13



カシャカシャカシャン、踏みつぶしたガラス片が音を立てる。
運動系のサークルに所属しているわけでもないので全力疾走など久々だが、案外走れるものだ。
頭の片隅でそんなくだらないことを思いつつ、悲鳴のした方向へ駆ける。

廃ビルの2階に上がったころクスクスと笑声が聞こえたため、五条さんから聞いた通り学生が入り込んでいるのだと気付いた。
彼らと遭遇せずに事が終わることが望ましかったので、物音を立てずに索敵することにしたがそのすぐ後に悲鳴が聞こえ、願い空しく叶わなかったと悟る。
そして駆けだした。というのが現在の状況である。

正直焦っている。
“巻き込まないこと”は想定内だが、“他者を守りつつの戦闘”は全く想定していなかった。そもそも今まさに初回、ぶっつけ本番なのだ。自分がどの程度の力で呪霊と渡り合えるのかも未知数の状態で、自信などあるはずがない。


「やだぁ…、う、…ひっく」


ようやく悲鳴の出所に辿りつき、一つ深呼吸。


(――“急く事はゆるりとせよ”…と)


強く地を蹴り、扉のない荒れた室内に飛び込んだ。
一馬身ほどの昆虫のような姿の呪霊と、涙で頬を濡らす少女を視界に捉える。
呪霊はこちらに気付き振り向くも、その動作は鈍い。カウンターを狙わずとも易々と一撃入れられると確信し、そのまま突き進む。


「いら、いらっしゃぁ…せぇ…」


呪霊の前足の一つが持ち上げられるより早く、呪力で覆った警棒を首へ叩きつけた。


「オォオッォォォォォオォオオォォオ」


怯んだところへ二発、同じく首へ。するとゴキリと呪霊の首は折れ、頭が垂れ下がり、数秒の内に全身が消失した。祓えたのだろう。


(意、外と…いけた…)


静かに胸に手を当て、深く息を吐く。一発で仕留められるとは思っていなかったので連撃することに抵抗はなかったが、感触はとても不快だった。
今まで怯ませるために殴りつけることはあっても、仕留めるために警棒を振るったことがなかったので加減しないというのも中々難しいものなのだなと改めて実感する。

もしかしたら“仕留める”という前提なら刃物など殺傷能力がより高いものの方が楽に祓えるかもしれないな。そんなことをぼんやり警棒を眺めながら思う。


「あ、あのっ」


その声にはっとする。声を掛けてきたのは未だ涙を零している10代前半と思しき少女である。怯えているのか、声も足も震えていた。
特殊な状況では非呪術師も呪霊が視えるらしいので、まともにあの姿を目にして怯えているのだろう。


「た、たす、…ありがとう、ご……ます…」


掠れた声でしゃくり上げながらの言葉は聴き取りづらかったが、どうやら礼を述べているらしい。
その背中を撫ぜ、必要な情報を得るべく問いかける。


「ここには何人で来ましたか?」

「…ふたり」

「今の化け物・・・は他にも見ましたか?」

「……」


こくこくと頷く少女は、途端に切羽詰まったような表情を浮かべていた。
目線が床に落ち、少女の顔はどんどん青ざめていく。

少女の視線を追うと、そこには血が数滴垂れていた。なるほど、どうやら友人の安否に思い至ったのだろう。
この量では恐らく致命傷ではなさそうだ。床に目を走らせると、それは部屋の外に続いている。私がここに来るまでには目にしていないものなので、入り口とは逆方向に向かっているに違いない。
希望的観測ではあるが、恐らくもう一人は生きたまま呪霊に連れられていると見るべきだろう。であるならば急がなければならない。いつその人間が死体になるとも知れないのだから。

再び駈け出そうとしたところで、少女の指が私の服の端を摘まんだ。


「お、置いて、…かないで…」


ぶるぶると震える少女は痛々しいが、流石に連れていくことは不可能だ。二人の人間を守りながらの戦闘などしたこともないし、何よりまともに動けそうにない彼女と移動するのは空費時間が大きい。
今まさにこの時間も空費しているのに他ならないのだ。

彼女の指を出来るだけ丁寧に外しながら、落ち着いた声色を意識して言葉をかける。


「他の大人が外にいます。もう化け物はいませんから、あなたは外へ」


来た道にはもう呪霊はいないだろうと踏んで、そう言った。
最悪いたとしても、入口付近なら五条さんが何かしら対処してくれるだろうという確信もある。

私は今度こそ再び駈け出した。





+ + + + + + + + + + + + +






辿り着いたのは廃ビルの屋上だった。
すぐ目の前でずんぐりむっくりとした呪霊が、先ほどの出会った子と同年代くらいの少女の足を逆さに握っている。
屋上に続く扉が転がっているのが見えるので、恐らくあの呪霊が壊してここまでやってきたのだろう。


「………っ、……ぅ…く…っ」


ここに至るまでに血痕の散っている場所があったので、いくらか痛めつけられたのだろう。
服は汚れ、鼻血を垂らし、乱れた髪が血液を吸っている。それでも必死に声を抑えて呪霊を刺激しないようにしているらしい。

呪霊がこちらに気付いていないうちに、周辺に目を走らせる。まだ私は屋上には出ていない。が、扉がないおかげで屋上側の様子は丸見えだ。
ぷらぷらと吊るされる少女を救いつつ、あの呪霊をどうにかする方法を考えるが、浮かばない。
それはそうだ。私の攻撃手段は“殴りつける”一択である。殴りつけて少女を落としてくれれば良しだが、力でも込められればたちまち少女は臓腑を潰されるだろう。
刀でもあれば少年漫画よろしく腕を切り落として少女を救済することもできるのだろうが。

そうこう考えているうちに、呪霊はのそりと歩きだした。
少女を持っていない方の手で何かを拾い上げる。扉だった。屋上に出る際に破壊したものだろう。

そして無造作に少女を床に抑えつけ、扉を高く掲げた――さながら、俎上の鯉を捌く料理人のごとく。


――ゴガンッ!!


振るった警棒で扉を弾く。軌道をずらすだけのつもりだったが、扉はそのまま呪霊の手を離れ一度床で跳ねてからフェンスに当たり止まった。落ちなかったことに一先ずほっとする。


(無策で飛び出しちゃった!けどっ!コレも動きは速くない!)


思うより早く少女を掴む手を呪力で覆った手で引き剥がしにかかる。自分の5倍はありそうな手だったが、面白いように呪力を纏った指がズクズクとめり込み、呪霊の指が切断されていく。
その様に警棒より余程刃物のようだと思いつつ、その間の作業時間は1秒とかからなかった。


「ギィアアァァァアァオオァアアォオオオ」


呪霊は突然の指の消失にけたたましい声を上げのた打ち回る。その隙に少女を抱え、呪霊から離れた。

内心、己の身体能力の上昇ぶりに驚きを禁じ得ない。
“呪力コントロール出来るようになったから身体能力もかなり上がってると思うよ”と五条さんから聞いてはいたが、まさか人間一人を抱えて易々移動できるとは。

十分距離をとってから、少女を地面に下ろし、再度呪霊に近付く。仕留めるなら呪霊が混乱している今だろう。


「ギ…ギィィアアァ…ギギィィイイィ…」


呪霊は己の敵が私だと理解出来たようで、こちらを見据えガチガチと歯を鳴らして殺意を露わにしている。

再三、深呼吸。勝てない相手ではないはずだ、落ち着いて対処しなければ。


『――こっち・・・だ…』


「…ギィ…、?」


一瞬、何か・・を感じ取る。じゃない。自分の内側・・で、何かがざわめく感覚。ほんの、一瞬。
しかし私が気をとられるのと同時に、呪霊も何故か臨戦態勢を解く。


(一体、何が起きて…)


おもむろに呪霊が屋上入口へ顔を向ける。そこには、先ほど助けた少女が立っていた。
呪霊が引き寄せられるようにそちらへ足を向ける――

ドガッ!!

――よりも早く、私の警棒が先に呪霊の頭を叩き割る。
渾身の力だったおかげか、はたまた呪霊の耐久力が大して無かったのか、一撃で仕留めることに成功した。


「…はぁーーー…」


終わった。目の前で少女が殺されることもなく、己が怪我を負うこともなく任務が完了したことに大きな安堵が押し寄せる。
よくよく冷静に考えると、言われるがまま完了してしまったが、命の危険もあるようなことを易々と引き受けるものではないなと改めて思う。

『祓えるようになったら日常生活で見殺すことなくなるんじゃない?って話だったじゃん。そのための今この訓練でしょ』――この任務を引き受ける決定打となった五条の言葉だった。


(いや。あんな甘言では乗るのも無理ない…実際良い経験になったし…。でももう少し先に、こう、出来る事あったんじゃなかろうか。命かかってるんだし…)


悶々としつつも、結局は“終わってしまったのだから、もはや仕方ない”という考えに帰結する。であれば今度は、速やかに帰還すべし、である。
そう思い、まずは近くにいる方の少女――先に助けた少女に目を向けた。瞬間、ドキリと心臓が妙な跳ね方をする。


「………」


少女はただ、立っていた。ぼうっと、まるで幽霊か何かのように、何の感情もない顔で突っ立っていたのだ。
違和感を抱きつつも、そのままというわけにもいかないので、恐る恐る声をかけてみる。


「…あの…?」

「ひっ!!?」


ビクリ、少女の肩が跳ね、途端に涙を流しながら「えっ、はっ!!?」意味のない言葉を重ねた。その様子はここにいることに初めて気が付いた・・・・・・・・ようなものだった。


「ちょっと、ここで待っててくださいね」


そう言って怪我を負っている方の少女に小走りで近づきながら、心中で溜め息をつく。

目の前でこうして、突然魂が抜けた様に静止・・・・・・・・・する人間を見るのは初めてではない。
もしかしたら、術式とやらが関係あるのかもしれないとも思うが、そうだとしたら呪力コントロールの訓練で何も分からないのはおかしいじゃないか。
なのできっと、関係ない。



――『ねえ、ゆんちゃん聞いてる?』

私は振り返った。ずっと後ろの方で、小学校低学年の女児がぼうっと突っ立っている。

交通量の激しい交差点で、信号は間もなく赤に変わろうとしていた。女児が立っているのはその横断歩道の上。

スピードを落とさず交差点に進入してきた車が、左折する。ブレーキ音はしなかった。したのは鈍い接触音。

その車は、女児をはねあげ――




関係ないんだ。私とは。


(――だから、五条さんに報告はしなくていい)


210328
  

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