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この状況は、一体全体どういうことだろうか。


「あ、あの…」
「うるせェ、静かにしてろォ」
「でも、お師匠「師匠じゃねェ…」
「し、失礼いたしました!」
「おい、この道をどっちだァ」
「あ、右に曲がっていただいて五町ほど先の突き当たりに…」
「…っチ、随分歩かせるなァ」


(ひぃ、まだ虫の居所が悪くていらっしゃる…!)


私は今、お師匠様もとい不死川様の肩に担がれて、今夜立つ炎柱の屋敷に運ばれている。



***



「おい胡蝶てめぇ、さっき自分が声をかけたとか抜かしたなァ」
「ええ、そうです。それがどうかなさいましたか?不死川さんには関係のない事でしょう」
「あ”あ”?」


(ああ、胡蝶様どうかお師匠様を煽るようなお言葉はお控え願いたい…)


遡るほど小一時間ほど前のこと。
蝶屋敷で久方ぶりの再会を果たした私とお師匠様であったがそれは再会というには随分と重苦しい空気のものであって、私はなるべく早くその場を立ち去りたいと願いながら畳に額を擦り付けていた。
その体勢のまま、頭上では胡蝶様とお師匠様の会話のやり取りが続けられていく。


「だって不死川さんにはお弟子さんはいらっしゃらないのでしょう。それなら、私が苗字名前さんにどのようなお話をしようと、それは不死川さんには関係ないじゃないですか」


恐ろしくて頭を上げる事など到底できないため様子はわかりかねたけれど、いつもの落ち着いた口調で、ね?と言う胡蝶様は、きっと今もあの漆黒の大きな瞳をぱちりと瞬かせながら屈託のない微笑みを浮かべているに違いない。


「…っち、てめぇと話しても拉致があかねェ」
「もう、舌打ちはやめてくださいね。ほら、傷薬をあげますから」
「さっさと寄越せェ」


胡蝶様とのやりとりに勝機を見出せなかったのか悪態をつくお師匠様の小さな舌打ちが溢れて、私をめぐっての不毛な討論はどうやら勝負あったらしい。
そんな彼をよそに胡蝶様はいつもの調子でお言葉を続けられる。


「はい、傷薬です」
「…ありがとなァ」
「ふふ、どういたしまして。最近少し調合を変えたので効きが良くなってるはずですよ。手負いの隊士の評判もいいですし、効果は折り紙付きです」
「あぁそうかィ」


すっかり戦力を失った様子のお師匠様のこの感覚は随分と懐かしい。
遠方の任務に同行して一緒に藤の花の家紋の家に世話になった時、彼はいつだって決して傲る事なく丁重に礼の言葉を口にしていた。
隊士にこそ厳しく口が悪いものの、彼本来は決して知性や理性のない人間ではなくむしろ冷静で心の優しい人間で、堅気の人間と接する際に彼のその本来の性分はよく見て取れた。


「じゃあ世話になったなァ」
「待ってください不死川様!まだ御傷が塞がっておりません、最低でもあと3日は此処で療養されないと…」
「お前は黙ってろォ。おい、胡蝶」
「あらあら、今度はなんでしょう、不死川さん」


お師匠様は胡蝶様を訪ねてきた本来の用件を無事に完遂し満足したのか足早にこの場を立ち去ろうとするが、そこに食い気味でアオイの制止の声が入る。
それにしても、彼が3日もの療養を要する怪我を負うなんて、やはり此度の任務が随分と厳しいものであったということは考えるより明らかだった。


(生きて帰ってきてくださってよかった)


つい先ほどまで背筋の凍るような緊張に駆られていたとはいえど、世話になったお師匠様の命が今もこうして無事に紡がれている事は何よりのことである。
未だ畳に額を擦り付けたまま、小さく一つ安堵のため息がこぼれた。


「俺は此処がどうにも好きになれねェ。此処に居る方が気が滅入ってどうにも傷の治りも悪くなるようなきがしてなァ」
「まぁ、そんな事ありません。今の鬼殺隊には不死川さんが欠けたら困りますから、アオイの言う通りキチンと治るまで療養していただかないと困りますよ」


実力者揃いの柱の中でも、おそらく杏寿郎様の実力は上から数えた方が早かっただろうと思われる。
そんな炎柱亡き今、継子もいなかった炎柱のその席は空席状態で、もし今他の柱がかけてしまうなんてことがあったらそれは鬼殺隊にとっては危難の事態である。
今はキチンと療養するように、そう申し上げる胡蝶様のお言葉に心の中で同調していた、その時だった。


「ッチ…おい、行くぞォ」
「へ?えっ、お、お師匠様…?!」


ずっしりと畳と一体化していた体が不意にふわりと無重力にさらわれる感覚。
それと同時につい今まで頭上で飛び交っていたあの懐かしい低い声を急に耳元に感じて本日何度目ともなる失態を口にするが、どうやら今のお師匠様はそんなことは気に留めていらっしゃらない様子らしい。


「悪いが胡蝶、別れくらい言わせてくれェ」
「あぁ、すみません。そういうことでしたか」
「…お師匠様、」


先ほどの突然宙に浮いた感覚がお師匠様の肩に担がれているのだと理解するのには少しだけ時間を要した。
私がそれを理解した時にはすでにお師匠様は座敷から廊下に向かって歩き出していて、背中の側に頭を向けられた私にはその表情は見て取ることはできなかったけれど、代わりに困ったように優しく微笑む胡蝶様と視線が交じった。







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