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「あれ、伊地知さんは?」

「事後処理。というわけだから現地解散」


スタスタと救急車の走り去った方向からやってきた五条さんに問うも、返答はあっさりとしたものだった。
呪霊を祓い終わったものの怪我人がいたため “はい、おしまい”という訳にはいかず、救急車を呼び、それに少女を乗せたのは先ほどのことである。

どうみても少女の傷は事件性が高いものであり、その現場にいた人間をそのまま帰すわけにはいかないだろう。
救急車の直ぐ後にやってきたパトカーからもその予想が正しいことはわかっていたし、自分もその対応をするのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
五条さんの言葉から察するに、どうやら伊地知さんが一人で対応しているようだ。


「ん?…ああ、こういう場面はすごい多いから、その辺の処理も高専職員の仕事なの。僕ら術師は次の現場があったりもするし、事務的な仕事は管轄外」

「僕、、とは…」


ジロリと五条さんの方を見やる。明らかに“五条さん含めた他の術師”、ではなく、“五条さんとと私”という風だったためだ。
呪術師という職を聞いた今、さり気なく私を術師として数える発言を放置するのは危険だろう。知らぬまに呪術師として仲間に引き入れられる恐れがある。


「スルーしてよ、術師は万年人手不足だからさ。…あ、じゃあまずはアルバイトでどう?」

「パスです。命がいくつあっても足りません」

「うーん、残念」


五条さんはその言葉とは裏腹に、全く動じていない様子でそう言う。


「まあいいや。それより一緒にお昼でも食べに行こうよ、僕お腹すいちゃった」

「……わかりました、お付き合いします」

「今日は随分素直だね」


予定していたより大分早く終わり、余剰時間があるだけなのだが、わざわざ言うこともないだろう。


「んじゃ、とりあえず駅まで歩こっか」

「はい」


任務地であった都内の廃ビルは少し駅から距離があるが、歩けない距離ではない。そして廃ビル周辺には飲食店も多くなさそうだったこと、帰宅するにはどちらにせよ電車に乗らねばならないことから、ひとまず駅に向かうというのは最良に思えた。


「あっ、その前に名前にお願いがあるんだけどさ」

「?なんでしょう」

「ちょーっとハグさせてもらっていい?」


“は?”という声は寸でのところで飲み込んだ。
五条さんは相変わらず笑みを浮かべたままであり、軽薄ともとれる表情ではあるが、面白半分でこんな提案をするはずはない。その上私に下心などというものを抱いていないのはすでに知っている。
ということは恐らく何かしらの意味はあるのだろう。

廃ビルからすぐの位置にあるこの場所は未だ路地裏なので、人目もそんなに気にならない。そして合理的な理由がある。ならば拒むこともない。


「いいですよ」

「え?いいの?…あとでセクハラとか言わないでよ?」

「はいはい」


どうぞ、そう言う代わりに両腕を広げてみせると、五条さんはポツリと「あっさり過ぎてこれはこれでモヤっとするなー」などと呟きながら(じゃあどうしたらいいんだ、と心内で返しておく)、数歩進んで私の腕の中に入ってきた。そっと私の背に五条さんの手が添えられる。
腕を下して静かにしていると、五条さんが口を開いた。


「ちょっと呪力出力上げてみて」

「わかりました」


やはり私の術式関連のことだったらしい。言われるまま呪力を上げると、何だか急に身のうちがざわめき始める。ちょうど、先程のように・・・・・・
思わず上げた出力をまた戻す。「名前」五条さんが耳打ちした。ぞわり。


「出力下げないで」

「わ、わかりましたから!耳元でやめてくれますかっ、ぞわっとする!」


そんな至近距離で声を出されたことがないので、慣れない音の振動に背筋がくすぐったい。思わず指先に力が入り、何か握っているような手振りをしてしまう。



「え?フフ、照れてるの?かーわいい」

「だ、か、ら…っ」


私の反応が思わぬもので面白かったのだろう。五条さんは一層耳元に唇を寄せ、今度は狙って吹き込むように言葉を放つ。
からかわれていることは百も承知だが、血液が頭に集まるのは回避できない。

とにかく早く解放してもらわねばと、体内の妙な事象は一切合切無視をして、呪力出力を可能な範囲の最大出力まで一気に上昇させる。


「!」


上昇しきったその瞬間に、ザッ、と音がしそうなほどに素早く五条さんは私と距離をとった。

静かに、けれど素早く自分の両腕を目視で確認している。――そうさせる何かが今まさにあったのだろう。「名前」確認を終えた五条さんが顔を上げた。
が、見るや否やポカンと口を開けて私の顔を凝視する。(目元は相変わらず見えないが、多分、そう)


「なんですか…」


いたたまれない気持ちになったので、とりあえず顔を背けた。が、こちらに向けられていた視線が逸れる気配はない。


「…真っ赤だなーと…」

「…そういうのは、普通言わないものでは」

「かわいいよ?」

「……」


じろりと目線だけ戻すも、五条さんはいつの間にかにんまり面白そうに笑っていた。
でも、その笑い方は多分、馬鹿にしているとかではない。

なんだかその笑いが自分に向けられていることがむず痒くて、「とにかく行きましょう」黙って駅の方角へ歩を進め始める。


(――なんというか、むかつく、ような)


その余裕綽々ですというような、様子が。
自分だけがペースを乱されているこの有様が。
そしてそれを悪いと思わない自分自身の心情が。


「…らしくない…」

「何ー?」

「なんでもないです」


隣に並んできた五条さんとは反対方向を向いて、小さくため息を零した。


210404
  

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