光風霽月
翌朝、遠くで登り始めた陽の光で気持ちの良い目覚めを迎えた選手達は、それぞれ準備をした後に食堂へ向かった。
キャンプ場での食事はバイキング形式で、数々の手料理がずらりと並んでいる。
前に並んだ選手達は、一様に食べたいものをお皿に取り分けると自由に着席する。
「そんなに食べて間に合うのか?」
「大丈夫だよ」
こんもりと盛られた稲森のお皿を見て、氷浦は心配そうに眉尻を下げる。
だが、彼の心配を他所に稲森は「いただきます!」と元気よく手を合わせると、お椀を左手に持ち勢いよく口の中にかきこんでいく。
一方で、他の選手達より少し遅れて食堂に訪れた月詠は、大谷からお味噌汁が注がれたお椀を受け取った。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます、大谷さん」
湯気の昇るお椀をトレーの上に乗せると、大谷は彼女の朝食をまじまじと眺めながら尋ねた。
「月詠ちゃん、本当にその量で足りるの?」
彼女のトレーには、白米、焼き魚、サラダ、といったバランスよく取り分けられたお皿がのせられている。
しかし、そこが問題ではない。問題は驚く程に量が少ないというところだ。
女性と言えど彼女は選手なのだし、この量では倒れてしまわないだろうか、と大谷は心配に思った。
その心配を汲み取ったのか月詠は、困ったように眉尻を下げながら笑う。
「はい。朝のうちに沢山食べて動けなくなってしまうと困るので」
「確かにそれは困っちゃう!でも、お腹がすいちゃって倒れちゃうと心配だし……」
うーん、と腕組みながら考え込む様子を見せた大谷は、すぐにコロリと表情を変えた。
「もしお腹がすいたら私が月詠ちゃんのためにお手製のおにぎり握ってあげる!だから、その時は遠慮なく声をかけてね!」
「お手製のおにぎり…!嬉しいです!それじゃあ、お腹がいっぱいすくように練習頑張りますね」
任せて!と胸を張る大谷に対し、お手製のおにぎり、というワードに目を輝かせた月詠は、言葉通り嬉しそうに大きく頷いた。
そうして朝食の揃ったトレーを持ち、席を探して辺りをきょろきょろと見渡す。
月詠以外の選手達は、まばらに座り食事をしている。月詠もそれに倣い、誰も座っていない近くの席に座ろうとした。
「月詠!」
その時、月詠を遠くから呼ぶ声。
こっちこっち、と誘導するように片手を大きくあげながら手を振る稲森は、次に自分の隣の席を指差す。
彼の意図が掴めず小首を傾げる月詠は、一度置いたトレーを再び両手に持つと、稲森の元に向かう。
「おはようございます、稲森さん。みなさんも」
「おはよう、月詠」
稲森の他にも、氷浦、万作、岩戸、剛陣といった伊那国島からの馴染み深いメンバーが共に食卓を囲っており、月詠は一人一人の顔を見回しながら朝の挨拶を交わした。
「ところで、稲森さん。私に何か用でしたか?」
「え?あぁ!月詠が席を探してるみたいだったからさ、もし良かったら一緒に食べないかなって!話したいこともあるし!」
「なるほど。あのジェスチャーはそういう意味だったんですね」
稲森の動きを思い返しながらあれは隣が空いているという意味だったのか、と脳内で手を打つ。
しかしながら、伊那国島という輪の中に混ざってしまっても大丈夫なのだろうか、という一抹の不安。
そんな彼女の心配を他所に、稲森は「座らないのか?」といった純粋な眼で立ったままの彼女を見上げる。
やがてその視線に耐えかねた月詠は、恐る恐る稲森の隣に腰を下ろした。
「昨日はよく眠れたか?」
「はい。それはもうぐっすり。稲森さんは…まだ眠そうですね」
「実はそうなんだ!昨日の試合の興奮がなかなか治まらなくてさ。おかげで…」
くあ、と縦に口を開けて大きな欠伸をこぼす稲森。目の端にじんわりと滲んだ涙を人差し指で拭いながら、照れくさそうに笑う。
「おかげでちょっと寝不足なんだ」
「お気持ちわかります。初めての公式試合でしたし、色々とありましたが、私にとってもいい思い出になりました」
再び欠伸をこぼしながら告げた稲森に、月詠はふふっと微笑ましそうに笑みを零しつつ、昨日の出来事を脳裏に思い返していた。
言葉の通り色々あった。それでもイナズマジャパンというチームで初めて連携し、挑んだ勝負。彼女だけでなく、誰の記憶にも残る初試合となっただろう。
「そういえば!」
韓国戦に思いを馳せていれば、何かを思い出したかのように稲森が大きな声を上げる。
「この後みんなで豪炎寺さんのお見舞いに行くことになったんだ」
「………お見舞い、ですか」
「そう!それで、月詠も一緒に来ないか?」
お見舞い、という言葉に反応を示した月詠は、何故か黙り込んでしまう。
「月詠?」
不思議に思った稲森が彼女の名前を口にする。
ハッと我に返った月詠は、口元に笑みを含みながら眉尻を下げた。
「…すみません。お誘いは嬉しいんですが、私は遠慮しておきますね」
「どうした?なんか用事か?」
二人の会話を近くで聞いていた剛陣が疑問に思ったのか、割り入るように月詠に尋ねる。
月詠は剛陣や稲森の視線を受けながら、白米を一口、口に運ぶ。しっかり三十回咀嚼し、嚥下すると月詠は二人に視線を向けた。
「はい。なので、私は別の機会に伺うようにします」
「そっか。それなら仕方ないな!」
「稲森さん達さえよろしければ、豪炎寺さんにお大事にしてくださいとお伝えください」
「おう!任せとけ!」
にこっと人の良い笑みを向ければ、剛陣は自身の胸をどんと叩く。
そんな彼に「ありがとうございます」と月詠は笑いかけると、再び白米を口に運んだ。
:
朝食が済み、ミーティングまでそれぞれの時間を過ごしていた選手達のイレブンバンドが監督からのメッセージを知らせる。
ミーティングの準備が出来たようで、ミーティングルームへと集合するようにという呼びかけ。
選手達はそれぞれその呼びかけに応じ、次々とミーティングルームに集まった。
広々とした部屋には羅列した椅子に、大きなモニターが設けられている。
「全員集まったようですね〜!これから、次に対戦するオーストラリア代表の試合映像を見てもらいます」
選手達が揃ったのを確認し、趙金雲はいつもの様に軽快な笑い声をあげると、ミーティング内容を告げた。
彼の言葉に真っ暗な画面に映った選手達の表情が引き締められる。
試合映像は、相手チームの実力や戦術を知る大事な手がかり。それによって戦略を立てることができ、対策もできる。
監督の言葉と同時にモニター画面が明るくなると、画面一面が緑に包まれた。
それは、大きな葉。
『しゃちょさーん、ここハワーイじゃナイネ!』
途端、葉が擦れ合う音と共に、緑を押し退けて顔を覗かせた女性。
驚いた選手達は眉をひそめ、それぞれ声を漏らす。これは明らかに試合の映像ではない。
「えっと…これが、試合映像?」
「どこからどう見ても違うと思うでゴス……」
「で、ですよね……」
困惑を隠せずに画面を眺める月詠の口から思わず零れた言葉に、すかさず隣の席の岩戸がツッコミを入れる。
画面に映った女性、ナターシャが振り返ると、赤い海パン姿の趙金雲が、呑気にジュースを口にしてバカンス気分を味わっている姿が大画面に映し出された。
途端にブツンと映像が切れ、暗くなった画面には戸惑う選手達の姿が映る。
「おっとこれは、ナターシャとハワイアンセンターに行った映像でした!」
謝りながらも反省の色一つ無い様子で笑う趙金雲に、拳を振り上げながら剛陣は「間違えてんじゃねえよ!」と声を荒らげた。
「実はですね、オーストラリア代表の映像は手に入れられなかったんですよ」
眉尻を下げながら衝撃の事実を告げた趙金雲に、選手達は「えぇ〜!?」っと驚きの声を上げる。
「それじゃあミーティングは…!?」
「無理ですねぇ。ということで、本日は解散で〜す!」
険しい顔付きで監督に問いかけた風丸だったが、趙金雲は何とも呑気な返答と共に解散を告げるなり、早足でミーティングルームを出ていってしまった。
「チッ…相変わらず適当な野郎だぜ」
その背中を見送りながら、灰崎は吐き捨てる。
周りの反応や灰崎の言葉を聞いていた月詠は少し戸惑った様子でチラリと隣に座る岩戸を見上げた。
「監督ってもしかして、いつもあんな調子なんですか?」
「そうでゴス。酷い時は試合中にいなかったりすることもあるでゴス」
「随分 変わった方なんですね……」
もはや慣れてしまったとでも言うかのような岩戸の態度に、月詠は頬に汗を垂らしながら監督が出て行った扉を眺める。
「どうしましょうか、円堂さん?」
結局ミーティングは行えず、相手選手の情報さえ分からない。
それぞれの視線が円堂へ向けられる。
「情報が無いなら仕方ないな。各自、課題を克服する特訓だ!」
それを受け立ち上がった円堂は、途方に暮れた選手達に指示を出した。
円堂の言葉にそれぞれが答えると、矢継ぎ早にミーティングルームを後にする。
「月詠!」
そんな中、部屋を出ようとしていた月詠に声が掛けられた。
後ろを振り返った彼女の目前には稲森が立っていた。
「これからみんなで集まって特訓するんだ。月詠も一緒にどうだ?」
「はい、ぜひご一緒させてください」
「じゃあ、着替えて外のグラウンドに集合な!」
要件を伝え終えた稲森は背を向け去って行く。月詠もまた、一度部屋に戻ろうと振り返る。
その時、彼女を捕らえた赤い瞳と目が合った。
何もかも見透かしているかのような眼がゴーグル越しに鋭く光る。
月詠は不思議そうに子首を傾げながら小さく一礼すると、彼の隣をそそくさと通り過ぎた。
「すみません、お待たせしました…っ!」
部屋に戻り急いで準備を済ませた月詠は、女子更衣室でユニフォームに着替え屋外グラウンドへ向かった。
階段を急ぎ足で登ったためか、少し息を切らしている彼女に周囲の視線が集まる。
「これで全員みたいだな。試合をするにはキーパーが足りないし、円堂が言っていた通り今は、それぞれの課題の克服だな」
そう言って場を仕切るのは、ポニーテールと前髪で隠れた左目が特徴的な風丸。
円堂や鬼道、豪炎寺がいないこの場では彼がまとめ役に回るのは自然なことで、他の選手達も彼の言葉に同調するとそれぞれ自由に散らばり始めた。
ある選手はドリブル、ある選手はシュート、それぞれの苦手な分野を克服するため、他の選手にも声をかけ協力してもらいながら特訓に励む姿。
そんな中、月詠は離れた場所で一人、ボールをつま先で転がしていた。
まだ代表選手になったばかりで一人一人との関係性を築けていない月詠は、他の選手達に協力を仰ぐのも難しく。彼等の輪に乗り遅れ、一人となってしまった様子だった。
そんな彼女の姿に気付いた少年は、彼女の小さな肩にポンッと手を乗せる。
「月詠」
「わ!は、はい…!」
突然呼ばれた名前と置かれた手。
一人、練習に励んでいた月詠は、驚いて少しばかり大きな声で返事をしながら振り返る。
そこに立っていた風丸も、彼女の声に驚いた様子で目を見開いていた。
「驚きすぎじゃないか?」
「すみません、考え事してまして……」
やがて、呆れた表情をした風丸に月詠は、汗を垂らしながら慌てて謝る。
「それより、どうされたんですか?」
「月詠が良ければなんだが、今から俺とパス練しないか?」
ふと、思い出したように声をかけてきた理由を尋ねれば、風丸は答えながら足元に転がるサッカーボールを片手で拾い上げた。
「パス練習…」
「昨日、付き合うって言っただろ?それとも、俺じゃ不満か?」
「と、とんでもないです…!」
風丸の提案に、月詠はその単語を反覆させる。
あまり乗り気なようには見えない月詠に、風丸はからかい交じりに含み笑いを浮かべた。
彼の言葉に両腕を前に突き出した月詠は、必死に否定しながら、首を左右に振る。
「寧ろありがたいです。風丸さんのことも、一之瀬さんや土門さんから聞いたことがあるので」
「へぇ…二人は俺の事を何て言ってたんだ?」
弁明する月詠の口からは、自己紹介の時と同様に見知った二人の名前。
二人は一体どれくらいのことを彼女に話しているのだろう、と思いながら疑い混じりに目を細め、ニヤリと笑った風丸は尋ねる。
月詠は、人差し指を立てると明るく笑って言った。
「責任感が強い人で、足が速くて、何よりイケメンだって褒めていましたよ」
「……あいつら絶対からかってるな」
途中までうんうん、と頷きながら聞いていた風丸だったが、イケメンという単語が彼女の口から出ると、軽くずっこけ、すぐに頭を抱えてしまう。
思っていた反応と違ったのか、あれ、と首を傾げた月詠は、とりあえず話を変えようと慌てて声を上げた。
「ところで先程の件ですが、私とパス練習となると初歩的なものになってしまうと思うんですけど、大丈夫なんですか?」
「それは問題ない。たまには初心に帰るのも大事だろ?」
そう言いながら、風丸は手に持ったサッカーボールを月詠へ差し出す。月詠がボールを受け取るのを見て、風丸は話を続ける。
「俺も実はさ、サッカー始めてそんな長くないんだ。留学こそなかったけど、月詠とさほど変わらないんじゃないかな」
「えっ、それであんなにお上手なんですか?」
確か去年の春頃だったような、と空を仰ぎながら当時のことを思い出す風丸。
風丸は元々陸上部員だった。サッカー部にだって、円堂の気迫に負け、当初は助っ人としてサッカー部の手助けをしていただけだった。しかし、見事にサッカーに魅せられてしまった彼は、いつの間にか雷門中サッカー部の一人として、フットボールフロンティアで円堂達と共に優勝まで走り抜けていた。
当時のことを思い出しながら感傷に浸る風丸を前に、月詠は目を見開く。
「私なんて留学しても全然うまくなれなかったのに……」
「ははっ、月詠は正直だな!」
経験の差はほとんどない。そのはずなのに、試合が始まっても堂々とした立ち振る舞いや、先の試合で見せた強力な必殺技、それらは風丸の実力を現していた。
羨ましそうにぼやいた月詠の隠すこともない正直さに、風丸は口を開けて笑う。
「───で、パス練だけど、どうする?」
「ぜひよろしくお願いします!」
「いい返事だ」
数秒ほど笑ったあと、風丸は彼女の手の中にあるサッカーボールに、自身の手のひらを添えて尋ねた。
キッと眉根を寄せ、真剣な顔付きで元気な声と共に綺麗なお辞儀をした月詠に、風丸は大きく頷いた。