「失礼します」
「ごめんね、忙しいのに」
「あ、いえ…社長こそお忙しいのに、お時間すみません」
「いーえ。あ、どーぞ そこ座って」
「あ、はい、」


控えめなノックの音に続いて部屋に踏み込んできた名前ちゃんに声をかけると、久々に顔をみる彼女は心なしか痩せたような。
そしてまだ熱でもあるのかいつもよりとろりとした目をしていて、やっぱりまだ本調子でないのだな、と自分の読みがビンゴであったことを悟った。


「社長、お話って」
「あ、うんその件だけど。名前ちゃん、体調はもう大丈夫?」


来客用に社長室の小型冷蔵庫に備えたペットボトルの水を応接椅子に座る彼女に手渡して、自分は飲みかけのコーヒーが入ったマグカップに口をつけながら反対側の椅子に座る。


「すみません、何日もおやすみいただいてしまって…」
「あ、それは別にいーのいーの。むしろごめんね、最近ちょっと負担かけすぎたのかと思って」
「とんでもないです。そんなことはまったく」     
「ほんとに?」
「ええ、楽しくお仕事させてもらってます」


体調も悪いのだろうにこんな時でさえ自分のことを差し置いて「ありがとうございます」と頭を下げる彼女の健気さにまた胸を打たれつつも、少し頬が赤らんで熱っぽい表情を浮かべる彼女を見て、手短に話して場合によっては今日も早めに帰宅させようと用件を切り出す。


「でもまぁ、うちとしてはやっぱり名前ちゃんにいてもらわないと困っちゃうので。だからもしまだ体調悪いのなら落ち着くまでゆっくり休んでもらったりする方がいいのかなって思ったりもしたんだけど、どうでしょう?」
「えっと、あの、」
「その感じだとまだ体調いいとはいえないでしょ、絶対」


俺の出した提案に少し慌てたような、そして困ったように眉を下げる反応は真面目な名前ちゃんらしい。
おおかた自分が仕事に穴を開けてしまうことの心配でもしている、といったところだろうか。


「大丈夫。新しい事務員さんも入ってくれてますし」
「あ、えっと、社長」
「もしもの時は俺も自分でなんとかしますから。こう見えてデビュー当時は自分で全部書類も書いてたんスよ」
「社長、あの、御言葉は大変ありがたいんですが…」


しどろもどろする名前ちゃんを安心させるようにぺらぺらといつもの調子で会話を続ければ、名前ちゃんが口を開く。


「その、特に体は大丈夫、というか」
「大丈夫、って言われてもねぇ…あ、」
「社長?」
「あの、名前ちゃん…つかぬ事をお伺いしますけども」
「はい、なんでしょう」


名前ちゃんは戸惑うように俺から視線を外して口元をもごつかせながら何か発言をためらっているように見受けられるが、そんな中俺の頭に最悪の展開が思い浮かぶ。


「こんなこと伺うのは不適切かと思いますけど…先に謝っておきます。すみません」
「あ、はい」
「その、名前ちゃんには、彼氏さんとかいらっしゃいます?」
「いえ、そういった方はいらっしゃらないですけど…」


よし、最悪のパターンの1つ手前のパターンは逃れられた。
今なぜそのそんなことを聞いたのか、不思議そうに首を傾ける名前ちゃんに俺の意図はまだ伝わっていないようだ。


「その…悪阻、とかという事は?」
「え…っと、、」


我ながら、なんてことを聞いているのだろう、とは思ってはいるのだが。
しかし体調は特に問題ないということは何か病気だとかではないのだろうし、入社時に既往歴等は最低限確認しているが特にそう言った報告もなかったため何か持病を患っているということは考えにくい。
心理的なものも危惧していたが仕事は幸い楽しくこなしてくれているとのことだし、その可能性もなさそうだ。
その上何か言いにくそうにしている目の前の彼女の姿を見ていたら、思いついたのは妊娠くらいのものだった。


「…すみません、名前ちゃんのことが心配だったものでちょっと踏み込んだことを聞きすぎました」
「あ、いえ、お構いなく。…でもご心配に預かるようなことは、そう言った類の経験もないので特にはないというか、本当に大丈夫です」
「そうですか、ならよかったです…て、えっ?」


想像していた最悪のパターンは名前ちゃん自身の口からしっかりと否定をされたことで、色々な意味で安心しホッと胸をなでおろす。
しかしすぐに名前ちゃんの発した言葉を頭の中で再度繰り返す。


“そういった類の経験もないので”


それは、そういうことだろうか。
まさかの形で気になっている女の子の初心な情報を得てしまいどうしたものかと思ったが、今はそういう話ではないだろう、と頭を横に振って邪な気持ちを払いのける。



「ゴホゴホ…あ、すみません。何はともあれそういうことではないのなら変なことを聞いてごめんなさい」
「いえ、私がはっきりしないのがいけないので。あの、社長…悩みを、聞いていただけないでしょうか」
「悩み?俺でよければ話してください」


我ながら年頃の女性に不躾な質問をしてしまいバツが悪い上に、口に含んだ冷めたコーヒーも想定しなかった回答に思わず変なところに入ってしまいむせてしまう。
なんとか呼吸を整えて改めて謝罪の言葉を述べると、名前ちゃんは特に不快に思う様子でもなさそうに、何やら悩みとやらを話す気になってくれたのか視線をこちらに向け直す。
話の流れからするにその"悩み"がここ数日の休みの理由だったということだろうか。


「あの…社長にも、発情期って、ありますか?」


また俺から視線を外して気まづそうにそう発する名前ちゃんを見て、なるほどそういうことか、と納得した。


「あ、…察しが悪くてごめんなさい、名前ちゃん」
「いえ、私がちゃんとご説明すればよかっただけですから、社長は謝らないでください」


名前ちゃんは膝の上においた白い左右の手の指を絡ませて遊ばせながら、返事を求めるようにちらりとこちらに視線を向けてくる。


「すみません。…あ、その件ですけど、まああるっちゃあるんですけど、時期になったら動物異形型に病院で処方される発情抑制剤飲んじゃうんで、特にこれといって不自由感じることはないんスよね、俺個人的には」
「やっぱりふうつはそうですよね…」


俺の答えを聞いて、はぁ、と大きなため息をこぼす名前ちゃん。
その姿から察するにおそらく期待した回答が得られなかったということだろう。


「薬の方は?」
「もちろんずっと服用してるんですけど…社長、うさぎのことはご存知ですか?」
「寂しいと死んじゃう、とか」
「はい。そんなふうによく言われるんですけど、」


名前ちゃんがいうに、うさぎの発情期は他の動物のように季節性のものではない、らしい。
一般的に用いられている発情抑制剤は季節性の発情を抑えるために作られた強い成分の含まれた薬品なため、日常的に通年服用するには向かないものだそうだ。
しかし名前ちゃんは年頃になってからは日常生活に差し支えがでないように規定量を上回って薬を服用し続けた結果、耐性ができてしまい最近では薬の効きが悪くなっているということらしい。
そのせいでここのところ到底仕事に来られる状態ではなかった、ということか。


「なるほどね。でも薬の効きが悪いとなると、どうやってやり過ごしてるんです?」
「それなんですけど、お医者様には自分で治めなさい、と言われたんですけどどうしたらいいかわからなくて…私の場合、眠ってしまえば目覚めた時には落ち着いているので、そういう時には眠るようにしてなんとかしています」


随分とひどいことを言う医者がいたものだと驚いたが、薬が効かない特殊な例となると致し方のないことなのだろうか。
しかしそれにしても、そういった類の経験もないという先ほどの発言からも察してはいたが、まさか自分ですら何もしたことがない、とは。
恥を忍んで真剣に悩みを打ち明けてくれた彼女には申し訳ないがつい邪な思考が頭を駆け抜ける。


「名前ちゃん、俺から提案があるんですけど、」
「社長、何か解決策をご存知なんですか?」



「解決策というか、やってみないとわかりませんけど…でも、俺が手伝ってあげることはできるかもしれません」

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