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(――存外、可愛いところもあるもんだ)


知らぬ間に己の口角が上がっていることに気が付いて、それにさらに可笑しくなってしまう。
脳裏に浮かんでいるのは、少し気恥ずかしそうに“行ってきます”と零したくだんの女子大生。

先日の通話でもきゃらきゃらと笑っていたので、今は感情が上手く機能していないだけで本来はきちんと情緒を持っているのだろう。
当初自分はどうにか感情を揺さぶってやろうと強い言葉を使っていたけれど、今のように普通に接している方が余程効果的らしい。まさに北風と太陽といいったところだ。


「…いや、飢えてるだけかな」


彼女の人生は常に孤独であった。友人を作りたくても作れない。軒並み死んでいくのだから。
そして今になって、唯一安心して身を寄せられる親族までも呪いによって皆殺しだ。他人の情に触れる機会など皆無だろう。

そんな状況で、その呪いに潰されない人間が隣に並べばどうなるか。――あっという間に依存するに決まっている。人であるならば。心があるならば。


「依存…依存かあ…」


悪くない。あの何の感情も映していないような目が、僕だけを映して僕だけのために情に彩られる。面映ゆくて悪くない。けれども。


「んー…なんか、ちがう…コレジャナイ感…」


これじゃないというより、多分――「足りない・・・・…?」
自分の思考が上手くまとまらないのは随分久しぶりな気がする。


「一人で行かせてよろしかったのですか」

「平気だよ」


適当なブロック塀に寄りかかり名前の入っていった廃ビルを眺めていると、車で待っている予定だった伊地知がやってきて僕の隣に並ぶ。
楽な姿勢をとる僕と違って きっちり背筋を伸ばして立つ、大人ぶった顔をしているこの後輩は多分別のことが聞きたいのだろう。ズバリ彼女の呪詛師疑惑調査の進捗だ。
状況が一層不利になるような事実・・・・・・・・・・が先日判明したことも、彼の焦りの一つになっているに違いない。

後輩思いの僕は、尋ねられるより先に現状を共有すべく口を開いた。


「ずぇーんぜん進展ナシ!術式わかんない!だから進捗報告書も書けませんっ!」

「五条さんが報告書を書いたこと、ありましたっけ…」

「あるある。代筆はしてもらってるけど」

「それは、書いてないと、言うのでは…」


段々小声になっていく伊地知に素知らぬふりをして、本題の方を進める。


「術式の方はホントに外から・・・出来る事がもうないんだよ。あとは彼女自身・・・・に気付いてもらうしかない」

「呪力コントロールが出来るようになっても、発動しなかったんですか?」

「いや、してる・・・。ってか常にしてる・・・・・っぽい」


予想外の内容だったのだろう、伊地知はわかりやすく唖然とした。
少しして、ようやく一言だけ返ってくる。


「…そんなこと、あり得ますか?」


伊地知が問うているのは、“術式の常時使用が可能なのか”と、“六眼でも見えないのか”という2つだろう。


「常に術式を回し続けるのは、僕がほぼそんな感じだろ?色々条件あるだろうし術式にもよるけど、無理じゃない」


呪術など知らずに、むしろ非現実なことだと否定さえしてみせた人間が、その実 常に術式を使用していたなどにわかには信じがたいが、紛れもない事実である。
恐らく呪詛師が興味を持っているのはこの点だ。何らか・・・の経緯で、高専より早く目をつけていたのだろう。

続けて、2つ目の疑問に応える。


「それから、六眼でわからないなんてこと、普通ないよ。体に刻まれた術式なんて丸視えのスッケスケだもん」


術師の体はさながらキャンバスだ。そこに描かれているのが何であるのか読み取るのは容易い。象、犬、蜂――色数は多いか、絵筆か油性ペンか、写実的か抽象的か、そういう違いはあれど何が描いてあるのかは直ぐにわかる・・・
ところが名前の術式は、視えている・・・・・のに、わからない・・・・・

視えるのにわからないなんてそうあることじゃないので、不愉快でありながらもこの状況を少し面白くも思ってしまう。


「多分呪力の流れが妙・・・・なのと関係ありそう」

「妙、ですか」

「ウン。なんだろう、流れてるんだけど、流れが視えないっていうの?…普通、へそから全身に流すのが基本でしょ」


そう言いながら手振りで流れている様を示すと、伊地知は頷く。感覚的には彼もよくわかるはずだ。まあ呪力を“流す”のはあくまでセオリーで、実際はそんなこともないのだが今は敢えて触れずにおく。


「そう教えてるのにこう、どう流れてるのか視えないんだよ」

「?」


手振りを止めてぱっと手のひらを大きく開き、“消失”のイメージを伝えてみる。しかし伊地知は首を捻っただけで、得心がいった様子はない。

伊地知に“流す”感覚が伝わるのは、彼自身が流せるから伝わるのだ。一方で“視えない”というのは上手く伝わらない。そもそも視えることがないのだから。
この感覚は、残穢が視えることや感じられることとは少し異なる。感覚が特別鋭敏な術師なら少しは理解の余地もあるが、それでも六眼と同じ感度での感知は不可能だ。

伝わらないイメージに、思わずガリガリと頭を掻いた。


「う〜ん、視えないやつにはわかんないよな〜コレ〜…すっげ気持ち悪くってさァ…」


例えば名前に“出力を上げて”と言ったなら、確かに出力は上がる。だが一体どこから呪力が湧いたのか視えない。いつの間にかかさだけが増えている。
現実ではどのようなイメージにあたるのか考え、浮かんだのはビニールプールとそこに水が溜まるのを今か今かと待つ園児たち。確か夏の暑い日に任務で出歩いていたときに見た光景だ。


「半分くらい水の入ったビニールプールに、ホースで水入れる感じ?ホースは水に沈めててさ、流れは見えないけど嵩が増えていく。んでそのホースが透明なの。だからどこから湧いてんのかわかんない」

「…五条さん、ビニールプール入ったことあるんですか」


言葉を重ねど、全く伝わらないイメージにがっくりと肩を落とす。そんなに悪い例えだったのかと思うと何だか切なくなってしまう。


「本当にプールなら手を入れてホースを探せば良いんでしょうけど…」


伊地知が零した言葉に、はっとする。そうだ、視えないなら他の手段で感知すれば良いだけのことだ。


「いいねぇ、それ!ナイス伊地知!」

「は、はぁ…」


僕としたことがこんな簡単なことを思いつかなかったとは。疲れているのかもしれないので、次回の任務は他の術師に投げた方がいいに違いない。
伊地知は自分の発言が名前の呪詛師疑惑調査の一歩前進に貢献したことには気付いていないようで、曖昧に応えながら首を捻っていた。


「ま、そんなわけだから術式は今のところ様子見、と」


僕は両手で箱を横に置く仕草をして話を切り替える。

実のところ、術式の判明や呪力の流れ方の理解は任務完了の必須条件ではない。名前が犯人でないことを示さずとも、原因が別にあれば・・・・・・・・いいのだから。
その原因の目星は全くついてはいない。が、初めて名前に会った瞬間から認識している怪しい存在がある。無関係だとしても放置出来る存在ではないし、僕の勘では恐らく関係しているだろう。


「それより彼女に憑いてる呪い・・・・・・の方をどうにかしたいね」

「苗字さん、呪われているんですか?」

「ガッツリ。付かず離れず憑いてるのはわかるんだけど、姿を見せないから呪われてることしかわからなくて気持ち悪い」


感知する度に同じ気配だし、名前の周辺でしか感じられないので、恐らく名前個人を呪ったものだろう。
常ならとっくに祓っているはずだが、この呪いはどこにいるのか靄がかかったかのように特定できないために現在も手が出せずにいる。


「僕という別の呪術師にビビッて出てこないのか、それとも何か別に理由があるのか。どちらにしても、僕はこの呪いも事件の鍵・・・・だと思ってる」

「――なんだか五条さん、楽しそうですね」


伊地知の言った言葉に、思わず固まってしまった。図星だったからだ。
今回の調査任務は異例の“ワカラナイ”尽くしで 不愉快に感じる部分も多いが、悪いことばかりじゃない。だってその“ワカラナイ”が紐解かれていく様は、日々の退屈に少しの楽しさを提供してくれるだろうから。
僕は再び口角を上げ、言った。「楽しいよ、すごくね」


「そういう訳だから、しばらくは成り行きを見守っててよ」


210327
  

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