冬のイタズラ


そろそろと少女の背後に近付く影。その顔には悪戯心を含んだ笑みが称えられている。
少しだけ伸ばされた手が捉えるのは長い髪に隠れた首元。狙いを定めてすっと手のひらを滑らせると、声が出ないくらいに驚きを見せた少女、月詠は勢いよく椅子から立ち上がると、触れられた場所を両手で覆いながら後ろを振り向いた。

未だに目を白黒とさせる彼女に対して、フロイはしてやったりと満足気な笑みを浮かべる。

「あははっ、ユイは相変わらず寒いのが苦手だね」

先程まで外に出ていたためか、冷え切った彼の手。これは寒いのが苦手な人じゃなくても、誰だってびっくりする。
おかしそうに笑っているフロイにムッとした月詠は、じとりと睨み付けるように彼を見つめる。張り詰めた警戒心は彼だとわかったことによって一瞬で解けると、小さく溜息を零して椅子に座り直した月詠。
まだ気になるのか、首元をさすりながら机の上に散らばる紙に目を落とした。

「びっくりさせないで」
「ごめんごめん!」

背を向けたままそう言えば、ごめんと素直に謝るフロイ。だか、彼の表情は笑っている。
こちらへ顔を向けようとしてくれない月詠にフロイが「怒った?」と顔を覗き込む。

「別に怒ってない」

短く否定した月詠。
しかし、顔を逸らした彼女の頬は僅かに膨れて、眉根には皺が寄っていた。怒っているのか、ご機嫌ナナメなのか、彼女の様子に気付いたフロイはやはりまずかったか?と黙ってしまう。
そんな心配も裏腹に、月詠は再び口を開く。

「ロシアの冬は相変わらず寒いから苦手なの」
「慣れればそんな事ないと思うけどな」

外に目を向ければ白い雪がちらほらと降り積もっている。
ロシアという国は、夏場以外になると大体このような景色ばかりだ。それだけ気温が低いことの表れであるが、月詠にとってはたまったものではない。日本の冬でさえ寒いというのに、ロシアという極寒地の冬場は更に冷え込む。部屋にいるにも関わらず、見るからに厚着をしている所を見ると、彼女は相当な寒がりのようだ。
反面で、生まれも育ちもロシアのフロイにとっては、この寒さは日常茶飯事のようなもので。ロシア人はみな寒さに強いというわけではないが、彼はどちらかと言えば強い方だという。

「フロイはそうかもしれないけど…」と月詠は自分の手を近付けた。ぴとりと頬に触れた指先は、部屋にいるにも関わらず冷たさが残っていて、フロイは驚いた様子で「つめたっ!」と数歩後ろに飛び退いた。同時に心配が襲いかかってくる。

「ユイ!すっごく冷たいよ!大丈夫なの!?」
「冬になればいつものことだから、別に大丈夫」

寧ろ今は彼女にとってマシなくらいだ。外に出れば、全身が凍りついてしまいそうなほどに冷たくなるだろう。
それを想像して月詠はぶるっと身体を震わせる。

「寒いの苦手なら、日本に帰っちゃう?」

ふと、彼女を見ていたフロイは、いい事を思い付いたとでも言いたげな様子で突然そんな問いかけをしてきた。しかし、表情から見るに彼女の答えはとっくにお見通しのようだった。分かりきった上で聞いているのだろう。

透き通った双眸にまじまじと見つめられた月詠は、フロイへ向けていた視線を僅かに逸らす。

「…帰らないけど」

ほんのり頬を赤らめて、呟くように答えた彼女の声は静かな部屋によく響く。
思っていた通りの返答を受けたフロイは、彼女を見つめて何を言うでもなく、満足そうに笑った。
再度目線を戻した月詠は、満足気にこちらを見て笑う彼の表情を瞳に映して小さく咳払いをする。そして、自身の中に募る羞恥心を追い出すかのように話題を変えた。

「寒いからあまり動きたくないし、廊下にも出たくない。練習に行くのも憂鬱」
「冬のユイは怠惰ってやつみたいだね」

「そんなユイも好きだけど」と笑い飛ばすフロイに対して「ちょっと違うけど」と月詠はツッコむ。付け足すように伝えられた言葉には気にも止めていない様子だ。それは慣れからなのか、意地を張っているからなのか。
とにかく言える事は、月詠からすると彼のそういった言動はいつものこと。それにいつも反応を示していても彼の思う壺だ。
先程も彼には悪戯されたうえ、からかわれた。これ以上、彼のペースに巻き込まれるわけにはいかない。

「まあ、でも…良いこともあるから嫌いじゃない」
「あ、だから苦手なの?」
「うん」

「良いことってなに?」とフロイが尋ねれば、月詠は小さくうーんと唸った後、口元に三日月を描き柔らかく微笑む。
じっ、と彼女の瞳に魅入られて首を傾げるフロイ。

「フロイの体温がいつもより近くに感じられること」

悪戯心を実らせながら笑う月詠は、フロイの手に冷たい自分の手をそっと重ねた。既に温かさを帯びていた彼の手から伝わる体温は、心までも温めてくれるような気がした。
目をぱちくりと瞬かせたフロイは、月詠の顔と重ねられた彼女の小さな手を交互に見る。
そして、次第に状況の整理が追い付いたのか大きな溜息を吐いた。

「…それはずるいんじゃないかな、ユイ」

徐々に赤みを帯びてゆく頬を隠すように片手で顔を覆ったフロイ。
ふしゅーっと音を立てて湯気立ってしまいそうなほど上がった体温と赤く染った顔は、冬景色の中であれば隠していたとしてもすぐに気付いたことだろう。
赤くなるフロイを瞳に映し、同じくおかしげに笑った少女の仕返しはなんともずるい。

いつの間にか彼女は悪戯心というものを身に付けていたようだ。