急いで車に戻ると凛は変わらず動画を見ていた。

「お待たせ!このまま向かうけど寄りたいとこある?」
「別に」
「了解」

車のエンジンをかけそのまま車を走らせる。凛の撮影はこことは別の都内のスタジオで行われる。女性向け雑誌の特集記事の撮影で、インタビューもあるから長丁場になるだろう。しかし凛ならばその辺りの自己管理にも余念がないので心配はしていない。

『——以上が来週公開の映画になりますが気になるものはありましたか?』
『どれも面白そうですけどやっぱり私は『アリアドネの眠る森』ですね!』

BGM代わりに流しているラジオを聞きつつ、バッグミラーで凛の様子を確認する。凛はスモークの掛かった窓の外を見ていた。その耳にイヤホンが付いているのかは髪のせいでよく見えないが依然として窓の外を向いたまま。

『一昨年前に本屋大賞を受賞した話題作ですね。悲恋ものということで若い女性からの指示も高いと聞きますが』
『はい!原作も知っているのですがラストがとにかく泣けて……一部ファンタジー要素も強い作品なんですけどそれを映像で見れるのが今から楽しみです!』
『なるほど。でもそれだけじゃないんですよね?』
『バレました?実は今回主人公を勤める俳優さんが私の大好きな方で……』

やば、と思いラジオを切って適当な曲を選択する。スピーカーからはアップテンポのサウンドが流れそれに乗って歌声が重なり合う。Blue-Lockのデビュー曲だ。

「切ンなくていい」
「聞いてたの?」

フン、と鼻を鳴らした凛はイヤホンをしていないようだった。変な気を使ったことにより逆に機嫌を逆なでしてしまったようだ。いや、本当は聞きたかったのかもしれない。そう判断し再びラジオ放送に切り替える。

『——クールな役のイメージがありましたが今回は感情を露わにするシーンが多く本人の口からも『こんなに泣いたのは赤ん坊の時以来だ』と愚痴が零れるほどだったようですね』
『もう予告シーンだけで泣きましたもん!早く大きなスクリーンで糸師冴さんを見たいです〜!』

若手俳優の糸師冴。子役から芸能活動をしている役者であり二十を超えた今では実力派イケメン俳優として映画やドラマに引っ張りだこの売れっ子だ。そして凛の実の兄にあたる。

「泣く演技なんざ兄貴のオハコだろ。コイツらは子役時代も知らねぇのか」
「デビュー作が『Rainy Blue』だっけ?」
「スクリーンではな。元は劇団出身だ」

それを知ったのは凛に招待状を送りオーディションに参加することが正式に決まったとき。あの糸師冴と目元が似てるね〜苗字も同じだね〜なんてアンリ先輩と話していたが本当にそうだと知った時には肝が冷えた。何故ならもし凛が冴と同じ事務所に所属していた場合、これは事務所間の大きなトラブルになるからだ。

「あーそうだったね。もうなくなったけどあそこ出身の俳優さん結構多いんだよね」
「後継者がいなくて幕下ろすってなった時に当時の団長が掛け合って芸能事務所に役者移籍させたんだよ。兄貴もその口だ」

幸いにも凛は事務所どころか芸能活動を一切やっていなかったため事なきを得た。それと同時にはっきりと「この世界に足を踏み入れようとも俺が兄貴と同じ事務所に入るコトはねぇ」とも言われた。

「冴の事務所、結構な大手なのによくツテがあったね」
「元はテレビ局のディレクターで顔が広かったらしい。で、早期退職して趣味の劇団立ち上げたんだとよ」

やたらと詳しいのは凛も幼少期にその劇団に顔を出したことがあるからだろうか。
私は前を向いたまま何気ない話題として凛に話しかけた。

「凛にもドラマの話きてるけど出る気ない?」
「ねぇよ」

やはりお兄さんとはいい関係ではないらしい。事実、冴の話題になると凛は大抵顔を顰めるしドラマや映画のオファーは受けたくないと事あるごとに言ってくる。しかし気にはなるのか冴の出ている作品や雑誌は軒並みチェックしていたりもするので、これも一種の反抗期なのではと私は思っている。

「二時間特番の刑事ものなんだけど主人公の息子役で結構美味しいと思うんだよね。終盤ではお父さんを助けに行こうとして犯人に捕まるって見せ場もあるし」
「勝手に話進めんな。つーかそれ見せ場じゃなくて失態シーンじゃねぇか。俺はそんなヘマしない」
「そういう脚本なの。でも反抗期だった息子が父親のピンチに後先考えずに乗り込む姿は中々かっこいいでしょ?役の年齢も凛と近いから感情移入もしやすいだろうし父親役の俳優さんはベテランだからいい経験になると思う」

内容をざっと説明したところで凛は黙り込んだ。
そして小さな声で何かを呟いた。が、生憎運転席からは聞き取れない。

「なに?」
「兄貴に言われたんだよ。お前は役者に向いてないって」

それは初めて聞いたことだった。普段、凛はこのようなプライベートな話はしないので二つの意味で驚く。でも話してくれたのならと、私は少し踏み込んでみることにした。

「いつ言われたの?」
「幼稚園の出し物で主役やったとき」

それはまぁなんというか……でもその時の言葉を引きずっているということは相当ショックだったのだろう。となると、きっと凛はお兄ちゃんのことが大好きなはずだ。

「見返してやろうとは思わないの?」
「は?」

だからこそ"逃げ"ている今の凛はらしくない。うちのメンバーは皆負けず嫌いで凛も例外ではない。

「昔と今とじゃ環境も違うしその間に凛も色んなことを見たり体験して世界が広がったでしょう。きっとその時とは違う演技ができると思うんだ」

でも私は知っている。潔の連ドラの出演が決まったとき羨ましそうにしていたことを。移動中に邦画洋画問わずたくさんのドラマを見ていて、そしてその延長でネイティブ並に英語が話せるようになったことも。

「もちろん無理にやれなんて言わないけどね」

若き原石の才能を燻らせたくなかったから、私は私の身勝手な理由で——"エゴ"で自分が思っていたことを伝えた。
バックミラーを見れば凛は睨みつけるように運転席のシートを睨んでいた。そして瞬き一つし、顔を上げればミラー越しに目が合う。その瞳には飢えを感じるような光が宿っていた。ようやく凛らしくなった顔に自分の頬も緩む。

「もし冴が主演の作品で脇役の凛が主役を喰ったら冴も同じことは言えなくなりそう」

気付けば目的地はすぐそこだった。左折で駐車場入り空いているところに車を停める。そこでようやく凛は口を開いた。

「アンタの口車に簡単には乗らねーよ」
「それは残念」
「でも、」

そこで一拍置く。二つのターコイズブルーがミラー越しにこちらを見ていた。

「今来てるオファーについては、…少し考える」

うちの子たちは励ますよりも煽る方が効果あり、というのは社長の教えでもあった。これは近い将来、役者としての糸師凛を見ることも夢ではないかもしれない。

「楽しみにしてる」
「まだ出ると決めたワケじゃねーからな」

ツンデレかよ。手のかかるメンバー内の末っ子だこと。だからこそ今後の成長が楽しみである。