月のような傀儡
「はい。月詠ちゃんはこれをお願いね」
「え、でもこれ───」
吹雪が差し出してきたのは、軽い物だけが詰められた袋。それも、他の五人より袋のサイズが小さいようにも見える。
会計を済ませ、それぞれが自ら袋詰めした商品を手に持つ中で、明らかに彼女用に用意されたそれに月詠は戸惑った様子を見せる。
「重いものは僕達が持てるからね」
「…ありがとうございます」
しかし、吹雪はお構いなく、彼女が手に持っていた重い方の荷物をサッと交換してしまう。そのスマートさは、まさに雪原のプリンスという異名そのもの。
月詠は、目をぱちぱちと瞬かせたあと、にこりと笑ってお礼を伝えた。
そうして、六人はスーパーマーケットを後にすると、宿舎までの帰路を辿り始める。
まだ青い空が広がり、明るい時間帯。道中で、氷浦はとある少年の話を始めた。
「無敵ヶ原富士丸?」
「なんかすげえ名前だな」
少年の話を聞き終えたあと、名前を復唱した風丸と、聞きなれない名前に感想を述べる剛陣。
「日本代表が五人がかりでも止められないなんて」
日本代表は、世界に挑むために結成されたチーム。
中学生とは言えど、プロレベルのプレイヤーばかりのはずなのに、そんな彼等が五人集まっても適わなかった。
その事実に吹雪は驚きとも関心ともとれるような表情で呟く。
「明日人、俺、あいつのことがずっと気になってたんだ」
謎の少年に突然勝負を吹っかけられてから負けたあの日。
あれほどの実力を持っていながら、顔も名も知らない彼の存在に対する興味が氷浦の中で未だ
稲森は、そんな彼の共感して「じゃあ俺達で探してみるか!」提案する。しかしそこへ「待て」と制止の声がかかった。
「そいつは敵のチームの回し者である可能性もある」
「だけど、興味があるんです。あんなに凄いプレーをするやつが俺達、日本代表以外にもいるなんて…」
二人の逸る気持ちを止めた風丸。彼の瞳の奥には、警戒の色が浮かんでいる。
彼が疑念を抱くのも無理は無い。話を聞いている限り、圧倒的なサッカーセンスを持っている謎の少年がそもそも代表に選ばれていないなんておかしい話だ。選ばれない何らかの理由───それこそ風丸の言う通り、他のチームに在籍しているからか。
氷浦も風丸が言わんとしていることは分かっていた。それでも、彼の探究心はもう止まらない。
「確かに、興味がありますね」
「俺もそいつに会ってみたいぜ!」
「君達が探すって言うなら、僕も付き合うよ」
氷浦の言葉を肯定するように月詠が頷くと、剛陣、吹雪も好奇心からか続けて二人の話に乗った。
「わかった、じゃあ俺も行く。少し興味が湧いてきたしな」
それぞれの熱意に押され大きく溜息を吐くと、その顔に同じ好奇心をチラつかせながら、風丸は笑みを浮かべた。
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周辺で少年に関する聞き込みを行った六人は、そこで得た有力な情報を頼りに宿舎近くの湖畔までやってきた。そこは小さな釣り場で、謎の少年はここでよく釣りをしているという。
きょろきょろと首を動かして辺りを見回す中、氷浦が何かに気付いた瞬間、「いた!」と稲森が声を上げた。
稲森の指先には情報通り、サッカーボールをお供に釣りをする少年の後ろ姿。
「君達は…」
「無敵ヶ原富士丸、お前は一体何者なんだ!」
ぞろぞろと釣りを嗜む少年に複数の足音が近付く。その足音から彼等の存在に気付いた無敵ヶ原が幼い顔を六人に向けた。
「へ?ただの釣り好きな少年だけど?」
何を言ってるんだ、とでも言いたげにとぼけてみせた無敵ヶ原。そんな見え見えの嘘に騙されるはずもなく、氷浦が詰め寄る。
「いや、あのプレーはただの釣り好き少年のレベルじゃない」
「…つまり、僕とまたサッカーやりたいってこと?」
彼等の意図を察した無敵ヶ原は、釣り竿を地面に置くと、傍らのサッカーボールを足先ですくい上げる。
「この前のリベンジだ!」
「やられたらやり返さねぇとなぁ」
頷いた氷浦に続いて、稲森と剛陣も好戦的な笑みを浮かべれば、無敵ヶ原も三人の姿にフッと挑発的に笑った。
ころりと少年の手からボールが溢れ落ちると、すぐに氷浦が間を詰めよりスライディングを仕掛ける。だが、無敵ヶ原は巧みなボールさばきで軽々と避けた。
「あれ〜?リベンジするんじゃなかったっけ?」
自らの前に立ち塞がる五人を眺めながら、揶揄うように太ももでリフティングする。
余裕のある表情に眉をひそめた氷浦は、今度こそはと再チャレンジするも、するりとかわされてしまう。
「なんてテクニックだ!」
「ラフプレーが得意だって?話が違うじゃねえか!」
「確かに前はそうだったんですよ!」
「一対一じゃ埒が明かない。囲いこんで奪おう」
あまりのテクニックにそれぞれが戸惑う中、吹雪の合図を皮切りに少年を囲んだ五人が一斉に攻める。
それさえも、無敵ヶ原は何ともないように次々とかわしていき、風丸や剛陣の背中を踏み台にぴょんぴょんと軽やかに跳ねる。
まるで動きの読めないトリッキーなプレーに翻弄され悔しそうにリベンジする五人。月詠はその様子を少し離れた場所で眺めていた。ただ息を潜めながら、少年の動きを目で追う。
「ねえ、君は見てるだけなの?」
「え?」
やがて、青い空にオレンジ色が差し掛かり始めた頃。ふと、彼の大きな目が彼女を捕らえた。
少年との勝負に挑んだ五人は、体力の限界かすっかり疲れ果てて地面に座り込んでいる。
「あ、いや、私は荷物を見てますし…」
「そんなの放っておけばいいじゃん。誰も取らないよ」
突然むけられた目にドギマギした様子の月詠は足元に置かれた買い物袋に目をやり、ぎこちなく笑った。
それでも、無敵ヶ原は食い下がらない。
「みんなもう疲れてバテちゃってるみたいだし、口だけで相手にもならないからつまんないんだよね。だから、君が僕の相手してよ。海外でサッカーしてたんならそれなりの実力もあるでしょ?」
何故それを。いや、そんなことよりも。
ぐるぐると頭を回転させる。困った様子で視線を落とした月詠の手にじわりと汗が滲んだ。
「ええと、でも……」
「それとも───何か出来ない理由があるのかな?」
彼女の中で何が引っかかっているのか。中々受けようとしない月詠に、無敵ヶ原は目を細める。
探るような目付きに、月詠の肩がぴくりと小さく跳ねた。
暫くの沈黙の末、彼女はゆっくりと口を開く。
「いえ、わかりました。やりましょう」
そう告げた彼女の顔はどこか強ばっていて、困惑の色が浮かんでいた。
「ほらほら、そんな動きじゃ取れないよ!」
軽々とした動きで飛び跳ねる無敵ヶ原は、ぴょんと少女の小さな背中を踏み台にする。その拍子に、前のめりになった月詠の身体が地面に転がった。
先程からずっとこの繰り返し。相手にもならない、そう思いながら無敵ヶ原は地面に転がる少女の前で足を止める。
「うーん…前々から気になってたんだけどさ、君、なんで本気出さないの?試合の時もそうだけどさ、か弱いフリしちゃって。もしかしてそれが指示だったりするのかな?」
覗き込むように顔を寄せれば、ゆっくりと立ち上がった月詠は膝についた土を払いながらにこりと笑う。
「なんの事ですか?」
「あ、とぼけるんだ」
「とぼけるも何も、私はいつでも本気ですから」
「僕にはそう見えないけどね」
微笑みを絶やさない月詠を鋭い眼差しが射抜く。どうやら彼は逃がしてはくれないようで、月詠は一瞬きょとんとした顔をすると、すぐに目を細めた。
口元は綺麗な弧を描いているというのに、彼女の目は笑っていない。
「…そもそも、弱いフリなんてする必要ありませんよね。本気を出すのが普通なんですから」
「本当にそれって普通のコトなのかな?」
ボールを爪先で転がすと、素早い動きで月詠との距離を縮めた無敵ヶ原。咄嗟で反応の遅れた月詠は、逃れるように体を仰け反らせたが、追いかけるように彼はグッと顔を寄せて腕を掴む。
「今の状態が普通じゃないって、自分でも分かってるんじゃないの?人の真似事をしたところで所詮は
「………」
彼女の耳元で囁くように告げた無敵ヶ原の言葉に彼女の目がじわじわと見開かれる。
動揺しきった様子の月詠は、荒々しく彼の手を振りほどいた。その反動で尻もちをついた少女は、俯いたまま動かなくなってしまう。
「…もういいや。君とのサッカー、全然楽しくないから飽きちゃったよ」
自ら吹っかけておきながら、何とも自由なんだろうか。
溜息を零した無敵ヶ原は、冷めた目で彼女を見下ろした。月詠の表情が僅かに固まるが、完全に興味の失くした様子の彼は、何事も無かったかのようにくるりと背を向ける。
「君達も気が済んだでしょ」
二人のやり取りを傍から見ていた五人はすっかり息が整ったのか、それでもふらつきながら立ち上がる。
「君は一体、誰なんだ?」
「ただのサッカー好き少年だけど?」
先程は釣り好き少年。今はサッカー好き少年。言っていることがコロコロと変わる無敵ヶ原の真意は全く読めない。
「君の名前、無敵ヶ原富士丸は、間違いなく偽名だ」
「へえ…その根拠は?」
そんな中、とんでもない発言を投げる氷浦に周囲はは驚きの声を上げる。無敵ヶ原はじとりと冷たい目付きで偽名だという根拠を求めた。
氷浦はそれに答えるように、名字はここ、無敵ヶ原停泊所から。名前は、湖畔に浮かぶ富士丸という名の船からとったのではないか、と告げる。
「違うかい?」
眉根を寄せて無敵ヶ原を問い詰める氷浦。しかし、「どうだろうね」と目を伏せた無敵ヶ原にはなから答える気はないようだ。
「君はいったい何がしたいんだ!」
「聞いてばかりでいないでさ、探偵を気取るなら僕の正体を当ててみたらどうだい?」
どこまでも挑戦的な態度で対峙する無敵ヶ原に、周囲は黙り込んでしまう。
「じゃあ貴方も、私のことを聞き出そうとする前に、自分の正体を明かすべきでは?」
「月詠?」
その時、五人の後ろから投げかけられた声にそれぞれの目線が少女を捉えた。初めて聞く彼女の冷たい声は抑揚を感じられない。
ゆっくりとした足取りで無敵ヶ原との距離を縮めると、彼の目前で足を止める。その異様な様子に稲森が彼女の名前を呼ぶが、気付いていないのか答えない。
「なに?僕に興味があるの?そんな風には見えないけど」
「そうですね。私は貴方の情報源に興味があるだけですから」
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ふーん、と鼻を鳴らした無敵ヶ原は一つ提案をした。
「君が今ここで正体を明かしてくれるなら、特別に教えてあげてもいいよ?」
「…………」
彼の提案に黙り込んだ月詠は、無機質な瞳で無敵ヶ原を睨む。
普段はにこやかな彼女が見せる冷たい雰囲気に五人が気圧される中で、「まぁそうだろうね」と小さく呟く。
「とにかく、今日も楽しかったよ」
すぐに彼女から目を離すと、後ろに佇む少年達にひらひらと手を振りながら身を翻した。
「君の謎解き、次の機会にまた聞かせてもらうよ。僕の謎、次は最後まで解けるかな」
意地悪な笑みを浮かべた無敵ヶ原の遠ざかる背中を眺めながら、氷浦は宣言した。
「必ず解いてやるさ、ばあちゃんの名にかけて!」
どこかで聞いたことあるような決めゼリフと共に、人差し指を突き出した氷浦。彼の左肩からひょっこりと顔を出した風丸は「君のばあちゃんは何者なんだ…」とじとりとした目付きでツッコんだ。
「なぁ、月詠 大丈夫か?」
二人の後ろで稲森は月詠に声をかける。
静かに背中を向けて佇む彼女にゆっくりと手を伸ばす。その手が彼女の肩に触れる前に、ぐるんと身体が稲森の方を向いた。
「……すみません。少し変な空気にしてしまいましたね」
いつものように、にこりと笑った月詠に先程の面影はない。
眉尻を下げて申し訳なさそうにしながら、少し離れた場所に置かれた荷物を取りに戻る月詠の姿に、剛陣が稲森へにじり寄る。
「さっきの怒ってたよな?大丈夫なのか?」
「た、多分、大丈夫なんじゃないでしょうか…?」
口の端に手を添えて、こそこそと耳打ちし合う二人。
怒っていたかどうかは定かじゃないが、それでも確実にいつもと違う様子だった。
今じゃすっかり元通りでその面影すらもないが、安心はできない。二人の頬には汗が流れ、どこかぎこちない。
「普段怒らない子が怒ると迫力があるね」
「確かにそうですね……」
「あいつは怒らせないようにしないとな」
近くにいた吹雪も二人の会話が聞こえていたのか、穏やかに微笑みながら混ざる。
稲森と剛陣は先程の彼女と普段の彼女を思い返し、見比べながら、彼女を怒らせないようにしようと心に誓った。