白か、黒か


昇っていた日は、すっかり落ちかけている。
オレンジ色に染まるグラウンドの端で、パス練習を行っていた月詠と風丸は、周りの声で立ち止まる。

「今日の練習はここまでだな」

夕食の時間となり、それぞれがグラウンドの後片付けをする中で、同じく先程まで使っていたサッカーボールを拾い上げる風丸。
全く息の挙上がっていない風丸に対して、膝を抱えて汗を垂らす月詠は、ゆっくりと曲げた腰を正す。

「なかなか筋が良かったじゃないか」
「ご教示ありがとうございました。明日もまたお願いします」
「あぁ。それじゃあ、さっさと片付けて夕食を食べに行くか」

風丸からの賞賛を受け、手の甲で汗を拭った月詠はお礼を伝える。
そのまま二人は片付けに入り、使用していたサッカーボールや、マーカーコーンなどを用具倉庫に運び終えると、宿舎への階段を降りてゆく。
宿舎に辿り着くと、真っ先に更衣室に向かう選手達。その中で月詠も、女子更衣室に入る。

「………」

現在、女子選手は彼女一人だけ。ほぼ貸切状態となっている更衣室はやけに広い。
着替えを入れたロッカーを開けると、真っ白なタオルを取り出して先に汗を拭う。その後、ジャージに着替えると、すぐに荷物を持って更衣室の扉を開けた。

「……?」

パタンと更衣室の扉を閉めて部屋へ戻ろうとした時。月詠の視界の端に、赤い何かがチラついた。

「鬼道さん?」

まるで出てくるのを待っていたかのように、壁に背をかけて立ち尽くす少年、鬼道に月詠は首を傾げる。

こんなところで一体どうしたのだろうか。
そう思いながらも深く聞くつもりはないのか、「お疲れ様です」と微笑みながら声をかけた月詠は、すぐに持ち直して自室に向かって歩き始める。

「…月詠、お前は一体なにを考えている」

鬼道の隣を通り過ぎようとした時、ふと、聞こえた。
再び足を止めた月詠は、すぐに彼に視線を戻すと、はにかんで答えた。

「えっと、すみません。お腹がすいたなって考えてました」

恥ずかしそうにお腹に手のひらを添える。
分かってやっているのだろうか。ゴーグル越しに月詠を見る鬼道の目には、疑惑の色が深まる。

先日、行われたばかりの韓国代表との試合。鬼道はその試合の違和感にいち早く気づき始めていた。目眩しにあったと言う豪炎寺の怪我、不審な韓国代表チームのキャプテンの退場。
そして何より、彼女の不自然に見えたパスミス。

もし彼女も一星同様、害をなす者の一人であるのなら​───。そこまで考えて、鬼道はゆっくりと口を開く。

「……お前は、サッカーを始めた理由を諸事情だと言っていたな」
「そうですね。それがどうされたんですか?」
「その諸事情というのは、どうしても話せないことか?」

にこにこと浮かべられていた微笑みが止まる。
じわじわと開かれた目には、彼女を警戒する鬼道の姿が映る。
少しの沈黙が訪れ、空いた口を閉じて目を伏せた月詠が、次に瞼をあげると再びにこりと笑みを浮かべた。
しかし、その様は人間味がなく気味が悪い。

「いえ。もしご興味があるのでしたらお話しましょうか?」
「あぁ、そうだな」

警戒の色を強めながら、鬼道は慎重に頷いた。
何を考えているのかさっぱりな表情で月詠は、思い出すように天井を仰ぐ。

「話せば長くなるので少し省略させていただきすね」

そう前置きして、月詠は語り始めた。

「実は、私は昔サッカーに……いえ、サッカーどころか、何にも興味が持てない子供でした」

淡々と紡がれる言葉。鬼道は一言一句でも逃さないように、彼女の話に耳を傾ける。

「──でも、ある子が何も無かった私を変えてくれたんです」

思い出しながら目を細め、目元をやわらげる。口元を緩めて続きを綴る彼女の表情は、とても幸せそうだ。
それほど彼女にとって、その人物との出会いは大きかったのだろう。

「その子はサッカーが大好きでした。サッカーに向き合うその子の表情は、心の底から楽しそうで笑顔に溢れていました。私はそれを感じたかったんです。その子のサッカーへの気持ちが知りたくて、次第にサッカーに興味を惹かれていきました」

サッカーボールを蹴り、広い芝生を駆け回る。その子の表情を見て、羨ましさを覚えた日を思い返す。
その時から、彼女のサッカーは始まったのだ。

「今ではその子に負けず劣らず、サッカーが好きです。相手は私の事をもう覚えてはいないでしょうけれど、それが私のキッカケです」

とある人物によってつくられたキッカケ。
彼女の話は、鬼道に円堂との出会いを思い出させた。鬼道も、今のようにサッカーを心の底から楽しめるようになったのは、円堂によりそのキッカケを与えられたからだった。

「諸事情と言って誤魔化したのは、こんな思い出話をあの場でする必要は無いと思ったからです」
「…そうか。突然すまなかったな」
「いえ、気にしないでください。単なる思い出話でしたが、聞いていただけて嬉しいです」

視線を再び鬼道に戻し、にこりと微笑んだ月詠の顔はすっかり人間味を帯びていた。
その様子に、気のせいだったか、と息をついた鬼道は、突然押しかけてしまったことを謝罪する。月詠もそれを受けながら気にした様子はなく、首を左右に振った。

「それでは、私はそろそろ部屋に戻りますね」
「最後に、もう一ついいか?」
「…はい。かまいませんよ」

話がまとまったところで、部屋に戻ろうとした月詠。しかし、またもや鬼道はそれを制止する。

「月詠、お前は​一星をどう思う?」

鬼道の問いかけに一瞬、彼女の顔から表情が消えた気がした。
相も変わらずにこにこと笑みを称える彼女は、そうですね、と呟いたあと言った。

「人でも喰らいそうなほどに強い野心を持った子、だと思いますよ」

月詠の表情は、綺麗で、綺麗すぎるほどに不気味な笑みだった。

「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味です」

一度、晴れかけた疑惑が再び戻る。
眉を寄せ、ゴーグル越しに月詠を睨みあげる鬼道。赤い瞳を真っ直ぐと見つめ返した後、またにこりと笑いかけた月詠は、これ以上用がないことを確かめると廊下の奥へと消えていった。


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翌日。
青い空が広がった気持ちの良い朝、とはいかなかった。
その原因はテレビから流れた朝のニュース番組。内容は、つい最近行われた日本代表の初戦である韓国との試合についてだ。

世界にも匹敵するであろうシュートを編み出した豪炎寺が、負傷してしまい離脱。彼の離脱は日本代表にとって痛手となる、アジア予選の突破は難しくなった。まるで他のフォワードを戦力外とでもいっているかのような言葉たち。
それを見ていた灰崎は、好き放題言ってくれるニュースキャスターに、特段虫の居所が悪かった。

そして、灰崎のギスギスとした雰囲気は、練習にまで持ち込まれた。
吉良との連携技の特訓でも焦っているのか、息が合わずにボールは大きくゴールを外れた。

「灰崎くん、大丈夫ですかね……」
「確かに、心配だが…​───いや、どうやら大丈夫そうだな」
「え?」

吉良と言い合いをする灰崎を遠目に眺めていた月詠の呟きに一度、同調しようとした風丸。
しかし、出ていく灰崎の奥に立っていた人物を目に止めると、すぐに笑みを浮かべた。風丸の視線の先を追えば、灰崎の後に続くようにグラウンドを後にする鬼道の姿。
赤いマントをはためかせ、出入口へと去っていく鬼道を月詠は眺める。

「鬼道さんですか?」
「あぁ。鬼道に任せておけば問題ないだろう」
「……信頼してるんですね」

とっくに鬼道の姿は見えていないというのに、彼女は未だぼんやりと出入口を眺めている。
その様子に気付かず、風丸は彼女の言葉を肯定した。

「まぁな。付き合いもそれなりに長いからな」

初めは敵同士だったにしろ、今は雷門中サッカー部の一員でもある鬼道。
円堂や豪炎寺と同様に、風丸も鬼道のことをよく知り、彼のサッカーを信用していた。

「ほら。それよりも、練習に戻るぞ」
「あ、はい!」

やがて、ぱっと月詠に向き直り声をかければ、ハッと我に返った月詠は、慌てた様子で練習に戻るのだった。


お昼時。風丸との練習を終えた月詠は、ジャージに着替えて女子更衣室を出る。
すると、扉を開けた先には日本代表である趙金雲が立っていた。その後ろには先程練習を共にした風丸と吹雪も並んでいる。

「やっと出てきましたね〜」
「監督にお二人まで?どうされたんですか?」

出てくるのを待っているほどに何か重要な要件があったのだろうか。真剣な顔付きで向き合う月詠に趙金雲は、腕を左右に大きく広げた。

「月詠さ〜ん!今からアナタに重要な任務を与えま〜す!」

右手に持っていたスマホからジャジャーン、という効果音が流れる。
重大な任務、そのワードにゴクリと#月詠は唾を飲む。一体どんな任務が命じられるのか。漂う緊張感から額に汗が滲む。

「アナタはここに来てまだ日が浅い。なのでみなさんともっと交流して仲を深めて、それはもうあつーい関係を結んできてもらいます!」

しばしの沈黙。廊下に立つ四人の耳には、窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりのみが聞こえる。

「はぁ…ええと、つまり………?」
「大丈夫だよ、月詠ちゃん。普通の買い出しだから」
「あ、なるほど」

趙金雲の圧倒的に言葉足らずな言葉を、当たり前だが理解できない月詠は困惑した様子でその先の説明を求める。
すると、その様子を趙金雲の後ろで見ていた吹雪がすかさず助け舟を出し、月詠はポンッと手を打った。

「風丸さんと吹雪さんと私の三人で行くんですか?」
「いいえ〜。今から明日人くんと氷浦くんと剛陣くんもお誘いしに行きますよ〜」
「結構な大人数で行くんですね」
「賑やかでいいでしょう」

吹雪の説明があり理解のできた月詠を見て、趙金雲は「行きましょ〜」と間延びした声で先を歩き始める。
やはり、マイペースで変わった人だ。趙金雲の言動に軽く振り回されながら、三人は彼の後ろに続いた。


宿舎から一番近い、品揃えが豊富を売りとしたスーパーマーケット。
あの後、離れにある特訓施設でヘトヘトになっていた稲森、氷浦、剛陣を誘い出し揃った六人は、一般客に紛れて入店する。

「えっと、トイレットペーパーにシャンプーに洗剤に……多過ぎるな」
「店も広いし別れた方がいいんじゃねぇか?」
「確かにその方が効率もいいだろうね」

買い出しのメモを手にした風丸が、メモ一面に描き綴られた項目を見て呟く。
六人の中でも、歳が上の先輩である三人が先頭立って話し合っていれば剛陣が良案を出し、それに頷いた吹雪。

風丸と明日人、剛陣と吹雪、氷浦と月詠。二人一組になり、広い店内で商品探すことになった。

「やっぱり私も持ちますよ」
「いや、重いから大丈夫だよ」

既に商品が入れられた重そうな買い物カゴ。
氷浦の右手に下げられたカゴを申し訳なさそうに見つめる月詠だが、ハッキリと断られてしまう。

「それより、次は何を買うんだ?」
「あ、えっと……次は、キッチンスポンジです」

でも、と食い下がらない月詠に対して、サラッと話題を変えた氷浦。
メモの写真を撮っていた月詠は、慌てて画面を確認する。月詠の答えを聞いた氷浦は、辺りをきょろきょろと見回すと、台所用品と書かれた商品棚を見つける。

「あっちだね」

思いのほか近くにあった。二人は商品棚に近付くと、お目当てのものを探す。

「あった、けど…いっぱい置いてるね」
「このお店、品数が良いですね」

月詠はぐるりと見渡して感心したように呟く。
目の前に並ぶ商品の数々は、恐らく他のスーパーマーケットよりも多い。
日本代表の宿舎を決めたサッカー協会はここまで気を使っているのだろうか。

「これにしましょう。いっぱい入ってますし」

二人で暫く眺めた後、キッチンスポンジが複数個同封された袋を手にして、氷浦ににこりと笑いかける。氷浦も頷き返すと、買い物カゴを差し出した。
カゴの中に商品を入れた月詠は、再びスマートフォンの画面に目を落とした。

「食材も少し入ってますが、今日の夕食に使うんでしょうか」
「どうだろうね。見せてみて」

次の商品を探しながら歩く。
彼女の横から画面を覗き込んだ氷浦は、うーん、とか何かを考える唸る。そして、何かに気づいたかのようにハッとする。

「これは、もしかして────」
「もしかして?」
「……ごめん、やっぱり分からないや」

購入する食材から推理をしてみせようとした氷浦だったが、やはり難しかったようだ。ガクッと右肩を落とした月詠は苦笑を零しながらもツッコミの言葉を飲み込んだ。

そうして、時折笑い交じりの他愛も無い会話を繰り広げながら二人は店内を周り、やがてメモの最後に書かれた商品の元まで辿り着くと、それを手に取った。

「これで最後、ですかね」

後ろに立っている氷浦に確認をとるように、首を後ろにくるりと向ける。

「あれ?氷浦さん…?」

しかし、そこに氷浦の姿はなかった。
おかしいな、と首を傾げて立ち上がった月詠。きょろきょろと当たりを見回しながら歩けば、とある一点を見上げる綺麗な薄氷の髪を見つけた。
彼は、顎を親指と人差し指でつまみ、棚の一番上にある青い帽子を見つめていた。

「どうしたんだ、氷浦?」
「何か気になるものでも見つけたんですか?」

向こう側で風丸と共に買い出しをしていた明日人が氷浦の隣へ並び立つ。氷浦は、あれを見てくれ、とその青い帽子を指さした。

「あれって…!」
「あの帽子はあいつのものに間違いない。もしかして、この近くに居るということなのか?」
「???」

シンプルな青の帽子。二人にはどうやらそれに思い当たりがあるようだった。
だが、何もわからない月詠は、忙しなく首を動かして明日人と氷浦を交互に見る。頭上に疑問符を沢山浮かんでいた。

「ん?お前らどうしたんだ?」
「分かりません……」

そんな三人の姿を見た剛陣がひょこりと顔を覗かせるが、氷浦と稲森は帽子に夢中。
月詠は、苦笑いを浮かべながら剛陣の質問に答えたのだった。