脳梗塞で死ぬか神隠しに合うか

十五階から落ちれば、楽に死ねるだろうか。

そんな考えがよぎった二十二時。
しかし、そんな度胸もなく再度目の前のパソコンを見ればブルーライトに目が痛くなった。

就職難の波に押され、やっとの思いで内定を貰えた先は世にいうブラック企業。
総務部の事務員といわれるも、仕事量は尋常ではなかった。データ処理、経理はもちろんのこと、営業部の資料作成や何故か個人の日報まで打ち込む始末。本人がやらなきゃ意味ないでしょ。でもやらなくて怒られるのは私だ。

今日は日付が変わる前には帰りたい。
机の上に置いてあるエナジードリンクを煽るもカラ。

「なにやってるんだ自分……」

盛大な独り言を呟いて、音を立てて缶を机に置いた。が、そのとき腕がぶつかり机の上から書類がなだれ落ちる。

「なにやってるんだ自分!」

同じセリフを怒りに任せて吐き出した。しかし当然誰も助けてくれるわけはなく、渋々立ち上がり散らばった紙を拾い集める。
その中で、見覚えがない青い封筒も落ちていることに気付く。そこには“健診結果報告書在中”と記されていた。そういえば結果が返ってきていたなと思い、封を手でびりびりとちぎる。
中を見れば、総合判定がDの要受診である。ざっと目を通すも、どの項目もとりあえず悪い事は一目でわかった。悪玉コレステロールの数値も高い。この年齢で脳梗塞で死ぬのはいささか笑えないな。

「ん?霊力判定、A…?」

裏面まで目を通すと総合判定とは別の場所にアルファベットが書かれていた。
霊力判定とはここ最近で追加された項目である。
何でも時の政府が、過去へ干渉し歴史改変を目論む“歴史修正主義者”に対抗すべく、物に眠る想いや心を目覚めさせ力を引き出す能力を持つ“審神者”適性者を探しているのだそう。審神者は霊力を“刀剣男士”という付喪神に与え“歴史修正主義者”と闘うらしい。
つまり霊力判定とは、その“審神者”に成りえるか否かである。

以前までは、神職に関わる人間を中心に行っていたらしいが、適性者の数が少ないため全国民の中から探すことになったとネットニュースで見た記憶がある。
とはいえ、 身近に適性者なんていたことがなかったため、この項目に関しても半信半疑であった。

しかし、ブルーライトでかすんだ目を何度こすってもそこにあるのはA判定の文字。
正直、審神者に関しては胡散臭い噂が多い。
そもそも“歴史修正主義者”なんているのかだとか、政府監修のインチキ超能力者でも育成するのだとか、神隠しというオカルトちっくな話もある。

でも私にはこれが地獄に垂れる一筋の蜘蛛の糸に違いなかった。
脳梗塞で死ぬか、神隠しに合うか。
答えはひとつだ。





役所に行って申請をすると、驚くほどスムーズに事は進んでいった。
会社を辞める際にもっと揉めるかと思いきや、私が辞表を出す前に政府が退職手続きをしてくれたらしい。それほど審神者とは貴重な存在になっているとのことだ。

「いやぁ、本当に良かったです!今年になって貴方が三人目ですよ」

私の前を歩くのは小泉さんという男性の政府職員だ。審神者には本丸での生活をサポートするこんのすけという管狐と政府からの担当者が着くらしい。
彼はせかせかと役所内の廊下を歩いていく。男性にしては小柄な体系にも関わらず、歩くスピードはかなり速い。

「健康診断結果、政府が管理してるんじゃないんですか?」
「そうなのですが、昔は力がある人間をさらって審神者にさせていた時期もありまして…政府と言えども個人情報の閲覧には限りが出るようになってしまったんですよ」

今サラッと怖いこと言ったな。
徐々にすれ違う人の数は少なくなり、廊下の幅も狭くなる。
どこに連れていかれるんだと思った矢先、一つの扉の前で小泉さんは足を止めた。

「さて、では今から三日間貴方にはこの部屋で研修を受けてもらいます」
「え、今から?それに三日ですか!?私、審神者がどんなことをするのかもよく分かっていないのですが……」
「正直このほうが手っ取り早いんですよ。概要だけ学んでもらえれば大丈夫ですよ。どちらかと言えば貴方は実践向きのようですし」
「え、ちょっと待ってくださ…!」
「では、また三日後に」

小泉さんはカードキーでドアを開けると、私の背中を押した。転ばないようにバランスを取り、すぐに振り返るも入ってきた扉はすでに閉じられていた。
ドアノブに手を掛けるもノブが回らない。

「小泉さん?開けてください!ちょっ…小泉ぃぃい!!」
「これはこれは、元気なお方ですね」

思わず呼び捨てにしてしまった。と、同時に右肩に重みを感じた。横を見ればぬいぐるみのような真ん丸な目を持つ生物が乗っていた。

「なにこれ!?」
「うるさいです!耳元で叫ばないでください!」

軽やかに私の肩を飛び降りて真正面にちょこんと座る生物はやれやれと首を横に振って、ひとつ咳払いをした。

「私は貴方様をサポートする管狐のこんのすけと申します」
「はぁ…あの、大声出してすみません。よろしくお願い致します」

例え人外であろうとも、こんのすけは立派な同僚である。社会人として失礼のないよう、頭を下げて挨拶をすればぶんぶんと尻尾を振った。

「はい!今後については私めにお任せください。貴方様が優秀な審神者になれますよう全力でサポートいたします」
「頼りにしてるね」
「では手始めにこの資料を全て読んで頂きましょう!」

こんのすけの声とともに部屋の奥を見やれば壁際びっしりに本棚が並んでおり、そこにはこれまたびっしり本が並んでいた。
その他にテーブルと机、風呂場とトイレの様な部屋があるのだが、窓一つない奇妙な部屋である。そう、それはまるで監禁するのにうってつけな作りであった。

「はい?」
「貴方様は審神者についても、また刀剣男士や戦術に関しての知識もありません。それをこの三日間で身に着けていただきます」
「いや、本当に何も分からないんですけど!三日でなんて無理です!」
「何弱気な事言ってるんですか。二徹すればいけます」

結局ここもブラックかよ!
私は自分が刀剣男士たちを従える立場になっても絶対にこんなことはさせない。
そう心に誓った瞬間だった。

「一分一秒無駄にはできませんよ!」

再び私の肩に乗ったこんのすけは、尻尾で私の頬を叩きながら必要な本を取るよう指示してくる。
まだ一緒にいてくれる人(?)がいるだけマシなのか。
元ブラック企業社員の社畜の意地、みせてやんよ!!


◇ ◇ ◇


「お久しぶりです!何となく審神者の仕事、ご理解いただけましたが?」

小泉さんの眩しい笑顔と共に、三日ぶりに扉が開けられた。
小泉さん、男性で私より年上そうなのにお肌すべすべですね。それは睡眠をしっかりとっているからでしょうか?

「はい…お陰様で……」

心で悪態を付いても、口に出す気力はなかった。
それは机の上でへばっているこんのすけも同じである。今でこそ寝ているが、こんのすけも先ほどまでは一緒に起きていてくれたのだ。なかなかにこのこんのすけも社畜である。

小泉さんは変わらず笑顔のまま話しかけてくるが、まったく頭に入ってこない。
寝ているこんのすけを抱え上げ、彼の後ろに着いていく。用意された和装を身にまとい、小部屋に案内されるとそこには五振りの刀が鎮座していた。

「左から加州清光、歌仙兼定、山姥切国広、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行」
「おぉさすがです!一目見ただけで刀剣男士の名前が言えるのですね!」

国旗当てゲームよろしく、刀剣当てゲームもこんのすけとしていたのだ。二十四時間あたりを過ぎてから一度、文字を脳みそが処理できなくなったからね。

「さぁ、初期刀は誰にいたしますか?」

初めての刀は、唯一自分で選ぶことができる。
私は一度小泉さんにこんのすけを預け、一振りの刀を手に取った。
想像よりも重い刀身がずしりと両手にかかる。それは寝不足のせいなのか、単に自分の体力がないせいなのか、それとも刀自信に試されているのかは分からなかった。

「山姥切国広」

ひとつその名を呼べば、手から重みが抜け辺りが光に包まれる。

「山姥切国広だ。……何だその目は。写しだというのが気になると?」

いや、その目はっていう割には布のせいで貴方の顔すらよく見えていないのですが。
そんな彼に、隈がくっきりと浮き出ているだろう顔を上げて「よろしくお願いします」と短く挨拶した。

「では初期刀も決まったことですし、さっそく本丸に行きましょうか」

初めて霊力を使ってみた感動にも浸れぬまま小泉さんはとっとと部屋を出ていく。
貴方は私に対して情というものはないのでしょうか。こんのすけも寝てしまった今、私は頼れる人がいないのです。

「行かないのか?」
「あ、はい」

一瞬、浅葱色の目が合った気がしたがすぐに逸らされる。
堀川国広の最高傑作と言われながら写しとしての自分に劣等感を抱いているのだと資料に書いてあった。まぁ最初から親しくなれるなんて思ってなかったし、こんなものか。

特に彼の態度に気にも留めず小泉さんの後に続いた。





私に与えられた本丸は全くの新築ではなく、元は別の審神者が使っていたらしい。その方が引退され、箱だけ引き継いだ形だ。とはいえ、畳は新しいものに、外装も綺麗にされていたためほぼ新築同然であった。これだけ立派な日本家屋ならば下手したら歴史的文化遺産になりえそうである。

小泉さんは寝ているこんのすけと、携帯型端末を私に渡して足早に去っていった。
さて、本来なら本丸の中をこれから見て回りたいところだがもう日が暮れかけていた。そして何より体が重い。

「これからどうするんだ?」

寝る、という言葉が出かけて呑み込んだ。
いかんいかん、いきなり本丸の主(=社長)が寝たら彼もさぞ困惑するであろう。私に不信感を持たれ着任初日に懲戒免職は泣く。

「夕ご飯、食べようか」

本当は食事なんか食べずとも、今すぐ布団にダイブしたい気分だった。
しかし、刀剣男士にも食事は必要らしい。いや、食べずとも生きられるらしいが“人”としての体を得たいま、食べることによって力が付いたり感情が豊かになるデータが取れているとのこと。それに、なによりホワイト本丸を築くためには社員の満足度や福利厚生は大切にしなければいけないのだ。

基本的人権のために追記するが、三日間の監禁生活も食事は一応支給されていた。“一応”と言ったのは、それがカロリーメ○トや栄養ドリンクゼリーだったからだ。
消化によく、温かいものが食べたい。

本丸の廊下を進み、勘だけで台所を探していく。

「嫌いなものある?」
「いや、食事をしたことすらないのだが」

当然の答えだった。
刀としては私の何倍も長い時間を生きているが、人としては子供同然だ。
それならばせめて彼が喜びそうな物はなにか考える。

夕食の考えを巡らせつつ辿り着いた台所は、本丸の見かけに反して最新家電がずらりと並んでいた。そしてひとつひとつのものが大きい。炊飯器は一度に三升くらい炊けそうだし、冷蔵庫も飲食店が使うような業務用だ。確かに将来的な刀剣の数を考えればこのくらいがちょうどいいかもしれないがいきなりこれは圧巻である。

小泉さん曰く、一週間分の食料は用意してあるとのこと。棚や冷蔵庫を調べれば確かに米や調味料、野菜が入っていた。肉や魚も冷凍されていたから、この分なら一週間は余裕だろう。
しかし、今から米を炊くのも、肉を解凍する時間も惜しい。

「すぐ作るから、山姥切は自由にしてていいよ」
「あぁ…」

こんのすけをすぐ隣の居間に寝かせ、腕まくりをして調理を始める。
ネギを刻み、人参や蓮根、冷蔵庫に入っていた練り物も一口大に切っていく。その間沸騰した鍋で醤油ベースのだし汁をつくる。冷凍のうどんを二玉入れて、最後に水溶き片栗粉で少しとろみをつけて完成だ。
手抜き料理であるが、今の私ではこれが精一杯である。

それをどんぶりに入れ、こんのすけには別できつね色に焼きを付けた油揚げを用意する。本当は一緒に頑張ってくれたこんのすけにはいなり寿司をあげたかったけれど、それは後日と言う事で。

「山姥切、ご飯できたよ」

広い本丸の廊下に私の声が響いた。
しかし、返事もなければ姿も見せない。

もしや早々に退職か?

「ここにいる」

疑心暗鬼になっている私はすぐに悪い方向へと考えがいってしまう。
しかし、それを安心させるかのように声がしたのは居間の奥の襖だった。なるほど、そちらは別の部屋に通じてるのか。

「大した物作れなかったけど、食べようか」
「んん…審神者様……?」

私達の声に気付いたのか、くぁっとひとつ欠伸をしたこんのすけは辺りを見回した。私と山姥切の顔を今後に見て数秒後、ようやく合点がいったのか私の前にスライディング土下座をしてきた。

「審神者様すみません!!私としながら眠っており、初期刀選びにも本丸就任時にも立ち会えぬなんて…本当に申し訳ありません!!」
「気にしないでよ。こんのすけも疲れてたんだし」
「でも、審神者様は二徹してるじゃありませんか!」
「二徹しても死にはしないから大丈夫だって。それより、夕飯作ったんだ。お稲荷さんじゃなくて申し訳ないけど一緒に食べよ?」

机の上に置いてある油揚げを見るなり、こんのすけが瞳を輝かせた。その頭を撫でてやれば、ぶんぶんとちぎれそうになるほど尻尾を振る。

「これからもよろしく頼めますか?」
「もちろんです!」

そう返事をしてくれたこんのすけと共に、山姥切と机を囲む。机もやけに長いけれど、二人と一匹であれば隅の方でも広さ的に充分であった。
いただきますの挨拶をし、私の食べ方を見て同じくうどんを口に運ぶ。箸の持ち方などは潜在的に分かっているらしかった。

とくに会話もなく、麺をすすっていればひらりと桜の花びらがどんぶりの中に落ちた。

「桜…?」

襖も締め切っているのに、どこから入ったのだろうか。
しかし、私の声と共に山姥切の肩が震えた。そして盛大に咽た。

「げほっ!げほ…!」
「大丈夫?お水持ってくるね」

急いで厨へ水を汲みに行き渡すと彼は一気に煽った。また咽るのではないかと心配になったがどうやら落ち着いたらしい。

「すまない…」
「大丈夫だよ。初めての食事で麺類は難しかったよね」
「いや、違う」

そのとき、初めて彼はじっと私の顔を見た。相変わらず布は被ったままだけど、その浅葱色の目は吸い込まれるほど美しかった。

「懐かしい味がした」
「初めて食べたのに?」
「あぁ」

刀工である堀川国広が日向国の出身と言う事からあごだしと昆布でだしを取ったのが良かったのだろうか。まぁあごだしも顆粒なのだけれど。
目線は外され、彼は蓮華でとろみがかったスープを一口飲んだ。

「もし、」
「うん?」
「もし、俺の兄弟がここに来たら作ってやって欲しい」

彼の兄弟とは山伏国広や堀川国広のことを指しているのだろうか。昨日一昨日で叩き込んだ知識を紐解いていく。

「わかったよ」
「ありがとう」

その時、また桜の花びらがふわりと舞った。
あぁ、山姥切のものか。

私達が戦う敵は決して生半可なものではないけれど、せめてこの本丸にいる間は彼らが過ごしやすいようにしていこう。

さぁ、この本丸を最高の本丸にしてみようか。