千切と入れ違いで凪を引きずった凛が姿を現した。どうやら凪が寝てしまったために来るのが遅くなったらしい。それからブチ切れた凛を宥め、二人を乗せたバンを走らせた。
事務所を出るのは遅れたが余裕をもって時間設定をしたため十分に間に合いそうだ。まずはクイズ番組の収録現場に凪を下ろして次に雑誌撮影が入っている凛を送り届ける。二人の迎えは他のスタッフに頼んでいるため私はそのまま打ち合わせに向かう流れだ。それにしても——

「えーい、あっ死んだ」
「…………」

この二人、マジで会話しないな。凪は充電中のスマホでゲームをやり込んでるし凛は凛でブルートゥースイヤホンを繋ぎ動画を見ているようだった。まぁ凪も凛も自分から積極的に話すタイプでもないし人目もない車内ではこんなものであろう。グループが仲良いことに越したことはないがこちらもプライベートにまで口出しする気はない。

ぐぅ〜……

低ボリュームでラジオを流していた中で聞こえてきた地鳴り……ではなく腹の虫の声。バックミラーへと視線を移せば凛の体勢は変わっておらず、しかし一番後ろのシートに座っていた凪の姿は見えなかった。おそらく寝転がっている。

「凪、今日朝起きてから何か食べた?」

嫌な予感がして運転したまま凪に問い掛ける。バックミラー越しにもぞりと白い塊が動いたのが見えた。

「今日?えーっと……記憶にない」

保護者と言う名の玲王がいない時点でそうだろうとは思っていたが本当にそうだったとは。
凪はグループ内で一番高い一九〇という高身長にも関わらずその食は細い。というか食事に興味がないのだ。美味しいから、お腹が空いたから食事をするのではなく生きるために食べるといった感じ。オーディション期間中の合宿生活でそれが露わになり、見かねた玲王が毎日食事をさせていた姿は一種の名シーンになっている。

「こんな物しかないけどとりあえず食べて。凛、凪に渡してもらえる?」

赤信号で車が止まったタイミングで助手席のダッシュボードからカロリーメイトとゼリー飲料を取り出す。私の非常食として車内にストックしている物だ。

「おら、白いの」
「あーもー投げないでよ」

私の手から離れていったそれは凛により凪のお腹あたりに飛ばされる。なんだか今日の凛は機嫌が悪いな。口数が少ないのも愛想がないのもいつも通りであるが、凪の一件を差し引いてもどこか苛立っているように思える。こんなときは我らが潔世一の出番なのだがもちろんここにはいない。

「はい、これは凛の分」

ダッシュボードに残っていた残り一つのカロリーメイトを渡す。そこで信号が青に変わり前の車がゆっくりと動き出した。

「あ?いらねぇよ」
「撮影長引くかもだし念のため。受け取って」

アクセルを緩く踏みながらカロリーメイトを握った手を後ろに向かってブラブラさせる。車が動き出したことに観念したのか凛は舌打ち一つして受け取ってくれた。

それから数十分車を走らせ目的地に到着する。スタジオ収録がある際はマネージャーが付きそうケースも多いがうちはスタッフの数がそこまで多くはないの付きっきりではない。ディレクターへの挨拶までが私の仕事だ。

「凪着いたよ」
「へーい」
「すぐ戻ってくるけど凛は車にいる?」
「あぁ」

車内に凛を残して凪と共にテレビ局へと入る。
今回のクイズ番組の出演は二回目だ。前回は潔、玲王との三人での出演だったのだが今回は凪にのみオファーが来た。というのも前回の収録で凪が一問もミスることなく正解を答えたからだった。

だらしない姿が目に余るが凪は記憶力がかなりいい。学業でも教科書を一通り読めばテストで満点に近い点数が取れ、新曲の歌詞や振付も覚えるのが一番早い。そして歌も上手ければキレのあるダンスも踊れるというまさに天才派。千切同様、そのON/OFFのギャップにファンは虜になっている。

「今回は『Blue-Lock凪誠士郎VSインテリ軍団』って煽りで特集組んでるからね、ぜひ面白い番組にしてくれよな」
「はい、うちとしても凪の名前を使って頂けて光栄です。取れ高には困らせません」
「ははっその調子で頼むよ。この回の視聴率が良ければ他の番組への口利きも検討する、期待してるからな」

収録スタジオの設営がされている傍らで出演番組のディレクターに挨拶をする。彼は去り際に私の肩を二回叩き笑顔で立ち去っていった。印象としては上々、これで本当に他番組のオファーも取れれば申し分ない。この業界は広いようで狭い世界なのだ。

「なんかアイツ馴れ馴れしくない?」

結果を残してくれよ凪、と私が心を燃やしていれば凪は冷たい目をしていた。その視線の先にはスタッフと話すディレクターの姿がある。

「ちょっとそういうこと言わないの!せっかく気に入って貰えてるんだから」
「俺がじゃなくてマネージャーがでしょ?ああゆうタイプは裏で何やってるか分からないから気を付けた方がいいよ」

まぁ凪の言い分も分かるけどお金も地位もある人がたかがマネージャーに手を出すとは思えない。私よりも売り出し中のアイドルや干され気味のタレントとかが危ないと思うんだよね。煌びやかな世界にはいるがマネージャーなんて所詮は一般人だ。

「心配してくれてありがとう。でも私みたいな小物は相手にされないって」

それに何より顔面偏差値の差が大きすぎる。毎日、凪たちの顔を見ていればその認識はより顕著なものになる。それを悲観しているわけでもないけれど彼らを見る度に、私って普通だなぁとしみじみ感じているのだ。

「マネージャーって俺らには世界一カッコいいとか宇宙一推せるアイドルとか言ってくるくせに自己評価は低いよね」
「そりゃそうだよ。凪たちと私じゃ月とすっぽん通り越して土星と蟻みたいなものだからね」
「マネージャーが蟻なら俺はノミだよ」
「もう何言って……」
「すみませーん、後ろ通ります!」

凪にしてはやたら突っ掛かってくるな、と思っていたところで私の後ろをスタッフが通る。クイズ番組で使用される大きなパネルだった。
端に避けつつ改めて凪を向き合う。その表情は無表情でイラついているのかも怒っているかも読み取れない。案外、凪が一番何を考えているか分かりづらかったりする。

「うちが胸張ってプロデュースしてるアイドルなんだから悲しいこと言わないでよ。それに私と比べないで。凪たちと私じゃそもそも住む世界が——っ」
「危ない!」
「…っ、マネージャー!」

マネージャー兼年上よろしくくどくどと説教を垂れていたところで突然腕が引っ張られた。訳が分からずそのまま慣性に従って前のめりに倒れ込む。しかし硬い地面に転がるわけでもなく体に衝撃すらなかった。その代わりに後ろで、バタンッと大きな音がして人の足音がやけに耳についた。

「すみません!大丈夫ですか?!」
「怪我はない?!」
「大丈夫です」

視界がふさがれていたから音が良く聞こえたのだ。目の前の壁に手をつけばこれもまた軟らかい。そうして距離を取ったところでようやく自分が凪に抱き留められていることが分かった。

「マネージャーも大丈夫?」

後ではスタッフが倒れたパネルを回収していた。どうやら凪が私を抱き寄せて助けてくれたらしい。その証拠に今も背中には凪の腕が回されていた。顔を上げれば目が合って、その瞳は心配そうに私を見ていた。

「やっぱり凪はイケメンだね」
「は?」
「ノミなんかじゃなくて世界一のイケメンだよ。助けてくれてありがとう」

この状況でとっさに私を助けてくれるだなんてね。しかもその助け方もイケメン過ぎる。ぜひともこのエピソードトークをどこか披露したいけどさすがに相手が女ときたらファンの心境は複雑なものになるだろう。残念ながら私の胸に留めておくしかなさそうだ。

「マネージャーって性格悪いよね」

これ以上ない褒め言葉と感謝を伝えたつもりなのだけれどどうやらお気に召さなかったらしい。

「はい?」
「自覚なくてムカつく」

果たして私はいつ凪の機嫌を損ねてしまったのだろうか。ほんと凪誠士郎って分かりづらいな。しかしこのタイミングは非常にまずい。やる気がないのが通常運転の凪ではあるが一人収録では何かあってもメンバーがフォローできない。その現実に気付き、どう挽回しようかとあたふたしていれば凪がチラリとこちらを見た。

「俺が今日の収録で全問正解したらさっきの発言撤回してくれる?」

まだその話続いてたんだ。まぁそんなことでいいならと秒で頷く。そしたら凪は人差し指で頬をかき、そしてぴたりと動きが止まったかと思えばその手が頭の上に乗っけられた。凪の手は大きくて片手にも関わらず帽子のように私の頭に被さっている。

「よし、じゃあ頑張る」
「うん?」

何かを決意したかのように凪は出演者控室の方へと歩いて行った。
やっぱり凪は不思議だな。ミステリアス枠でも売り出せそうだけどそれだと若干凛と被るから今のままでいてもらおう。

因みに一ヵ月後の放映日に、私はこの収録で凪が無双を決め全問正解を果たしたと知ることになる。