あ、ごめん!」

体育館の端っこで母親の姿を見ていると背中に何かがぶつかった。それは目の前で宙を舞うボールと同じもので、私にぶつけてしまった男の子が慌ててやって来た。

「大丈夫だよ。はい、ボール」
「ありがと」

転がっていたボールを手渡すとその子は私から少し離れたところで壁と向き合った。そして壁に向かって両手でボール打ち付ける。しかし二、三回続いたと思ったらまたボールがあらぬ方向へと転がっていった。

きっと皆がやっていることをこの子もしたいのだろう。私だって座って見ているより母親達のようにボールを高く上げてみたい。
直感的に面白そうだなと思った。

「ねぇ、私にも教えて」

それが幼馴染である影山飛雄との出会いだった。



飛雄のご両親は共働きで、祖父がママさんバレーのコーチだったことからここへ来ていたらしい。
飛雄は色んなことを知っていて、私にバレーボールの事を教えてくれた。
トスやサーブ、スパイクにブロックと何でも知っていたけれど、いかんせん説明に関しては擬音語が多すぎて理解できないことも多々あった。でもその度に彼はそれを目の前で見せてくれて「こうやるんだ!」と根気よく私に教えてくれた。

「俺、セッターになろうと思う」

いつものように二人で練習をしていると飛雄は私にそう宣言した。
理由を聞くと一番ボールに触れられるからなんだって。飛雄らしいね、と言って私は笑った。

「どのポジションやりたい?」

そう聞かれて私は迷った。バレーは好きだけど、あまりスパイクとかは好きではなかった。元より内向的な性格で試合中に狙われたりとかは極力避けたいしブロックと対面するのは怖い。

「じゃあリベロだ!」
「リベロ?」
「一番最初にボールをあげるポジションだよ。反射神経もいいし、きっと向いてるよ!」
「そっかぁ。じゃあやってみようかな」

飛雄の一言で私はバレーボールに本格的に打ち込むようになった。

当時は男女関係なく一緒のチームでプレーをすることがほとんどだった。練習でも飛雄のレシーブを上げられるのは私だけだった。
試合では私がボールを上げて飛雄がそれをセットする。スパイカーが変わったとしても私から飛雄までの一連の流れは変わらなくて、所属するリトルファルコンズのチーム名から"ハヤブサコンビ"なんて呼ばれてた。

「男子バレー部どうだった?」
「すっげぇ上手い人がいた」

私達は同じ公立中学である北川第一へと進学した。
今日は仮入部初日で、飛雄にしては珍しく早口で少し興奮気味に話していた。

中学になれば今までよりもたくさん試合に出られる。自分よりも上手い人も強い人もきっといる。
「これから楽しみだね」と言って飛雄と一緒に茜色に染まった道を歩いた。



中学一年の冬、飛雄の祖父が亡くなった。
飛雄が中学に上がる頃には既に入院をしており、その後は入退院を繰り返していた。最期は家で、家族全員で看取ったそうだ。

「飛雄、大丈夫?」

母親と一緒に来たお葬式、その合間を抜け出して裏庭にいた飛雄に声をかけた。
その時の彼は泣いてなくて、でも目は真っ赤になって腫れていた。昨晩のうちに涙が枯れるまで泣いたのだろう。

私は飛雄に掛ける言葉の続きが見つからなくて、ただじっと彼の隣にいた。
そうしたら飛雄が「バレーボール選手になる」と日が落ちた空を見上げて言った。今思えばそれは私にではなく祖父へ向けて言ったのだと思う。

「俺はもっともっと強くなる。強くなれば絶っっっ対にもっと強い誰かが現れる。そいつらにだって勝ってみせる」

呪文の様に唱えた飛雄。
その横顔は、私の知らない彼だった。

その日を境に飛雄はより一層練習に打ち込むようになった。
そして二年になると今までセッターであった及川先輩が卒業し、飛雄が正式なセッターに選ばれた。

「飛雄!私もレギュラーになれたよ!」
「マジか!おめでとう」

私もユニフォームをもらったと報告すれば、切れ長の目を見開いて一緒に喜んでくれた。

「中総体、絶対全国行こうね!」
「バーカ。全国に行くんじゃなくて全国優勝だ」

私達は夢を見た。未来を思い描いた。

その年、女子バレー部の全国行きは果たせなかったが私はベストリベロ賞を貰った。
男子はというと全国行きの切符を手に入れ、全国ベスト16という成績を残した。

「来年は絶対全国行って優勝する!」
「来年はベストセッター賞取って全国優勝だ!」

そう誓いあった。
三年生が引退し部活は私達が主体の代となった。
その時からか、飛雄の嫌な話をよく聞くようになった。

「マジ付き合ってらんねーわ」
「独裁政治って感じ?周り見えてねぇよな」
「しょうがないでしょ。なんせ"コート上の王様"なんだから」

ある日の部活終わり、飛雄のことが心配になり居残り練をやめて男バレの体育館に向かった。そこに辿り着けば飛雄は広い体育館でただ一人ひたすらサーブ練習をしていた。

他の部員と上手くいってないことは知っている。飛雄を責めるつもりはなかったけれど、私はもう少し皆のことも考えたら?と言った。

「俺は何も間違ってない!その時、最善の攻撃ができるようトスを上げている!」
「………飛雄は、バレーやってて楽しい?」
「だからやってるんだろ」

私にはとてもそうには見えなかった。

そして中学最後の大会。県大会決勝戦で飛雄の上げたトスはチームメイト全員に無視され、ボールはそのまま地面に落ちた。そしてベンチへと下げられ彼がコートに戻る事はなかった。

私はその年二度目のベストリベロ賞を取り、全国の舞台へと行くことが出来た。
そして全国大会二日目、三セット目序盤でアキレス腱を切り戦線離脱を余儀なくされた。
全国ベスト16——私はチームのみんなに申し訳なくて泣いて謝った。でも誰一人として私を責める子はいなかった。

バレーは六人でやるスポーツだ。
仲間の信頼の上に成り立つ球技。
しかし裏を返せば一人の失態で負ける競技なのだ。



「足、大丈夫か?」

宮城の病院で入院することが決まると一番に飛雄がお見舞いに来てくれた。そして病院内の売店で買ったであろう小さな花束を私にくれた。

「うん。来週には退院できるみたい」
「そっか。……バレーはできるのか?」
「リハビリ次第だって。でも何とかなりそう」
「よかったな」

飛雄が立ったままいたので近くにある椅子を勧めた。大きなスポーツバックを床に置き椅子に座る。もう部活は引退したけれど彼の場合はこの後市民体育館の方へ行くのだろう。私の知る限り、飛雄が練習をしなかった日はない。

「俺は白鳥沢に行こうと思ってる」

白鳥沢高校といえばバレーの強豪校として有名だ。最近では牛島若利の活躍目覚ましく、彼は日本三大エースとの呼び声も高い。

「勉強は大丈夫なの?」
「う"っ……お、俺はバレー推薦で行くんだ!!」

飛雄は勉強がからっきしできない。バレーに割く時間をもう少し勉強にも当ててほしいところではあるが、それすらできないほどに彼はバレー馬鹿である。もちろん悪口を言っているわけではない。

「お前はどうすんだ?やっぱ新山女子か?」

話しの切り替えとばかりに飛雄は改めて私を見た。
女子バレーの強豪校といえば新山女子。これは宮城県のみならず全国的にも有名である。推薦の話も来ていたがこの足でどうなることか……
私は曖昧に笑ってその場を濁した。



リハビリは続くものの、再び学校にも通うようになり日常を取り戻しつつあった。 

そして明日から冬休みという頃、学校の下駄箱で飛雄に声を掛けられた。幼少期に親に連れられて行った体育館、今日は自由に使っていいとのことで私を誘ってくれたのだ。
あの日以来バレーボールには触れていない。受験勉強の合間にはちょうどいいと思い二つ返事で着いていった。

学校の体育館よりも一回りほど小さな場所。子供の頃は随分広く見えたのに久しぶりに来たら意外にも狭い場所だったのだと驚いた。
お互いにストレッチをしてから、向き合ってパス練を始めた。指先にボールの触れる感覚を取り戻しながら丁寧に上げていく。淡々とした練習なのに、その時の飛雄はどこか楽しそうだった。

「レシーブ練するか?」
「えっ!?今の飛雄のサーブ取ったら私の腕はもげると思う…」
「バーカ!本気で打つわけねぇだろ!これもリハーサルの一つだ!」
「リハーサル……あぁ、リハビリね」

彼なりの不器用な優しさに甘え、お願いすることにした。
ネットを挟んでそれぞれの場所に立つ。
ネットの高さに白線の位置、全てが懐かしいとも思うし馴染みの光景とも思う。しかし、何故だかその瞬間足首がピリッと痺れたような気がした。

「行くぞ」
「お願いします」

腰を落とし、身構える。
手加減して放たれた飛雄のサーブ。場所も私が取りやすいよう、一歩前に落ちるように計算してくれたのだろう。今までだったら難なく取れたそれを、私は触れる事すらできなかった。

「悪りぃ前すぎたか?」
「そんなことないよ。もう一本お願い」

しかし何度やってもタイミングが合わない。いや、私の足が動かなかったのだ。
もう完治している。激しい運動は無理でも歩いたり階段を登ることはできる。しかし目の前のボールを拾おうと身構えると途端と足がくっ付いたように動かない。

怖い、と思った。

「もう一本いくぞ」
「ごめん、もう無理」

籠の中から新しいボールを手に取った飛雄に、そう告げた。
私の声が彼の元まで届いたのかは分からなかったが駆け足でこちら側まで来てくれた。そして眉根を寄せて心配そうに顔を覗かれる。

「どうした?足痛むのか?」
「私、もうバレーできない。……怖い」

バレーボールは楽しいものだ。
でもこれ以上続けたら、私の今までの楽しかった思い出は真っ黒なものに塗り潰されるだろう。
確かに、今までに苦しい事や辛い事もあった。それでもバレーを辞めなかったのはその楽しさを知っていたからだ。

今思い出すのは、腱が切れた時の破裂音と悔しそうなみんなの顔。
その光景しか浮かばない。

「バレー辞めんのかよ?」

不機嫌そうな声が頭上から落ちてくる。飛雄との背丈も気が付けば随分と大きな差ができてしまっていた。

「バレーボールを嫌いになりたくないから、辞める」
「ぶざけんなっ!」

強い力で腕を掴まれた。顔を上げると、いつもは仏頂面な顔がひどく歪められていた。

「お前が今まで積み重ねてきたものはそんな簡単に捨てられるものだったのかよ!ずっと俺とやって来ただろ?怪我も治ってバレーも好きなら辞めることねぇだろ!」

バレーを辞めるなんて、決して軽い気持ちで言ったわけじゃない。病院のベッドの上でずっと考えていた。バレー推薦の話もなくなって、医者には次断裂したらリハビリ期間も今回より延びると言われた。

スポーツ選手なら怪我すること自体珍しくもない。でももしも大怪我をして後遺症が残ったら、歩けなくなったりしたら、私はその状況でもバレーボールを好きでいられるのだろうか。

「私はもうできない」
「意味わかんねーよ!怖いなら怖くならなくなるまでやるんだ、できるまでやるんだよ!」
「飛雄にはそれができるかもしれないね。でも私なんかじゃ…」
「そんな顔すんじゃねぇよ!絶望するとしたらバレーができなくなった時だけだ!お前もだろ?」

こんなにも怒れるのは飛雄がバレーボールを愛しているからだ。そして私の本質まで見抜いて言ってくれた言葉だったのだろう。
でも、その時の私は彼の優しさに気付けなかった。

「もう少し人の気持ち考えてよ!だからみんな飛雄から離れていったんじゃない」

最低な言葉を言ったのだと、そう自覚するのに時間は掛からなかった。

今思えば私が辛い時、一番に声を掛けてくれたのは飛雄だった。私が前を向けるように背中を押してくれた。自分だって、県大会で怪我よりも辛い思いをしたのに——
私は飛雄に何をしてあげられた?

その日が飛雄と会話をした最後になった。

バレーボールを辞めた私は親の転勤について行くことを決めた。元々新山女子の寮へと入るつもりだったけれど、推薦の話もなくなったのである意味必然だったのかもしれない。
その後は一切飛雄と連絡は取っていない。

飛雄はまだバレーを続けているのだろうか。
バレーを楽しめているのだろうか。
彼にとって仲間と呼べる人はできたのだろうか。





過去の思い出を脳内から引っ張り出していたら時刻は深夜0時を回っていた。
目の端は少し濡れていた。

こんな思い出が記憶の底から引っ張り出されたのも、久しぶりに“影山飛雄”という名前を聞いたからである。
侑先輩がユース代表合宿のメンバーに選ばれたと連絡があった。
先生に見せてもらった合宿メンバーが記載されたプリント。その中に飛雄の名前があったのだ。

ユース合宿に呼ばれた影山飛雄は間違いなく私の幼馴染だ。
彼のいる烏野高校というのは聞き慣れない学校だったので調べたら、数年前は全国へも出場する強豪校だった。しかし今はあまり結果を残せていないようだが……

当時は携帯も持ってなかったので飛雄の連絡先も知らないし、かつてのクラブチームの連絡網も引越しの時に捨ててしまった。
侑先輩が合宿へと行く今がもしかしたら飛雄と連絡を取れる最後の機会かもしれない。

私は寝転んでいたベッドから飛び起きた。本棚を漁り隅の方置かれていた便箋を取り出す。それはまだ色褪せてもおらず使えそうだ。

飛雄に話したいこと、謝りたいことが沢山ある。読んでくれるかは分からない。自己満足になってしまうかもしれないけど、これだけは伝えたい。

私は今もバレーが好きだってこと。





手紙を書き終えたのは朝方の四時だった。
でもこれは飛雄だけでなく、もう一通違う人宛にも書いていたからだ。





「自分隈やばない?大丈夫か?」
「すみません、少し夜更かしを……」

死んだような顔の私に大耳先輩ですら驚いていた。
そして部活が始まる前にレッ◯ブルをキメてたら北先輩に「不健康や」と没収された。私も翼を生やすんです!と寝不足テンションによるレッ◯ブルボケをかましたらいよいよ保健室に連れて行かれそうになったので必死に謝った。

その日の部活を通常通り終えると、侑先輩の周りに人集りができた。
「明日寝坊すんなよ」「戻ったらどんなだったか教えて」「関東勢に負けんなよ」等々。
私は一通りマネージャーの仕事を終え、人集りがなくなったところで侑先輩の元に向かった。

「侑先輩!明日からのユース合宿、お気をつけて行ってきてください」
「おおきに。俺がいなくても寂しくて泣かんといてな」
「それは大丈夫です」
「辛辣」

侑先輩の隣にいた角名先輩が珍しくツッコミを入れた。いつもは無視が多いのに珍しい。先輩もやはり一週間侑先輩と会えないのは寂しいのだろうか。

「冷たい後輩やー。もっと俺のことを慮れや」
「ところで先輩にお願いがあるのですが」

これ以上、先輩のペースに呑まれては本来の目的を忘れてしまう。私は背中に隠していた手紙を差し出した。宛名には幼馴染のフルネームを、裏に小さく自分の名前を書いた。

「これをユース合宿に来る影山飛雄って子に渡してもらえませんか?宮城の烏野高校の人です」
「別にええけど知り合いなん?もしや好きな奴か?!」
「ちゃいますて」
「マネージャーが関西弁…?」

寝不足で正直あまり頭が働いていない。角名先輩の言葉により我に返った私は手紙の宛名に視線を落とした。

「私にバレーボールを教えてくれた子なんです。でも引っ越す前に喧嘩しちゃって……だから謝りたくて手紙を書いたんです。渡すだけでいいのでお願いします!」

頭を下げて再度手紙を差し出す。
数秒の間の後、侑先輩は手紙を受け取ってくれた。

「そんぐらいやったるで。ちなみにこいつポジションは?上手いんか?」
「セッターです。私の知る限り上手いです」
「へぇ、俺も会うの楽しみんなったわ。ん?なんか重なっとるで」
「あっ」

昨夜(というか今日の朝)そのままの勢いで書いてしまったもう一枚の手紙である。

「"古森元也様"って井闥山の人やん!」
「それは大丈夫です、返してください!」

高校ナンバーワンリベロと言われている古森元也さん。月バリでその名前と活躍ぶりは知っていたがインターハイで間近にそのプレーを見て私は完全に惚れた。しかし、これは恋愛的な意味ではなくファンとしてである。

「ラブレターか?」
「違いますよ!どちらかと言えばファンレターです!」

勢いで書いてしまっただけでこれを渡すつもりはない。気恥ずかしいし、深夜テンションで書いた事もあり正直内容も覚えていないのだ。

「照れんでもええんやって」
「にやにやするのやめてください!」
「それとも飛雄くんが本命か?」
「違います!」


その後ひと悶着あったが寝不足の私では到底太刀打ちできず、二通の手紙はそのまま侑先輩が持って帰っていった。

そして五日後の侑先輩の帰りを私は祈るような気持ちで待ったのだった。


 



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