15
「や」
ノックもせず医務室に入ってきたのは、片手を上げた五条だった。
医務室の主――家入 硝子は、五条へ視線を向け、珍しく目を丸くする。
「アラートが鳴ったから何事かと思えば」
「ああ、ヤッバいでしょコレ」
「そのなりで生徒に会うなよ、正直不快なレベルだ」
「もう会っちゃった」
そんですっごい嫌な顔された、とケラケラ笑う五条は楽しそうと形容するのが最適であったが、その“なり”はとてもじゃないが彼を“楽しそう”にするには不適であるように思われた。
何故なら五条の胴と両腕にはべったりと他人の残穢がこびりついていたからだ。それは非呪術師でさえも反応するものが居そうな程のもので、呪術師ならば誰もが顔をしかめるであろう。
「例の任務関係か?」
「そ。術式使われちゃった」
「そのままにしていて問題は?」
「今のところは、全く」
すたすたと室内に入ってきた五条は、当然のようにどっかりと丸椅子に座り、長い足を組んだ。
硝子は彼がどうやら任務の話がしたいらしいことを悟り、片付けていた仕事の手を止めて聞く姿勢を見せてやる。
仕事の切りが良く、また、彼女の方からも
件の任務について
頼まれていた調査の報告があったためだ。
「五条の話を聞く?それとも調査報告が先?」
「じゃ、まずは調査報告」
「りょーかい。…とりあえずこの心霊映像返しとくよ」
硝子は机の引き出しから、USBメモリを取り出し、五条に向かって放り投げる。
五条はそれをキャッチしながら「心霊映像」と言って面白そうに吹き出した。
そのUSBメモリに収まっているのは、ある少女をひき逃げしたトラックのドライブレコーダーの映像である。
勿論その少女とは苗字 名前のことであり、映像の日付は彼女の大学受験当日の早朝だ。
「合成のイタズラ動画かと思ったよ」
「だよね、僕もそう思った」
その映像を簡潔に説明するならば、一人の少女がトラックにはねられ、明らかな致命傷を負い、そして何事もなかったかのように立ち上がる、ただそれだけだ。総再生時間たったの三分。
ちなみに映像の最後のセリフが『化け物…』であるせいで、完全にホラー映画のワンシーンである。まず間違いなく、SNSで拡散してもフェイク動画扱いされるだろう。
「多分、反転術式だと思う。ただ、ドラレコ越しじゃ呪力は視えないから、100%そうとは言い切れないが」
「マジか。ぶっちゃけ“そういう術式だ”とか言われた方がまだわかる感じだったけど…となると術式解明の方は“ふりだしに戻る”か〜」
実際には五条も反転術式だろうと予想してはいたのだが、呪力操作のイロハも知らぬ“ド”のつく程の素人が反転術式を使用出来ることについて懐疑的であった。
そのため、第三者の見解を得るべく硝子に依頼したのだ。
五条は彼女の見解が自分のそれと同じであることに納得しつつも、やはり驚きも感じていた。
硝子の方は自身が早い段階で反転術式が使用出来たこともあり五条ほどの驚きはないようで、「はい、五条の番」無感動な様子で早々に次の話題に切り替えることを促す。
「
心霊映像渡しに来た時も言ったけど、未だに彼女の術式がわかんないもんだから、ちょっと呪霊とぶつけてみた」
「前々から思ってたけど、五条って結構スパルタだよね」
「かわいい子は谷に蹴落とす派だからね僕」
色々混じってるな、と思いつつ硝子は突っ込まない。五条も突っ込まれないことは分かっているので、そのまま話をすすめていく。
「まあ、それ以上に
余裕がなくなってきたっていうのが主な理由だけど」
「ああ、“訓練用の呪骸”と“例の事件現場”の残穢が一致したんだって?伊地知に聞いたよ」
「そーなんだよ。状況証拠に過ぎないから犯人だと断定はできないけど、“残穢が残っているけど犯人じゃない”って言い切るのも難しいからさ」
「調査開始から今まで、“残穢の一致”しか判明してないのは、まあ痛いだろうな。上は“苗字名前 死刑派”と、次の犠牲者を出して“五条悟 責任取らせる派”が出てるらしいよ」
「ヤバ、脳みそ湧いてんね。分かってたけど」
「あの子が死ぬと金が動くからね。遺族もいないし。そっち狙いのやつもいるようだ」
「ヤダヤダ、
若人を狙う
老害じゃん、きったねー」
五条は渋い顔をしながら両手で箱を横に置く仕草をして、表情も元に戻した。
「で、ぶつけたわけなんだけど」
「ああ、本題ね。術式わからないのに術式使われたって、任務中に何かあったのか?」
「いや、任務自体はめっちゃスムーズに終わった。予想以上のお手並みだったね、相手4級のザコだけど」
「へえ」
「ぶっちゃけちょっと何か起きて術式判明するか、彼女に憑いてる呪いが出てくるか、どっちかは期待してたのに。――あ、そうそう、術式は常時発動型っぽい」
「それは、珍しい。となると確かに外部刺激で判明させる方が早いかもね。――でも、失敗したわけだ」
「そ。思い通りにいかなくて参るよ」
五条は腕を組み、わざとらしく肩を竦めて見せる。硝子はそれを見て、口端を持ち上げた。
「の、割に楽しそうだけどね」
「はは、わかる?久々に知的好奇心をくすぐられてるよ。僕だけで楽しむのはもったいないから、硝子にもお裾分け」
「はいはい、ありがと。――で?」
任務中でないならば、任務外で何かがあったのだろう。勿体ぶらずにさっさと吐けば?そんな内心を微塵も感じさせない微笑みを浮かべ、硝子は続きを促す。
付き合いの長さ故か、硝子のその内心を察した五条は、簡潔に述べた。
「呪力の流れが妙だったから確認するのにハグして、呪いに術式使われた」
「なるほどね。一応確認するけど、合意?」
「合意に決まってるだろ」
簡潔に説明しろと促されたから簡潔にしたのに、とぷりぷりと拗ねる五条に、硝子は「一応一応」と上辺だけでフォローする。
「じゃあとりあえず呪いは祓えたってことか。祓ったのに消えない呪いはちょっと厄介じゃ、」
「祓えなかったよ」
「ん?つまり、どういうこと?」硝子は首を傾げた。
五条は組んだ足の上に肘を乗せ、頬杖をつく。そしてひとつ溜め息。
「呪いは彼女の“中”に居た。だから、祓うなら彼女ごとじゃないと無理」
「…“器”ってこと?」
呪物や呪いは時として、人間の体を己のものとしてしまうことがある――呪術界では“受肉”と表現されるその現象。
しかし、極々稀に人間側がその肉体の支配権を存続し続け、身の内に呪いを飼う“器”と呼ばれるモノとなることがある。
但しその場合、あくまで“現状では支配権を存続している状態”でしかないため、呪いの危険度によっては即刻死を求められることも、要監視対象となることもあったりと対応はマチマチだ。
ただ一つ言えるのは、“器”となってしまった人間の一部はもはや“呪い”となってしまい、分離は不可能――
どちらかの死をもって両者の死となるということだ。
そこまで考えたからこそ硝子は言い淀んだのだが、五条はそれをあっさりと否定した。
「それがさ、
混じってないんだよ。だから“器”じゃない」
「じゃあ、“使役”?」
一部の呪霊は術式を保持している場合があるため、己の利便性のため、又は弱点の克服などのために飼う術師は少ないながらも存在する。
「それも無さそう。勘だけど」
「ふーん?じゃあその呪いは、なんの縛りもないのに彼女の体を侵すでもなく大人しく身の内に収まっている、と。そういうこと?…ありえねー」
「僕もそう思う」
硝子が肩を竦め一笑すると、同じく五条も頬杖はついたまま器用に肩を竦めた。
「ってことは、別に理由があるってことだ」
「ああ、なるほど。それで様子見のためにそのべったり付いてる
手垢を放置してるのか」
「そうそう。また、様子見のターン」
「随分大人しくしてるんだな。まだ彼女から得られる情報はあるだろうに」
「無理矢理聞くわけにもいかないだろ。だから話して貰えるように好感度上げ頑張ってるトコ」
「五条悟の台詞とは思えないね」
「失礼だな。僕だって“待て”くらい出来るっつーの」
そう言って口を尖らせた五条は、のっそりと立ち上がる。話が終わったので、切り上げようということだ。
硝子もそれを察して仕事を再開する姿勢に入りつつ、楽しそうに最後の戯れを口にした。
「まあ、最悪どうしてもわかんなきゃ、ここに連れてきなよ」
「ヤだよ。どうせここで腹でも開いて見ようかってんだろ」
「いい案だと思わない?」
「…まあ、ナシではない」
この時
件の女子大生は、悪寒に震えたとか、いないとか。
210408
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