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「邪魔するぞォ」
「は、はい…!」
道中は道を聞かれる程度の最低限の会話だけをしながらお師匠様に蝶屋敷から炎柱の屋敷まで運ばれて、無事目的地の門を潜るなりやっと私はその場に解放された。
相も変わらず愛想の欠片もないお方ではあるが、門を潜るときに礼儀正しく一言述べられた挨拶だとか、怪我人ですらない私を肩から下す際にバランスを崩さないように存外優しく下ろされるところだとか、久方ぶりにお会いしたお師匠様の不器用な優しさが健在であることに、変わらぬものもある安堵を感じて思わず口元が綻びる。
「おい、何が可笑いんだァ」
それは一瞬のことだった。
私の思わず緩んだ口元を見逃さなかったお師匠様の虫の居所の悪い低い声が響き、漢字の一の字の如く唇をきゅっと結び合わせる。
「い、いえ、可笑いなんて滅相もございません」
「…っチ、おいィ」
「い、如何なさいましたでしょうか、」
しかしそんなことはたいして気にも止めてらっしゃらないらしいお師匠様は、単刀直入に述べられる。
「彼奴のところに連れて行けェ」
***
「こちらです…杏寿郎様、只今戻りました」
1週間かけて清掃した塵一つない暗い廊下を二人無言のまま歩いて居間までお師匠様を案内し、襖を開いて真正面に置かれた小さな座卓に即席で誂えた仏壇を目にしたお師匠様は、視界に入ったそれが想像と違えていたのか静かに疑問を溢される。
「…これだけかァ?」
「はい」
最低限の仏具と、そして真ん中に獅子のように凛々しく壮観な御姿の杏寿郎様の御写真が一枚。
私の誂えた仏壇は大変簡素な物であったから、お師匠様の反応はなんら可笑しなことではなかった。
「…そうかァ」
お師匠様はそれ以上特にお言葉を続けられることもなく、居間に踏み入れ一歩一歩静かに仏壇に歩み寄り、仏壇の目の前に辿り着くと、その場で静かに腰を下ろし両手を合わせて頭を垂れられる。
その間は随分と時間がゆっくりと過ぎているように感じられた。
仏壇を前に静かに杏寿郎様との別れを惜しむお師匠の背中を廊下からしばし黙って見守っていたが、これが最期の別れになるのだから今この場は御二人にしようと私は静かにその場を引き下がり台所に足を向けた。
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