07



素直に、驚いた。
『ごめんね』――そう目の前で謝罪した怪しい風体の男があまりにも真摯な声色だったから。
これまでの のらりくらりとした掴みどころのない態度とは明らかに違っていた。何が男の琴線に触れたのかはわからないが、こうなってしまえば私も態度を改めねばなるまい。
『誠意には誠意を返すこと』という、今は亡き父から授かった教えの一つを無視することは出来ないからだ。
私はここにきてようやく、一個人として“五条 悟”を認識する。


「正直、僕は君が犯人だとは思ってない」


でも、と男――五条さんは続けた。


「現状だと一番疑わしいのは君だ」

「………」


それは昼間も聞いた、とは思わない。
あの時は私の反応を見るために言っていたが、今は恐らくそうではない。
本当の意味で・・・・・・私に事情を説明する気になったのだろう。


「疑いを晴らす方法は二つ」


五条さんは人差し指を立てて続ける。


「一つ、“真犯人を見付ける”こと。これは今のところ君以外に疑わしい人間はいないから、相手が尻尾を出すのを待たなきゃならない。つまりアプローチの仕様がない」


人差し指はそのままに、今度は中指を立てた。


「二つ、“君には出来ない”と証明すること」


呪術などというものが存在しない限り、証明するまでもなく“私には出来ない”ことだ。
しかしながら、今まさに現実にはあり得ない“何か”――五条さん曰く“呪霊”――と争った。
さすがにもう、“今までの常識”の方を疑わざるを得ないので、余計な口は挟まずに黙って耳を傾ける。


「これを証明するには君にその類の呪術が扱えない。つまり、“式神を扱えず”かつ“君の術式じゃ犯行不可能”でないといけない」


五条さんは指を立てていた右手をおろすと、今度は左手をあげて人差し指と中指を立てた。


「術式以外で式神を扱う場合 その式神はごく簡単なものになるけれど、それでも呪術師としての訓練を受けていなければ不可能だ。僕が見たところ君はそうは見えないから、こっちは証明済み」


そう言うと五条さんは中指を折る。


「あとは術式だ。これについては――」


残った人差し指を私に向けて続けた。


「君は持ってる・・・・よ。どんなものか分からないけどね」

「…術式?」

「…ああ、昼間の説明に入ってなかったんだっけ?」


五条さんはうっかり、と零して私を指していた指先を引っ込める。


「術式は基本的には先天的に体に刻まれているもので、呪力を流し込むことで色んなことができる」

「その術式とは、各個人 異なるものなんですか」

「そ」


術式というものが各々違う、もしくはいくつかパターンがあるのではないかと推察出来たのは、“君の術式じゃ犯行不可能”ということを示せとの五条さんの言葉からだ。
私がその術式とやらを持っているという五条さんの主張は一度横に置こう。


「僕が君をあえて刺激したのは、術式を発動してもらってその内容を探るため」

「…なるほど」


昼間の説明に“呪力”は入っていた。要約すると、負の感情エネルギーと言ったところだろうか。
ようやく、五条さんが私に何をして欲しくて刺激していたのか理解出来た。


「呪術師は僅かな感情の火種から呪力を捻出する訓練と同時に、大きく感情が揺れても呪力を無駄遣いしないための訓練もしているけど、君はそんな訓練はしていないでしょ?だから、感情を揺さぶれば術式発動するんじゃないかなーって」


ひととおりの説明が終わったらしく、五条さんは冗談めかしてへらりと笑う。


「ま、結果は名前の鋼の精神力に阻まれた訳だけど」

「名前呼びやめてください。急な距離感に戸惑います」

「え、そこ拾っちゃう?名前チャン」

(…拒絶を意にも介さぬ精神力)


もう私には毒気の欠片も残ってはいなかった。
この人の話の内容はともかく、害意が何も感じられないせいだ。どころか、誠意すら見せられている。
この状況で敵対心を抱くことはとても難しいだろう。


「ま。信じる信じないは、君に任せるよ。――でも、」


五条さんは慎重に、そっと言葉を紡ぐ。
その仕草に、声色に、私への気遣いが滲んでいた。
隠されたその目を私と合わせるように、長身を少しだけ折り曲げて続ける。


「君がちゃんと術式を理解すれば、もう誰も死ななくてすむかもしれないよ」


――それは悪魔の囁きだった。
恐らく一瞬だったろうが、私はその一瞬で言葉を何度も反芻する。
だって、それは余りにも欲したものだったから。

五条さんは再び冗談めかして笑いだし、ピースサインをこちらに向けてくる。


「あと僕も調査終わんないと名前から離れられないんでそこんとこヨロ!」


仲良くやろうね、なんて言う五条さんから視線を外し、わざとらしく溜息をついてみせた。


「はあ…」


五条さんに向けたものではない。己に向けたものだ。
一度は五条さんの話を“信じない”という選択をしたが、蓋を開けてみれば“自分の存在と他人の不幸には何の因果関係もない”ということを肯定したかっただけに過ぎなかった。
確かにあの時は信じるに足る材料は不足していたが、十分な証拠があってたとしても私は決して認めなかっただろうと今ならわかる。

他人より少しだけ多く偶然が続いているだけ。あまりにも不穏な内容だから“呪い”だの“祟り”だのと理由をつけたくなるけれど、あくまで“悪い偶然”に過ぎない。無差別に起きた“事象”に過ぎない。
生きていればそんなこともある。だから私は関係ない。


――ないのか?本当に、ないと思うのか?


友達は何人出来ても全員死ぬ。
親も親族もバタバタ死ぬ。
ペットは帰ってこない。
隣人さえ連続死する。

その中心に立つ人間は本当に無関係なのか?
本当は私こそが死神ではないのか?

今まで何度自問してきたかわからない疑問が頭を過ぎる。


気が付くと口を開いていた。


「話を聞いてもいいですよ」


五条さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
私はそれを眺めながら、どうして口を開いてしまったのかを遅れて理解した。


友達は何人出来ても全員死ぬ。
親も親族もバタバタ死ぬ。
ペットは帰ってこない。
隣人さえ連続死する。


そんな人生に終止符を打てる可能性。


「夕ご飯、ご一緒しましょう」


それをきっとこの人が持っていると思ったからだ。


210225
  

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